一週間刻みの眺め(長め)サイト(笑)

今週、引き出しの中に容れたもの。

#金子みすゞさん とは(※雑学No.236,第57週,2022/11/28(月)~,B.D.+93)

✨🌒🌓🌔🌕🏃
2022/12/1(木)
🏃🌕🌖🌗🌘✨
※きょうは、ノーペン🖊デーのため、通常のメール・チェックと、レター書きと、『根っこばなし』と、お食事の写メ特集は、お休みです🙇(笑)。


今日は、ウッジューが星になってから15回目の水曜日+1日(106日目)☆彡
リョーリョーの8歳のB.D.からは73日目☆彡


ウッジューの“復活祭”とかが
あったらいいのになあ
ほんとうに

With "Ryoryo"(ウイズリョーリョー)

今日は、仁徳天皇陵・ランへ行って、14,200歩(10.3㎞)走り歩きしました🏃🍁🍂そのあとは、 『女性に対する暴力をなくす運動記念 金子みすゞの人生 (前編)』の文字起こしをしました↓↓

🏃🌒🌓🌔🌕🌖🌗🌘✨
開催日:2022年11月17日(木)、主催: 堺 自由の泉大学(ラ・パリテ堺)、テーマ:女性に対する暴力をなくす運動記念 金子みすゞの人生(前編)、講師:瀧口 住子・堺市立男女共同参画センター前館長
✨🌒🌓🌔🌕🌖🌗🌘🏃

※YouTubeの文字起こし機能を使って、部分起こしした後、誤字・脱字の修正をしました
瀧口 住子・堺市立男女共同参画センター前館長
🐥🎊0:02
おはようございます  毎日 ちょろちょろ 登場しておりますけれども 
0:07
今日 金子みすゞの人生っていうことで  前回にも使っている
0:12
詩を使って  金子みすゞという人について  女性に対する暴力をなくすということも
0:20
含めて 色々話できたらなーっていう ふうに思っております よろしくお願いします 


金子みすゞの人生ということで  ちょっと
0:39
資料を見るのに 最初だけ 座りますけども  金子みすゞという詩人について 今日 お話し
0:46
しますけれども  金子みすゞ  聞いたことあるっていう人は どれぐらい  おられますか? ありがとうございます 今日は 金子みすずやから 取ってもらった方は どれぐらい  おられますか? なるほど  ということは 私だから 取ってもらった
1:05
無理やり言わしてますね ありがとうござい ます そういうこともあるかもしれません で  ただ 金子みすゞは 聞けば聞くほどっていう
1:13
か  深い人生があったので そこを あまり みんなは 知らないところを
1:20
話をしてみたいかなと思います 


🍃🌸1:27
昨日 ひまわりの話で いい話だったんですよ はるかのひまわり・絆プロジェクト(松島 俊哉さん)で  今日も(堺市立男女共同参画センター・花壇で)咲いているので 
帰り見てくださいね  阪神淡路大震災由来の ひまわり 昨日は
1:32
真っ黄色の服着ております 一昨日は 藤川 記代・部長さんが 女性に対する暴力防止の話をしていたので
1:39
紫(女性)とオレンジ(子ども)っていうことで パープル& オレンジの 今
1:44
キャンペーンをしているので そちらを着て ました 今日は こういう色です この ピンクと このグリーンに 意味があるので 何
なんやと  ご想像ください
  わかりますか?
2:01
〇〇さんは  星とたんぽぽをイメージして 今日は黄色 着 てきてくれる
2:06
星とたんぽぽ(詩)みすゞの詩集の中にある言葉で  そのイメージで服を着てきた なんかこう
2:12
合わせたいっていうか 私の中で 金子みすゞ 語るときは この色なんです 
2:19
頭で思い浮かべて これは何の色か  靴まで頑張ってきたんですけど 見れます 
2:24
靴も頑張ってきて こんな感じのピンク色と  こっちの緑色のもの
2:32
が 後ほど 出てまいります  聞いてくださいね はい


