一週間刻みの眺め(長め)サイト(笑)

今週、引き出しの中に容れたもの。

2022/2/14(月曜日)から今日まで。(第18週ー後半①)



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2月17日(木)
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※きょうは、ノーペン🖊デーにつき、通常のメール・チェックと、レター書きは、お休みです(笑)。



夜は、要事前申込のウェビナー2つに参加しました。


一つ目は、

「神経発達症群(発達障害)と二次障害 -特に依存症とうつについて-」

※資料③に、質疑応答の部分起こしがあります。



二つ目は、

⼥性のいない⺠主主義と「K-フェミニズム」⽂学の越境 
―⽇本における『82年⽣まれ、キム・ジヨン』の翻訳受容現象を中⼼に

※資料④ に、講演と質疑応答の全文起こしがあります。





「きょうはちょっくら、限りなくウォーキングに近い4kmジョギングをしてきました🏃」



「もっと、早よう帰ってきてえニャ~😹」






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資料のイメージ
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※ウェビナー(Webinar)とは、ご存知のようにコロナ禍、私たちの日常に、新たに加わった "ウェブ(Web)" 開催の "セミナー(Seminar)" のことです。
※画像が大きくて申し訳ありません🙇‍♀️


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※③


2022年2月17日(木)
Zoomランチタイムセミナ-⑦ 
「神経発達症群(発達障害)と二次障害 -特に依存症とうつについて-」
 榎本クリニック
https://www.enomoto-clinic.jp/ikebukuro/10002/
タイトル:「神経発達症群 発達障害と二次障害 -特に依存症とうつについて-」
講師:深間内 文彦(榎本クリニック院長/精神科医)



※質疑応答の全文起こし

>発達障害に対する薬物療法について ADHDと ASDの場合について 詳しく教えていただきたいのですが

深間内文彦・榎本クリニック院長
ADHD(注意欠如・多動症)の場合 現状で 日本で 認可されている薬は 4種類 (コンサータ、ストラテラ、インチュニブ、ビバンセ)があります そのなかで インチュニブが 比較的 副作用が 少ない いずれも 脳内ドーパミンや ノリアドレナリンなどの 精神伝達物質の 働きを 変化させます ただ それぞれに 服用する注意点や 副作用もあるので 主治医と よく相談なさって 進めることが 大切かと 思います

ASD(自閉スペクトラム症の場合、認可されている薬は 現在はありませんが、オキシトシンという ホルモンの一種が 治療薬として よいと聞いております 以上です





※④

2022年2⽉17⽇(⽊) 
EAA ONLINE WORKSHOP 
⼥性のいない⺠主主義と「K-フェミニズム」⽂学の越境 
―⽇本における『82年⽣まれ、キム・ジヨン』の翻訳受容現象を中⼼に
 東京大学
https://www.eaa.c.u-tokyo.ac.jp/events/20220217-workshop/
報告者:⾦志映(キム・ジヨン、ソウル⼤学アジア⾔語⽂明学部講師)
討論者:⾦美恵(東京⼤学IHS特任研究員)
モデレーター:具裕珍(ク ユジン、Koo, Yoojin、
東京⼤学EAA特任助教)
※講師:⾦美恵先生の代役:
高 榮蘭 (コウ ヨンラン、日本大学 文理学部 国文学科教授)テーマ:「居心地のよい(?)フェミニズム」



※金志映(キム・ジヨン、ソウル⼤学アジア⾔語⽂明学部講師)さんの講演・全文起こし

韓国で 82年に生まれた 女の子に 最も多い名前が 表題『82年⽣まれ、キム・ジヨン』の キム・ジヨン ですが わたしの場合は たまたま 金志映(キム・ジヨン)です よろしければ どうぞ おつきあい いただけたらと おもいます 

