一週間刻みの眺め(長め)サイト(笑)

今週、引き出しの中に容れたもの。

2022/2/21(月曜日)から今日まで。(第19週ー後半①)




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2月24日(木)
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※きょうも、ノーペン🖊デーにつき、通常のメール・チェックと、レター書きは、お休みです(笑)。


夜は、要事前申込のYouTubeライブ配信1つに参加しました。


テーマは、


「部落差別(同和問題)の現状と課題〜部落差別解消推進法施行5年目を迎えて〜」
講師:山本崇記・静岡大学人文社会科学部准教授


※資料③に、講演と質疑応答の全文起こしと 

ウチが作ったSNS資料へのリンク紹介も ちょこっとだけ あります(笑)





「花粉やのうて風邪やと信じてる🤔」「猫アレルギーかもしれへんで❓😹」






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資料のイメージ
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※ウェビナー(Webinar)とは、ご存知のようにコロナ禍、私たちの日常に、新たに加わった "ウェブ(Web)" 開催の "セミナー(Seminar)" のことです。
※画像が大きくて申し訳ありません🙇‍♀️


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※③

2022年2月24日(木)


「芝大門人権講座<2月> 
「部落差別(同和問題)の現状と課題〜部落差別解消推進法施行5年目を迎えて〜」
講師:山本崇記・静岡大学人文社会科学部准教授
https://www.jinken-library.jp/news/detail/96836/

https://www.youtube.com/watch?v=FosrXo3cAiA



※講演の全文起こし


きょうは 諸事情により オンライン報告 という形になり 衆議院の方でも ウトロ(京都府宇治市のウトロ地区)でおきた ヘイトクライムの 院内集会 がありましたけれども そちらの方も  残念ながら オンライン参加になったんですけれども やはり 差別は 過激化している 状況が あるのかなと思います 


ヘイトスピーチ解消法 も 施行から 5年 たっていて 僕は 京都に住んで ずっと 部落問題に とりくんできて いまは 隣保館調査を 5年ぐらい やっているので その中で 何百 地域かの 訪問を させてせていただきながら かんがえてきたことを おはなしさせて いただいけたら と 思います 


これは こじんてきな 図式を 整理したものでしか ないんですけれども 部落問題は じゅうようなんだけれども 分かりにくいという 印象を もたれている ことが 多くて 部落問題は 人 と 地域で 見えてくる ことも おおいんですけれども それに 言及することで 差別が おきてしまうので センシティブに ならざるをえない 状況が いま あると おもいます アウティング というような 地名 所在地を あばいていくような行為 が ふえてきたことが 背景に あるようにおもいます

 

やっぱり 人と地域が 念頭にされる ところでこそ 見えてくる テーマが 部落差別 部落問題だと 考えざるを えない ところがあって ぼくのような 非当事者が 具体的に 考える 手がかりでもあって 教育啓発が 具体性を おびる 重要なものだと かんじています ま そこが いま いろんな事情で 空洞化が おきてるのかなと 逆説が 起きているのかなと おもいます


全国部落調査事件であったり 2016年の部落差別解消法の 法律の制定であったり 東京地裁の判決が 出たばかりであったりと 法律や判決も 重要なんですけども そういったものが 進む限り かえって 地域に 言及することに やはり 慎重で なければならないとの 当然の 方向に 向かっていくわけですね ただ そうなると ますます 部落問題 部落差別が 見えにくくなって 入りにくく なってしまうんではないかなという そういう パラドキシカルな状況が 非常に 気にかかっていて じゃあ どういう 手がかりの中で われわれが 部落問題を かんがえたり 差別を なくす取り組みを していけるのか ということを 考えていきたい ということが 報告の おおきな 基本ラインになります 


