一週間刻みの眺め(長め)サイト(笑)

今週、引き出しの中に容れたもの。

2022/2/21(月曜日)から今日まで。(第19週ー後半③)





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2022年2月27日(日)
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きょうは、プライベート・デーにつき、通常の長文ブログはお休みです(笑)


きょうは、地元、荒山(こうぜん)公園 - 堺市まで、初梅見に。15.6km、24,015歩でした。





鹿児島紅です(2022/2/27)



 
「紅ほっぺカアサンです🤗」


「プニプニ・にゃんにゃん♪♪🙀 」


「よかったらごいっしょにニャン♪♪🙀」





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その後 夜12時頃 急に お腹がいたくなり そのあと吐き気で 遅い夕食を中断して 寝ましたが 膝 背中と 交互に ブルブルと 震えがやってきて 全然止まらず 3時半頃から トイレで 吐き出して 吐いても 吐き気が さらないので ずっと 中で 立っていて その間 お腹下しは 一回だけ 少量でした 5時前に 猫の水換えと 簡単な掃除をしなければと トイレを出て そのあと 横になって 吐き気と 頭痛と ブルブルは 続きましたが 眠気も きそうだったので それに任せたら なんとかなるかと 思ったら 今6時半で 眠れたようで 今の所 昨日より 格段に 楽になっていました ブルブルは止まりました 熱も ずっと 微熱止まりで 峠を越えたんだなと 教えられました

もう心配いりません 





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2022年2月26日(土)
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朝は、オトン(元ウチの人)からのメール・チェック(備忘録的なものなので、読み飛ばしを)。


「昨日は、☐☐の準備したみそちゃんこ鍋今日はガッキー君が遊びに来るそうです。私は土曜の午後からフリーです。今日の千成の飲み会は延期になったので、のんびりします。☐☐の後期試験の結果は今、ちらっと見ましたが、どれも不可ですね。昨日ばあちゃんに電話しました。左手はまだ痛いと。」(※☐☐:息子氏の名前)



夜は、菟田野のお義母さん(84)に、ラブレター書き(笑、同上で)。


「おかあさんこんばんは😊早速ですが、きょうの、ゆうのさんの会席メニューの奇跡の(?)一枚は「鉢肴(はちざかな)」からの「マナガツオの酒塩焼き 海老とホタテ、キクラゲなどのおろし和え」です🙇例によって、「この赤いのはむきエビ🦐?で、黒いのはキクラゲ?で、白いおこげのはホタテ?で、上に載ってる焼き魚はキンキ?ニシン ?カマス?カツオ…?」と、誘導尋問的に聞いていくと、「マナガツオかも?!」と、奇跡的に思い出してくれました(笑)あったかい色合いのお皿は「今週も自分、お疲れ」と、慰労してくれそうな感じがします🥰来週も、がんばってもらわなくっちゃ?😉今夜もお互い、気分よくぐっすり、おやすみなさい😴💤✨」


それが済むと、要事前申込のウェビナー1つに参加しました。

テーマは、

―被災者と未災者が語り合う授業の歩み―講師:米津勝之氏  第17回 東京学芸大学教育講演会

※米津勝之(よねづかつし)さんは、阪神・淡路大震災で、長男漢之(くにゆき)さん(当時7歳)と、長女深理(みり)ちゃん(当時5歳)を亡くされました。


※資料⑥に、講演と質疑応答の全文起こしがあります。



今夜は、ゆうのさんの「鉢肴」 の「マナガツオの酒塩焼き 海老などのおろし和え」の「写メ」をアテに「猫ちゃんたち」と晩酌しました🥛🍵





「ニャン大人気の某美味しいさん(シーフード)にも、カニカマさんが使われているとは知らなんだ😲」「まあカニさん🦀より、ニャンのからだにはよさそうニャ~😹」




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資料のイメージ
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※ウェビナー(Webinar)とは、ご存知のようにコロナ禍、私たちの日常に、新たに加わった "ウェブ(Web)" 開催の "セミナー(Seminar)" のことです。
※画像が大きくて申し訳ありません🙇‍♀️


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※⑥

 2022年2月26日(土)


