一週間刻みの眺め(長め)サイト(笑)

今週、引き出しの中に容れたもの。

2022/8/1(月)から今日まで。(第42週ー前半③)※資料No.120(先住民族)

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2022/8/3(水)
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朝は、オトン(元ウチの人)からのメール・チェック(備忘録的なものなので、読み飛ばしを)。
昨日は◇☐の用意したみそちゃんこ鍋。一昨日の◇☐のカレーは、30分で作った家カレー。今日は外食です」(※◇☐:息子氏の名前)

夜は、菟田野のお義母さん(84)に、ラブレター書き(笑、同上で)。
おかあさん コン🦊ばんは。夜分遅くに失礼いたします🙇
大阪の夜空は、今すっかり雨雲に覆われて、これで少し気温が下がるかなという感じですが、従兄弟君のいる新潟方面は、ずっとぶ厚い雨雲が居座っていて、ほんとに吹き飛ばせるものなら吹き飛ばしてあげたいですね…🌧
それでは、今夜は『根っこばなし』より『おぼえがき📝📎👴 』③をお送りします🤗
前回の『おぼえがき📝📎👴 』
昔 あるムラの親たちが 子どもたちに 読み書きを習わせたに ムラの師匠のところに 通わせたら 師匠は 火鉢の灰と 火箸を使って 文字を 書いたり なぞらせたり 消したりして 覚えさせて ひととおり 覚えた子は 次は 師匠の 硯箱の炭に 筆をつけて 字を書かせてもらっていた👆👧👦 
というお話でした。
なお、『おぼえがき📝📎👴 』は、タイトルに魅かれて選ばせて貰った作品なので、物語が予期せぬ展開(?)になるかもしれないことを、あらかじめお詫び申し上げます(笑)🙇

「根っこばなし」より『おぼえがき📝📎👴 』
📝 ✂ 📏 📐 📌 🎨🖍

おのれの名から はじまって、👧👦🖌️
親兄弟や 身うちの名、目につく道具の 名を書かせ、👩👨🧹🔨🕯️👟👒
じょうず、へた、なぞ 気にもせず、
読めさえすれば おおかたの 師匠が いったと。👵👴🖌️

「わしの 知っとる 字は、それだけじゃ。
もう 明日から、こんでも ええ」
と。👵👴👋 👋
こんでもええ が、お墨つきじゃったと。👵👴🖌️

部落の 仲間は 一生を せまい地内の 日ぐらしで、
世間を へだてた 身分じゃで、
文字書く 稼業を もたされず、👨‍🏫👩‍🏫
口で 片づく 用ばかり。👩🧑‍🎤
たとえ 読み書き おぼえても、👨‍🎓👩‍🎓
忘れてまうよに できとったと。👩🧑‍🎨

(つづく)

「もうこんでもええ」、この言葉が深いなぁって思いました…。親子って、なかなか深い話とか出来難いじゃないですか。そういう意味でも、子どもたちが一時、師匠のところで過ごせたことは、全然無駄ではなかったハズと、私は思います👧👦👋 👋


わたしたちもお互い、家族で、深い話も笑い話も、できる関係であり続けていきましょうよね😉✨📝 ☎📱それでは、次回は、明後日8/5(金)になりますけれども、続きをお楽しみに(?)✨おやすみなさい😴💤」

   With "Would you"(ウイズ ウッジュー)

そのあとは、『先住民言語がおかれている現実と、それが明らかにする人間言語の多様性・面白さ、人文学が果たすべき役割』の文字起こしをしました↓
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開催日:2022年7月22日(金)、主催:東京大学ヒューマニティーズセンター(HMC)
セミナー:「はじめての危機言語」、報告者:長屋 尚典・東京大学大学院人文社会系研究科准教授

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※質疑応答の部分起こし

長屋 尚典・東京大学大学院人文社会系研究科准教授

時間が限られていますので 大事な質問にだけ 答えていきます 全部 大事なんですが 私にとっては


言語が急速に危機に瀕している状況の問題点ですが、当事者(危機言語母語話者)のデメリットが本人のアイデンティティーなどの問題以外少ないように感じます。マジョリティーの言語を話すことにメリットが大きい場合、肝心の当事者に危機言語を継承させる意思を持ってもらうのは難しいのではないでしょうか?


