一週間刻みの眺め(長め)サイト(笑)

今週、引き出しの中に容れたもの。

2022/1/10(月曜日)から今日まで。(第13週ー後半①)






**************

2022年1月14日(金)
**************


朝は、オトン(元ウチの人)からのメール・チェック(備忘録的なものなので、読み飛ばしを)。


昨日はのんびりして、☐☐(息子氏の名)はマック。☐☐の学校はオンラインになったので、次に☐☐が広島に行くのは4月です。寒いので気を付けて。


夜は、菟田野のお義母さん(84)に、ラブレター書き(同上で、笑)。


おかあさんこんばんは😊きょうは雪は降りませんでしたが、寒い一日でした🥶きょうも、正月納めのお鮨から「シマアジ」の写真を送りますね🍣プリプリ、ねっとりして美味しそうですし(鮨)🤤かく言う私も、今夜は、里芋の味噌汁で、ほくほく、ねっとり、体もぬくぬくですし?😉おやすみなさい💤


それが済むと、要事前申込のウェビナー1つと 事前申込不要のYouTubeライブ配信1つに参加しました。に参加しました。

一つ目は

植民地朝鮮の文化の力学」についての権 錫永先生の講演会

「だるまさんがころんだ!」の遊びが、実は、朝鮮の子どもたちの「ムクゲの花が咲いた!」の訳語だった話などもあります。

平成・令和?生まれは 知らないか…(笑)

※資料⑦に、講演と質疑応答の 全文起こしがあります。



二つ目は

「諸悪の根源はユダヤ人!?」大阪大学助教・赤尾光春氏(中編)
       
※資料⑧に、実況全文と書籍紹介のリンクがあります。


今夜は、「尽誠」さんの鮨8カンのうちの5貫目、「シマアジ」の「写メ」をアテに「猫ちゃんたち」と晩酌しました🥛🍵(笑)








~☆・*。.:*・゚☆・*。.:*・゚☆~


******************
資料のイメージ
******************

※ウェビナー(Webinar)とは、ご存知のようにコロナ禍、私たちの日常に、新たに加わった
 "ウェブ(Web)" 開催の "セミナー(Seminar)" のことです。
※画像が大きくて申し訳ありません🙇‍♀️


~☆・*。.:*・゚☆・*。.:*・゚☆~




※⑦


2022年1月14日(金)

北海道大学出版会リブラ・フォルーモ#03 権 錫永オンライン講演会
http://hup.gr.jp/modules/doc/index.php?content_id=29

講師:権 錫永(クォン ソギョン)先生




※講演の全文起こし



柳宋悦(やなぎむねよし)は 朝鮮の人々の 服装について 曲線に 悲哀の美があると しましたが 直線系と 曲線系が いたのではないか 服の場合は 線の問題ではなく 色の問題ではないか 悲哀の美ではなく 低迷の美ではないかと 朝鮮の人にしてみたら 言い換えてしまう ことがありました また 高麗茶碗については 柳宋悦は 美の規範 は 無作為の美(自然と生まれた美のことですね)にある としましたが 日本の注文で作るものは こういうものを 作ってくれといわれて 朝鮮の人は いっしょけんめい それを作ってしまう 今度は 日本人が 朝鮮に 渡って 自分で 作ってしまう または 朝鮮の彫工を 日本に 連れて来て 作るなど どんどん 追い求めてしまう そして 最初 朝鮮から渡って来たものと 結構 形状が 異なる ということがありました 





韓国の 聞慶(ムンギョン)窯 の自宅に 陶泉陶磁美術館を構えて 陶窯を 再現 する 千観鳳(チョン・ハンボン)は 2007年までに 日本で 100回をこえる 個展を開いて すごく 有名になった その人が 日本から 沢山 お礼を貰う 返礼をしたいと 毎年 300個ずつ 包んで 日本に 返礼していました そのようにして 日本の美の規範が 朝鮮、韓国に もたらされたという 興味深い 或いは おかしな状況がありました 光化門(クァンファムン、景福宮の南門であり、宮城の正門)の 撤去を悼んだ 1922年の 柳宋悦の 追悼文「失われんとする一挑戦建築の為に」があります 写真は 景福宮を隠すように 正面に建った 総督府庁舎です 追悼文に対する 朝鮮側の 反応は 一言でいうと 植民地主義的な 柳宋悦の態度として 突き放すような文書を 書いているということが あります 