MeToo(ミートゥー、「私も」)運動 が いま 世界で 注目を あつめていますけれども その中で 日本の MeToo運動 は 韓国には 伝わっていません 韓国の 多くの 学生たちから 「日本について 歴史問題が あるけれども ちゃんと べんきょうしたい」という 回答が でてくるなかで 複数の 学生は 日本は 性差別的な 国だと 思っています やはり そこは 重要な 要素になるんですね  日本は なぜ 女性運動が 盛り上がらないのと そこで 日本の民主主義を ジェンダーの視点で 切り取ってみようと 思いました もともとは 韓国の 聴衆向けに 作ったものです 近年の 新しい現象として 韓国文学が 多く よまれることになったことに 注目しています 文学作品は ここ3,4年ほどで 初めて 双方向に 受容される あたらしい ながれが できています 比較文学者として 興味があります その意味を 考えてみたい ということもあって “⼥性のいない⺠主主義と「K-フェミニズム」⽂学の越境 ” という テーマに至りました 

ただ コロナ禍で ここ 2,3年 日本に いけなくなって 現地の雰囲気が 十分に とらえきれて いないかもしれません お気づきのことがあれば ぜひ 是正して いただけますと 幸いです
 
韓国では 2016年に起こった 江南(カンナム)駅殺人事件という トイレに潜んでいた 犯人が 女性を狙って 殺害をした 通り魔事件が 起爆剤となって おおきな フェミニズム運動の うねりに なっていきました 韓国の 脱コルセット運動として の 動きも
 あり ハリウッドの 2017年の 動きとも 連動しています 

日本では おおきな うねりが ありませんでした 『82年⽣まれ、キム・ジヨン』は よく 売れるのに MeToo運動 は なぜ 日本は 広がらなかったのか これを ふしぎに 思う 意見も 韓国では 多くありました 日本における 文化現象を いかに 理解できるのか その意味と 可能性を 考えてみたいと思います

ただし 日本の MeToo運動 については 様々な 評価が ありますし 慎重に ならなければならないと 思うですが ここでは 対照的な 広がりを 見たときに 例えば 韓国と比べて ちいさいとか そういう意味で 使っています 

韓国と 日本は  実名で 性暴力を 告発する 動きが 同時に 起こったことに 共通点が 見出せます 韓国の場合には 2018年1月に 検事の 徐志賢(ソ・ジヒョン)さんが 警察庁内部の 性暴力を 告発し 日本では 2017年5月に 伊藤詩織さんが 民亊訴訟で 告訴しています 『Black Box』も 出版されました ソ・ジヒョンさんと 伊藤詩織さんが 会っているところは 韓国のメディアでも 報道されました

ku too運動 は 石川優美さんが 2019年に ツイッターで 呼びかけて 始まりました  広がらなかったのではなく メディアが 報道しないことが そういった 状況認識を 作っているのだ という理解が 韓国内部に 広がりました

共通の 背景として 日本では 2016年の保育園落ちた日本死ね や  2018年の医学部不正入試問題  2019年の前田健太郎「女性のいない民主主義」出版があり それらが ジェンダーの視点からの 根源的な 再考を 促しました 

2021年は 日本は 女性参政権 75周年でした しかしながら 衆議院選の 女性当選者は  45人/456名 でした これには 様々な 原因が 考えられました 女らしさ ジェンダー規範 家事・ケア労働の 大半を 女性が 担っていること 等々 世界では 国連が クリティカル・マス比率として 30%政策目標を 提示しました 日本では 2018年 「政治分野における男女共同参画の推進に関する法律」で 35%を 目標に 掲げました しかし 2021年は 9.7%だった

ただ この数値に 対しては 46%の 国民から 問題ないとの 回答が ありました 改善に向けた 社会認識を 共有していないんですね  これは 主要な マスメディアに従事する 女性は 20% 管理職は 5% なので 女性の声が アジェンダ設定に 反映されにくい 状況が あることが 原因と 考えられると 思います 2019~現在まで 続いている フラワーデモ のことも ほとんど 報道されていません しかし 多様な動きは 起こっていて その一つとして ku too運動 も あげられると 思います

日本の 女性運動の 不振は 日本の フェミニズムが おかれている 固有の 問題も あると 思われます 日本は なぜ MeToo運動の もりあがりがないのかは フェミニズムのような 対抗勢力が なかったからではなく それによる ジェンダー・バックラッシュ(反動)が あったからではないかと 思われます 戦後 日本の フェミニズム運動は 保守陣営から バックラッシュを まねき 2000年代 フェミニズム離れが 起こりました フェミニズム運動は 中産階級級の 高学歴の 女性の 運動だというふうに 言われるようになって  大衆的な 基盤を失いました 