特別支援教育・教育臨床サポートセンター主催

―被災者と未災者が語り合う授業の歩み―(講師 米津勝之氏) 

第17回 東京学芸大学教育講演会

https://www.u-gakugei.ac.jp/


司会・進行(芦屋市打出浜小学校 永田守氏)

主催者代表挨拶(東京学芸大 大森直樹氏)
講演会(米津勝之氏)
質疑応答・意見交流
まとめ・おわりの挨拶(東京学芸大 大森直樹氏)

※米津勝之(よねづかつし)さんのこと

阪神・淡路大震災

長男漢之(くにゆき)さん(当時7歳)

長女深理(みり)ちゃん(当時5歳)

著書:『わすれないあなたのことを―漢之と深理のいる風景』(ラ・テール出版局1997)

家族の物語:城島充氏『にいちゃんのランドセル』(講談社2009)



※講演会(米津勝之さん)全文起こし


私は 民間の会社務めをしておりまして よく間違えられるんですけれども 教育者でも 先生でも なんでもありません お題は 教育の現場で 実践できること となっておりますが 私自身が やってきたことの中からの 学び 向き合いを お伝えしたいと思います


写真は この4人で 芦屋市津知町に すんでおって 阪神・淡路大震災に 遭遇してしまったわけです 市内で 亡くなったのは 443人 そのうちの 2人が 私の子ども だったわけです 


この写真が 津知町の 私が座っていた 場所です よくごらんいただきますと うえから がんと おしつぶされてるのが わかると 思います たてもの自身が ぺしゃんこに なってしまいました 川の字に なってねむっていたんですけれども わたしだけが 生きのこってしまいました 妻も 全治3か月の けが 負いましたし わたしは けがは していましたが たいしたことはなく しんさいから よくじつを むかえました

 

関西は 地震が こないという あやまった 風説が 当時 あったというか 西日本 とくに 近畿で あるということは 当時 35歳に なりかけの 自分でも 地震経験は あんまり なかったです 


だから なんで 地震が きたんや そういう思いが すごく あって しかも 私より あとにうまれてきた こどもが さきに 逝ってしまった うごいてくれない 生きたちからは どこにいったんや なんで じぶんだけ 生きのこったんや という罪悪感が すごく ありました


 そのひだけ なにか りゆうがあって ねるばしょが かわっていたんです もしも かわっていなかったら こどもたちが 生きのこって くれていたかもしれないと  ずっと すごく わだかまりが ありました


 これが はなせるようになったのは じつは 震災から 10年以上 たってからで もういっぽうで 無力感に さいなまれて こどもたちも いないし かみさんも 入院しているし どうすんねん これから 笑って生きれるのかな そんな状態で しばらく おりました 


まわりも 大変な方が 多くて どないしたらいいですかと 聞くことはできず たとえ きけても そうそう かんたんに こたえがでる わけではなかった ただ ばたばた していると 時間が すぎていった というのが 1ねんめを むかえた わたしの有様でした 


ただ そのなかでも できることはないかなと おもうことはあって ノートに いろいろ こどもたちのことを かいてみたり したんですね それが みえますかね 『わすれない あなたのことを』 自費出版で だしたんですけれども これは 市販されていません

 

それと ある集団が わたしたち 被災者に かたりかけてくれて そのことが わりと ちからになって 30年来 ずっと つづいている おつきあいであって その中には 子どもたちとも ふかいつながりの あったひとも おります 


私自身が まえをむこうと していくことになった あるであいがあって そのであいというのは いちねんたって 長男が 通っておりました 小学校で いのり という題で ついとうぶんしゅうが 作られることになって いろんなかたに くばられた文集ですが 

そのなかで 『命―吉田恭子』 という 文章の 3行目に うちのむすこ 漢之(くにゆき、7歳)の 名前が 出てきて 教室で 6年と1年の ペアの相手だった子と わかりました 


その しめくくりに 「いきていること しんでしまうこと」 これは 6ねんせいが 書いた文章 なんですけども すごい 感銘を うけました 死ぬこと 生きることについて 深く考えたことが わたし自身 なかったとおもいます 震災でなくても なかなか こたえをだせないことだと おもいます 


