一週間刻みの眺め(長め)サイト(笑)

今週、引き出しの中に容れたもの。

2022/2/21(月曜日)から今日まで。(第19週ー後半②)





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2022年2月25日(金)
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朝は、オトン(元ウチの人)からのメール・チェック(備忘録的なものなので、読み飛ばしを)。


「昨日は、ワクチン接種が早めに終わったので、☐☐とイオンに買い出し行って、夜は、餃子、酢の物、回鍋肉でした。日曜日はフリーです、のんびりします。」(※☐☐:息子氏の名前)


夜は、菟田野のお義母さん(84)に、ラブレター書き(笑、同上で)。


「おかあさんこんばんは😊きょうも、ゆうのさんの会席の中から奇跡の(?)一枚をお届けしますね😋きょうは「先付(さきづけ)①」より「白子の茶碗蒸し」です🙇「この漆塗りの可愛い赤いスプーンは、ひょっとして、茶わん蒸しを食べるやつか?」と、例によって誘導尋問的に聞いてみたら、思い出してくれました😎プリンみたいで美味しそうでほっこりですね🥰お安くできて絶品の、鮭の白子の茶碗蒸しを、私も今度作ってみよかな?😉左腕は、安静にして「日にち薬」のようですか?お大事に…🙇今夜もお互い、身体モコモコふわふわグッスリおやすみなさい😴💤✨」


それが済むと、要事前申込のウェビナー1つに参加しました。

テーマは、

作家の身体と新聞報道──三島由紀夫の例から考える 』
永井 久美子東京大学大学院総合文化研究科 准教授 ×南 相旭(ナム・サンウ)・韓国、仁川大学校教授

※資料④に、ディスカッションと質疑応答の全文起こしがあります。

聞いてただけやけど、面白かったです。関係ないけど、ウクライナの文学者、文学作品 は これこれかくかくしかじか だそうです↓

ウクライナ文学



今夜は、ゆうのさんの「先付」 の「白子の茶碗蒸し」の「写メ」をアテに
「猫ちゃんたち」と晩酌しました🥛🍵


「茶わん蒸しのスプーン、略して、チャ・プ~ン💦🙄」「おもろうニャイ😿」





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資料のイメージ
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※ウェビナー(Webinar)とは、ご存知のようにコロナ禍、私たちの日常に、新たに加わった "ウェブ(Web)" 開催の "セミナー(Seminar)" のことです。
※画像が大きくて申し訳ありません🙇‍♀️


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※⑤

2022年2月25日(金)
作家の身体と新聞報道──三島由紀夫の例から考える 

東京大学ヒューマニティーズセンター(HMC)

https://hmc.u-tokyo.ac.jp/ja/open-seminar/2022/55-body-of-writers/

 報告者:

永井 久美子・東京大学大学院総合文化研究科 准教授

ディスカッサント:

南 相旭(ナム・サンウ)・韓国 仁川大学日語日文学科教授

司会:

水野 博太・東京大学大学院人文社会系研究科附属次世代人文学開発センター特任助教




※ディスカッションの全文起こし


南 相旭(ナム・サンウ)・韓国 仁川大学日語日文学科教授


日本語を話すのが 久しぶりで 恥ずかしいです 大変だったのは 三島由紀夫は 身体で いまだに わからないところが 多いんです 表現手段として 考えた 20世紀の 作家の中でも 珍しい 表現美学としての 三島を どうとらえればいいのか?


わたしからの 質問は このように 三つにわけられます 

ひとつめは すなおに 三島は 身体は 日本人らしくない 身体を している 海外では 問題に ならないけれど 日本国内の メディアでは 過激だとか うけとめられることがある 和洋折衷に 礼儀正しい人 だと わたしは 思います それが アメリカにおける メディアの感覚と つながるんじゃないかなと 思いますが さいきんの 日本のメディアでは そういうのは どうなっているのでしょうか?