そうしたなかで 「K-フェミニズム」⽂学 が 受容されていったんです 文学を媒体として K-フェミニズムの 受容が 起こりました その 呼び水となったのが 『82年⽣まれ、キム・ジヨン』 でした 異例の売れ行きは 翻訳者の 斎藤真理子さんも まったく 予想しなかったことでした
それを ひきついだのが 文藝の 特集号 である 「文藝」2019年秋季号特集「韓国・フェミニズム・日本」 です 文藝は 1933年の創刊以来初の 86年ぶりの3刷、増刷 となったそうです


その後 K文学 K-フェミニズム翻訳が 本格化しました 韓国のベストセラーは いま 時差を 置かずに 日本で 販売されています 例えば この本は 江南(カンナム)駅殺人事件から 韓国のフェミニズムまで 幅広く 紹介しています よく売れています この本は K-フェミニズムの バイブルと 言われている本です  エッセーのジャンルにも 広がりました 出版社ー翻訳者ー公共機関の 協力体制の 相乗効果で 進んでいます 要因としては 共感だと いえます 勉強しなければいけないフェミニズから 日常への 転換があります 学問としてのフェミニズム は 多くが わすれられてきました その穴を 『82年⽣まれ、キム・ジヨン』 が 大きく うめることになったのだと 思います

『82年生まれ、キム・ジヨン』がなぜ 日本の 読者をとりつけたのか 内容を かんたんに 紹介すると キム・ジヨンは いまは 専業主婦です それまでの おとこのこを 優先する価値観や 妊娠・出産による キャリアの断絶 などが ドキュメンタリーのように  コラージュのように つなぎあわせて 書かれています 


これを読んで 韓国女性は 怒り (絶望)  日本女性は 泣いた(涙)と 

泣かずには よめないというツイートが 日本のSNSに 多く 投稿されました 韓国のIMF世代(※1998年2月に大学を卒業したIMF経済危機世代)と  日本のロス・ジェネ世代が 共鳴したというような 分析もあります 斎藤真理子さんは 「誰でも 自分の経験を 投影し 読める テンプレート小説」 と 評価しています 女性ならだれでも けいけんのあるようなことの パッチワークのような小説 これを読めば だれでも あるある感があると 


韓国側の 日本の その現象に対する 解釈は 一面的かと 思います 『対談 斎藤真理子×鴻巣友季子 世界文学のなかの隣人』 のなかで 斎藤真理子さんと 鴻巣友季子さんが 驚きを 共有しながら しかし 日本文学の 中にも フェミニズム的なものも あった と 指摘しています 

それでは 日本の近現代文学には なくて 『82年⽣まれ、キム・ジヨン』 に あるものとは なにか? 鴻巣さんが 翻訳 という 一段階が はいっているからではないか と おっしゃっています また 斎藤真理子さんが 「キム・ジヨンだから よんでくれるのであって 佐藤由美子では だめなんです もしも 佐藤由美子という なまえで 日本を舞台に かかれていたら きっと これは よまれなかった」 と 面白い表現を しておられます そして 鴻巣さんが 日本の女性作家が 書いたとしても おそらく 男性の編集長に 直されただろうと 言っておられます 

そういう意味では 翻訳作品も 日本文学の 一部 なんですよね 翻訳文学も 様々な段階で 作動すると 思います 翻訳が 働く 距離感が 比較的 自由な出版を 可能にして 安心して 読者が 読めるように したのだと 日常の言語が 不在で これを 言語化するための 素材として K文学を 発見したのではないかと 思います

『82年⽣まれ、キム・ジヨン』は 脚注が たくさん ついていて それは 韓国の 性差別の 情報を 日本に 提供する カタログになっています 翻訳者の斎藤真理子さんが 数えたら 49個 ついていた  親切に つけてあることで それを 理解していくような 楽しさが ついているのではないかとも 私は思いました 読者に対応して こういった戦略は とられているんだと 思いますが 「サブカルの次は 文学が くるのは どの国も 同じ」とは 金承福(キム・スンボク)・ 出版社クオン代表の 発言です