最初に 確認だけに とどめるんですけれども 国連の 人種差別撤廃委員会のなかで 部落問題というのは たびたび 取り上げられて いますけれども 近年でいいますと 法律ができたことを 歓迎しているというのがひとつ 大事な点かと 思いますけれども 一方で 婚姻や 就職 住居 で 問題視されている 差別が 継続していることへの 懸念 それから 戸籍情報や 所在地含めての インターネット上の アウティングですね それが 部落の当事者を さらなる 差別に 直面させているという 指摘と 勧告が 日本政府に 対して なされている ですので 法律が できたんですけども まだまだ 状況を 十分改善しなければ いけないことがあって 市民が 行動を 起こしていくことが 重要に なってくるのかなと 思います 



部落差別解消推進法は 第一条の 目的のところで なお存在していると 確認したことが 大きかったことと 改めて 国が 法律の中に 書き込んでいったことは とても 転機だったと 思いますし 状況の変化が 起きていると 確認したことが 大きかったかなと 思います 



部落差別解消推進法(第一条)は、部落差別の存在を初めて法律で認めた これ、戦後初めてです これ、大変大きいです 今までは、差別があるかないかでぐちゃぐちゃとなって、どうすればよいかの議論ができなかった これからは「いや先生、法律を守った上での議論をお願いします」と言えるようになった


定義が 確立していないと 言われて来たんですけれども 行政的な 定義が 踏襲された というのかなと 思います どういうふうなものなのかが ここでは かかれているんですけれども ただ インターネットで 起きている 差別は この定義では 包摂できない 部分があって ぎもんが ないわけでは ありません 「我が国固有」 という この とらえかたも 国際的な 議論にしていく 上で 非常に リジットな(「硬い」「硬直した」「堅苦しい」「厳格な」)定義かなと 思います


 部落問題は いろんな分野からの 研究も なされれていて ひとまとめには いかない点で 行政的には 精一杯かなと いう気も しますが もうすこし 奥行のある 議論の余地は あると そういった 課題も 残されてる 思うんですけども そこから わかったことも たくさん あったんではないかなと 思います


第6条に 基づいて 行われた 調査ですけども 調査することで 差別に つながっていかないように 法務省は たいへん この点を 慎重にされようですし ここが 部落問題の 実態把握の上での 難しさかなと 思います 


私は 静岡で 調査を やっていますけれども 行政機関は どこまで 把握できているかは やや 批判的に 見ておかなければいけない と 思います とはいえ いま 調査の ハードルは 高くなっていますので 各地方で 行政調査を 踏まえて あたまをひねって やっていく必要はあるかなと 思っています 


部落差別解消推進法という 法律を 根拠として 識別情報の開示が ひじょうに 問題視 されるように なってきたということが 一つ 大きかったかなと 思うこととして あります 


もうひとつは 結婚・交際 差別意識が 残っていることに ついては やはりなかなか ここを のりこえることが できていない 建前上 いけないと わかっていても 結婚・ 交際 という場面で うけいれることが できていないことが あらためて わかってきたのかなと 思います 土地差別 結婚差別 から インターネット上の 差別への 同時変更が かなり リンクしてきている 部分もあると 国のレベルでも 確認されたことは 意義があるんじゃないかなと 思います


問題は 差別を どう 規制 解消していくのか ということですけれども なかなか 刑法上 同和地区の 識別情報を 適時 規制する 法整備は 日本では できていないことが しばしば 指摘されることとして あります 事実上 野放し 手つかず状態を うんでしまっています 自治体の モニタリングによる 規制 だけでは やはり 相手方から クレームを つけられるんじゃないか という 躊躇も あるようで やはり もう一歩 踏み込んだ 法務省からの 法的な 規制が 必要なんじゃないかなと 思います 


一方で 逆に 差別を 乗り越えて来られた 勇敢な 方々の 行動が とるに足らないこととして あまり 差別の 深刻さを 伝えきれないような もどかしさを 感じることもありました 


差別的な はがきが おくられてきた というような 直接的な ことにくらべると インターネット上の 差別は 被害が 深刻化していきます かつてとは 違うところが あることを 思うと これは 部落差別だけじゃないんですけれども 法的 社会的 対応が ますます ひつようになってくるんじゃないかなと おもいます ヘイトスピーチのことでも 対応が さらにすすんでいくと いいんではないかなと おもいます 