🐟⚓2:38
金子みすゞの人生を語るのに 金子みすゞ どんな場所で生まれたのかっていうと 長門
ってわかります 前 これ言うたら 「私 あの山口出身なんです」」っ
2:49
ていう人がいっぱい いはって なかなか 故郷の話聞くと 盛り上がりますよね 今日も 
2:55
いらっしゃるかもしれないです  山口出身だとか  長門市行ったことあるとか あります?長門市 
3:02
行ったことあるでしょうか? ありがとうござい ます その中に 仙崎(せんざき)っていう場所があるんですけど 行った
3:08
ことある人 手あげて? ある? もう 仙崎のかまぼこ 食べたことある人? ありがとうございます 
3:14
聞くとしたら 仙崎は かまぼこで 仙崎蒲鉾っていうので 聞くかもしれ
3:20
ません で 行きたいところで って言って わざわざ行ったわけじゃなくて 私が  ある時 九州に旅行してしようと
3:29
思っておりましたら  九州に旅しようと思っているのに なんか
3:35
台風とか来るでとかで コース変更して で  山口とかを
3:40
陸路で行って で その山口県で 1泊増やした ので 「なんかどっか いいとこないですか」って
3:48
ちょうど 晩御飯も取れなかったんですよ  無理やり取ったホテルだったので 晩御飯も 地元のお店に行って となりはもう 居酒屋
3:56
だったんで 隣の席の人は わーって盛り上がって て もう 「たまたま1泊伸ばしたんで 明日1日 
4:03
山口で どこかに行きたいんですけど どこ 行ったらいいですか?」って  で 教えてもらったんですね
4:10
「絶対 行ったら いいとこがある この 真ん中の写真に見える この橋のところが 
4:16
絶対綺麗から 見に行き」  角島大橋 ( つのしまおおはし ). と言います
4:21
「見に行ったら ええで」って 「そうですか」って もう その 言葉だけで 
4:27
行った  で 言ったら これ  撮影瀧口 めっちゃ 綺麗と思いません? 
4:34
本当に こんな景色だったんですよ  横にね  元乃隅神社(もとのすみじんじゃ)っていうのがあって 123基の
4:41
この鳥居が 海にもあるっていう  本当に 写真スポット 
4:47
今時で言う バエルってやつですか で  海はこんな色 っていうところに行ったん
4:54
ですね これ 長門市なんですよ で 長門市に 行くと 長門市で 
4:59
金子みすゞの記念館 あるで」って書いてある わけです で 私 好きやったんですけど それ
5:05
より前に 下関に旅行した時に なんか下関の あちこちに 金子みすゞ 金子みすゞ 金子みすゞ って なんか
5:12
書いた 顕彰碑があったりする そっちは知ってますか?  そのあたりでも 金子みすゞっていうのが
5:18
結構 言われます で どうやら金子みすゞは  この 仙崎(せんざき)と 下関っていうところで まあふるさとの 詩人としてっていう 有名な人っていう
5:30
ぐらいの感じはあると思うんですが もう 本当に 綺麗な お魚のいっぱい取れるような 
5:36
お 魚で 賑わっているような 長門市の仙崎と もうお魚で賑わってるとか
5:43
覚えられへん でも かまぼこ 仙崎のかまぼこ とか そういうところなんだなって 思って
5:48
もらったいいかと思います はい  で 


📕📚5:53
行ったらええんやって思って 「金子みすゞの記念 館がある」と書いてあったので これも予定し
5:59
たのではなく なんか 行った証拠って やっぱ 自分を入れておかないと  どっかネットから取ってきた写真に
6:07
思えたら いかんので 入っておりますね 金子文英堂という本屋みたいな
6:12
店構えの前で 私が調子乗ってるところ  そして 「 みんなちがって みんないい」って書いてある
6:18
プロフィールみたいなのが 中の缶の中 に 書いてあって そこで 私が一緒に写っ
6:26
ていると 何かね みすゞさんを モチーフにして 壁面が こうなっている お庭が こんな感じ と
6:33
いうことで これが  金子みすゞの生まれたお家  生まれ育ったお家を まあ復元して  こういう
6:42
本屋さんなんですけどね  金子文文英堂という本屋さんを そのまま 
6:48
元に 作られた 建物が ちょうど記念館になってて そこに 本とか
6:54
いろいろあったり パネル みたいなものがあったりして 見て読んで


🐥🎊6:59
その時の感じは  えっ?て感じ こんなとこまで 知らんかった しんどいなみたいな 話 この人は いい詩を 作ってる人だと思ってたん ですね で 
7:13
いい詩を作ってたけれども  自分が 詩を作ってる間には ただの一冊も 本 が出てない人です 
7:21
認められなかった で 一体 何年ぐらいの人 なんやろうって ものの本を調べますと
7:26
1903年に 生まれたそうです  どんだけ前やって 考えて
7:33
明治36年らしいです  生まれてた人 っていませんわね 
7:38
明治36年っていったら一体 何年前 この 明治やなんやと 元号が入ってきたりすると わからへん ま
7:44
あ 1903なので  次  2023が来たら 120年?
7:52
だから 120年前に生まれた人  なんかピンとこないんでね その頃
7:58
生まれた人 誰かな?と思って 調べてみたんです ね  棟方志功(むなかた しこう)とかね うん 草野心平とか
8:07
林芙美子  はーん 他にもいっぱい 出てくるんですけど 
8:13
言って「はーん」ってなる人に  特徴があることがわかりました  文学者か 画家ですね 
8:21
その時代の例えば  憲法学者とか その時代の
8:26
法学者とか その時代のなんか研究家とか いう人も いっぱい出てくるんですけど それ
8:32
は 私たちあんまり知らない  後になっても ずーっと名前覚えてる人って 
8:38
文学とか   芸術の何か作品を残した人  まあそりゃそう ですね 音楽なんかでも この作曲家は誰々
8:46
です とかって 何百年 経っても 名前 覚えて もらえる でも 歴史上の偉人の方は 覚えな覚えらへんのですね  徳川家康は ドラマでやって 徳川家康が いてるなと思うけど あの人がずーっと作品
8:59
を残してるんじゃない でも もしかしたら なんかっていうお寺 建ててた このお寺を
9:05
建てたのは 誰々っていうので 名前が残るかも しれない だから  書いたものが残ってる人は そうやって 一緒
9:11
に名前残るんですが この人は 生きてる間に 作品が 世の中に出なかった人です 出ないで どんな風に生きてたのかっていう ような話を まあ人生なので こんなことがあったんですよっていう人生を  喋ってみたいと思います で その人生を喋ることで 何か思うことがあればなっていう ふうに思っています 


