#人権週間 とは(※雑学No.239,第57週,2022/11/28(月)~,B.D.+96)
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2022/12/4(日)
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きょうは、プライベート・デーにつき、いつもの形式の長文ブログはお休みです(笑)
今日は、ウッジューが星になってから15回目の水曜日+4日(109日目)☆彡
リョーリョーの8歳のB.D.からは76日目☆彡
今日は、「人権(じんけん)週間」が制定されてから74年目の日ですね
74年前の日本は、「じんけん」と言われれば、「人絹」を思い出す人しかいなかったそうですね
74年後の今は、「じんけん」と言われれば「人絹」をまず思い出す人は、いい意味で、いなくなったかなー?と思いました。
With "Ryoryo"(ウイズリョーリョー)
今日は、『【死刑】という重荷と生きる~法学者・弁護士の脱げない二足の草鞋 - YouTube』の文字起こしをしました↓
※YouTubeの文字起こし機能を使って、部分起こしした後、誤字・脱字の修正をしました
🌛4:31
無期受刑者で
仮釈放になった人が いると 牧野正さん(1990年3月12日、北九州母娘殺傷事件)https://bonin.ti-da.net/e2520661.htmlという方ですが その方は
再び 強盗殺人を犯したと で 死刑が出るかもしれない というようなこと
が 報じられました で そこで この事件を まあ 福岡城裁判所小倉支部で
連続で膨張するということにしました で 学生たちと毎回行って
終わった後に 喫茶店で 今日の 事件どうだったっていう話をしたんですが
🌛5:09
3回目か4回目
です 「被告人 言いたいことがありますか」というふうに言って
発言が求められた時に 「 私は殺していません」とおっしゃったんですね で 法廷の中は 膨張席も含めて ええっ という感じに
なりました 弁護人は ご存知だったのかもしれません
で 「あなた これは重大なことだから やっていないというなら 今まであなたは やっていたと言ってたけど やってないと言うん だったらば きちんと弁護士さんと相談したんですか」って言ったら「あんまり まだ 相談してませ ん」というようなことだったので 「それじゃあ
次回公判までに 話し合っておくように」ということで
その日は閉廷になりました 私たちは学生と 行っていて 「何々
有罪だとばかりを思って 事件は進んでた そして裁判は進んでたのに 無罪かもしれない」っていうわけです
「えー これどういうこっ ちゃろね」っていう話で じゃあ次回からも
傍聴しようということになりました
で その次の公判は 1ヶ月ぐらいだったんです
けども 「この間 途中までだったので 被告人 前に出て 話しなさい」と言ったところ
今度はですね 「この間は ああ 言いましたけれども やったことにします」って言っ
たんです 「やったことにしますって どういう こと?」と裁判長を聞くと 「いやあの 私が やってないとか言うと 元の嫁とかが 世間に批判されたりするから やったことにします」 って言ったわけです
「やったことにします じゃ なくて あなたはやったんですか やらなかったんですか」
「あ やりました」
事実関係についての審理は 事実上 そこで ストップしましたで
弁護人が 精神鑑定を求めたんですね で 精神鑑定を求めたってことは 責任無能力を
認めるのかなっていうふうに 当時は私も思ったんですが そうではなくて これは
死刑判決が出る可能性があるから その前提 として 精神鑑定をしておくという
裁判長の慎重な判断だったんだと思います
9:21
「精神的に 問題はあるけれども 責任能力はある」という
判断だったんですね で その後まあ 情状書にも出たりしましたけれども まあ私は
実はその 精神鑑定に入っている1年ちょっとの間 ドイツに留学をしていまして 1年2ヶ月留学してたんですが で 帰ってきて 10月の23日だったかなと
思うんですけども
小倉の 裁判所が建て替えになるということで 最後 だと思います 最後の
公判に出ました
🌛10:13
で 当日は 「死刑が出るんじゃないか」ということで 死刑は 珍しかったですからね 今と違って で 新聞記者もたくさん来てました
まあご存知のように 傍聴席の一番前には 白い布がかかっていて
新聞記者たちがそこにいると で その 後ろに 私は
運良く 傍聴券を 獲得することができて 10人ぐらいいたけど 2人ぐらい
入れなかったな
で 死刑判決 私 初めて 傍聴することになったんですが