これは 2003年の差別実態調査 からですけれども 詳しくは 触れませんけれども にんげん以下に たとえる ダニとか そういったものに また 生かしておけない とか 言っている これが はがき として 送られてくる たくさん そういった はがきが まかれる そして 被差別当事者が 自力で 犯人を 特定した という事件でした 


そのちょっと 前には 東京・港区にある 有名な 私立大学の学生が 1999年 おおきな事件をおこしました これは いわゆる リアル空間で おこなわれた 部落差別事件でした


その10年前の 奈良の 水平社博物館 の 前で 起こされた 差別事件は まさに 被差別部落当事者を 前にして ちょくせつ おこなわれた 差別だったんですが 内容自体 共通しているところが ありました ここから インターネット テクノロジーの 変化の中で 拡散されるという 時代の 大きな変化があったことが まさに 確認されましたし 変化だけではなくて 差別 そのものが 非常に 攻撃的で 直接的になっている 現象が みられることが あきらかになったかなと 思います


このころから マッチポンプで つくったのではないか 自作自演ではないかと いうような 被害者たたきも 大きく 行われるようになり また 徐々に リアルな場所と インターネット上の ヘイトが まさに 同時進行で おこなわれるようになってきましたので やはり 差別は 過激化 していると 思わざるをえないと 思います 




川口泰司さん(山口県人権啓発センター事務局長)はこのテーマで講演始めたら、差別葉書が送られてきてんて。裁判したら「自作自演」やと二次被害受けてんて。で、娘さんに「パパ、もし私が攻撃受けたら守ってね」と言われながら続けてはるねんて。何かできへんかなー。当事者がまだ安心して声上げられへんのやったら非当事者が声をあげたいね




歴史上 20数件の部落が 襲撃されるというような 事件が 150年前から じっさいに おこってきたことでは あるんですけれども かつ 過激化 攻撃的に なっていると 言わざるを得ない さらに 匿名的に なっている かたちも ありますし この20年間 あるいは 15年間  部落差別は 深刻化していると かんがえざるを えないかなと 思っています


昨年の秋に 東京地裁の 判決が出てきますけれども まだ 係争中です 全国部落調査 復興出版事件 2016~2021 の被告にも なっていた 人物への 取材調査ですけれども 堂々と行う というところが 非常に特徴をとらえていると おもうんですけれども 居直った というか「結婚差別で 死ぬ人も 一人か二人くらいいるかと思った」と とんでもない発言を 法廷で 当事者を 前におこなって さべつを楽しむ  差別をかろんじる というようなところが あって 


鳥取ループは裁判初日の記者会見で「結婚差別で一人か二人くらい死ぬかと思った」と平然と言い放った。私はその言葉を聞いてぞっとした。差別によって奪われる人間の命を「モノ」扱いしていた。「部落差別はない」と言い放ち、そこに生きる人たちの不安や差別の現実を無視し、ネット上に晒し続ける。



ひとつは アウティング=勝手に暴露することと 当事者が カミングアウト=宣言する こととの 違いが まあ あまり 理解されてなかったかな ということを 見ていて 感じました



自ら 公にしている 人に対しては 東京地裁判決では 対象から 外されてしまっていました 


裁判の判決は勝訴したが、自分でカミングアウトしている人の一部、23人は自分の住所や個人情報、部落出身ということをアウティングされていても被害を認められなかった人たちがいる。カミングアウトしているアクティビストの人たちが認められなかったおかしさ。



私が言うことでは ないんですけれども カミングアウトとは そういうものでは ないんですね やっぱり ある特定の ひとにたいして 限定的なかんじで おそるおそる 告白したり してみたけれども あれでよかったのかなと 後で 思ったり 非常に 奥行きが あるものなんですね カミングアウトの 認識に乏しい 判決かなと 思いました



もうひとつは 『復刻 全国部落調査』による 人権侵害の でなかった 都道府県に お住いの 原告の 人たちは 判決の 対象にならなかった 問題が あります インターネットによる 被害の 広がりを おもえば カバーされるべきでは あったのではないかなと 思います 



