2022/1/17(月曜日)から今日まで。(第14週ー後半②)
2022年1月21日(金)
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朝は、オトン(元ウチの人)からのメール・チェック(備忘録的なものなので、読み飛ばしを)。
「水曜日はご苦労様。夜は☐☐と天下茶屋のREVOさんへ。昨日は、M保育園で検診。午後から飲みに行きました。」
☐☐(※息子氏の名)
夜は、菟田野のお義母さん(84)に、ラブレター書き(同上で、笑)。
一つ目は、
主催:お茶の水女子大学ジェンダー研究所
※資料⑥に、質疑応答・パネルディスカッションの全文起こしがあります。
二つ目は、
清末愛砂・室蘭工業大学大学院教授
※資料※⑦にYouTube配信urlと、
三つ目は、
資料※⑧に、実況全ツイートと 下斗米伸夫(しもとまい のぶお)先生の関連書籍のリンクがあります
「あのこはだあれ?だれでしょね~?🤔」「可愛いウオちゃんじゃないでしょか~?😹」
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資料のイメージ
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※ウェビナー(Webinar)とは、ご存知のようにコロナ禍、私たちの日常に、新たに加わった
"ウェブ(Web)" 開催の "セミナー(Seminar)" のことです。
※画像が大きくて申し訳ありません🙇♀️
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第一部 ドキュメンタリー映画『アフターMeToo』監督とのトーク
パネリスト :
権金炫怜(クォンキム・ヒョンヨン、女性現実研究所代表)
ルイン(トランスジェンダー・クィア研究所専任研究員)
菊地夏野(名古屋市立大学)
司会 :
申琪榮(申 きよん、お茶の水女子大学教授)
※第二部:パネルディスカッションの全文起こし
司会:申 琪榮(申 きよん、お茶の水女子大学)
本で お伝えしたかった 韓国の #MeToo運動について まずは 少しお話しいただけますか
権金炫怜(クォンキム・ヒョンヨン、女性現実研究所)
MeTooの政治学 を だすことになったじゅうようなじけんがありました しじしゃは いまもかれを 信じています やとうのだいとうりょうこうほの つまなどが 安 熙正(アン・ヒジョン、안희정)の しじしゃであったというくらい いまも おおきなちからをもっている
ルイン(トランスジェンダー・クィア研究所)
あたらしい 読者のみなさんと あえたことを 大変嬉しく思っています 本を出して ジェンダー暴力という概念を さいこうせいする さぎょうをおこなったわけです おおよそに置いて 男性によって 女性に ふるわれる 暴力と ジェンダー暴力という これまでの概念を 理解する 再思考しようと かんがえたわけです わたしの はなしたいことが なぜ 本に はいっているかということですが 反性暴力 の中に 反トランスジェンダー暴力を どちらも 二元ジェンダーに 原因を発するものという 構造を もっている からです 家父長制社会では 正当なもの 当然なもの なぜ 当然視するのか あいてを女性だと 当然 見るのか という問いかけです 例を出すと 私は ルイン です でも だれかが お前は キャンデーだと言う それは 変だと思う でも 一方的に 判断してしまう それは 正当なことなんだろうか ジェンダーを 基盤とする 暴力には 勝手に 規定するということが あるじゃないか トランスジェンダー・クイアは 悪魔なのか? フェミニズムは 敵対的他者であり 検問勢力のような 関係なのか 否定的に 和解はできないと 一般的には かんがえられています ざんねんながら 一部の フェミニストは トランス女性が 女性の トイレや ロッカールームを つかう事などは 不当な侵略だと これは じっさいに 韓国で 起きている事ですが 実際には 多くの フェミニストが トランスジェンダー・クイアと 一緒に 運動しているわけです 連帯というのは どのようにすれば 可能であるのか 世の役割 当然だというふうにかんがえる 暴力の 原因であるし トランス女性は女性であるとは どうして 女性なのか? それを 再思考する そのための 本作成であります
司会
おふたりの おはなしをうけて コメントがあれば
菊地夏野(名古屋市立大学):本の帯を書いた先生
この本の 感想に なりますが 最近 話題になっていると その中では 珍しいというか 研究者のかたたちが 共同で 出されている 中の 一冊ということで すごく 読みごたえがありあまして 研究と 運動が むすびついて 凄く冷静に 分析されていまして 最後の ルインさんのところも いま 日本でも 問題になっている ほんとに 当事者の 立場にたつことが 可能になるような すごく 論理的に 書いてありまして すごく 参考になりました 後の議論にも 入っちゃうんですけど 日本と 韓国の 違い かんがえさせられるんですけども 伊藤詩織さんの件だと 思うんですが 日本の例と くらべると すごく ドラスティック ドラマチックに 動いていく というのが 見て取れるんですけど 日本では 告発者=サバイバーであり 彼女の うったえにたいして どんなふうに 人々が 反応しているのか 見えなかった なかには 杉田議員が バッシングをする 被害者の 背景になった 安倍さんとかが 殆ど 反論してなかったし 黙殺していまして 日本では 壁すら 見えてないのかな という 気がしましたね
司会
韓国 どのような 特徴が 日本との違いで あったのか? #MeTooが とっても 社会全体を ゆさぶるような 運動に展開したのは なぜか?
