一週間刻みの眺め(長め)サイト(笑)

今週、引き出しの中に容れたもの。

2022/7/18(月)から今日まで。(第40週ー前半③)※資料No.106´´(社会的孤立回復支援)


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2022/7/20(水)
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朝は、オトン(元ウチの人)からのメール・チェック(備忘録的なものなので、読み飛ばしを)。
昨日は、みそちゃんこ鍋。子供のコロナ感染急増のため、昨日は過去最高位に忙しかった。明日はのんびりします。


夜は、菟田野のお義母さん(84)に、ラブレター書き(笑、同上で)。
おかあさん コン🦊ばんは。

トウサンの口から、久々に聞く「忙しい」の言葉ですよね(笑)🧑🏻‍⚕️👩‍⚕️💉

笑いごとにしちゃいけないですけれども💦来年は笑いごとにきっと、出来ますように😉✨
では、早速きょうは、『根っこばなし』より『取りあげ婆さ👵🧸💗』⑦をお送りしますね👶🍼🍬
前回の『取りあげ婆さ👵🧸💕』は
今から131年前の濃尾地震からひと月後、お宮参りに向かう町の長者の人力車の中に、婆さがあの時、河原で取り上げた赤子とお母さんが乗っていた💕👶👩🏻💕
というお話でした
なお、『取りあげ婆さ👵🧸💕』は、タイトルに魅かれて選ばせて貰った作品なので、物語が予期せぬ展開(?)になるかもしれないことを、あらかじめお詫び申し上げます(笑)🙇

「根っこばなし」より『取りあげ婆さ👵🧸💕』
👶🍼🍬
あの あくる朝、暗いうちから 湯の鍋さげて、
母子のようすを見にゆったらば、👵💼
廻りにおった 人の口から、
夜さのうちに 引きはらったと。👶👩🏻

どこの だれとも 聞かせなんだが、
やれやれ 無事でござったかやと、喜んでな。👵💕

石だん前の 車止めに、ずらりと ならんだ 人力車から、
しゃなりと 降りた あの女ごに👩🏻

「やあれ、ご無事で よかったなあや。
赤ん坊に 乳も でとるかや」👶🍼🍬
と、駆けよって、赤ん坊を のぞきこんだらな。👵🧸💕

紋つき姿の 身うちの者が、
わらわらと 婆さまを 取りかこんだと。👨🏻👨
 (つづく)
🌞👵👶💕
さてさて、またまた、融通の効かない人たちが登場してきましたね.┐(´-`)┌ヤレヤレ?(笑)
それでは、何かと暗い話題が多い中、お互い、仲良く笑いの絶えない家族関係だけは、いつまでも続きますように😉✨👶👩🏻👨🏻👵👴✨

次回は明後日7/22(金)になります。お楽しみに(?)おやすみなさい😴💤」


きょうは、夜ランをして、4,813歩(3.2㎞)走りました🏃✨そのあとは、『孤立と社会- 悲しみや不安を口にできる社会を -』の文字起こしの続きをしました

        With "Ryoryo"(ウイズ リョーリョー)
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“えんたく”の部分起こし(2022年7月2日開催、龍谷大学社会的孤立回復支援研究センター主催ゲスト:安田 菜津紀 ・認定NPO法人Dialogue for People副代表/フォトジャーナリスト
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(0:20:49~)
安田 菜津紀 ・フォトジャーナリスト
「あなたたちの困りごと もっと伝えてもいいんですよ」 或いは 支援者たちが どういうふうに 先回りができるだろうか ということが問われたのは 実はこの ウクライナの侵攻に限らず 東日本大震災の 取材でも 感じてきたこと でした 同じ様な現象が 起きていたということで 少し この11年間を 振り返っていきたいんですけれども 

(0:24:10~)
ちなみに みなさんは ペットを 飼っていますか?ワンとかニャ~とか チュ~とか ギョッ… ちょっと魚は どこまでコミュニケーションが取れるか 分からないですけれども
おそらく 飼っている方々にとっては その存在って ご家族だと 思うんですね
義理の母も 生前に ミミとチョビという 二匹のミニチュアダックスフンドを 家族として 飼っていたんですけれども 9km あの濁流に のまれ続けても なお その 家族として大切にしていた ミミとチョビの写真と ミミとチョビの散歩紐を ギュッと握りしめた状態で 義理の母の遺体は 見つかっています
おそらく 最後の最後まで 守らなきゃって 一緒に逃げていたんだろう というふうに 私たちは 思っていました

これが 実際の ミミとチョビの写真で ちょっと 津波に 浸かってしまっているので 色褪せてしまってはいるんですけれども 自宅の跡地から 見つけることができました 
抱っこしているのが 義理の父と母だったんですが…
 
震災から 2年ほど経った頃に 義理の母の 体を見つけて下さった 地元の消防団の方と 実は 偶然に お会いすることができたことがありました
「覚えてるよ」って 「なんで あなたたちの お母さんのことを 覚えていたかと言うと  二匹の犬と 一緒だったから よく覚えているんだ」って
 
「俺は あなたたち家族に ずっと 謝りたいって 思っていたことがある あの時さ 一緒に 捜索していたやつらに 聞かれたんだよ 『ここに 二匹の犬も 一緒にいますけど どうしますか?』って だけど あの時はとにかく 市の 町の人たちの遺体を見つけるので とにかく いっぱいいっぱいだったから 俺 反射的に 言っちゃったんだよ『犬なんて 放っとけ』って でも 今思うと あそこまで一緒にいた ってうことは 家族だったんだよな? 本当に 申し訳ないことをしたと 思ってる」