除外された6県の原告の権利侵害が認めらなかった理由は、「全国部落調査」に掲載された地域と、原告の現住所または現戸籍の関係性が、なんらかの事情で「認めるに足りない」との裁判所の判断理由で、権利侵害が認められず、当該の6県は対象外になってしまったとのことです。



2018年 法務省の通知(「インターネット上の同和地区に関する識別情報の摘示事案の立件及び処理について(依命通知)」) が 出されていますけれども そちらの方が 部落差別について 踏み込んで 言及していると 思いますし 出身者 関係が 公開される 違法性が それにもとづいて 認められますし 判決よりも 踏み込んでいると 思いますし 裁判官の人たちは よんでいるのかなという 気がしています


日本政府と 国際社会が かみあっていない ここが やっぱり 判決の中にも 現れていますし 人種差別撤廃委員会から 指摘されているところ 国際社会から どうみられているのか が あまり 反映されていないことも 気になるところです まだもうすこし 係争していきますし 多くの人に 関心を もっていただきたいなと おもいます


模倣的類似的行為は ほんとに 多くなってきました 部落差別問題は もともと 週刊誌的な 対象で あつかわれてきた ことがあるんですけれども いまは 動画的に たくさん 扱われるように なってきました 


メルカリ というサイトで それこそ 裁判で 禁止された 出版物(「全国部落調査」が 販売されていた それを 高校生が 知らず知らずに 手を染めてしまっていた ヤフオクで 壬申戸籍が 販売されていた 法務省が 回収 封印しているはずなのに こういうことが 起きてしまっています 


篠山で 同和地区 撮影した 動画が 上がっている これは 酒井・兵庫県篠山市長が 市長として 明確な 対応をとった これは 今後 他の地域にも 波及されていくと 思うんですけれども 市長の態度 とてもすばらしいんですけれども できれば おこらなければ 一番いいんですね 


市長「いまだにこういうことをする人がいるのかと怒りわいた」 ドワンゴに部落差別動画削除命令
|丹波|神戸新聞NEXT


こういったことは 確信犯的に 無自覚に おもしろ半分に やってしまったと 動機は 多様 なんですけれども 差別訴訟を おこしてしまっている ここらへんが 部落差別の 深刻なことかなと 思います 


さきほどの 法務省通知2018 なんですけれども もうすこし 法制度を 判決に 反映させるような 積み上げが できていくと いいのかなと 思います 


悪質になっていく 理由 背景が どこにあるのかなというのは 私の推測ではあるんですけれども 20年と 研究期間は 短いんですけれども かかわらせて いただく中で わかってきたことは かつては イデオロギー的な 動機から 同和や 部落にたいする 否定的な 情報を 本や 冊子体で 発信する人たちが いた 今は 政治的な 背景よりも ねたみ そねみといった 逆差別的な 感情の方が 濃厚に なってきているような ところが 2010年代以降の ものに めだってきて いるのかなと 思います


それが たくさんの人に 第一情報として 入っていくだけでなく 当事者も 目にはいってしまったりすることが 事態が 深刻化していくことの 一端かなと 思います


部落地名総鑑が 1975年に 問題になって  1990年に 法務省の 回収が 終わるんですけれども それが ネット上に ばらまかれるようになって 90年代は かなり インタ―ネット上で 目立つ形で おきてきたことを もういちど おもいおこさなければ いけないかなと おもいます 


なので 法律ができたのは おそいくらいで この30年単位で 見ても われわれは 対応不足だったのかな ということを 感じます 地域対策事業の 法律が 終結に むかっていた ということもあって そちらに 目をうばわれて 対応を 怠ったかなと 全員が 全員ではないけれども 思います


具体的な ヘイトクライムでいうと ピラミッドの 頂点になるような 行為ですね 犯罪 状況が やっぱり でてきていて 何か 事件があると 部落や 在日に 結び付けて 攻撃していいんだ というような まさに 教育や けいはつでは 追いつかない 法整備が 必要な 状況に なってきていると 私自身は 感じます 


