一週間刻みの眺め(長め)サイト(笑)

今週、引き出しの中に容れたもの。

2022/2/21(月曜日)から今日まで。(第19週ー前半②)






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2月23日(水)
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※きょうは、ノーペン🖊デー&ノー勉📖デーにつき、通常のメール・チェックと、レター書き、ウェビナーと、YouTubeライブ配信視聴はお休みです(笑)。




「挿し木はな ハッポースチロールに 

鹿沼(カヌマ)土 を 20cmくらい 入れてな

元は 50㎝くらいの こんな 小っこい 枝を 植えてなアー…


この土は よう 水 持ちよるんでな」

(85歳、美原区、畑仕事)




「ハッポースチロールはな みな
上のふちが あねん 減っとる


親方と一緒で 年数 

よう 経っとるでなァー」 




「猫柳も 挿し木や


親方が ぼけとってもな 

時季きたら 綿毛出て

膨らんどるよ


猫柳も こねん なってきたら

先っぽ 一本、二本 折ってきてな 

家ん中に 飾ってやれるでなァー」




「あっちが ラナンキュラスの芽に

こっちが 菊の芽に そっちが 水仙の芽や


大渋滞に なっとる 

親方が 植えたん 忘れて 

別なん 植えとるよってな


大渋滞に なっとっても 

大っきならなアカン思うて 

伸びとる


チューリップの芽や 思うた てか?

おぅ、チューリップも 植わっとろう🌷」





きょうは、いつもの往復18㎞強の道を、約2時間50分かかって完走しました🏃

私の怪しいiPhoneの計器では、23.1㎞、26,889歩と表示が…

坂道はぜんぶ歩き、帰りは時々、夜梅の甘い香りにクラッとなりました(笑)

あと、30分タイムが縮まったくらいでは、留守番していたニャンらからのおねだり行動は、全く変化なかったです🐾🐾

(堺市、ウチ)







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2022年2月22日(火)
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朝は、オトン(元ウチの人)からのメール・チェック(備忘録的なものなので、読み飛ばしを)。


「昨日は定番のキムチ鍋。明日、明後日と午後から仕事なので、今日、明日と、夜は外食です。多分泊まりです。



夜は、菟田野のお義母さん(84)に、ラブレター書き(笑、同上で)。


「おかあさんこんばんは😊きょうも、西心斎橋 ゆうのさんのコースから、奇跡の(?)一枚をお届けしますね😍きょうは「向付(むこうづけ) 」から 刺身の 「多分、タイ、イカ、のどぐろ」です🦑「写真のネタは、トロ、イカ、鯛、赤貝、炙りカツオ、 のどぐろ、グジ…の中のどれかに当たりそうか?」などと、誘導尋問的に聞いていったら、トウサンが見事に思い出してくれました🙄あと、納豆醤油・梅肉・昆布醤油という三種のお刺身醤油が出されたのも、思い出してくれました🤤

話はいきなり変わりますが、おかあさんの捻挫された腕は、右・左どちらでしたか?💪ワクチンの三回目接種は、腕が痛くなる人もいると聞いています💪もし、捻挫していない方の腕に打ってもらったら、両腕が痛くなってふさがってしまいかねません😱できたら、ワクチンは、捻挫した方の腕に打ってもらった方が、一時でも、都合がいいかなと思って、おせっかい発言、させてもらいました🙇やっぱり、おかあさんのことだから、とっくに、そのお心積もりでおられたかなあ?😉

それでは、今夜もお互い、身体ぬくぬくモコモコで、おやすみなさい😴💤✨」


※きょうは、お義母さんから返信ありました🌇

「ねんだ(ざ)まだいたくて思うように何にもできないの
左で良かったですと思っています
使えないのでとりあえずしんどいけど。
気をつけて生活します
ありがとうおやすみ」


それが済むと、2/19(土)開催の要事前申込のウェビナーの見逃し配信を視聴させて頂きました。

テーマは、

【オンライン】シンポジウム「みんな違って、みんないい」に違和感あり! 
ふらっと 人権情報ネットワーク

※資料②に、ディスカッションの全文起こしがあります。


今夜は、ゆうのさんの「向付」 の「多分、タイ、イカ、のどぐろ」の「写メ」をアテに
「猫ちゃんたち」と晩酌しました🥛☕



「イカさん🦑を納豆醤油につけて、納豆も食う❓なっとくう〜🤭」「ニャッとくしちゃダメ…😿」





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資料のイメージ
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※ウェビナー(Webinar)とは、ご存知のようにコロナ禍、私たちの日常に、新たに加わった "ウェブ(Web)" 開催の "セミナー(Seminar)" のことです。
※画像が大きくて申し訳ありません🙇‍♀️


