一週間刻みの眺め(長め)サイト(笑)

今週、引き出しの中に容れたもの。

2022/6/20(月)から今日まで。(第36週ー前半①)




**************
2022/6/20(月)
**************

朝は、オトン(元ウチの人)からのメール・チェック(備忘録的なものなので、読み飛ばしを)。

「土曜日はハルカス、昨日は焼き鳥でした。今週は、木曜日休み、土曜日はIらと多満喜。日曜日も休みです。」


夜は、菟田野のお義母さん(84)に、ラブレター書き(笑、同上で)。

おかあさん コン🦊ばんは

きょうは、月曜日もやっているという珍しい美容院へ、髪の毛を切りに行きました。私は毛先を10㎝切るだけでいいので、カットのみのブロー無しを、入口の端末で申し込んだら、980円で済みました🤭

先週はイケメン👶、ラーメン🍜、カレー🍛特集にお付き合いありがとうございました🙇

今週からは、また「根っこばなし」より、『ざるにはざるを🐵』をお送りしたいと思います👵👦👶
笊(ザル)の絵文字がなかったので、お猿さん(🐵)になりました🐒キキッ

なお、『ざるにはざるを🐵』は、タイトルに魅かれて選ばせて貰った作品なので、物語が予期せぬ展開(?)になるかもしれないことを、あらかじめお詫び申し上げます(笑)🙇


「根っこばなし」より『ざるにはざるを🐵』
👵👦👶

むかし、大垣あたりの 部落に、佐兵衛(さへえ)という 
気性の かんねつな(※激しい) 若もんが おったと。👦

城下の 鉄物屋へ もの買いに ゆくと、
佐兵衛の 顔を よう知っとる おやじが 店におって、
銭を 受け取るときに 柄を すげた ざるを 差しだしたと。🐵

掌を ださんと ざるを 出したのは、なにも おやじに 限らんて。
おおかたの あきんどは、 相手が 部落のもんと 知れば、
いったん ざるで 受け取った 銭を 井戸端へ 持っていって 
手桶の水で 清めて 手拭きで 水気を とってから
銭箱へ 納めたと。💰 

部落へ やってくる 行商人でも、銭を 手拭きで 受け取って 拭いてから
与市兵衛(よいちべえ、長いひも付きの折りたたみ財布)へ 入れとったと。👛

それが 二百年の余も 続いとったで 部落のもんも 自分の 銭が 
目の前で 相手に 清められとっても 一向に 腹もたてず、
双方とも なんの 面倒ごとも なかったとよ。💰 

(つづく)


それでは 佐兵衛青年が この状況を どう切り抜けるのか、楽しみにしつつ、お互い、今夜もよい夜を😉✨🍹☕🍵イケメン👶、ラーメン🍜、カレー🍛おやすみなさい💤😪」



それが済むと、2022年6月18日(土)開催のYouTubeライブ配信を視聴をしました。


テーマは



6月20日は #世界難民の日

世界難民の日2022 キャンペーン「難民に心を寄せてーRefugees and “We” Talk」
主催:認定NPO法人 難民支援協会- YouTube


※資料90に、アフガニスタン難民の青年へのインタビューの全文起こしがあります。




招き猫(∫゜ω゜)∫ニャンニャン✊





~☆・*。.:*・゚☆・*。.:*・゚☆~
******************
資料のイメージ
******************

※ウェビナー(Webinar)とは、ご存知のようにコロナ禍、私たちの日常に、新たに加わった "ウェブ(Web)" 開催の "セミナー(Seminar)" のことです。
※画像が大きくて申し訳ありません🙇‍♀️

~☆・*。.:*・゚☆・*。.:*・゚☆~





※資料90


2022年6月18日(土)


世界難民の日2022 キャンペーン「難民に心を寄せてーRefugees and “We” Talk」
主催:認定NPO法人 難民支援協会
(JAR)
https://www.youtube.com/watch?v=S7o6mD70XuY
https://www.refugee.or.jp/report/event/2022/06/refugeeday22/


日本に逃れたアフガニスタン出身の難民の青年のインタビュー(2021年難民認定)
難民支援協会(JAR)で働くスタッフのクロストーク


※趣旨:
紛争から逃れるウクライナの人々にいま世界中から注目が集まっていますが、広く報道されることはない他の国や地域でも、武力紛争や人権侵害は起こっており、日本へ逃れる難民の方々がいます。日本で難民の方々が置かれている現状を知り、今できることについて考えませんか?