襲撃や 攻撃の 身の危険を かんじるような行為は たぶん もうすでに 起きていると 思うんですけれども やはり 早番 危機感は もつべきかなと 思います そういった中で 自治体の モニタリングによる 監視も 大事ですし その 後押しが 重要ですし 市民の理解も 必要かなと 思います


そんな中で 2019年に 和歌山県有田郡湯浅町で「湯浅町部落差別をなくす条例」が 作られたことは 好ましい 状況かなと 思います それを支えるように 和歌山県でも 2020年に「和歌山県部落差別の解消の推進に関する条例」が できていて こういった 国の動きと 連動していくのが  望ましいかなと 思います


法務省による インターネット上での 部落差別事象の 削除率は 55.7% と もうちょっと 積極的に とりくめるんじゃないかなと いうのは  現場での感覚も あります 省庁レベルで とりくんでいただけると いいなと どちらにせよ 限界は あるので ナショナルな レベルでの 法制度の 強化を 期待したいと思います


まとめになりますけれども 差別のかたちの変化は 古典的レイシズムから 新しいレイシズムへと 変化して ネット空間で 匿名的に 相互に 連動しあって ネットに そいういう 記事が 溢れれば 直接行動に プッシュ しますし 直接行動で そういうことが 起これば ネット上で 盛り上がります


そういったなかで 結婚差別は 泣き寝入りされて 部落差別は 存在しないという 誤解を うんでしまっている 難しさ で ピラミッドは 往復している 混然一体と なっている というのが いまの差別の かたちかなと ネットから リアルへ 往復があるのが いまの 差別のかたちかなと 思います


ついつい 「わたしは差別しません」 という 道徳的 態度が みられてしまうんですけれども もうちょっと 直視しなければ いけないかなと 思いますし われわれのなかにも 黙ってしまう みてみぬふりを してしまうことが ないかと 点検して 日常と 地続きであることを  特定の エキセントリックな 人の行為ではなく 浅はかでは あっても 真似たりも どんどん ふえてきますし 職場のとなりの同僚 母親 父親 から おきても ぜんぜん おかしくない 状況に どんどん なっていることを 考えることが だいじなのかなと おもいます 


マジョリティーも そういうふうに 想像力を もうすこし はたらかせて 具体的な 行動に おとしこんで いけないかなと おもいます いろいろなことが おきてしまってからでは それでは おそいんですね 


アウティングによる 被害の実装 こういった情報に 当事者が ふいに 触れてしまうことが ほんとに 頻繁に 起きています 歪んで 不正確な ネガティブな情報が 突きつけられてしまった 在日の 子どもから おかあさんが 「朝鮮人は 悪い人間なの?」と 聞かれる そうすると おかあさんは 絶句してしまう そういう 非常に 危険な 状況に あると おもいます 


まったく 逆のことを いいますけれども 個人情報 プライバシー保護の 法的強化で 地域での 具体的理解の 空洞化が 起こってしまうことを どう考えていくか という これも 考えていかなければ いけない問題が 起こっていると 思います 


アウティングが 進行しているために 部落にかかわる 譲歩が 抽象化されてくる それで 知りたいという 良心的な 問題意識 には 当事者による 発信が 必要になって くる けれども そこには おおきなリスクが ある 


いかに サポートし 寄り添えるか 行政が 知ることが 大事というのは まずいと 思います 差別の 重大さを 痛感するのは すごく だいじなんだけれども そこで おわってしまうのは 搾取しているだけですから やはり 緊急性 切迫性が あることを みなさんと 一緒に かんがえて いかなければ いけないのかなあと おもいます




バリバラでの トークセッションとか この5年くらいで かなり 目立つ様に なってきました 


【来週の #バリバラ は #水平社宣言 100年】3月3日ってなんの日?実は100年前 京都で大切な宣言が発表された日なのよ「なにそれ?興味ないな」って人もいるかも・・・じつは今の時代にこそ大切なものなんだってどんなふうに大切かって?それは番組で