新しい裁判官が 入ってこられて 「被告人 前に 出なさい これから 判決を言い渡します」と
で 出てきて 裁判長
「主文」って普通は言うんですよね ところがこの
事件では 判決の言い渡しが 「理由」という風に 言われたんです
そうすると 前の新聞記者たちが バーッと法廷の外に出て行きました で 裁判長
は「静粛に」という風に言って その後 治まります 「これから理由を読みます」ということで
淡々と理由を 1時間はなかったと思います 40分ぐらい 読まれましたかね で
終わって 「それでは主文を言い渡します 被告人を 死刑に処す」という風に判断されました あと まあ 型通り
訴訟費用の負担とかいうようなお話をされ て それで 「閉廷します」ということで
🌛12:51
私は その判決を聞いた時に 何だかわからなくなるんですけども
主文を言う前 それを言う前に 理由と おっしゃるときに 背中の
真ん中あたりを 汗がスーッと流れる感じがしました 冷や汗っていうのは 多分一生のうち それが最初で最後だと思います 何かわかりませんが 鳥肌が立ちました
で 理由を聞いているんですが 頭にうまく入ってきませんでした
で そういう状況が続いていて 最後の方 ちょっと冷静になって
聞いたわけですが その場の雰囲気は 今 私たちは 人が殺されるという判断に そこで一緒に その 判断を下した人たちの 共犯になっている という気がしました
私たちも 死刑の判決を 言い渡しているんだ あなたに 死になさいと 言っているんだ という そういう 感覚になりました
被告人は「控訴しない」って言ってまし
たけど 「まあ 言うな 私は弁護人としてするから」という風に 弁護人の川口 さんが説得して
控訴ということになりました
🌛16:28
で 私はこの事件 怪しいというか
疑問点が残ってたんです それは何かって いうと 自分より 背の高い女の人に
包丁で刺したっていう事件なんです ところが 首から 包丁が入って それが 肺に到達してるんですね で 包丁が折れてるんです で 包丁が体の中に 先歯の先が残ってるんです
けども 上から指してるんですね で 公判廷で聞いてると どういうふうに殺害し
たかというと こういう風に 「順手で持っ た」っていう風に言ってるんです で 順手で
もって 自分より背の高い人を こうやって刺 すっていうのは まあ 難しいというか 不可能だと思うんですね まあ屈んだとか 何 かそういうことがあればそうなんですが
もみ合ってる時に 順手で持っていて 刺した で
包丁が折れたので 包丁に変わるものが 必要だと思って 台所に行って
シンクのところを開けて その中から包丁 を出して 交換して まな板の上に
折れた包丁を置いて 包丁を変えても で その時に これは
自分が 殺害したんだと思われないようにするため に 物取りの犯行だと見せるために 2階に
上がって 2階の 寝室のところに こうやって 血をつけて で 物色した後を
残したんだと で 外へ出たと で そうすると お母様がいらして お母さんが
帰ってこられて その声がしたので 庭から出ようと思ったって言って
庭先からこう出ていくと そこでお母さんと 相対して 「あんた 何したの うちの子にいたずらしたんじゃないでしょうね」という ふうにおっしゃって で 包丁をこう順手で出したところ その
お母さんは 気丈な方で 「何やってるの」と言って 手で その包丁の歯の方を握って
筋切られてます で それを 取り上げられたと で お母さんを
突き飛ばして 逃げようとしたと お母さんは 通報したりなんかしようとされた 部屋に 入られた で そうすると その様子を見ていた
看護学校に通っている18歳が17歳の 学生さんがいられて その人が見ていたので
その人のところに行って ポンと
殴ったところを気絶したので その気絶した 人を 道路の脇に置いて 自分の軽自動車で逃げて
いった そういう 供述なんです
🌛19:13
でまぁ 符合していると言えば 符合してるんですが その ポンと叩かれた学生さんは
「車の色を銀色だ」って言った で 彼の 車が 黒なんですよ 軽で
おかしいですよね おかしい で そういうようなことがいくつか ありまして それを究明するために
控訴したら 福岡の弁護士会の 刑事弁護の有力な先生に
「控訴して 福岡に行くと思いますんで ぜひ 先生方で 自任していただいて よろしくお願いします」って言ったら 「ああ いいですよ そういうこと だったらわかりました」 「協力してくださいね」「もちろんです記録やなんかも読んで 勉強もしてます から」っていう話をした
そうしたところ それから
数週間経った日 夕方家に帰って でテレビを観てました 6時
過ぎだったと思います で 家族で ご飯食べていたら