次に 景福宮で 開催された 博覧会(朝鮮物産共進会)の話に 移ります 1915年に 50日間に渡り 開催 されました 景福宮の 敷地内の 建物の 一部は 撤去されて 日本に運ばれたりして なくなってしまうということが ありました 白衣(びゃくえ、白小袖に指貫 または袴をつけただけの姿)=白い服を着た人たちが 博覧会に 訪れている 写真です みたいものはみたいという 文化的欲望、 生活主義と民族主義 そういった キーワードが この博覧会には ありました 


ムクゲと 桜花の 異なるイメージと 性質については 花期が 非常に長い ムクゲは 永遠のイメージをもつものです こんなに 近い国でありながら それとは まったく違う 性質を 持つ 桜 散る花 それが 国の 象徴に なる訳ですけれども 植民地に なってしまったために ムクゲのうたを 歌うことも 禁止されて しまう ムクゲの花の 咲く 範囲が 縮んでしまう  それに対し 桜の咲く 範囲は いたるところに 広がる などのことが ありました 3・1独立宣言書に あしらわれた ムクゲの写真です  金大建神父の『朝鮮全図』にある ムクゲの刺繍の写真です この年は ムクゲの 刺繍が 流行った  花見と言えば まず ぼっこっ(桜の韓国語)となり ウイドン(牛耳洞)の桜 昌慶宮の夜桜 が とくに有名でした 名所には お金を払って 朝鮮の人たちは 桜の 花見を 楽しみました 従来は 山に散在していた 関心を持たなかった 桜です これが 日本の文化であり 国花であることを 知っているわけですから 引け目を 感じつつ 花見をしてしまう ということがありました 隠れたものが どうやって 噴出していくかと言えば  例えば 全州(チョンジュ)に 染井吉野の 吉野山を 日本人が つくってしまうということが 起こったときに でした




ヨボという 蔑称について 「ヨ」には 「老」という漢字が あてがわれる 朝鮮人の代名詞になっている 老衰 悠長 弛緩などの 意味がある 近世日本語に 「よぼよぼする」 というのが あります どうして ヨボが 蔑称になったのか ヨボは 元は さかんに つかわれてました ヤボが ヨボに 日本人の耳には きこえてしまう ということがありました それが よぼよぼ といった よからぬ意味を 含ませてしまいました 中には 何もわからず 日本人の女性たちが 朝鮮人の 別名のように 思って  ヨボさんと よんでいたり ということもありました ヨボ の言葉は 1941年頃 なくなりました 蔑称には 「鮮人」 というのも あります これは なくさないとあかんよと 言っている人が 当時の人の中には いました 


内容は 以上ですが 本書は 北大1年生用の 教科書として 採用されました 本書により 白黒の 論理から ときはなされ ゆたかな 感性が めんばえる 一助と ならんことを と シラバスには かきました 本の中には 書いていませんけれども ぼくは そんなふうに 考えています 心をほぐすことを 目標に 書きました 「認識する」とはどういうことでしょうか? 例えば、 権 錫永って何者? 僕の名前ですね かぞえきれないほどの顔がある者 刻々と変化する者 ぜんぶしっているのは ぼくだけの者 ぼくじしんも 知らないことが ある者 なのでしょうね 生まれたばかりの 0歳、ぼくは 本当に可愛らしい赤ちゃんでした 15~6さい、顔がだんだん 変形してきて 50すぎて 白髪まじりの おじさんになっているんですね ほんとうは つかみどころのないものを あるものとして ピンでとめておくこと いいかえると 沢山の要素を 捨象し 特定の立場から 角度から ものごとを理解する なにかを捨てることによってしか ものごとは 理解できない 




「認識への渇き」とは トドロフの 「希望学」にある 用語ですが 認識したいと  欲するのだけれども 正しい理解を しているとは 限らない 正しくない理解が 蔓延している ということを 差します 「密漁」とは 勝手気ままに 解釈して 楽しむことを いいます 文化もそう 例えば、白衣(びゃくえ)を着ている に 文化的に 停滞している という 意味を与えることは それに あたります 日本人も 数百年前には 着ていた服だった 文化をめぐる「闘争」と 「贈与」と それにたいする 対応(受容・修正・拒絶)を 縦糸・横糸とする 織物が 文化に関わる 経験 なのです 白衣をめぐる 文化的闘争とは 何か 韓国側の「密漁」は 白衣は 神の子孫・不滅・平和を愛する民族の物語 に贈るものとしての 意味がありました 讃歌と挽歌については 意義のある物語だった と意義付けすることと おさらばすべきものであるとすることとを 意味します 「贈与」は 文化に関わります 「贈与」の例では 朝鮮の美・悲哀の美・自然の美・桜および花見文化・博覧会と祝祭ムード・ヨボという蔑称 が それにあたります 