ふたつめは 三島は あとから 『仮面の告白』 以降に ホモセクシュアルを 発見するんですね ヘテロセクシュアルとの 差異が あいまいになる あるいは 困難になる われわれは あとで そのひとが 同性愛者だったんだ となる 写真で見る 三島は どういう人 だったのかでしょうか? 



なかなか 難しい問題ですけれども 私は 村上春樹が 三島の影響が あると 思ってるんです けれども 三島は 非常に 丁寧な 洋服を着た 村上春樹は 非常に 軽装である そこらへんで ふたりは ちがった 様相を みせるのではないかなと 思います


さんばんめは 三島は ずっと 若いんですね ひとであれば だれでも 体験する 老化が 三島は ありません 日本の メディアによる 三島の 表情は ワクワクしていて あれは 誰でも 対等に 対話できるんだ という 時代だったからだ という 理解が 必要だと 思います 三島は メディアに 対して ほんとに 礼儀を もって 接した人なので ただ ほかの 三島の 素顔は ほんとに たくさんあるので

身体を そのように いじめることや 表現の材料にすることは 昔は 珍しいことでしたが 今の時代は タトゥーしたり 男性も 化粧をしたり SNS で 他者に 見せる 風潮に なっているので そのへんで どう 関係が あるか お聞きできたらと 思います


以上が 私からの 質問 3つです


最後に 先生の講演の 写真を見て かんじることは これです 三島は 非常に 小さいけど 写真で見る 三島は 決して 小さく見えません もし お会いしたら いま 私は 圧倒されると 思うんですよ やっぱり 人の 動き方で かんじさせる カリスマ が 物凄い人だったと おもうんですね 礼儀をもって 堂々と 話せる そういうのが 三島に対する 私の印象です 以上です


三島由紀夫における「アメリカ」 / 南 相旭【著】《ナム/サンウク》 




永井 久美子・東京大学大学院総合文化研究科 准教授

同性愛に関する 新聞記事は 私の見る範囲では なかったです 見受けられませんでした おそらく 裏付けなしで どこまでかけるか ということと LGBTQ に関して 盛んに 論じられることは 没後 50年の こんにちでも ありそうでもないな というのが わたしも 思うところです 


三島は どうして 肉体を 見せつけるのか 彼自身の 虚弱さ 小柄コンプレックスだけでなく アメリカに対する 憧れがあったんだと 思います タラレバの 話になれば 三島が もし SNS時代に 生きていたら 加工技術で 盛る かもしれません 三島は なりたい自分も 本当の自分も 願望の自分も 真の自分と とらえていたので 当時は メディアが 発信媒体だったけど 今は 自分で 発信できてしまう 時代であるので 理想である 自分を 三島も そのまま 演じ続けて いたのではないかと 思います どうしても 自決の場面の 印象が強く そこから 見てしまうところが あるんですけれども ほんとうは ボディビル以前の 三島も みつめていかなければ ならないですし 



広く 日本人の 感覚も 三島によって 変わったかというと そこまでは なかったと 思います ただ 70年代という 再生産の時代に なにかを おおきなこえで うったえかける 例として 三島は のこったのではないかなと 思います 三島に 起因するとは もちろん 言いすぎ なんですけれども 


メディアに 丁寧に接した 三島 というところですが そこらへんは おとしどころを うまく 見つけた 三島は まさに 表現者だったのだなと わたしも思います


三島が 小柄であることは問題ないと 言ってる という 記事が 確かに あります 166センチとありましたが 実際に すれちがった 先生から「第一印象は 小柄な方だった」と うかがったことがあります わたしも 三島と 身長は あまり変わらないんですが オンラインで 授業や 会議を していると 実際に 会った時に 背が高かったのですねと 言われることが あります 身長という 概念は 見えにくい やはり うごきや しぐさで 大きく見せる すべを身につけ 成功していた人なのだろうと おもいます