権金炫怜(クォンキム・ヒョンヨン)
2018年に スウェーデンのスザンヌさんが 韓国の #MeToo運動を 最高の #MeToo運動だ 一方で 被害者にあまりに おおおくの事をおわせている 最悪の #MeToo運動と おっしゃったのですね スウェーデンでは すべてが 匿名でおこなわれたと いうんですね 加害者も 匿名だと 集団的に 70人の 俳優組合が 中心に 何が起こっているのかを あきらかにし 運動をすすめていった 個人 被害者に 重荷を背負わさないようにして そういうかたちを とったということでした アメリカの場合には 有名人が 告発され 告発する スポットライトが 当たる形で すすみました 昔から セクハラの 被害者 二次被害者である 法学者が #MeToo運動を 主導した まるで キラキラ輝くような 感じだった 韓国では 2015年から おもに SNS中心として だれだれのセクハラ という形で 広がった そこでは あきらかに されなかったとしても 加害者は 特定されやすい 暴露方式の こわさを 加害者は かんじた 匿名であったら 信じて貰えない と 韓国では 感じていたんですね それが じょせいたちの #MeToo運動として 顔を 出した 被害者が ゆうめいになり 理解を 集中的に 広げていく 限界があるとすれば #MeTooが 出来る人 出来ない人 に 分かれてしまった 秘密相談 秘密支援 そこで 何が あったかを 知れなかった 法的・制度的 強化は されたんですけども 日本では 2007年 法改正で できたそうですけども 韓国では 2018 #MeTooの 大衆運動によって 社会全体が 人々が 具体的に さまざまな 性暴力についての 知識を 持つようになった それが 今後 寄与していくと 私は思います
司会
韓国の さまざまな成果が 集団的解決を求めた 結果なのか 具体的に お話が 示されました この点から考えますと 被害者保護と ある組織で 何が問題だったのか 考察 することのバランス 難しい 日本では まず被害者を 優先する 私も さまざまなところで 感じている所です
ルイン
運動自体 この社会の理解の幅が 広がった ということがあります 当時 事件 強く反対していた 差別禁止法 保守系 受け入れた 政府 それを 批判した 少数系の人権団体 運動しながら 運動団体は 差別は 個別的に 作用しないんだと 学んだと 思います 運動団体は べつべつにあるんですね 背景は からみあっている 他の差別は きえるのか ともに うんどうしなければ いけないんではないか そのほうが 望ましい成果を 引き出せるのではないか となった #MeToo運動も これに似ていると思います 実際に 何も起きないのか 権力者が 敏感に 対応しているのか 権力者も セクハラの 被害を こうむっているわけですね セクハラに対する 社会議論が 大衆化した こともあります 女性が この研究は 危ないから 男性だけで行く とか 排除することに対しての 論文を 友達は 学術誌に 寄稿したり しました 論旨は #MeToo運動に 期待したいと 言っていました 論文を 書くためには その女性は 研究室を でるしか なかった つぎのひとも おなじような たいけんを するのではないか 自分はだまっていてはいけない というのが 動機だった わけですね すべてが平等で 差別を受けていない人が 存在するのか それを直接 告発する と言う動きが 起きたわけです ケアの団体は これ以上 問題が 起きないように 改善することに 努力することになっていきます これも 別の団体も 信頼し やっていくわけです みなが もっていたからこそ #MeToo運動が 可能だったのではないか 私 自身も 被害者だからと言って 加害者にならないとは 限らない訳です それを 自分自身が 問いかける 訳です 自分たちは 正義に対して やってきたと 信じていた訳です ところが それは 違っていたと 再確認し 自分自身が 知る事の きっかけになったと思います
司会
さまざまな 差別が つながっている と 知覚することができる 個別解決には 限界があり いっしょに れんたいして 問題解決を はかる 連帯を 重視する #MeTooの 一つの成果として あげられると アフター#MeTooでも 監督が 言われていた 自分の所属する コミュニティーには もんだいが ないのか 社会全体も そうだけれども 自分たちの問題として さべつや はらすめんとがないのか もう一度 かんがえなおす きっかけとなった これが 成果ではないか というおはなしだったと 思います
菊地夏野