「牧野被告人 控訴取り下げ」というニュースが出まして
「えー、 なんで控訴取り下げちゃったわけ」って いう話で
先ほどの弁護士さんのところ
に連絡しました
🌛27:55
でまぁそういう事件でしたので 牧野さんに お会いして「どうも 石塚です」っ て言ったら 「先生ありがとうございました
外でいろいろやっていただいていることは 新聞だとか あるいは手紙だとかそういうの
で 聞いてました で 私も
死ぬっていうふうに決めて 死刑でいいですと
言ったけれど 先生が頑張ってくれるんで 私も頑張ること にしました」と言っていただきました
嬉しかったです 嬉しかったんですが 「ただですね」って言うんですね もともと
ちょっと 脳の中に傷があるって事のあるんですけど
「もう 死刑の判決を受けたから 私はもう 死のうと思うんですよ
でも お腹が減るんですよ
ご飯食べちゃうんですよ そうすると 死のうと決めてるのに
体が 食べ物を欲して 生きようとしている この 死のうと決めたはずなのに 体が生きようとし
てるってことで 頭が痛くなって 気持ちが悪くなって げーっ としちゃうんですよ
あまりにも苦しいから
薬をくださいとかいうふうに 言ったりして なんとか治めてます でも
辛いので 職員さんに 死刑を知ってほしいというふうに
法務大臣に 手紙を書きたいと 言ったら そういうことはできないことに
なってると 二度言われました で 今は
薬をもらってますけども 先生たちと一緒に頑張るなら
薬をやめようと思います 」と おっしゃったんですね
要するに 一緒に戦って くってことは 薬を使わず
シラフで 頑張りますっていうことですよね 多分
辛いと思うんです 先ほど言いましたように ご飯を
吐き出してしまったり いろんな 反応があったりするわけですよね
で なんとなくその時 「この方死ぬって決めたんだから
早く 執行されてしまえば
それで 楽になれるかもしれないな」とふっと思い ました
外で 救済だっていうような ことを
言って何か 活動している
法律家としての関心が 僕にはありますから 先ほど言った 言いましたように
控訴の刑に 切り替わる時の
弁護権保障の空白っていうのは 法律的には 初めての論点ですし
この事件についての事実誤認があるんじゃ ないかとも思ってましたし
そういうような状況でしたので 自分の 研究者としての関心から この事件に 僕は
関わってるんではないかっていう問いが 常 にありました それを 人権を救済するって
いうようなことを 口実にして やってるんじゃないかという
ような 煩悶が 私にも 常にありました
31:41
なんか 決めてやってるようですけども 人間って 固い決意をして物事やってるように僕は
思ってなくて なんかの弾みとか何か で やり始めたことに
後から自分で 理屈をつけている で そうだと すると 僕の関心は
研究とか教育とか そういうことなのかも しれないっていう思いが常にありました
事実 この事件から 私は 多くのことを学び ましたので
ただ 一緒に 悩みながらやっていくっていうこと なんだなっていうふうに 思いました
🌛36:40
控訴取り下げ申し立て書は
こういう形です お正月の時に書く 続け字な んですよ
明らかに(筆跡が)違うんです
量刑書類自体が
検討すべき事項になりますよね
38:18
ちょっと 忙しいこともあって 私も2009年 龍谷
大学に もう移ってたんですが 色々な 法科大学院作るだとか あるいは
うちの 研究センターを作るとかいった申請の担当 してましたので 忙しかったのは事実なんですよ で そういう中で
弁護士さんと一緒に 私ももう その当時は
弁護士登録してたので ご本人とも会って 色々これでいきましょうという話をして ましたんで
準備もしていたので 慢心があったんですね 慢心があったんです
なんとかなると思ってたんですね
🌛39:28
だから 明けた 2009年の1月の29日ですか
電話があったんです 午前10時前でしたかね 10時頃でしたかね
知り合いの方から電話があって「福岡で 執行あったんだけど 牧野さんじゃ ない?」っていう話だったんです で そこで
えーっていうことで 山崎 先生という先生に 福岡で確認してくれって言っ
たら 「結果は言えないけど 来てくれれば お話はできる」という話になり ました で その福岡の弁護士さんが 拘置所に
行ったところ「本人の遺留品があるので それを弁護士さんが引き取っていただけませんか? ご遺族で引き取る人はいないので」という話
で 先生から 電話があって執行されてたと いうことで
そうですね テレビで 執行されたということが まあ 法務大臣が記者会見したんですかね で
東京で まあすぐ飛んでって