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※②

2022年2月19日(土)

ダーバン+20:反レイシズムはあたりまえキャンペーン 
シンポジウム「みんな違って、みんないい」に違和感あり!
―「ダイバーシティ」でホントにいいの?
◆主催: ダーバン+20:反レイシズムはあたりまえキャンペーン
◆協力: 市民外交センター、人種差別撤廃NGOネットワーク(ERDネット)、Peace Philosophy Centre、ヒューライツ大阪

◆プログラム
第1部 ダイバーシティ(多様性)への異議
 発題1:  「マジョリティの特権とは――レイシズムの観点から」出口真紀子(上智大学)
 発題2: 「なぜ「多文化共生」ではなく「多民族・多文化共生社会」なのか」丹羽雅雄(弁護士)
 対話:「ダイバーシティ」のどこが問題か~教育を切り口として
モデレータ:榎井縁(大阪大学)
第2部 ディスカッション「ダイバーシティ推進で何が起きているか」
    モデレータ:藤岡美恵子(法政大学)
    発題1:大阪市の「多文化共生」指針(藤本伸樹・・ヒューライツ大阪 研究員)
      発題2:カナダの多文化主義の経験(乗松聡子・「アジア太平洋ジャーナル:ジャパンフォーカス」エディター)
Q&A
閉会挨拶


※ディスカッションの全文起こし


>丹羽弁護士へ 強制連行という言葉を 使用しないということが 閣議決定され 各教科書会社が 削除しました これについてどう思われますか?



丹羽雅雄(にわ まさお)・弁護士、日本弁護士連合会人権擁護委員会国際人権部会長


今の点はですね 昨年の4月27日に 内閣が 従軍慰安婦 という語を 用いることは 誤解を招くと 単に 慰安婦という 用語を 用いるべきであると それから 強制連行 もしくは 強制的に 連行される または 強制された という 文章は 適切でないと よってですね 徴用 というのが 適切であると これが 閣議決定をして さらにですね 検定済みの 教科書についても 教科書会社に 訂正 停止申請を 勧告すると こういうことが 示唆されましてね 現実に 昨年の 5月から 文科省が 教科書会社を 対象にして 臨時の説明会を 開いて 訂正申請 のスケジュールを 具体的に 示すという 形で 事実上 支持した と こういう 形です まあ これについては ですね 本年の2月17日 日弁連としてですね 会長声明 これについてはですね 国家 政府による 教科書内容の統制 と 評価されるべきものであると よって 憲法の主旨 これは 憲法では 行政の 過度の 教育権への 介入でございますから 憲法26条 教師の教育の自由 子どもの学習権を侵害する こういう 憲法の 主旨から とうてい 許されないと こういう 日弁連の 会長声明を 出しております よろしいですか



丹羽雅雄さん |「意識」が「制度」を支え、「制度」が「意識」をつくり出すという意味で、私たち多数者の「意識」が今日の日本の外国人法制を支えてきた。これからは、同じ地域に住む市民・住民として認め合える「意識」と「制度」をつくっていかなくてはならない。




>出口さんへ  企業研修で 男性の特権を伝えようとすると どうしても 男性も ジェンダー規範により いきづらさや 苦労を かんじているのではないかと いう反応が 来ることが 多いように 思います どういうふうに その 男女の場合のちがいを 整理できるでしょうか? 



出口真紀子・上智大学外国語学部英語学科 教授


男性も 生き抜くい 男性も つらいんだ ということでね 男性特権の自覚に なかなか つながらない という お話だったと 思うんですけれども わたしが だいたい いつも いうのは 男性が ジェンダー規範で つらいのは すごく わかるんだけれども だからといって 女性がつらい といったことは 関係ないですよね 女性は 女性で つらいわけで だから つらい 愚痴を 言う 先を やはり 制度を つくっているがわ 権力の ある側に うったえてほしいなと いうふうに 思います 女性も つらい 男性も つらいで  そこで 女性の つらいことを ないことに しないで ほしいなと いうふうに おもうんですね だから やはり そこで どうしても その 男性 女性の 権力の 非対称性 というのが  ありますし そもそも やっぱり 誰が 元の 制度を つくってきたのか 権力を 持って やってきたのか っていうところに 焦点を あてて いかなければ いけないのかな という風に思います たとえば 健常者が 障がい者に 健常者だって つらいんだ という 図式は おかしいですよね それと 同じように おかしい 図式 なんじゃないかなと 思います やっぱり 大元のね 構造を 変える方に ぜひ ちからになって いっしょにね たたかいましょう っていう 方向に いきたいかなあというふうに おもいます 


>民族差別においては 日本で 日本人が ゆうぐうされるのは 当然と 考える人が 結構 いるのではないか そういった ひとたちに対して どのように アプローチしたら

 よいでしょうか?