おうかがいしてて にほんの #MeToo 最近の フェミニズムのブーム に関して いろんな議論 ニュースが巻き起こって 今の時点で どう見るか プラス面としては たしかに #MeToo フェミニズムに 関する議論が ひろがったことがある 変わる 意識の きっかけになった マスメディアが 非常に とりあげたので それまで 関心が なかったひとも 面白い 印象を 与えたと 思います 数年前までは かならず バッシングが 男女両方から くる 状況あって ひじょうに やりにくかったんですけども この数年で ちょっと変わった気がします コロナが 同時化して 大学の状況が どう変わったのかは それ以上は わからないんですけども 医学部 女性が 入学しにくかった 問題が 解決されたり 生理の貧困が 問題視された それが ひろがって これから いくといいなというのがあります マイナス面は やっぱり 日本では 集団的な 形成 出来ていないのかなと 自分自身の反省も含めて 思っております 主に日本で しょうかいされるのが ほとんど アメリカの状況だったことも 関係あると 思うんですけども 社会意識高い人の紹介がされて 映画を観ていて どのチャプターも 印象がつよいんですけども 第二部 田舎に帰って かみんぐあうとする シーンが すこぐ 印象に残っていて 一般の 無名の 女性が #MeTooの 動きの中で 回復・エンパワーに どれだけ つながっていけたかは まだまだ 不十分かと 思います
司会
私自身も 指摘したことが あるわけですけども やはり 日本のメディアが 積極的に 解説していくことがあればと もっと広がるんじゃないかと思います 最近 大統領選挙が 行われていて バッククラッシュが 激しくなっているという 話も ありました ポスト#MeTooに関して 話を伺えればと思います
権金炫怜(クォンキム・ヒョンヨン)
いまも すくーる#MeTooも がっこうにあっては ありますし #MeToo以降 まだだと思います 韓国では 中心にあるのは 捕まえるとか 法廷闘争をするわけではない マスコミでは それを 報道することは ありますけれども #MeToo以降 保守 進歩 関係なしに 誰もが 関心が 深かった 活動家たちに 聞くと トップが システム監視から 除外されていた そこが 法案の中に 入れられた 法令の中に入ったことは 大きかったと思います 問題を解決するに いたるまでの 経験を たくさんした それが 大きかった ふつうのひとたちも 今では 目撃者になるし 被害者の手を とってくれるようになった事 それが ものすごく おおきなことだったと 男女を問わず 若い人たちがですね 解決までは いかなくても 問題について 一緒に 話し合う経験をもつことができた そこが #MeToo以降に 出逢う 大きな課題 中間にある 市民社会 韓国は 非常に うすいんですね 民主化運動の 意味が そこに 付与されたんですけども 社会というものが 自分達で 解決する ちからをもつ そのような状況 じぶんがいる 共同体に なにか あったら それと 闘う むずかしい 経験を 何回もしてきました 一緒に 痛感するひとたちで 連帯するしくみが できることが だいじだと 思います 韓国では 法案の中に それが 入ったんですね ウィズユーの 状態をつくるという事 それは 生物学的な女性の役割として したわけではないんですね 労働者として 社会的に 基本単位に 別々に わかたれているひとたちが どうやって 出逢うのか という経験がありました そこで 連結して つくっていくこと それが かだいとして 残っているかと思います
ルイン
わたしがはなしたいのは 提示されたテーマとあってるか わかりませんが 本の特異例として 参加することになったとき 自分は 呼ばれないと 思っていたんです 参加要請を受けた ことで 話したいと 思いますが 2018年に#MeToo が起こりました いまだに つづいていますが #MeTooと言う言葉で セクハラ 差別問題 意味化させる さまざまな 方式が あると思います フェミニズムとトランスジェンダー 不和が もっとも 浮き彫りになったと おもいます 2020年1月 Aさん(トランス女性)は 女性兵士として 懲役 服務を のぞんだんです さまざまな 議論されてきたんです 引き続き 女性として 勤務したいと 投げ掛ける 事件だったんです 全体的には 否定的な 反応見せました これまでいる 女性兵士に しんこくな 被害をあたえるものではないか というものでした おうえんするために Aさん(トランス女性)は もっとも 韓国社会を熱くした にゅーすではなかったかと 思います 身分上は 男じゃないかと 一部は 女子大に オトコが 入学するのは とんでもないと 今までの 女子学生に しんこくな脅威が おこるだろうと てきたいてきな声が 発言が おこりだします それとは 異なる 支持する 声明も 出たりしました 多くの 