身体活用の場が 広がっており 三島の 真似や 参考にしようとする 人は どれほど いるかと いうことですけれども デジタル化を 含めて その他 照明の あてかたや かくど等への 意識は こんにち たかまっているのかなと 思いますので これは ほんとに 文学者に かぎったことではないと 思います 


おこたえに なったかは わかりませんが かんがえられるかぎりの 回答を いたしました 45歳で 亡くなっているので 美しいまま 死にたい 自身の 願望を つらぬきとおした ひとでも あるのかなと 思います 死後に どういうふうに とりあげられるだろうか ということも よく かんがえていた ひとではないかと そこは 意識がなかったとは かんがえにくいと 思っています





※チャットでの質疑応答の全文起こし


>三島が「文学者の非身体性」の考えを持つに至った背景は何でしょうか? 紹介記事では、どのようなことが書かれていましたでしょうか?


永井
「文学者は 孤独で 毒がたまるので デトックス(解毒)のために 剣道しているんだ」と まさに 籠って書く イメージが 前提として 文学者に あるのだろう それにいたった背景は? とは 大変 鋭い ご質問だと 思います 三島は みんな そういっているから うけいれてしまったのかも しれないですが 特になく マッチョな 日本刀を かまえた ボディビルダーを 演じようとしてではなく 本質的なもので あったと思います

 

そこを 何とか 打破しようとした きっかけは ひとことで はっきり 言えるものでは ないのですが 同性愛的なことは 『仮面の告白』で 述べているように なぜ そうではない自分が 乖離しているのか というところは 調べるとすれば 三島独自の もんだいが 見えてくれば おもしろいのかなと おもいます



>特に三島の身体の表象については谷崎『金色の死』との関係が説かれてきたと思うのですが、新聞報道の写真からも特徴的な傾向はうかがえるのでしょうか?


永井
谷崎の 『金色の死』については きょうの発表では 出さないで きましたけれども まさに そこに 見出して 実行に 至った人だろうと 思います 報道は わたしのみるかぎりでは ありませんでした 東京・市ヶ谷の…11月25日、何時何分…こういうことが ありました だけで 翌日 たくさんの 追悼記事  友人達の発言は 並びますが…


自決と フィクションとの 関係性が ぐたいてきに ふえている 例は ないのかな ということでは さまざまな 見解が あると 思うんですけれども 今日 とりあげた 記事の中でも 現代の 没後50年の 記事の中でも あまり 見受けられなかったです そのあたり 新聞という メディアの 特徴でも あるのかなと 思います


『金色の死』谷崎潤一郎 1914(大正14)



>ご発表をどうもありがとうございます。先ほど先生がご紹介いただいた毎日新聞の「書斎めぐり」シリーズに掲載された三島の作家像に非常に興味を持っています。三島の他に、女性作家の書斎が登場されましたでしょうか。もし印象に残った写真がございましたら、そのイメージの特徴、そして三島のような男性作家像との相違についてご紹介いただけないでしょうか。


永井
女性の作家は いました また ご自身でも 書斎巡り という検索で 出てくると 思うのですが ジェンダーの違いに 注目してみると 160回に のぼるので 面白い視点を いただいたかなと 思います ざっと見たんですけれども ほとんどが たくさんの 本に囲まれていて ということで みなさんそれぞれ 本に囲まれたの環境で と いうことで とどまっておりますが


紫式部日記に 夫が亡くなったあと せまいへやに ひきこもって ずっと 夫の書き残したものを よんでいたと あって 時代考証の 参考となったことは 有名な話 なんですが 執筆姿と いうよりは 本の山に 囲まれながら 知識を 吸収している すがた なんですけれども 書かれていない 伝説的なことは 書かないようにする それと ちょっと かかわりがあるように 思います 


源氏物語の 注釈書に みられる 記述でも 紫式部は 石山寺の 湖のほとりで 満月の見える部屋で 観音様の インスピレーションを 受けて ということだったんですけれども 当時の 女性文学者は 本の山に囲まれる女性 そして なにかを見上げる女性 ということで 自分の専門に ちかいものを かんじた次第です 