※冒頭に、ウチが、「世界難民の日」を 自分事としてとらえる とっかかりになりそうと思ったスタッフの方のご発言を、文字起こししてご紹介します。


1:03:35~
松田貫史・難民支援協会 支援事業部


ほんとに 難民 の方々は 特別な存在ではなくて ひとりの 同じ 人間なんですね 日本にも 難民申請者の方が 身近に 沢山 存在しています きょうは いろんなところから 参加して頂いていると 思いますけど みなさんの 街 隣にも 難民の方々が いらっしゃるかもしれません だから 彼ら 彼女らは 決して 遠い存在ではないんですね 


私も 入職して 三年が経ったんですけど 彼ら 彼女らから 凄く 私に大切な問いを 投げかけられていると 思っていて 同じ社会に 生きているにも 関わらず 難民申請者は 人間としての尊厳が 守られているのだろうか ということを やはり 感じます 


同じ社会に 生きているにも 関わらず 彼ら 彼女らのことを 知らない人 無関心の人というのは 多くいらっしゃいます 私たちが これから どんな社会を 作っていくべきなのか この機会に きょうご参加の みなさんにも ぜひ 考えて頂きたいと思います



※日本に逃れたアフガニスタン出身の難民の青年の英語でのインタビューの字幕起こしです


0:4:28~

アフガニスタン と言っても みんな違います アフガニスタンには さまざまな人がいて 色々な 生活文化があります 皆が 悪い人ではないし 皆が タリバンではありません しかし 多数の人が タリバンのような 考え方を持っています 


タリバンは 非常に 宗教観が 強いです アフガニスタンでは 教育が 提供されていません 今の タリバン政権が 教育を 許さないからです 女の子や 女性は特に 特定の法に 従わなければなりません 男性も 多くの法に 従わなければならず タリバンが 来てからの 生活は 非常に 苦しいです 


私が 国を 離れようと思った 第一の 理由は アフガニスタンが 安全ではないからです アフガニスタンを含む 多くの場所では そもそも 安全が どういうのものなのかすら 多くの人たちが 知りません 


私が来たときは タリバン政権ではなかったけれど 現在は タリバンが 握っています


アフガニスタン人の 99%は イスラム教で その多くが 強い宗教観を 持っていて 全員が全員 そうであるわけではないけれど タリバンのような 考え方を 持っています


 自分 または ある人が (タリバンの考え方を)受け入れず もし 殺されたとしても 

「神様に、もしくは預言者や 宗教指導者に 言われた」と (殺した人は)言うでしょう


第二の理由は 全てのことにおいて 社会や 他の人と 私は 考え方が 違っていたからです 例えば 私の生き方 生活様式や 夢など 私は 子どものころに 生き方を 変えました 考え方や 生活様式などを 全て その考え方や 生き方を 続けていたら いつかは 殺されます


私は 宗教観を 持った人では ありません 私は 絶対 「新島さん(※インタビュアー)、あなたの ご宗教は?」と 聞きません 人が 何の 宗教を 信じているからは 私にとっては 関係が ありません でも アフガニスタンでは 違います アフガニスタンで 生まれたら イスラム教徒に なるしかありません それ以外の選択肢はありません


他方 日本では 相手の 宗教を 聞くことがありません 何の宗教を 信じるのか 或いは宗教を 信じないのかを 自由に 選ぶことが できます 


自分の宗教は 勿論 (イスラム教に)変えることは できません 仮に アフガニスタンや 他の イスラム教の国に 生まれたとします 生まれたら(ムスリムの)名前を付けられ 宗教も 決められてしまいます イスラム教の国に 生まれたら イスラム教徒に なるしかありません 他の宗教に 変えてはならない という イスラム教の 法律があります 宗教を 変えることは 許されません 


アフガニスタンでは 他の宗教について 調べることさえも 禁止されます 他の宗教について 調べ 他の宗教に 変えることを 許してしまうと (その コミュニティを)大きくできないから 皆が コミュニティを 大きく 大きく したがっています


子どものころ 宗教など あらゆることを 私が 大人に 聞いても 答えが 返ってきませんでした それでも 答えを 調べたりして 探し続けました 小学生くらいのころから そうでした


私は 不法入国ではなく ビザを持って 入国しました アフガニスタンの 人たちや 社会の中で 自分は やっていけないと 子どものころから 思っていました ずっと 外へ出る方法を 探し続けていました 孤独でした 誰も 信用できないし 外へ 逃げる方法を 毎日 一人で 探し続けました 


タリバン以前から アフガニスタンの パスポートは 世界で 最も弱い パスポートでした アフガニスタンの パスポートでは どこにも 行けません 価値のない ただの 紙切れと 同じでした だから 外国へ行って 助けを求めるのが 難しいでした


日本に 来るのは 本当に 本当に 大変でした 世界で 最も弱い パスポートの国から  世界で 最も強い パスポートを 持つ国へ 行こうとしていたわけで 世界で最も ハードルの高い 国の ビザを 申請しようとしている ということです とても 時間がかかり 何年も かかりました 今に至るまで ざっと 考えただけでも 10年くらい 