長屋

これは 重要な質問で このタイプは 20世紀後半に 非常に起きた 議論なんですね マイケル・クラウスアメリカの言語学者、絶滅した言語の専門家で、アラスカの20の母国語のすべてに取り組んだ。1991年の演説で、絶滅の危機にある言語の世界的な問題への意識換気を起こしたと 関係するんですけど 1990年代頃は 言語学は 危機言語に そんなには熱心でなかった 時代でした 「言語を 変えることによって 経済的に 良くなるのだから 言語学者は 誰も その流れを とめることはできない」と そういうふうな議論が おこなわれていました 


それは 当然なんですけれども 危機言語ドキュメンテーション(危機言語および少数言語の記録・保存)が めざしているのは それを 母語しか 話しちゃいけない」とか ではなくて 「しょうがない」を 前提に もしも 当事者が 勉強したいと 思った時に 勉強できるよう それ自体は 母語話者の 言語を 固定することには ならないんだけれども 記録しようと 記録を残していこうと いう方向に 行っています


>グローバル化する世界の中で、先住民言語の消滅の危機は とまらないのではないでしょうか?文化の多様性を いかに 尊重していけばよいでしょうか?


長屋

この流れは どう考えても 言語学者が 「こんなに面白い 言語学的特徴がありますよ」と言っても お金にならないことは 知識としては 尊ばれるかもしれないけれども 忘れられていくと 思うんです 

なので 止められないかも しれないけれども それでも ドキュメンテーション(記録・保存)していく ということですね 

そのときに デジタル的に 保存していく 機械翻訳の 重要性が 出てくるんですけれども それがあると どういうことが できるかというと デジタル・ヒューマニティーズ(人文情報学)で 凄い活発に 議論されていて そこに 研究がたくさん ありますよね 

オーストラリアのグループだと 危機言語のデータを 文字起こしする研究だとか 分析する枠組みを応用して 危機言語にも使ってもらおうという研究だとかも あって 最近 はやりのテーマとも くっついてきて しかも 非常に好ましい結果に まぁなっていますね


>私は、今回の世界的パンデミックと共に、オンライン化、DXの波は、世界にも広がり、I T機器がなくては、生活が成り立たない社会が増えていると思います。他方、人々の言葉遣いに注目した研究では、「言葉遣いの乱れ」を指摘する文献も見かけるようになりました。「言語」は、人々が大切にしている「アイデンティティ」そのものだと思います。他方」で、I Tが、社会や人々の生活に及ぼす影響の中で、「言葉遣い」や「言語」へ与えている影響には、どのような事が考えられるのか、ご意見をお聞かせ下さい。


>肩こりが日本人にしか分からないみたいな話しですね


>日本語にもほしいと思いますw


>少し違いますが、日本語でも敬語・尊敬語・謙譲語などで相手との長幼の序?を示したりしてますね。


>ベトナム語にも、聞き手を含む「私たちChúng ta」、聞き手を含まない「私たちChúng tôi」があります。


>デジタル技術の発展に関連して、(自分自身が知らない分野であるのですが)プログラミングやコンピューター言語について、数学(2進法など)、英語(URL等)など、むしろ単一的な印象があるのですが、その構造や元々の設計が及ぼす影響について、言語の多様性の観点からは、何か議論がありますか。


>ロジバンみたいな言語学者もかかわってる人工言語が最近出てますが、その辺の「自然言語の多様性」みたいな知識って踏まえたり活用されたりしているんでしょうか?