それに対する集会があったので 抗議の集会があったので それには出ました
かなり僕自身も感情的で ちょっとどうなってしまったかも しれない
でその後ですけど 次の日に
弁護士さんから 連絡があって 福岡の工事長が 他に
「棺前教誨」
お棺の前で 教誨をする これは宗教家が
受刑者の人や 被告に その宗教的な観点から サポートを
するっていうそういう活動ですけども これ を 宗教家の教誨を その人が亡くなった後に 棺の前でする これをお葬式です 葬儀のことを 「棺前教誨」と言ってます 「それに参列されますか」というから 「じゃあ 行かして いただきます」ということですぐ向こうへ
飛んで 参列させていただきました
43:00
門が前に この ぐらいの 長さかな ちょっと大きめな このくらいの
25センチぐらいの 黒い 鳥がいて その鳥がふっと この門のところに
止まってたんですね 「この季節に(1月ですから )鳥だわ」 と思って
で ガーッと門があったら ふーっと飛んでったんです
44:22
ご本人の 左側からだったと思います で こう 支えてパッと見た時に 非常に安らかな
顔です ただその時に このもう 綺麗に衣装 花なども
けど このところに そう 3センチ弱
ぐらいの 赤紫色の あざがあったんですよ
それ 今でも覚えてます パッと目つぶると 「あ」って
非常に 穏やかなお顔とは対象に この
死が 普通の死ではないという証拠を 見た気がし ました
で その後 霊柩車が パーッと 音を
立てて 逝く ということになります で 私たちはまた車に
乗って 出口のところに戻ることになったんですが で ちょっと 横 パッと見たら
さっきのだと思います 同じこのくらいの黒い鳥が ふーっと飛んできて ヒューって いくのが
あったんですよ
🌛45:49
その時 私は思ったのは この 牧野さんという方は
19歳の時に 逮捕拘留されて ずっと社会に出てなかったんですよ 熊本
刑務所で服役してたわけです で 1997年かな
仮出訴されてきたんです で 外にいて
真面目に仕事もしだして お兄さんの紹介で 結婚しました
連れ子の方は2人いるというそういう方と それを1年半ぐらい外で 生活しましたかね
で また この事件で逮捕されて ずーっと 刑事施設にいたわけです
人生のうちの ほとんどが ちなみに 少年院にも2回 入ってたりとかかな
下関の方で お家は 天ぷら屋 さんをしてた 天ぷら屋っていうのは
九州では さつま揚げ 魚のすり身を揚げる仕事をしていると
か お母さんが早く亡くなって で お父さんは そこで働いてた若い方を後妻
さんにもらうんです で その時の約束が 3人 子供いたかな 女男女
子どもたちの面倒を見ないっていうのが約束 だったので 小 学校4、5年ぐらいから 一度も家でご飯食べ
たことないんです お金渡されたり 渡されなかったら どっか 行ってなんか物をちょろまかしてきたり
そういうことで ずっとご飯を食べていた 足は速かったらしいんですけど
学校はあんまり 真面目に言ってなかったん だけど 学校では 「お前 生意気だな」って
いうふうに言われて 1年生か2年生の時に 昔 番長っていうのは 中学には必ずいて
その番長に「お前 見込みがあるな」っていう ふうに 言われたと その理由は
小学校の頃 体がちっちゃくて いじめられた もんだから 鉛筆削りのポンナイフって いうのを いつも
筆箱に入れていった と で だんだん 護身のために ポケットに入れるように なったんですね
で その 親分から 手をかけられそうになった時に パッと
切ったところ お肉をすっと傷がついたと それを見て 「お前は
度胸がある 見込みある」というんで可愛 がられたっていうです そんなことですから 中学 高校 行ってないですから
少年院で 過ごされているわけです
48:22
その彼が 家に入って お嬢さんと立ち合わせするん ですけども お嬢さんを やった理由は
「やった」時に 包丁を持ってたのは いつも ショルダーバッグを持って その中に 包丁と鍵を持って それは 彼の護身用なんです 誰もそんなこと信じないですよね 誰も信じない 強盗に入ったと思いますね 違うんですよ
🌛で 最後にしますが
左様に この 事件まだまだやらなければならないところ
ことがあったんですね それができなかったっていうのが この後
光市の母子 殺害事件と言われてるあの事件とか
和歌山カレー事件とか そういう事件に 入らないかっていうふうに
ボスの安田先生から言われた時に 「はい 入り ます」っていうのは この時
僕はやっぱり 手を抜いたと思うんです やれることをやらなかった
刑事弁護 とりわけ死刑が絡むような事件で やれることを明日に伸すっていうことは ご本人の 死を意味する で それをやっぱり