🍃🌸9:37
地図で言いますと  山口県の 下関っていうのは わかりますよね 九州
9:42
につながっているところが 下関 左下の で  仙崎は どこかというと まっすぐ上に上がっ
9:49
た日本海側のところ 日本海側のところに チョコッと
9:55
島があって そことつながってるみたいに 三角に出てるところがあるんです  島が 青海島(おおみじま)という島です
10:03
青海島につながっている 三角の地点が 左が大きな地図になってます が 
10:09
仙崎というところです  まあ漁港と言いますか そういうので
10:16
栄えた街で そこの町の 本屋さんのお嬢さんだったということです
10:23
ね はい  本屋さんのお嬢さんが どんな顔だったか 
10:28
顔はね 多分 世の中で いろんな本を出してきても  必ず出る写真は この2枚です 
10:36
右側は 年号入れてませんけど 大正12年に取られ たっていうことで 20歳の時の5月3日 
10:43
20歳  真ん中の写真が  昭和5年の3月9日 26歳です  この2枚ぐらいしか 世の中にね あとはもう 小学生
10:56
の時に 少し写真があったりします で その左 にあるものが なんか今日の私です 
11:06
最初から これを想像してた人います?  はーんって 
11:11
遠くから見たらわからへんて わかって これ  これね これこれ これ 
11:18
ポイントは これ  葉っぱで 巻いたある  甘い 
11:24
ピンク色 何かな これは?  桜餅 この
11:30
桜餅  東京っていうか 関東と関西で違うんですよ ね 
11:36
皆さんの思う 桜餅は こっちなので  山口県も多分 こっちかなと思ってるんです
11:43
けど ここが お米のつぶつぶみたいな 
11:48
自分で作るとしたら  乾いたもち米を蒸して  ピンク色に色をつけて あんこ包むんです 
11:55
道明寺粉っていうのが  スーパーでも 売ってると思います それを 蒸して作る 
12:03
道明寺糒(どうみょうじほしい)」って言って 昔はね 干した ご飯を もう一度蒸して 戻して
12:09
ピンク色にして包むという で 東京の方のは  小麦粉をピューンって クレープみたい
12:16
に 焼いて くるんって巻くので 横からアンコが見え るっていうのが 桜餅らしいです どちらも桜
12:22
の葉っぱが つきますけれども  文化の違いで 全然 物が違う で この桜餅が この人の人生のどこかで出てくるの で 今日は それにちなんでの 桜餅ウエア
12:36
めっちゃ 桜餅に見えてきたでしょう? そういえば 桜餅を包んでる感じ?
12:42
去年は この上着がなくて  ピンクとこれで 桜餅って言うてた でも 自分の 中で やはり 包んだ方が 桜餅らしいなと思っ
12:49
て 今日 頑張ってみたんですね で ピンクも  靴のピンクより こっち(ブラウス)のピンクの方が
12:55
桜餅かなーっていうので  去年のピンクとは変えているんです 去年度3月に喋った時のピンクとは 変えて
13:01
いるって そんなこと 誰も気にしてない? と 思うんですけれども  自分の中では  桜餅は この人の人生に とって キーワードで すごく大切  
っていうことで 金子みすゞの人生について 語って
13:13ウウ
みたいかなーっていうふうに思います はい


🐥🎊13:18
人生 語りますけれども 先ほど言いましたように  生まれたのが 1903 ここからちょっとあの
13:24
画面にないので想像してくださいね  1903年に生まれます 山口県のね 
13:30
仙崎っていうところで で お父さんと お母さん で 
13:36
自分は 長女で生まれるんですけども お兄ちゃんがい ます
13:42
2歳上にお兄ちゃん  で 自分 で 一つ下に 弟が生まれるんです 
13:49
3人きょうだいですね 3人きょうだいで 大きい 本屋さんのお嬢さんとして生まれます で
13:57
お父さんは  当時ですから 大陸へ行ってたんですよね 中国に進出
14:04
していって そちらで本を売るとかっていう そういう 大きな商売をしておられたので  このお
14:10
店を置いて お父さんは 中国に行って 大きく 商売をします ね 大きく商売をしてたんです
14:17
が  向こうで 亡くなってしまう 
14:23
その時みすゞは3歳  まず お父様 3歳で亡くなりました ね 残され
たのは お母さん おばあちゃん  自分の 弟  自分 