最後に Kフェミニズと日本型・民主主義の ゆくえとして まとめたいんですけれども 
K文学を 日本の未来として 読みうることも 可能だと 斎藤真理子さんが 発言しています 1990年代の J文学ブームが あります 景気不況の中で 突破口を 模索するために 雑誌 文藝が J文学ブームを 企画しました 結局 短期間で 終わってしまったので K文学も そうなる 消費ブームに終わる 可能性も あるかもしれません  
もうひとつ かんがえてみたいのは K文学のキーワードになっている 連帯と 共同体 です これが 日本の 変革の ためになるかは 今後 注目されるところだと 思います 

日本社会が K-フェミニズム文学という 文学的資源を 領有しながら いかなる方向へ 今後 進むのか 日本民主主義のゆくえが 注目されます まさに 現在進行中なので わたしの 報告も オープンエンドの 結論になってしまいますが 以上で終わります



※講師:⾦美恵先生の代役:高 榮蘭 (コウ ヨンラン)・日本大学 文理学部 国文学科教授
テーマ:「居心地のよい(?)フェミニズム」の全文起こし

私から ⾦志映(キム・ジヨン)先生の講演への質問をまとめると 以下の4点になります
1)『82年⽣まれ、キム・ジヨン』は はたして フェミニズムの もんだいなのか?

2)日韓の 歴史問題をめぐる 対立的な構造から 自由なのか?

3)日韓の マジョリティーの女性たちが 受容してくれないと ベストセラーにならない というかたちの 連帯が 可視化されていないか?
どうしても 可視化されているように 見えちゃう 普通 ということばが 一番 わたしは 怖いんですね 30年 日本に住んでいる 私を 周りは なかなか みとめてくれない 一生死ぬまで 普通 に 私は はいれないんじゃないか そうじゃないかたちを かんがえるとき 普通 っぽい ということばが いかに ぼうりょくてきかを かんがえたときに だれかを きずつけているのではないかと ちょっと かんがえました

4)韓国、 K、 とはなにか?

以下、雑感を述べますと 純文学の枠組みとずれるところで 多分 受容されていると 思うんですけれども 日本語による 日本人のための 日本文学 は 韓国より 開かれているように 見えちゃう  韓国語による 韓国人のための 韓国文学は そうはいきません  そういう中で このかたは あいだ ということばを つかっているんですけれども 外国人とだけ つながっているわけではない 一人の人間の中でも いろんな 人が まじっているんだよと 作品で 提起している 

にほんでも かんこくでも ながいじかんをかけて おきてるんですね  日本は 2019年 移民 ということばが ようやくでてきた 私 日本に 30年いますけど はじめてききました 日弁連が 移民はうけいれる しかし 難民は 受け入れないよ にたいして 抗議書を 出していたのを よみました 入管の機関紙も よみました 

ふつうは なにか ぶんがくのわくぐみは なにか かんがえなけれないけないじきに われわれは きてるんですね  

日本は ふつう ということばを そこで てばなしては いないのですね  それにたいして 韓国では どういうふうに このしょうせつを よまれているか?  異性愛中心のフェミニズム おんなとおとこ というわくぐみを これは 非常に つよくしてしまうのではないか? そういう 構造のなかで 利益を 得ることが 可能な いごこちのよい フェミニズムのわくぐみを これは もっている ただ じぶんを 傷つけるような するどい いたみを ともなうものではないから 『82年⽣まれ、キム・ジヨン』は 日本で うけいれやすかったのではないか

2016年ぜんごに 日本で なにがおこっていたのか? 保守化 です 小池百合子さんが 秋葉原で コスプレを なさった こういうことに なりながらも MeToo運動だけでなく シールズ など 不当に感じたら 声を出すことが 浸透してきたんだよ というのが ありました 反原発だけでないんだよ というような こえをだしあうような ながれは でてきていました
 
小林よしのりが さいきん まともにみえてくるのは なにかなと おもうんですけれども やはり 排外主義的な 流れへの反発 その代表が 女性対女性の 戦争が まるで おきているような感じに これらの広告で このように 視覚化されている それをみて そういう解決でいいのかと 考えざるを得なかっということが あるのではないか 