が、これは 自分が 関心があるから 目立つだけで こういう報道が あると ネガティブな発信があり メディアの ネタに してしまうのは やっぱり よくなくて やっぱり 各地域で おこなわれていかなければ 社会は 変っていかない 法制度や 判決よりも セットになって やっていかないと こういうことに 敏感で なくてはいけないと 思いますし もっともっと 緊急性 切迫性が あることの 伝え方 を かんがえていかなければ いけないのかなあと 思います


部落産業の ブランディング(ブランドをつくる・構築するを ポジティブに発信していくことも 大事かなと 思います やっぱり シンプルに 私自身が 部落の方々と ごいっしょしていて ほんとに よくおもうのは 「このまちが 好き」と 堂々と 言えない もちろん 言っていらっしゃる方は 言ってらっしゃるんですけども ほんとに 制約されている これは やっぱり そうでないひとには 想像できないんじゃないかなと 思います 当事者も 当時者以外も 「このまちが 好きだ」と いっしょに 言える社会が やっぱり いいかと


 もうすぐ水平社100年記念を むかえますけれども そういう 誇りうる 環境が ほんとに つくれているのか というのが 環境を ととのえきれてないことを そこへの 問題提起として うけとめていくべきかなと 思います


地域の情報発信 交流の拠点を いっしょになって 大事にしていく 中で どのように 部落問題を 理解していくかの てがかりも えられると おもいますし やみくもに 人や 地域を 知る ひつようはないと 思います 逆に こうした 地域の 積み重ねを やっていかないと なかなか 水平社宣言で 言われているような 世界は 到来しないんじゃないかなと思います 


隣保館は 全国に 820ほど あるんですけれども あることで 差別の 対象になってしまうんじゃないか と なかなか 最前線に たっていなくて ここが もう少し 拠点に なっていけないかなと いうことで わたしたちは 活性化に とりくんでいるんで こういったことに 関心をもっていただくことでも 積極的アプローチへの可能性に つながるんじゃないかなと 思います


最後に てがかりとできることは 何とか具体的に 共同と行動は できるかぎり 部落問題が 具体性を 帯びたかたちで 解決していく方法で 法による 強い整備とともに とりくめるか ですが これは やはり わたしたち市民の 具体的行動に 関わってくると おもいます そういうことを 話せる場が より多く 地域にひろがっていくことが 部落問題の解決に 非常に 大きなことかなと 思います 以上で おわりたいとおもいます




※質問

>動機の変化についての 参考書籍はありますか?


レイシズムを解剖する  高 史明 著さん


日本型排外主義  樋口直人 著




>行政による 街づくりの 成功例の 発信を アウティングにならないようにしていくには どうしていけばいいでしょうか 同和地区ではない地区ではどうでしょか?


隣保館でおこなわれていることは 地元の 地域の理解が 基本ですので やぱり 地域が 地域福祉を おこなうことが 全国的には 推奨されているわけですけど そういう動きがないところで 行政が たきつけることは できませんので まずは 地域の そういう取り組みを おうえんしていくこと 住民主体を エンパワメントするところから とりくんでいって そこが 歴史的に ルーツとして 被差別部落と オープンになったとしても 理解 信頼ができていれば 問題はおこらないのではないかと 思います

むしろ 行政は そういうことで 思考停止して なにもしない 自治体が 非常に多いので 地域で できる条件を 整えていく 同時並行でないといけないので 一足的に 行政が 先走ることはできませんので

 

地域で ぜったい 意見が わかれるとおもうので お互いを 傷つけあうことなく 話せる場を 同時に セッティングすることで 街づくりが できると 思います これは 新潟県の 同和地区の 防災を課題に 実現できていることで 災害 防災の まちづくり そこを 隣保館や 市が 応援している そういう つみあげが 必要じゃないかなと 思います もちろん そっとしてほしい 地域が ないわけではないですし そこは 無理に こじあけたりしては いけないと思います ただ 行政責任の放棄 ではなしに よりそう サポートは していただきたいと おもいます



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