やりきれてないっていうか 手を抜いたために
殺されてしまったんだと 思うからなんです
🌛49:57
で 牧野さんの最後のお話ですが19歳で 事件を起こした時に 無期懲役の判決っていうのは
終身刑だと思っておられたそうです 外へ出られないんだと だけど いい
懲戒師さんとかながおられて「 無期懲役っていうのは
仮釈放があるんだよ 頑張って真面目にやったらどう」 っていう風 に言われたんだけど最初は作業にも
身が入らなかったから 成績も悪くて そんなことは全然 考えられなかったと
ただ サリドマイドで
手がご不自由なお嬢さんが
関門海峡かななんかを泳いで渡るかなって いう そういう「典子は今」っていう ハンディキャップのある方が
頑張って 永遠に成功して
熊本県庁か熊本市役所かなんかの職員に なられたんですね その映画を観たんだそう
です
で「ハンディキャップを持ってる人がこんな に頑張ってるのに
俺は何やってるんだ」と思ったんだそうです よ それで 真面目に作業したり
プログラムに参加したりするようになって 仮処分の判断を受けることができた これは彼の
自慢なわけです
それが その彼が ハンディキャップの
ある人に励まされて頑張った彼が 事件を起こした その事件を起こした
現場ってのは 実はいつも 下関の方に 通勤するときに通ってた町で
八角形の真っ白なお家なんです で そのお家が珍しいなと思っていて
でまあ 実は友達に誘われて ギャンブルで 借金作っちゃったり何かして大変で お金が
なくて利子入れなきゃいけなくてみたいな 話になって で 薬を
風邪薬を 一瓶なんですよ 頭痛い からって そうするから 薬への依存が
あるんですけど そういう状態で 下関の市内で おばさんを
ボンって感じで叩いて気絶させて で お金を 500円盗んだんですね
で もうこれで捕まったらまた 刑務所戻るんだっていうのを ある種覚悟して 最後に その八角形の その変わった家の中を見てみたいなと思っ て 車で行って 今から入っちゃったんですよ
まあ なかなか信じがたいかもしれませんけど 僕は信じてます で
その時に そこにはお嬢さんがいたんです 二十歳ちょっと過ぎたぐらい
そのお嬢さんは 足だったかな 手かに ハンディがあって
養護学校行って その後 訓練高校に行って で 通ってるお嬢さんだったんです
で そのお嬢さんが一人で帰ってきて こっち に一人いる時に 彼が入ってきて 「あんた誰」っていう形になっちゃったんです
だから ハンデを持っている人が頑張る姿を見て 自分も頑張ろうって思った人が そういう 同じようにハンデを持っている 人を 殺めてしまったんだとすると
あまりにも まあ 縁というか 逆縁というか わかりませんけど 何かこの事件の中に まだまだ 僕は 残っている何かがあって
きっと これは 一生付き合わなきゃいけないんだと思い ます
🌛54:01
最後ですが 死刑冤罪とか
死刑の弁護って 弁護士になってわかりましたけど 一生
終わらないんですね 執行されると 終わるのかと思ってたんですけど
終わらないんですね で もし この国に
死刑がなかったら こんな大きな荷物を 私も背負わないと済ん
だ 私ばかりではなくて 多くの人たちが
死刑があるということで 悩んでる 荷物を負って
煩悶していると思います で 私も そういう たくさんのうちの一人なので
これからも 最期までだな 死ぬまで
こういうことを 考え続けなきゃいけないんだろうなと いう
ふうに思っております
以上です どうもありがとうございました
🏃🌒🌓🌔🌕🌖🌗🌘✨
※今日の文字起こしのソースはこちらです:
配信日:2022年11月30日(水)
発信:袴田チャンネル:https://www.youtube.com/@user-ec2pi6eu2v
講演:『【死刑】という重荷と生きる~法学者・弁護士の脱げない二足の草鞋 』
講師:石塚伸一・ 龍谷大学法学部教授、弁護士、谷大学法科大学院教授(刑事法)。
龍谷大学矯正・保護研究センター副センター長。弁護士、2009年1月29日に執行された牧野 正氏の弁護人を務めた。:https://cjf.jp/
※動画の視聴はコチラです:https://www.youtube.com/watch?v=8FAPVIrlM7g
※龍谷大学 犯罪学研究センター(CrimRC)のTwitterはこちらです:https://twitter.com/Ryukoku_CrimRC
※龍谷大学 犯罪学研究センターのその他のイベント情報(ニュースセンター)はこちらです:https://www.ryukoku.ac.jp/nc/news_center/?pg=107
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