14:37
お店もしていかなあかんし 苦しかったのも あったんでしょう  弟は 
14:43
1歳、2歳になるかならんかの時に お父さん が亡くなったもんですから 
14:49
育てられへんなということで  金子みすゞのお母さんのお姉ちゃんが 
14:59
下関に さっき言った下の方ね  下関に嫁いでたんですが お子さんがい なかったんですね こちらも大きな文房具屋
15:07
さんでした お子さんがいないので  当時はよくあったことかもしれません 兄弟
15:13
の子どもをもらうっていうことで  妹の子供をもらって  そちらで養子になって 
15:20
弟 正祐(まさすけ)さん 後に雅輔(がすけ)と呼ばれますけど 正祐さんは その家に もらわれていきます 
15:27
3歳でお父さんと別れ 4歳で 弟と別れ その後 お家で
15:36
家の手伝いとか すっごく勉強できたらしい です もう学年で一番みたいな すっごい勉強でき
15:43
て もうこの子は 末は 教師 この時の教師っていうのは 高等師範
15:49
みたいなところに行ったりとか 女子に師範 に行ったりということで もうすごい勉強 できるから 先生にでもなるんかなーって
いうふうに言われた
って 言いますが  本人は そんなことをにはならなくて 
16:02
卒業した後は この家業の本屋さんを 手伝います  おばあちゃんに育てられ
16:09
ね お母さんもいて で  弟は いなくなりましたが その
16:15
弟を育っていたお母さんは 自分から言うと 伯母さんですかね 伯母さんがまあよくあっ
16:22
た病気ですね  肺結核 肺病にかかります 
16:27
下関で 肺病にかかって 幼い子どもを育てていると 
16:33
子どもにうつすかもしれない  子どもも亡くなるかもしれない  療養やでっていうことで 
16:41
実家に帰るわけですよ  弟の 義理の母  自分から言うと伯母が 
16:48
自分の家に帰ってきます  で 伯母さんが  弟を育ててくれてるお母さんが
16:55
自分のところに帰ってきて  闘病している時に スペイン風邪っていうのが流行る 
17:03
肺病は 良くなりかけてたけれども  スペイン風が流行りましてね 今で言うと
17:09
何かと言いますと  新型インフルエンザということで  聞いたことありますよね スペイン風邪
17:15
っていう名前は  すごい死亡数なんですよ コロナの日 じゃないって  当時日本の人口5,000万人だったそう
17:22
ですが 5,000万人の人口のうち   かかった人が
17:29
2,000万人  5分の2かかった
17:36
で  45万人亡くなった
17:42
だから この 新しい 新型インフルエンザ 当時スペイン風と言っ たもので 今の人口に直すと
17:50
90万人の人が亡くなった っていうような 病気が 流行るんですね 日本中で
17:55
たくさんの方が 命を落とします まあもともと その 肺病を持ってたこともあったかもしれませ
18:01
んけれども その みすずさんの伯母さん 自分の 弟を今 育てているお母さんが そこで
18:11
亡くなってしまいます  
18:17
弟は もう 実の母と思ってますからね 「もしかしたら これは 永遠の別れか もしれないよ」って言うて聞かされて 「 笑って送るんやで」って言われて 笑って「仙崎で 病気治してきてね」と言って お母さんを 送り出しますが  お母さんは亡くなってしまった 
18:37
で 何が起こるかというと  弟を育てる人が必要
18:43
下関では ね 弟に お母さんが必要 
18:49
これもまた よくあったことなんですが  みすずの母は  先ほど言いましたように 中国でお父さんもう
18:57
亡くなっています  ここに 夫のいない
19:04
人がいる  そして 実は この弟の本当のお母さん 
19:10
言うてませんよ 言うてませんけどね こんないい話はない と 思ったんでしょうかね 
19:15
下関の この 弟を育てている お父さんの 「後添え」という言い方 昔しましたね  「後添え」で  みすゞのお母さんは いかはるんですよ
19:29
みすゞは 2歳でお父さんと別れ 3歳で弟 連れて行かれ 15歳の時にとうとう伯母が亡くなり 16歳で自分を今育てている母は 実の息子がいるところに「後添えに」と言われて行ったので 今だったら 時々会いに行っ たらいいわっていう距離かもしれません で
20:00
も  会えないような状態で もらわれていくというか お母さんがそっち
20:07
に嫁ぐというか  実の息子のとこに行くんだなって 弟のとこ
20:12
に行くんだなぁと思いながら お母さんを 送ります
20:18
だから みすゞにしたら 16歳までで お父さん い なくなる 弟 よそに行ってしまう 伯母さん 亡くなる  お母さん 伯母さんの夫のところに嫁ぎに行く  自分は残される これで 仙崎に残ったのは おばあちゃんと 自分のお兄ちゃんと 自分になるんです これが16歳 
ここまででも どんな人生なんやろう
って 


📕📚20:55
で も それでも  多分 もうすごい大きな本屋さんですから 
本を読んだりとか  本の勉強しながら  ちょっと 与謝野晶子と 似たとこありますね
21:00
与謝野晶子も 店番しながら 創作活動をして 与謝野晶子 売ってるもんは
21:06
(堺の)和菓子ですけれども ここは 売ってるものが 本なのですね 
21:11
多分 すごく恵まれた環境だったんです  文学好きな みすゞちゃんにとっては 
21:17
当時は みすゞちゃん ちゃいますけど 本名は 違う名前だったので 
テルさんと言います
  金子テルさんは 本当に お勉強もできて 本も好きで 
21:29
書店にある本なんかを 読んで 多分 こんな詩が書きたいなぁと思ったか こんな風に したいなと思ったかして 生きていたんです それが16歳
21:47
で じゃあどうなるんやと思うと お兄ちゃんが そろそろ 結婚やなっ
21:53
て お兄ちゃんも21で もう店ね もう お父さんいませんから 多分 早く 
21:59
昔の言い方で 「身を固めて」この店をってこと やったと思うんですけど お兄ちゃんがまた
自分の友達と結婚する
みすゞさんの友達と結婚します ね お家の中
22:14
に おばあちゃんがいて お兄ちゃんがいて  お兄ちゃんの妻さんがいて  自分がいる