出口
民族差別において 日本は 日本人が 優遇されるべきだという 考え方にね どのように 教育していったらいいのか っていうことに ついてなんですけれども やはり 私の 考えは グローバルな 視点を 持つことが ひつようじゃないかなと 思うんですね 


日本は やはり 国際社会の 一員であり 例えば わたしなんかは 日本人で 日本国籍 保持者ですけれども アメリカに 渡った時に 就職するときにですね 国籍をもとに 差別してはいけないという アメリカの法律が あるので わたしは かならず 面接では 一度も「 あなたは アメリカ人ですか?何人ですか?」って 聞かれことがありません むしろ 聞かれたら 訴えられます なので そういったところで 私は すごく アメリカの ほんとの意味での 実力主義で 民族とか 人種とか ジェンダーとか 年齢とかで 差別をしない ということを 掲げている国の 恩恵を 凄く 受けて 本当にそこは 感謝の気持ちが 深いです 


そういった ポジティブな 気持ちに やっぱり いろんな 人が なっていくということで だから 日本も そういう 社会に なっていけば 日本も 国際社会の中で 「なるほど 日本ってすごく こういうところは ほんとに みんなを 平等に あつかってくれる ほんとに いい国なんだ」っていうことに なると おもうんですね 


いまも コロナで 政府が いろいろ ボーダーを シャット してますけれども いま 上智大学も ほかの大学も そうですけれども 海外留学生が 入ってこれないんですね でも 彼らの 大学は 日本人留学生を 受け入れてくれてる わけです でもだんだん こういうことを ながながと やってると 「日本は こっちは うけいれているのに 日本は 受け入れてくれない国だ」という リピテーションが どんどん 下がっていきます 


ですから やはり もうすこし グローバルな 視点をね もつことも ひとつ 大きな意味で 「これから わたしたちはね 島国で 生きて いくんではないと グローバルな 社会の中の それこそ 人権感覚とか そういうものを もって 平等性とか 公平性を われわれの中で ちゃんと 持って 国際社会の 一員として 生きていくんだ」っていう メッセージを 教育の中で やはり 発していく 必要があると 思っています 以上です



>藤本さんの 発表の 例えば さきほどの大阪市長の 発言などを 見るに やはり これは 日本人の特権が 荒らされることへの 不安の 現れなのでしょうか?  


>出口さんへ このことを マジョリティーの特権 という 観点から見ると どういうふうに 理解したら いいんでしょうか 或いは 参政権を 与えるならば 日本人に ならなければいけない というような 考え方に みられる 日本人というものと 外国人というものとの あいだに  明確な 線引き をしているわけですが それが 現実的に 悲劇だということは わかるんですけれども そういう 明確な 線引きを していることじたい こういったものは なにか 意味があるのでしょうか?あるいは それらを マジョリティーの特権から どういうふうに 考えたら いいのでしょうか?



出口

有難うございます とても 難しい 質問だと 思うんですけれども 私は アメリカが 長かったので アメリカを ベースに 考えて しまうんですけれども やはり トランプ政権が 誕生した 背景には やはり 白人男性異性愛者の特権を 守ろう という動きですよね 特権を守るために すごく いろんな人たちが 立ち上がったというように 私は とらえています 


でもそれは やはり アメリカの 人口の変化は 明かに あと 30年くらい たてば 白人が マイノリティーとくらべて ちょっとね 49.9999%に マイノリティーに転落する 瞬間というのがね あと 何十年か たったら あるわけなんですね そういう 現実として あるわけなんですが そういうことに 危機感を 感じているというのはね あるんですね 


ただ一方で すごく 白人という層は あらゆる ところで 権力を 持っているので マイノリティになったからといって 簡単には 権力は 揺るがないはずなんですけれども ものすごい 危機感があるということを 考えると

 
日本なんかだったらね 日本人は本当に 大多数派な わけですよね? 90何パーセントいて それが そんなに早く 別に 移民に 扉を 開けている訳じゃないので  そう 比率は かわらないのに ここまで 「日本人になれ」だとか 「こくせき変えろ」とか 「日本の国だけじゃないとだめだ」とかね  言ってるっていうのは ほんとにね ひとつには 特権の 無自覚性とも いえるのかなあと まあ 思います 


つまり 特権に 無自覚で あるからこそ すごく マイノリティーたちの ことが 怖いとかね いまは 平等が あるのに マイノリティーが ちょっとでも はいると 自分たちの 特権が 凄く 脅かされるっていう 妄想みたいなものを もっているんだなあというのが 凄く わかります 


なので 明確な線引きに 私はね まだまだ ぜんぜん 意味がない 本当に 圧倒的な 日本人マジョリティーが 権力を 持っている というふうには 凄く感じている しだいです ほかの方が もっと いい 考えを もっておられるかも しれませんけれども 私からは 以上です





>丹羽さんへ
要するに いまの 多文化共生指針というのが 権利行使の主体であるということを 外国人に 認めていない ということになっているんですが 権利行使の主体が 国籍と 結び付けて 考えられている これっていうのは  日本では非常に 根強い考え方のように 思われます これの背景には いったい どのような 日本社会の 構造なり 問題点なり あると お考えなんでしょうか?