文学の寺 | 大本山 石山寺




>三島氏と云うと、武、武士、武士道と云うイメージがあるように思いますが、氏は禅とは関係はなかったのでしょうか?。


永井
宗教が 禅宗だった ということは おいておいて ブームに 拍車を かけているという 紹介があったので アルファベットの ZEN として とりあげられることは あったと 思います 没後の記事については 三島ショー の部分を 差し引いて こんかい ご紹介は 控えましたが 今回 3,000件の 写真記事を ひとつひとつ 見ていく中で まだまだ 発掘し得るなと ご質問を 今回 いただいて 感じたしだいです



1948~49年 三島は 世界旅行を したんですが ギリシアにいって 特に 衝撃を うけたらしいんですよ 自分が考えている 宇宙が なくなる体験を した というはなしを どこかで よんだ 気がするんですけれども それに対し 日本の 文学者は ただ こもるだけでなく いろんな 病気と たたかわなくてはならない そいういう イメージだったために そいういう イメージを 変えたいというのは あったのかなと 思います


永井
おっしゃるように 劣等感や あこがれが 前近代の 文学者には あったと 近代以降も 文学者の 伝統感を 三島が もちあわせて いたのではないかと  それを 解くには なにをとりいれ どこが かわっていたのか そこを あきらかにしていけばいいのか そこが きょう いただきました 今後の課題としての わたしの きになる ところです 



>三島氏が肉体を鍛えていますが、偏食が有名で矛盾しているような気がしますが?
野菜嫌いで、肉しか食べないとか、魚も鮪の刺身しか食べないとか、があったと思います。


永井

たしかに あったようなんですけれども いまでしたら 栄養バランスを かんがえたほうが ボディビルにもよい ということに なりますので そこは 三島 の からだには そのやり方が あったということでしょうね



>海枯れて底を見るとも、人死してその心を知らず、と云いますが、研究者が人を研究するのは難しいと思いますが、実際はどうなのでしょうか?。


永井

研究者だけでなく どんなかたにも ひとをしりたい きになりつづけているから むきあう ことも あるのかなと 思います



>自衛隊体験入隊でも特別扱いされていたと思います。


永井

おっしゃるとおりだとおもいます


>興味深い御発表をありがとうございました。三島は文士の中でも特に「自分の見せ方」を強調しようとした人物だと思うのですが、作家が「自分をどんなふうに見せたいか」を意識した例ということで、太宰治が芥川の真似をして写真を撮ったことや、本来織田作之助を撮りに来た林忠彦に頼んで自分も写真を撮ってもらったこと、死後その写真がとても有名になったことなどを思い出しました。


永井

ごしつもんというよりは コメントを いただいたとおもうんですが ありがとうございます 芥川のはなしは こんごまた できればと 三島だけ見て おわりにはしたくないと おもっているところです ごしてき ありがとうございます



>三島の短い髪は作家や知識人というより、スポーツマン的に思えるのですが、三島は髪型について何かコメントしているでしょうか。


永井

はい どこでみたのか あいまいですが 「じゃまにならないためだ うごきやすいためだ」と  方向性を 追及したときに 文学者より スポーツマン的 方向性に むいていたんだとおもいます 後で 出典を かくにんしたいとおもいます




>ご教示ありがとうございます!重ねてすみません(お時間があればお願いします)。『小説家の休暇』で確か大宰の名を出して、精神的な病は器械体操をすれば治ると書いていたと思うのですが、肉体を作り上げることで精神を補完するようなメンタリティがあったのでしょうか。そういうことを勧奨するような記事はありますか?