22:22
ママ兄嫁ができた みたいな言い方ですか 昔 で言うとね  これがまた やはり
22:30
同い年の ね 女性が入ってきたところに いつまでも 妹がいる 
22:36
これは それはそれで 大変なことがあったの かと思われますが 
22:43
じゃあ 下関に行こうと  下関の 実の母のいるところに
22:49
自分は行って そこで  本屋さんですから そちらは 文房具屋さん ですし
22:54
働くこともできるし まあ 都会というのもあったかもしれません  下関って多分 今思うよりも もっと 
23:03
そうやって 大陸に出て行ってるような時代 には もう中心地ですよね 港で言うと もう大
23:10
都会みたいな感じですかね  今 大阪や東京を 都会と言ってるのと
23:15
違う  もっと 世界に開かれた窓口みたいな 感じで  下関の町に お母さんのいるところに行き
23:22
ます  これだけでも まあなかなかな人生かなと思うんですけれども  下関は 受け入れてはくれたんですけれども  どういう風に 思ったかというと 
23:35
弟を 実の子として育てています  弟は、自分の叔母さん、今度 義理で入ってきたお母さんの子どもだから 従姉と思ってるわけです
23:51
で この叔母さんは  義理で育ててくれてると思ってるわけです 
23:57
本当は 実の母ですけど これがまあトップ シークレットというか 全員に隠されてる
24:02
わけです ね 従姉が来るよと また
24:08
キリッと さっきの写真見てもらったら  可愛い 聡明な 女性が
24:13
来た 弟にとっては 憧れの従姉
24:19
大好きな人 これ お父さん心配するわけですね なぜかと
24:25
いうと  本当の 姉弟だからです  従姉やったら 好きぐらいいけるかなと 
24:31
思うんですけども  本当の姉弟なので  好きになったりとか 
24:38
例えば結婚したいとか言うたら とんでも ないことになる でも その真実は言えない ですよね 
24:45
実のお姉ちゃんだよとは言えない  だから ずっと 
24:50
隠されてるんですけど なんとなく 弟はね  モヤモヤと「 もしかしたら この 今育ててるお母さんが 
24:58
本当のお母さんかも」と ちょっと感じたりとか「 そうだとすると この自分が
25:05
好きだなと思っているみすゞさん、テルさんは もしかしたらお姉ちゃんかも」ぐらいです
25:12
かもぐらいは思ってたみたいです でも そんなこと 確認するのも怖いし そんなことも
25:18
言わない  言わないんですけれどもね 20歳になった 時 
25:24
当時は第一次世界大戦中ですから  召集令状が来ます 
25:29
弟に「 養父 誰々」義理の父誰々って わざわざ書いた招集令状 が来た で 「ああ
25:43
自分は 実の子じゃなかった  もう一つの疑問 もしかしたら この 今育て
25:51
てる母の本当の子かも もしかしたら テルさんの
25:57
弟かも」 って思って 確かめようか どうしようかと思いながら 
26:03
結局 確かめるんです「 弟か?」って
なら 「うん」って みすゞが言った
  衝撃やったんですね 
26:16
本当に 好きやったから 本当に この お姉ちゃんじゃない 従姉としての憧れ 以上に 多分本当に 女性として好きだった人 が 自分の実の姉だったっていうことで  弟は弟で 衝撃を受けるんです 


でも この
26:35
育ってきたこの家に来てから 頑張ってた テルさんにとっては  自分のお母さんを 叔母さんと呼び 
26:42
自分のお母さんのことを 下の叔母さんとは言わなきゃ お母さんなん
26:48
ですけど お母さんと呼ぶなと  使用人みたいにおれって 言われたので
26:54
実の子のように 甘えたりはできなかった  本当は お母さんのことが 好きで好きでなん
27:00
とかと思ったけど でもこの 大店(大店)の跡継ぎとなっている自分の 弟の幸せを願って そんな風にはいかなくて だから 余計に  自分のぶつける先は 文章を書くことやったんですね  その文章を書いて
27:22
詩を書いて 今ならで多分ね  Twitterに載せるとかね
27:30
なんか どこどこで こんなん言うたとかね  写真付きやったらFacebookに
27:36
あげるとか インスタグラムにあげる みたいに その頃は何やったかというと
27:41
雑誌に投稿するっていう  ちょっともうこの時代の変遷がね 
27:47
皆さんもありますかね 昔はなんかこう雑誌 に書いたら載るとか 例えばですよ
27:53
懸賞いうたら葉書書くとか  もう今や そんな時代じゃないので 
27:59
今 ネットでポチってしたら 応募とかになるけれども  例えば 自分が文章を書いたら そうやって
28:05
投稿する  漫画雑誌なんかやったら 漫画を投稿し て 上手やった人を 漫画の作品にね
28:13
デビューさせるとかあったと思うんです けど  詩も 詩の雑誌があって その詩の雑誌に出し
28:18
たら  いい詩の雑誌の 一席 二席 三席みたいな 順位をつけて
28:23
載せてくれた  で みすゞさん、 テルさんの打ち込むことは それしかなかったんですね だから  それに詩を書いて送ります  詩を書いて送ると
28:37
みすゞさんの詩は 認められるんですけど 認めてくれた相手が 西條八十[さいじょうやそ]という人です
28:44
なんか聞いたことありませんね どれ作った ん言うたわからんけど なんか 西條八十って  80って書く人やな ぐらいわかりますか? その
28:52
西條八十先生が  みすゞさんの詩を すごく気に入ったんです  なので
28:58
西條八十先生が みすゞの詩を 一席とか二席とか 順位の高いところで
29:03
みすゞさんは素晴らしいって 絶賛してたようです でまぁ これ 文章を 書く頃から みすゞと名乗る  ペンネームってやつですか テルさんやったんですけど まぁテルも
29:17
光り輝く感じですけど みすゞは どこから 付いたかというと 「みすずかる」という
29:23
枕詞ってわかりますか?  和歌とかでね  「あおによし」 ってきたら 次に「奈良」ってくるみたいなやつ  その時の 言葉で 「みすずかる」ってきたら次に「信濃」ってくるらしい 