でも 他国に逃れるための 旅自体は 10年よりも 前から 始まっていました 逃げる先を 実際に探して 来るまでの 間だけだと 10年くらいです



母国で 日本のことや 日本の文化について 読んだり 見たりしていた時は いい人も たくさん いるだろな くらいにしか 考えていませんでした でも 実際に 来日してみると その想像を 超えていました 天国が 存在するなら 日本は 天国のような ところでした


難民申請を するのは とても 時間が かかります その間 多くの人が 自分を 支えてくれました そのおかげで 難民申請を 受けることが できました


でも 確かに それは 険しい 道のりでした 先ほど 言ったように 多くの 困難を 乗り越えてきました いまは26歳だけど 2,3年前の 23歳になるまで 少なくとも 10年 15年間は なんとか 生き延びることだけを 考えていました そのことだけを 考えて 10年も 15年も 生きようとしていたなんて 信じられますか?


日本では 難民の 多くが 抱える 問題は 何を食べるか どこで生活するか 入管から 難民申請の 結果が出るまで どれくらいかかるのかなどです そういった問題は 私にとっては そこまで 苦痛では ありませんでした


寝る場所がなくても 食べるものがなくても 入管からの結果を 何日、何か月も 待たなければならなくても 私は 平気でした なぜなら 10年も 15年も 生きたいと 願い続けていたところに やっと 来ることが できたからです


難民認定を 受けることが できたときは この話を 前にしたのは 新島さん(※インタビュアー)が 最初か 二番目だったと 思うけれども 漫画では 別世界に行く 話が よく 出てきます 寝て 目が覚めたら 全く 違う世界にいる 私にとっては そのような 感覚でした


難民認定されたと 職員から 聞いたときは 新しく 生まれ変わり 新しい生活 新しい 機会が 与えられた 感覚でした


もう 生き延びるために 生きる 人生ではなく 生活するための 人生を 生きることが できます 


以前の生活とは 全く違う 新しい人生 昔は 毎日毎秒 生き延びることに 必死でした


難民申請中は ここに 居られる 保障はありません それは 最も 厳しく 最も 苦しい 時間だと 思います でも それが 現実です 


今の 私の夢は アニメを 造り あなた方のような人々や 自分のこの 長い旅の中で 見てきた人々のことを 伝えることです


これを 伝えることで 誰かの 考え方を 変えることが できるかもしれないからです


アニメを観て 新しく 想像することができるし 新しい 人生を 歩むことも できるし もっと いい世界を 作ることも できる 


私の夢は 将来 こういったストーリーを アニメを 作ることを 通じて 世界に 発信していくことです 


アニメを作ることは 多くの資金と 人の協力が 必要だから 道のりは 長いと思います  でも いつか 絶対 実現させます


この ビデオを観ている方への メッセージと しては 

まずは 心の底から 感謝したいです とにかく ありがとうと 言いたいです 入管の 職員 二人や 周りの 多くの 人には 伝えることができたけれども 日本の 人たちには 伝えることが まだ できていませんでした


入管や 難民支援協会(JAR)など 多くの 組織が 難民を 助けています でも 彼らが 難民を 助けることが できるのは なぜか それは 多くの 日本の人たちが 彼らを 支えているからです  


今まで 伝える機会が なかったけれども 日本の皆さん 一人一人の おかげで 良い社会が できています 日本は 多くの命を 救っています 私は その一例に すぎません 


難民支援協会(JAR)や 政府を通じて 難民を 支援していることは 人の命を 救っている ということです 


とにかく 私の 命を 救ってくれたことに 感謝しています 私は 日本に 恩返しが できるように 精一杯 がんばります 


これが 私が 寝るとき 目覚めるときに いつも 私が 考えることです 


日本で 人生を まっとうして 死ぬまでの間 日本のために 何か良いことを したい これが 私の 目標です 


私が 亡くなったとき 日本が救った 一人の人が 日本に 良い影響を 与えてくれたと ほんの 小さなことでも 思ってもらえるように したいです




0:32:29~

※藤代美香・難民支援協会 広報部のご発言の、〆の言葉の起こしです


例えば 今回の インタビューでも 広報の立ち場ですと 母国で どんな つらいことが あったのかとか 日本に 逃れてきて どういう 大変なことが あるのかとか いうのを やはり お届けしたいということも ありますし そういったことを 聞きたいということも 思ってしまうんですけれども 必ずしも やはり わたしたちが 聞きたいことと ご本人が 話したいと いうのは 一致は しないんですよね 


そういう時に やはり 自分たちの 聞きたいことは 一旦 置いて その方が どういったことを 感じたり どういったことを 話したいのか ということに 耳を傾ける必要が あるのかなあと そういったことが 難民の方に 心を 寄せていくことに なるのかなあ ってことを この インタビューを 通じても 改めて 感じたところです


~☆・*。.:*・゚☆・*。.:*・゚☆~

×

非ログインユーザーとして返信する