永井

精神鍛錬が 剣道 だけでなく 日米両道 ボディビルに むかう いみあいを もっていたんだろうかなと おもいます ありがとうございます


もちろん 個別の例は 別々と 言えると ただ くりかえしになりますが りそうのからだをついきゅうし みせかたを さらに ついきゅうし さらに りそうのしにかたを ついきゅうする おおきな ながれのなかに あるのかなと おもいます



>体道→薔薇刑→男の死、と三島(写真)の印象がそれぞれ異なるのですが、三島が訴えようとしたことは3者別物と考えてよいでしょうか、それとも何か通底したメッセージがあるのでしょうか。ご意見を伺えますでしょうか。



三島と禅の 関わりなんですけども 禅は 一方では イメージを つぶす 面もあるので そこの 往復運動 のなかに 三島の 悩みも あるのではないかなと おもいました


永井 久美子
そうですね なやんでいるからこそ きたえる その反復でもあるのかなと 思います



もう一点 三島は どうみせるかより だれに みせるのかを 意識せざるを 得なかった人なので そういうことも 三島のイメージを かんがえるときには 考慮する ひつようがあると 思います


永井
世界に、向けての 発信を 三島が 意識していたのは まちがいないと おもいます たしかに 日本の男性を 見せる まさに 三島も そこに ルーツである 江戸時代の武士が 入ってきた あたりは 幕府の重鎮だった 永井の一族ということに わたしの ルーツも なるんですけれども 三島の場合は それを 求め続けていたのかなとも 思います ボデイビルでも 下着でも 三島が 求めていた 日本人 男性のイメージと そこらへんは 関係があるのかなと 思います 



>参考情報                  

昨年、鎌倉文学館で「芥川龍之介展」があり、横須賀の海軍学校の英語教師をしていて、海軍は戦争になりそうな趨勢でも、戦略が無くて信用ならないと記載したパネルの説明(図録ではこの部分の記載無し)が印象に残りました。


司会:水野博太
>ボディビルは 大学時代に 少し あきらかに 一般的な 健康とは かけ離れた 姿だと 思うんですけれども 健康的な生活から 逸脱した 筋肉を めざすものですよね フィットネスを 一歩 踏み出した先の 領域をめざす 観念だと 今では そうですけれども 50年代は どうだったのでしょうか 三島の ボディビルは 長生きのためだったのか 一歩 超越するためだったのか どちらだったのか?



永井
むしろ 体質改善を 逸脱して 極端な ところにいくのが トップの 世界なのかなと  QOL (Quality of Life、「人生の質」、「生活の質」)ではなく 左右のゆがみをとるために 東京大学駒場キャンパスのジムに 私自身は 通っていますが 極端なものを めざすとは QOLとは ちがったものだと  QOM (M:モーション) を ふくめたものだと 思います




>我が国は明治の開国以来、五大国の一つになりましたが、先の大戦で没落、今はG7の一つ。三島は彼の生きた時代で日本の存在、矜持を示しかったのではないでしょうか?


男性も感じていた 劣等感を どう うちかえせるのかを 三島は 体現しようとした と いうことだと まさに 思います



水野
>故玉利斎さんが ボディビルの会長さんで そのかたも 背が 結構 低めの方でしたね

以下、次回以降の宣伝になります よろしければ お申し込みください


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第56回
2022年3月4日(金)17:30-19:30 
報告者:前島 志保(東京大学大学院総合文化研究科・教授)

「見る雑誌」の誕生──近代日本における雑誌写真の展開と『主婦之友』の写真表現 | 

https://hmc.u-tokyo.ac.jp/ja/open-seminar/2022/56-visual-magazine-shufunotomo/


第57回

2022年3月11日(金)17:30-19:30
関東大震災と東大医学部第二外科 | 

鈴木 晃仁(東京大学大学院人文社会系研究科死生学・教授)
鈴木 淳(東京大学大学院人文社会系研究科日本史学・教授)
https://hmc.u-tokyo.ac.jp/ja/open-seminar/2022/57-great-kanto-earthquake-medical-department/


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