で 「みすゞの すゞ」は この 篠笛の篠って書く竹で 篠竹(すずたけ)っていう竹が 信濃にはいっぱい 生えてて すぐこの「みすゞの すゞ」で 篠竹(すずたけ)のいっぱい生えてる信濃みたいな 感じで 「みすずかる信濃」っていくらしい で この
29:57
言葉の中の このみすゞの響きが どうやら 金子みすゞは好きだっただから 
30:04
詩を書くときには  金子テルではなくて  金子
30:09
みすゞという 名前をつけた  今思えば なかなかいい響きだし その
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みすゞの後に 信濃を引っ張ってくるって いうようなイメージ もちろんすごく勉強家 だったので そのことも好きだったん
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でしょうね  信濃っていう土地のイメージとか  自然な感じとか いろんなことが好きだった
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と思いますが 自分でみすゞという名前を つけます で それでどんどん詩を発表していっ
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たら 詩がどんどん認められていくようになり ます また書きます 
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認められるようになります  認められていたんですが  西條八十先生が
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ヨーロッパに 留学した  そしたら 選者が変わるっていう 
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これよくあることかどうかわからないです けども この 感性を好きやって言ってる選者が飛んだ
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途端に  みすゞの詩が入らなくなるんです  書いても書いても落選
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載らない そして 対抗していた男の人たちの詩がどんどん
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取られていく 最初 書いてたような時代 大正デモクラシーっ て なんていうかな 子どもたちが のびのびと 
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明るく 元気にみたいな そんな詩  ほっとするような この後 どんどん戦争に
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向かっていくので 暗くなるんですよ 暗くなってきた時に 
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ほっこりするような詩は 受けなくなる  童謡とか童話とか そんなん いらなくなって
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くる  軍歌とかね  なので 世の中も変わるし 
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みすゞの 選をしてくれてた西條八十先生がいなくなっ たっていうのがあって 
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みすゞ自体の 文学が 認められなーい時期が来ます 
認められなーい時期が来て 一方で 弟が 
実の 弟だと 知ったけど お姉ちゃんのこと好きそうにし
てることを  弟のお父さんは感づくわけですね
  こういう時どうしたらいいかと 
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離れなさい じゃなくて  みすゞを 結婚させたいわけですね 
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みすゞと弟が 好きやとかいう関係になったあかんから これはもう みすゞは 結婚させたらいいやろと 考えそうなことでしょ  自分で選ばない時代ですね  そのお店に働いてきている お店では
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住み込みで たくさんの人が働く で もう なんか 下関じゅうの教科書を扱ってたような文房具屋
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さん 書籍を扱う店だったので いろんな本 をバーッとあちこちの学校に出す時なんか 
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忙しいから たくさんの人を雇うお店だっ たようですから たくさん雇う中から 
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みすゞの相手にええな  弟のお父ちゃんが つまり 今自分が勤めて
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いるところの  社長っていう言い方じゃない 昔やからね 
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主人みたいなね その 建物の主人やと思うんですけどが この人と
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結婚したらどうやと  詩も ちょっと入選してこなくなった時
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弟と そういう風になったあかんやろと思わ れてる時に  結婚しいやって 言われたんですって
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で 結婚しいやって言われた時に なんか弟  好きな人がいてるんか みたいなことを
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結婚するなと もう 泣いて 談判して 弟は  結婚したあかん なんで結婚させるんや 
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結婚させんといてくれ みたいなことを言う たんですね  翻訳すると で その時に
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みすゞに向かって弟が  結婚するんか  本当に好きな人がいるんか
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あの人と結婚するんか  他に好きな人おれへんのか  心では自分って言って欲しかったかもしれ
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ない  他に好きな人はいないのかって聞いた時に  美鈴がこう言うたんですって 
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泣きながら 弟が言った時に  涙の談判って 弟が言ってるんです けど
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弟が「好きな人はいないのか 好きな人がいるん やったら その人と結婚すればいいじゃない か」って言ったら「今ならいる」と
みすゞは寂しそうに 言った 弟が 「誰だい その人は その人のところへ行ったらいいじゃないか」 と言うと
みすずが 「その人は黒い着物を着て 長い釜を持った人なの」と言った 「何だい それはお百姓さん?」  みすゞは小さく首を振った まさすけは
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みすゞの言葉がすぐには理解できなかった  それが 西洋の死神だと気づいたのは 
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三上山から金子の家に戻ってからだった 
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みすゞは結婚しと言われ  相手を決められ  結婚する そのことを 結婚するなと言われた
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弟に対して  好きな人いるんかって言った時に いるとし たら
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長い鎌を持った黒い服を着た人 って答えてる 
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自分の結婚する相手がそれだとか その人を 好きだというなら その時みすずは この結婚
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についてどう思ってたのかって  長い釜の人と結婚した方がましだという
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意味なのか  自分はこの人を好きじゃないって言ったの か 
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わからないけど  確かに 自分が 好きな人は  長い鎌を持った
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黒い服を着た 西洋の死神なんだと言って 
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その 店にいる 仕様人の 男の人と 結婚することにした
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何を思って 結婚したのか  いろんな思いを分かって結婚したんやと 
思いますね  いろんな思いを分かって結婚したけれども 
その 心の底には  死神が見えてたんですよ 結婚する瞬間に 
もう 結婚するって分かっていても 何か 死神のようなものを感じながら 
結婚をした
 っていうのが もう 詩があまり書けなくなってきた頃です 
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あまり かけなくなったけど  ちょこっとは書いてたんです 
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ちょこっとは書いてたのに  次に何が起こるかというと  結婚した 相手が 
みすゞに 禁止したことがある ね  手紙を書くな
創作をするな  みすずは 書かせてもらえなくなるんです 
なぜ 禁止したのか まではわからないです で も 
当時なので  結婚したら 女の人は 男の人の言うこと聞か なくちゃいけなかったのかな
 