学校が 支持する 声明を 出しました 結局 Aさんは 学生登録を 諦めました 先の下士官の にゅーすとともに 多くの メディアに ひきつづき 報道されました 進歩派が 批難をしたり したんですね まるで トランス下士官 フェミニズムに 関心が あるかのように トランスと フェミニズムは 本当に 敵対関係なのか なぜ 構図を 単純に 決めつけるのか 理解するのが いいいのではないか 問いかけたいという事で 書いていきました このような論争 衝突 あたらしくはない たいていは 古いものです けっして 慣れる事のない事件だと思います 敏感になっている中で 加害者 侵入者として トランス下士官を 位置づけた 優しい事ではありません どのようなかたちで やっていけばいいか もういちど 考え直す 性的なもの ジェンダー的なものに 包括的に おこる問題として 再分析する ことが 必要だと思います ジェンダー概念としても ジェンダー暴力を もういちど 問いかけする必要があるのではないかと かんがえます
司会
質問 よみあげたあとに パネリストの方々には こんごの てんぼうについて ひとことずつ 御願いしたいと思います めざす方向性は どこにあるのか
>「性的同意」について 韓国には どのような考えがあるのか
>分断は ひどくなっていく 中国の #MeToo は ネガティブな運動に 変質した 韓国の経験では どのように 克服できたのか
>女性の中での 個別の違い 差異の 観点から どのようなことがいえるのか
権金炫怜(クォンキム・ヒョンヨン)
インターセクショナリティー:社会の構造が 機械的に 交差性が 提起されるとは 私は 否定的な 立場です 提起されるべきでありながら できなかった 重要な 意見の 再構成のもんだいとして とらえていくと ぼうこう きょうはくがないと 強姦と 認めないは 問題だけども 他の法律では 同意 類似でも 強姦 準強姦 に わかれているんですけども 異性との関係が 主となった 概念ですね 同意があるかないかの 概念が 重要という 残酷な かたちが 中心になっている 曖昧な概念で 性暴力の 法律じたいが 混乱したものに なっている 例えば 性的少数者は 準強姦しか みとめられないんですね 不同意強姦罪 改正していく 弱者を どういうふうに 保護していくのか ぜんたいてきに しゃかいのろんぎを 上げていく必要があると思います 女性の被害者を 保護する方向ではない 方向へいくことが 非常にもんだいだとおもいます
ルイン
連帯について 先生が おっしゃった 整理されたので わたしからは 連帯が むずかしい点について さまざまな ことが おこります ないぶのちがい そのいち いるばしょによって りかいしながら すすめていかなくてはいけない たやすくなはい 連帯は それが むずかしいからこそ 連帯しようとしていると かんがえています
菊地夏野
トランス差別の もんだいは 差別的な げんどうを しているひとをみると たんじゅんに フェミニズム対 トランスジェンダーやクィアとは いえなくて じょせい 全体のもんだいと かんがえなくては いけないと かんがえているんですけども フェミニズムのいわゆる 保守的な部分が でてきてしまっているのかなという きがしています あるいみ フェミニズムが 家父長制社会で きずついて たどりつく スペースの そくめんがある 排他性 閉鎖性が いま トランス差別として 表面化しているのかなと言う気がします さいごに 韓国の #MeTooは 金 学順(キム・ハクスン)さんの かむあうとから はじまったと 言われていますが
司会:申 琪榮(申 きよん)
ふたりの もんだいではなくて わたしたち ひとりひとり しゃかいぜんたいが ちしきを もっていく 日本でも その方向に むかわせたいなと 感じました #MeTooを つうじて より明らかになったことも ひとつの せいかではないかと 感じました 動画録音は 二月末まで 見逃し配信が 可能となります 通訳を 通じてしか しることはできないので 通訳してくださったお三方さまも たいへんありがとうございました
2022年1月21日(金)
■会場/北海道教育会館 7F 大雪(札幌市中央区南3条西12丁目)
■主催/戦争をさせない北海道委員会(事務局:北海道平和運動フォーラム)
■内容①開会②主催者あいさつ
③講演『軍事力への依拠は平和をもたらさない-繰り返されるアフガン女性の人権問題の政治利用』
講師 室蘭工業大学大学院 教授 清末 愛砂 さん
YouTube配信url:
https://peace-forum.org/11045.html
2022年1月21日(金)
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