丹羽
まあ 国際連合を 中心とした 戦後の社会を どう考えるか まあ いちじるしい 人権侵害が あったわけですね そこで 人権侵害 人間の尊重 人間の 本質的な平等の 確保はですね 国内的関心事項ではなくて 国際的関心事項であると 戦争は 最大の 人権侵害であり すべての人民と 国が 達成すべき 基準としてね すべて 人間は 生まれながらに 価値をもち 平等であると これこそ 世界平和につながると まあ こういうことでね 1948年 12月の10日 要は 世界人権宣言から はじまるんですね  この 世界人権宣言の ポイントは すべての人民と すべての国が 達成すべき 共通の 基準としてね すべての人間が 生まれながらに 価値をもち 平等であると


で その後ですね これはまあ 宣言ですけど 国際人権規約がね  要は 植民地化された 人民の 自決権をまず 社会権規約と 自由権規約の どちらの 冒頭にも まず 入れるんですね そして 人権規制は すべてのものと 主体は すべての人たち すなわち 管轄にある すべての個人ですね これについて 権利 人権というものを ヒューマンライツ ですね これを 保証しなくちゃいけないと 


これがまあ 普遍的な 人権思想に なったんですが 日本は 先ほども 述べましたけれども 敗戦直後は 政権停止ですね  それから 憲法解釈は 要するに 日本民族ですね 日本国民 なによりそこを 保障するという 憲法解釈が 憲法の中で 言われている 


それで 同時に 憲法明文 そのものも 日本語訳ではですね 国民 という概念を使って 冒頭にですね 日本国民は 国籍法によって 規定するのだと 国籍法によって 人権の保障の 対象を 決めると 誓書によって 日本国民以外の人も 保障する といいながら 判決では 在留資格の 枠内で あたえられてるに すぎないとか そういうような ある意味で 日本国民 イコール 日本民族と こういう 日本国籍か 外国国籍か という 二元的な解釈 というのが ずーっと 続いておると 


これを いかに 脱却するのか ということで 市民概念というのはですね 自由権規約の 参政権の 項では 市民 という言葉を つかっているんですね で 市民概念が 日本には ない  で 住民基本台帳は 外国人住民権 が あるわけですけど にもかかわらず 地方自治における 自治には 参画を 認めない まあ こういう 状況なので すべてのものという 国際的な 人権条項の 規則 をですね こういう 今の 現状から 脱却して ですね 市民社会に 規範としてですね 広げていく必要があると まあ 今はむしろ 逆方向に きてますけれども(笑) かならず やらなくちゃいけない というのを 思っています 以上です。 



丹羽雅雄さん | 日本の政府の狙いは、「多種多様な教育」という口実のもとで、朝鮮学校が行う「民族的・文化的アイデンティティ教育」を排除しようというものではないでしょうか



モデレータ:藤岡美恵子・大学院非常勤講師(国際人権論)、IMADR事務局次長


おふたりとも ありがとうございました いま 最後に おっしゃった 市民という 規範を 広げる必要がある ただし今は 逆境に ぶちあたっているという お話でしたが まさに そこが わたしたちが 依拠しなければいけない そうでなければ 日本は しらないうちに 国際社会の中で どんどん 孤立していくのではないか そういう状況に あるとおもいます 


さいごにひとことだけ ダイバーシティ 多様性の 言葉の下に なにが かくされているか 今日は 少しだけでしたが あきらかに できたのではないかなと いうふうに おもいます 


その際に やはり こころに とめておくべき キーワードは 公正・正義・多様性というよりむしろ差別 あるいは 平等・そして 権利という ことば ではないかなと いう風に思いました 


そういった言葉が きちっと 認識されて そしてそれが 政策の中にも 反映されていくような そのような 多文化共生や 多文化主義でなくてはならない で それを はばむような 要素があれば それをまずは きちっと 認識していく そして それを みんなで 共有していく ということが 必要なんじゃないかなと 思いました 


あと まさに 出口さんが おっしゃった マジョリティーの特権を 意識化するというところから やはり はじめなくては ならないかな ということを あらためて つよく 思いました きょうは たくさんのことを おしえていただき ありがとうございました


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