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投稿できない  創作もダメ て なんだ書けない そのことを
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出せない  ものを作ってもダメと言われる という中で
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みすゞはどんどんどんどん しんどくなって いく 結婚してすぐに  しんどくなっている中で でも
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子どもが生まれるんですよ 結婚してすぐね  ふさえちゃんっていう子が生まれるんです 
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ふさえちゃんが生まれました もうその頃に は 書かせてもらえない でも
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自分には 何ができるんかなーって思ってた んかな  ふさえちゃんが
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横にいて  詩は作ったらあかんしね 手紙も書いたらあ かんし  ふさえちゃん横にいる 
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なんか できることないかな  ふさえちゃんの言うたこと ずっと 書き留める 
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たとかね こんな動きとかいうのでも  子どもが初めて喋って何言ったかとか
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そんな可愛らしいこと言うたわーとかいう のないですか 記憶に  うちの孫が今度は言うたとか それとかもう
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本当に笑えるようなこと言ったりしますよ ね 子どもが それを 詩作ったらあかんし 手紙書いたらあかん
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から  ふーちゃんの言うたこと ふうちゃんと呼ん で ふさえちゃんやからね ふうちゃんの言うた こと ずーっとみすゞは書き留めるんです
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書き留めて 書き留めて 書き留めて 今それは 本に入れてまして この 南京玉っていう
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本が その子のことを書いた 本なんですね  南京玉 あとでさっし出ると思います で
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南京玉って ビーズみたいなやつです  いろんな色があってって そのいろんな色
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があるのをつないでるっていうので  南京玉の冒頭はこうです 
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南京玉は7色だ 一つ一つが愛らしい 尊いものではないけれど それを糸につなぐ
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のは 私には楽しい この子の言葉もそのよう に 一つ一つが愛らしい 人には何でもない
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けれど それを書いてゆくことは 私には何者 にも変えがたい 楽しさだ 
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南京玉には 白もあるし 黒もある この子の 言葉は 意味はなくとも また
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詩なんぞは なおのこと そんな 縁もゆかりもなくても ただ創作でさえあれ
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ば  残らず書いてゆくことだ 