あとから わかってきたんですけれども この 文章が 私の前に 登場して 6年生が 書ける ちからに 熱いものを 熱いというか すごく ちからを かんじて 「すごいな この本 まわりのかたに いろんな なくなったかたが いる中で じぶんなりに こたえを みつけようとしている」 と感じて そのことに 熱いものを かんじたのと 自分が これから どうしていけばいいか ヒントを もらった 気がしました

 

なにゆえか わたしが 追悼式で 挨拶を することになり 「できれば 町が しゃかいが ひとのいのちを たいせつにする しゃかいになっているのか じぶんが それにたいして なにができるんだ ということを いきのこったものとして かんがえ こうどうしていきたいなと おもえるようになった」と 述べました 


私は こどもたちは いきているわたしに どうしてほしいのだろうか と おもえるようになりました 『命―吉田恭子』 という文章は わたしを このように おおきく かえてくれた しかも 6年生だった これが いまのかつどうの いしづえに なっています



そのあと じつは 私は 震災当時 芦屋にいた 一年後に 東京に 転勤に なりました 阪神淡路大震災は あまり 話題にならない  震災の すぐ後に サリン事件が 起こって そちらは 話題になっていたんですけれども 


同僚に 「わかろうとしても 体験してないから わからない」 ということを 言われて 「そうなんかな」と 言うと 「しかたがないんかな」と 言われてしまったし 自分も 「そうではないかな」と 思ったんですけれども 一方で 「そうでええんかな おたがいに かんけいを つくりあうということを やらないで それでいいんやろうか」 と かんがえるようになりました


それからなんですけど 私は 話するときに こどもたちに かならず きくようにしていることが あるんですね 「じぶんとは かんけいないと おもいませんか?」と 


こう きくと 関係ないと 手上げる子が 必ず います それを 「かんけいないって なにごとや」 というやりかたを したって 多分 その子の 気持ちは かわりません


そのときに 見せるのが 1ねんかんも せおわなかった この くにゆきの ランドセル で その割に ボロボロなのは もうひとり 背負っていた子がいて 乱暴に 扱っていたからなのですが このなかに 学習ノートの 「あのね帳」が はいっていて そこに くにゆきは 1月16日に カレーを 母や 妹と 一緒に つくったことを 書いています さいごにひとこと 「あした たべるのが たのしみです」と 書いていた そのあしたというのが 1月17日だったと 私は 子どもたちに 話しました 




これが その話をしたあとの 先生からのコメントです 「あのあと かんけいない という子どもたちに ランドセルには なにがつまっているだろうかと 話をしました 最初は ふでばことか ノート とか 答えていた子どもたちも だんだんと そこに はいっているものは ものだけではない と 考えるように なっていきました ざいりょうとして こどもたちに かんがえてほしい というような はたらきかけを しています」と ありました


 これは 3人の 園児が なくなったことへの 慰霊碑です 一番左が 長女 深理(みり、当時5歳)の 名前です そこに 「わすれない あなたのことを わすれない あのひを」 と かいてあります


あなたとは だれでしょう? あのひとは いつでしょう?

「あなたたちのことを とかいたほうが 分かりやすい 表現じゃないの?」と かいたほうが きくと こどもたちが また かんがえてくれます 


あのひとは いつでしょう?ときくと ほぼ 100パーセントの 子どもたちが 「95ねん1がつ17にち のこと」 と こたえるんです でも 中に「ほんまにそうなん? たてたひとは そうかんがえて かいたんやろうか もしかしたら そのひ だけやないんかも」って いう子が でてきます 


ある1ねんせいですが わたしに あんまり あてられそうにない てのあげかたをする子を わたしは あてました その子が 「あのひ とは 平和な日」と ぽろっと いうんですね


「あなたたち」 ではなく なぜ 「あなたを 忘れない」と 書いたのか?