>「記録」「保存」する「言語」は、「使われない」可能性も高いことを見越した「固定化した」ものになり得るとすると、言語の自然な「変化」のある「生きた言語」とは区別して捉える方が良いのでしょうか。


>日本語は朝鮮・韓国語やモンゴル語とともに70年代にはウラル・アルタイ語族に属するという教材を見たのですが、最近は独立語とされているようです。


>韓国語を習ってみて 漢字語以外には 共通の語彙はなくても 文法はそっくりなのに なぜ 独立国になったのですか?


長屋

最近の考え方は そうではなくて 日本語族(にほんごぞく)は ジャポニック語族や 日琉語族(にちりゅうごぞく)ともいわれ 同じ語族を なしています 一つの語族を なしていて それ以上は さかのぼれない ということですね


>記録学者は 枯渇しているのでしょうか?


長屋

まずは 不足しています 圧倒的に そもそも 少なかった上に 生成文法(米国のチョムスキーによって唱道された言語理論人間は相当量の言語の知識を生得的に持って生まれ、周囲の大人たちが話す言葉を利用して言語能力を開花させるとする「生得性仮説」の「合理論」と、基本的な文法そのものが人間に備わっているとして「普遍文法」の考えを提示した)が 流行ったことがあって 北アフリカの 先住民言語は ちょっと エキセントリック なんですけど この立場に立つと「科学的な 言語学者が する研究ではない」と いうふうな解釈が 成り立ちます


現在から 考えると 誤った認識が 多かったので 今は 記録学者を 増やそうとしています かならずしも なかなか 増えない場合もあるので 最近 よく行われているのは 事例としては この 危機言語の 復興運動は 実は 世界で起きていて コミュニティーの中で 母語話者の言語学者を 育てようという 動きです それが まず あります

 

アメリカでは まさに 記録学者を 育てようという プログラムがあって その人を 大学院生として 招いて 言語学者にする それでも もちろん 足らないので コミュニティーに 協力をしてもらうために 使い方を 教えるという 全体で 言語を保存し 復興しようという動きが 起きていて 単に 言語学者だけでは 手に負えるものではないので コミュニティー全体で が 新しい流れです 


若い人たちと 一緒になって 保存しようとする 若者たちに 手伝ってもらって 保存する というような 言語復興の動きについては ご関心のある方は アメリカの ウエッブサイトを 探してもらうと そこに 書いてあると 思います 

 

>知名町「しまむに教室」開講~今年度も伝承、記録者育成 :https://amami-time.com/cat_tradition/8518/


>国立国語研究所「ことばのミュージアム」:https://museum.ninjal.ac.jp/


>リンクをシェアくださり、ありがとうございます

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※今日の文字起こしのソースはこちらです

日時:2022年7月22日(金)、主催:東京大学ヒューマニティーズセンター(HMC)
第73回オープンセミナー:「はじめての危機言語」

報告者:長屋 尚典・東京大学大学院人文社会系研究科准教授

※趣旨:

今年2022年が、国際連合総会によって宣言された「国際先住民言語の10年 International Decade of Indigenous Languages」の1年目にあたることをご存じでしょうか。

この宣言は2019年の「国際先住民言語年」に続くもので、現在危機的状況にある先住民言語の保存、再活性化、奨励・向上を目指しています。

先住民言語を守り、言語の多様性や多言語使用を維持していくことは、持続可能な開発目標 (SDGs) の達成のための重要な要素だと考えられています。

一方で、このような消滅の危機に瀕した言語 (「危機言語」) の実情や、危機言語によって保たれている人間の言語や文化の多様性についてはあまり知られていないことも事実であると思います。

そこで、このセミナーでは、危機言語がおかれている現実や、危機言語が明らかにする人間言語の多様性とそのおもしろさ、そして人文学が危機言語研究において果たすべき役割について、発表者自身の研究も交えながら、最新の研究も反映しつつ、考えていきたいと思います。

※主催者様ご紹介の今後の企画の中から↓

海保青陵は動く──江戸後期の異色の儒者を捉え直す二つの視点 

開催日時:2022年8月12日(金)17:30-19:30

申し込み先:https://hmc.u-tokyo.ac.jp/ja/open-seminar/2022/77-kaiho-seiryo/

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