これ 先ほど私が 行った記念館の中には
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みすゞの直筆で書いたものの複製と思い ますけれども  手書きで書いたものが掲示されています 
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書いてある言葉って  本当にこれを書き留めてるんかっていう ような言葉 最初はお月様に
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花ついてる  お月様の模様を見て 言ったみたいです 
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カラス真っ黒け おてても お顔も真っ黒け  っていう歌と 
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雨が降ります  傘はなし  紅色の鼻緒も緒が切れた 
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ぶーちゃん草履も おが切れた残る  撮ってますね これね
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読みやすい感じがします お月様  屋根にかくれんぼしてる 
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おせんべこうたの ぶーちゃんない  キューピーちゃんこうたの とか こういう ことを言いますよね 子どもって それを
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ずっと一冊の手帳に 書いて なぜ書いてたかっていうのは 
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創作ができないから  手紙が書けないから どこにも投稿できない から ただただ 
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娘の喋ったこと ずっと書いてるんです  その時に 
みすゞの体はどんどん病気に蝕まれます 何の 病気か
性病ですね  当時ですから
 今じゃない
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遊郭があって 夫はみすゞに 創作を禁じておきながら 
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大きな大店で働いていますから 
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経済は潤ったわけですね で それを使って 遊んどったわけですね 
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遊んで 病気もらってくるわけです それをうつさ れる 
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で 性病っていうのは 内性器に入ってくるので 女性の方が重症化するんだそうです
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お腹の中で で さらには
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性病にかかってますって言って  病院にかかることが 恥ずかしいと思って 
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病院に行けなかったりするので  悪化するのも 早かったというか 悪化してしまう 
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そんなこともあったんですね で みすゞはその 夫に
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性病を移され  自分の文学書くなと言われ  子どもの横で伏せたりもしながら 
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子どもの言葉を書き留めます  これはもう無理やなって こんなことを続け
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てたら  自分はこの子どもをちゃんと育てていけな いっていうことで 
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決心して 離婚することになります  離婚したい 大分話ししたんでしょうね なんとか離婚したいっていうような話をして 離婚ができることにはなります
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離婚して 自分が ふうちゃんを育て って言うたんですけどね
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自分が ふうちゃん育てるって言ったら しばらくは 夫はどっかに行って 自分は 金子姓に戻してますかね 金子みすゞさんは  違う名前になってたけど 今金子みすゞで  みんなが語られて どうも金子みすゞにも
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戻ってるわけです で  金子みすゞとしては 自分は
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一人 まあおばあちゃんのところに帰るん ですけど おばあちゃんのところに行って 
ばあちゃんのいるところで 子どもを育てよう としてたところに この性病を移した元夫が手紙を書いてくるわけです
 手紙を書いて
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「ふうちゃんは自分が育てます  迎えに行きます」っていう手紙が来た
43:37
です 自分 一生懸命育ててんのに 迎えに行きますって何事やって話ですよね
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その時も すごくしんどいんですよ 体の病気 ですよ で  迎えに行きます これ今やったら もう裁判
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ですね  裁判せんでも 金子みすゞが取ります 
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今の日本のこの子どもの親権を争う時には 今 いる方が
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勝つ 今いるところで 子どもが 幸せなんやったら そのままいきましょうっ てなるんですよ だから この時点で
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金子みすゞは おばあちゃんと一緒に その子 を見てるんやから  取れそうに思うんですけど 時代が違う 男の方が親権 主張したら ほぼほぼ男が取るわけです  女の人の方に 子どもが行くっていうことが
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ほとんどなかった時なんですね で 一生懸命 一生懸命  子どものことを こうやって書き留めて
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子どもの言葉に 愛おしいなーって思ってた 
44:46
でも 本は出したらあかんって言われるから  その中で一生懸命 言う前作った512篇の
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詩ですけれども  清書してたそうです 3冊の本に それを
45:00
二部作ったそうです  これの原本も  残ってました その資料館にね 
45:06
手書きの 本が512  これを2セット作ったわけです 
45:14
彼女はね 多分 発表もさせてもらわれへん本も出して もらわれへんでも今までこんなに書いたの
45:20
よってこんなに書き溜めてたのよ 入選したのもあるのよ 優先してないのもあるまだ出してないのも
45:26
あるっていうのが512 あったの一生 懸命書く  創作はできないけど 書き溜めた


🍃🌸45:33
そして夫が 迎えに行くよ 3月10日に
ふうちゃんを渡せって その手紙がっていた 直後ですね 明日が3月10日っていう日に  3月9日に 金子みすゞは 真ん中の写真を撮りに行きます  写真館に 今みたいに スマホでパシャパシャ撮れる時代じゃない 
です 写真館に行って  整えて 多分
袴じゃない 羽織を着て 正装ですね して この写真を撮ります この写真を撮ると
いうことは  後の研究者たちが言ってるのは 私が
いつか 本を出せたら私のまとめたものがいつか本 になるならこの写真を撮ってくれたらいい
なって思ったのかもしれない とも言われていますけれども 明日 
子どもを迎えに行くよ 取りに行くよって言わ れた時に  撮った写真なんです
で この 撮った写真を 引き取りに行く 引き換え券
っていうのを 持ってた ね 3月9日写真の引換券を持った
まま おうちに帰って そして お風呂に入って 
晩御飯も食べて  その後に
みんなで 桜餅を食べて  ふうちゃんも おばあちゃんも 
桜餅を食べて
 その夜中に  何本かの遺書を書き上げて 
睡眠薬を大量に服用して  3月10日には つまり
迎えに来るという3月10日には  命を落としていた
遺書の中には その 元夫に向けて 「あなたにはふうちゃんは育て
られません ふうちゃんは私の母 つまりおばあちゃんに
育てさせてください」
と  書いてあった
願いの通り というか 10日に迎えに来なかったみたい ですけどね 
願いの通り ふうちゃんはおばあちゃんが 育てることとなります


※つづきは、後編で↓↓

🏃🌒🌓🌔🌕🌖🌗🌘✨


※今日の文字起こしのソースはこちらです

開催日:2022年11月17日(木)

主催: 堺 自由の泉大学(ラ・パリテ堺)http://www.la-parite-sakai.jp/ 

テーマ:男女共同参画 一般教養講座  男女共同参画ジェンダー研究 女性に対する暴力をなくす運動記念

『金子みすゞの人生』

講師:瀧口 住子・堺市立男女共同参画センター前館長

※期限は2022年12月 1日から 2022年12月 7日までですが、堺市在住もしくは勤務地が堺の方で【動画配信】をご希望の方は、こちらからお申込みできますhttp://www.la-parite-sakai.jp/openseminar/
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