支配国と 植民地のあいだの 乖離する 経験を 乗り越える エドワード・サイードは 乗り越えるべきだと 考えました 共有・共感が 不可能になっている から 乗り越えることによって 可能になるから からまりあい 重なりあう経験を 歴史を 見出し 記述していくことで 乗り越えることは 可能になると 言いました


文化と帝国主義 1 | 著者エドワード・W・サイード

重要なことは 支配する側は つねに 簒奪者ではない 支配される側は つねに 闘争的ではない しかし 支配される側は がんじがらめに 強くしばられています 非常に強く 単なる搾取でも 祝祭でもなく これも 光と影の両面だと 言いたくなりますが それに ぼくは 賛成ではありません 支配される側の 痛々しさが 心に残るからです その側面を 理解することが 非常に 重要なことだと 思っています ある読者の方から バランス感覚すごいと 言われました 意図したわけではないが そう感じられた 特に嬉しく思いました 



前近代の 三位一体の世界について 暮らし・美・祈願 は 三位一体で 多元的な世界です 例えば 写真にある 吉祥紋様、寿紋様 が 三位一体の世界です 生活の中の物に 祈願がこめられています 膳の上を 覆っておく油紙に 装飾が 施されている写真 生活の中で 使う物の中に 祈願がこめられているんです あるゲストハウスに 泊まった時の 箪笥の取手に つけられた 亀の縁起物 裏は 寿紋様 で 閉じつけられていました 白磁も 同じで しばしば が 描かれて 祈願が うかがわれます 柳宋悦(やなぎむねよし)は 賛美はするけれども 朝鮮の人々と 暮らしと 祈願を 共有しない 他者として 純粋に 美意識だけで 判断するわけですね のものから ハレのものへと(ハレは晴で、ケは褻)転身するについて 「シャベル」 昔の 労働の様子 の写真です 1903年ごろの集団労働が 非常に楽だったと 欧米人が 描いた 二元の世界が 一元の世界に 変わっています 



私の焼き物の写真です 歪んでます うわぐすりが べったりとついています 安物です 韓国の人に見せたら 聞慶(ムンギョン)窯で いっぱい つくれるよ これは と 言われました  日本で よいとされる 高麗茶碗の 下手な表現ですね 


(「ムクゲの花が咲きました!」の意味)


「무궁화 꽃이 피었습니다(ムグンファ コッチ ピオッスムニダ)」という遊びが 韓国側に あります 映画が 普及することによって 日本の子どもたちが 「むくんふぁこっち ぴおっすむにだ」 そう叫んで 遊んでいるんですね 不思議な 現象だなと ぼくは 思っています ありがとうございました



※質疑応答の全文起こし


川本 愛・北海道大学外国語教育センター 非常勤講師(司会)

>タイトル 『からまりあい重なりあう歴史」 について どうして このようなタイトルにされましたか?


権 錫永(クォン ソギョン)先生 

トランスナショナル・ヒストリーという 国をこえて 歴史を記述する 研究が いま さかんに あるんですけれども それと 思っていただけるとよいです なぜ そのタイトルを 使っていないかというと 広がってしまう 朝鮮の側が ぼやけてしまうということで あえて 避けたということが あると思います 表現としては サイードの 言葉を借りたものです




※講師のプロフィールです


権 錫永 – 北海道大学 大学院文学研究院・大学院文学院・文学部



※今回の講演の元になったご著書のご紹介です


権錫永著『からまりあい重なりあう歴史:植民地朝鮮の文化の力学』(北海道大学出版会 2021年10月刊 





※⑧


2022年1月14日(金)

「諸悪の根源はユダヤ人!?」 氾濫する歪んだユダヤ人イメージ 
岩上安身によるインタビュー 
ゲスト 大阪大学助教・赤尾光春氏 (中編)


※実況全文へのリンクです


※今回のインタビューでご紹介された参考文献です

ロシア・シオニズムの想像力/鶴見 太郎・東京大学総合文化研究科・教養学部 准教授 / 2012)




インディペンデント・ウェブ・ジャーナル(略称:IWJ)会員登録のご案内




~☆・*。.:*・゚☆・*。.:*・゚☆~






×

非ログインユーザーとして返信する