申し訳ないと 思ってもらうことなんて 何もないですよね あの時 捜索を続けていた 地元の消防団の方々も 家流されたり 家族が行方不明だったり 自分自身が被災者でした
その 消防団の方々が 遺体の捜索にあたって なおかつ こうしたことまで 背負わなければならないのか という 本当に複雑な思いを 抱いた瞬間でもありました  

(0:23:04~)
 義理の父は 県立陸前高田病院というところで 外科医であり 副委員長を 務めていましたが 病院の4階部分で 首まで波に浸かったんですが ギリギリ 一命を取りとめることができました 震災の翌日に 高田病院の屋上部分から ヘリコプターで 吊り上げられて 救助されて その後に どうやら 義理の母の方が 行方がつかめていない ということが 分っていきました 
震災から約1カ月ほどたった4月9日という日 一本松の横には 気仙川という とても大きくて美しい川が 流れているんですが その気仙川を さかのぼって さかのぼって 9km地点の 瓦礫の下から 義理の母の遺体が 見つかることになりました

0:26:48~
メディアの中では もう 早かったですね 震災食後に 「がんばれ がんばれ」 という言葉 「前に進もう 前進しよう」 という言葉が 溢れていきました 勿論 それは とても大切なことだと 思います それを 支えにされた方々も いらっしゃったと 思うんですが 
一方で 「がんばれ」 という言葉 「復興へ 前向きに」 という言葉が 響くたびに 義理の父の心が 次第に 追い詰められていくのが 分りました 
「自分は がんばることが 出来ていないから 駄目なんだ」 「自分は 復興に 携われていないから 前を向くことが 出来ていないから 自分は 駄目なのかもしれない」 

こういう思いを抱いて おそらく 心の中で 色々な感情を 押し殺してきたのは 大人たちだけではない っていうふうに 思っています  
(0:34:08~)
あかりさんに 尋ねてみたことが あったんですね 「あかりちゃんさあ この町以外で 暮らしている 同じくらいの世代の子たちに どういうことを 伝えたいと 思ってる? 何 伝えたいと 思ってる?」っていうふうに 尋ねたときに あかりさん 何て 答えたと思います?お父さんが 目の前にいるにも 関わらず 「えっとォ 親の言うことを 鵜吞みにしないことですね」っていいうふうに あかりさん 答えたんですね

どういうことかと言うと 2011年の3月11日 午後2時46分という時間 立っていられないくらいの 揺れに見舞われたときに あかりさんは のちに仮設住宅ができることになる 米崎小学校の 校舎の中に いました 校舎は 本当にギリギリ 津波が被りませんでしたが ただ あの時に あかりさんが 小さな頃から ずっと一緒に遊んできた 幼馴染の 女の子のことを その子の 保護者の方が 車で 迎えにやってきます おそらくこの後 何が起きてしまうかということを みなさん 想像がついてしまっているかもしれませんが  その幼馴染の 女の子は おそらく自宅に戻る 途中だったと思われますが 車ごと 津波に のまれていって あかりさんはまだ この小学校の体育館で 避難生活を送っていた時に その冷たい床の上で 「〇〇ちゃん 亡くなったらしいよ」 っていうことを 知らされたそうです
「あの時 どうすればよかったのか? 自分が一声かけていたら 結果は違ったのか? だから 親の言うことを 信じていないわけではないけれど いざとなったときに 子ども自身も 子どもの力で 子どもの知識で 子どもの判断で 高台に逃げるっていうことが 出来ないと 駄目だった」 というのが あかりさんが 感じてきた教訓であり 同世代に 一番伝えたいことだったそうです それは 大切にしていきたい っていう思いを抱くと同時に 彼女が この11年間 心の中で背負ってきたことを 思わずにはいられなかった瞬間でもありました 

0:40:15~
このコロナ禍で 多くの人たちが 分断をされて 不安を抱いている中で もっとそれ以上に必要だったのは 「どうか 不安を 口にしてください」「困りごとは 何ですか?」という 声の掛け合いだったのではないか というふうに感じています
不安って 私は ニーズだと 思っていて その不安の中にこそ 支えが必要な ニーズがあって そこから見えてくる 支援の形が あるのではないかと 思います 
どう 声を掛け合ったり 社会の中で 仕組みを作りながら 孤立を 防いでいくのか ということを このあとの “えんたく” って言うんですよね の中でも それぞれの専門性を みなさんに 伺いながら 深めていきたいと思います 少しちょっと 時間オーバーしてしまいましたけれども 私からの話はこれで以上とさせて頂きたいと思います みなさん 最後まで ご清聴下さいまして ありがとうございました 
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※今日の文字起こしのソースはこちらです

2022/07/02開催、龍谷大学 社会的孤立回復支援研究センター(SIRC)主催
〔ゲスト〕安田 菜津紀 ・認定NPO法人Dialogue for People副代表/フォトジャーナリスト
〔課題共有型円卓会議“えんたく”の司会〕中根 真(なかね まこと)・龍谷大学短期大学部 こども教育学科教授
〔登壇者〕金 尚均(きむ さんぎゅん)・龍谷大学法学部教授
加藤武士・木津川ダルク代表
※動画の視聴はコチラです:https://www.youtube.com/watch?v=-2O7J9i6Qpc
※前編へのリンクはこちらです:https://wtti2.muragon.com/entry/190.html
※中編へのリンクはこちらです:https://wtti2.muragon.com/entry/191.html
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