ネットあるあるの 鬱屈した 女性たちに MeToo運動の 彼女たちは 当てはまらないという 声が出ています それは 何かいうと はたしてそうでしょうか と 必ず 女性側から 声が 出てくるんですけれども  家父長制の 枠組みにたいする 反逆では ないんですね 守られている枠組みの中で 物語は 語られています それを わたしたちは どう考えるかの 問題です 

右傾化した 女性たちは 女のなかの 差異を とらえなおすようなことを われわれが 提起したと おもっているんですね まさに その 歴史の流れの 逆をいくような このような議論に はたして わたしたちは のっかっていいのか どうか? 以上です


※質疑応答の全文起こし

モデレーター:具裕珍(ク ユジン)・東京⼤学EAA特任助教
高 榮蘭 (コウ ヨンラン)先生から 質問と 論点にたいするかんがえを いただいて ふろあーのみなさまも かんそうでもなんでもいいですので ちゃっとで 書き込みしていただいても このあと まじわりしながら おはなししていただいてもいいかと おもいます

キム・ジヨン
本当に論点が 10こでも おさまらない たくさんあって いくつか おもいついたことを 中心に お答えしたいと 思います 

わたしも 日本にいた じかんが けっこう ながかったので 入管で 起こっているできごとを みています 国境を 管理する場面で 暴力が 生のかたちで 起こっている と 感じました 文学の場では 日本文学の中の 李琴美さんですとか たような ばっくぐらうんどを もったひとたちが 文学賞をとったり 中心に 進行していく うごきがある一方で 日本語で かかれた 言語ナショナリズム は まだ のこっていると 感じます 取り入れたいものは とりいれる しかし 日本の文学にある 言語ナショナリズム は 確固として 動かないものがある 翻訳して 取り入れる時に おなじような 力学は 働いているんじゃないかなと 思います

これだけ読まれたのは あるいみ 日本の読者が ここちよく うけいれられるものだったからじゃないかなとの ご指摘は そのとおりだとおもいます 『82年⽣まれ、キム・ジヨン』 が 話していることは 日韓のあいだの 慰安婦問題といった 経験と 距離をおいて いごこちよく 自身の経験 連帯を 語ったりできるような 側面が まさに あると思います おしゃれな 表紙 の 側面も あると 思います そうした中で 何を とりいれ 何を とりいれないのか うけいれられるものと 拒否されるもの さいしょから なかったものにされるものが あって たしかに 先生の おっしゃるような そこには 入らない 見えていない 女性たちがいて 実際 「在日だから」「しょうがいをもっている子がいるから」 これに あてはまらなかったと そういう声も たしかに  ありました 
溝の 再生産に 警戒は しなければいけないと おもうんですけれども 単独で みるのではなくて テキストとして 開かれる可能性も もうすこし 注目されるべきかなと わたしは 思います 

韓国文学も K-フェミニズム 一枚岩では ありません 差異 マイノリティーたちの声で いま ちゅうもくされているのは LGBTQ  しょうがいをもったひとたち です 日本に翻訳されて しょうかいされたり 『ひとり』(キム・スム) という 作品 慰安婦証言集から 小説にしたもの も出ています ここから 開かれていく 可能性も いっしょに みていけるかなと おもいます

小林よしのり でてきましたけれども ヘイト・ブームの本が 本屋さんに たくさん 並んでいます ひとつの対抗する 多様な声 が そこに そんざいできることも わたしは いみが あるんではないかなと 思います 女性たちの 右傾化については 私は 専門ではないので ぜひ 具裕珍(ク ユジン)先生に 伺いたいなと思います

具裕珍
右派は 平等社会よりは 家父長制を 支える言説に なっているんですけれども なぜ自由になる フェミニズムよりは 旧秩序を 秩序と 女性たちはするのか? という 古い 問いが あるんですけれども 日本の 男女共同参画に 反対しているのもまた 女性である とは どういうことなのか? 私は うやむやにしながら 今日の話を きいていたんですけれども 息詰まった時に 文学というのが ひとつの 切り口として にほんしゃかいを みる目を 多様化するのではないかなと 思いました ちょっと 私としては きぼうが あたえられた その会にもなったと 充実感を 覚えています 時間超過して 司会者として ほんとうに申し訳なく思います いったんここで この会は 終わりにしたいと思います キム・ジヨン先生 今後のご活躍を 期待しております 参加してくださったみなさんも どうもありがとうございました

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