じつは これは ひとりひとりのことを わすれないが 大事 ということなんですね 今年も こどもだいひょうの ある女の子が かずの はなしじゃなくて そこに ひとりひとりが いたことを おもいださなければ いけないと 追悼式で 語ってくれたんです


 あのひ と書いてあるのを ぱっとみたら 17日のことだと おもうんだけれども ほんとうは この3人だけでなく もっというと いろんな そのほかの りゆうで 人生をおえられたこと 生きておられたことに 関して 自分の思いを 記憶をつないでいくことが だいじなんです 


かいた人が 私なんで まちがいないと いつも こどもたちに いうんですけれども(笑)


これを こどもたちに みせて 意味を かんがえましょうと いうだけでも 授業は できるんですね ランドセルも同じ あのね帳も同じ 


被害の大きさを まなぶことも だいじなんですけれども いろんな人が 生きておられたことに おもいをめぐらせる それを 体験をしている していないの 断絶感ではなくて それを つなぐものとして 想像力 がある これは 学校の先生の 仕事とも おなじなんじゃないかと わたしは おもっています 


こどもたちのかんそうを よむと

「きょうは たいへんでした たくさん しつもんされて たくさん かんがえさせらえれて たくさん こたえてなければいけなかったから」 と  本音を 書いてきて 「いままで きいてきた そんなんと ぜんぜん ちがってて 文句を いいにきたんかな」と 私がおもったら 「でも 今まででいちばん いい 授業でした」 と いうんですね 


ひとりひとりが むきあいかたが ちがっていいし 何が正解 というこたえは 算数のようには ない そういうものではない ひとりひとりが どう感じて これからのじぶんにとって どういう意味を 持つか ということであって まちがっていいから じぶんの思いを 手上げて 勇気をだしていく そういう 時間なのだ」と 


そのなかで 私じしんが たくさん 学びました

6年生が 「想像力から 創造力ですね」 と 私に かえしてきたんです ある女の子が ぼそっと 「出会いの 積み重ねが 人生ですね」 と 言ったんです

 

こどもたちからは もちろん 「くにゆきとみりの事をどう思いますか」とか いろいろな しつもんがあって さいごに のこった女の子が 言った 「出会いの 積み重ねが 人生ですね」 この言葉が 今の 私にとってすごく 意味のある言葉に なっています 


出会いの 蓄積が いま みなさんと おはなし できることになっているし これとは 異なる場面でも 話す機会があって いろんな 交流を させていただいたり まさに この言葉 なんですね それが 6ねんせいから ぽろっとでた こういう ちからを もっている すごさに すごく おどろいて これが 私自身が ここに いきている いみなんやなと 思ったんです


「そこに じぶんが どう思っているかを 載せて かたっていきたい」 6年生から 調べただけではなくて そういう 学びが 生まれました また 6年生が こういう言葉を 発信しました 2018年1月17日の 追悼式で 「ことばのちから きくことのたいせつさ はつげんする 勇気」 人の話を きちんときけること 圧がかかったりする中で 自分の思いを きっちりいうということ 発言する 勇気のことが 言われました 


実は 最近 芦屋の 山手小学校の 6年生に 4年生から 毎年 かかわりを持った学年でもあったので ハードルが 結構高い 課題を 出したんです そしたら 卒業前に よってきた ある 女の子がいて 担当している 先生から その思いについて 書かれた手紙を いただいたんですけれども

「ほんとうは 手を挙げたかったけど 上がらなかった 口答できなかった 情けない 引っかかったまま 卒業したくないと 思ったので 米津さんのところに やってきた そこで 自分の言葉で 話してくれました」 ということを しらせてくらたんですけれども


やっぱり こどもってすごいですね しっかりと きくちからを もっているし だいじなのは そういうように こちらが 手向けてあげること じぶんのことと うけとめて かんがえを ひろげるよに 手向けてあげるということだと わたしは 教育の 専門でもなんでもないので まちがったことを 言っていたら ぜひ あとで おしえていただきたいんですけれども そんなことを 思いました  


2021年は 精道小学校で「震災を こえて」というテーマで 子どもたちの 学びが 起こっています それを することで 私の務めを 終えたいと 思っています


20年 つきあいのある 群馬県の ある中学で ある女の子が こんなことを 書いてくれました「よのなかには 生きたくても 生きれないひとがいて しにたいという ひとがいる 私は 死にたいと おもっている人の 一人でした みりちゃんは もうたのしいことも かんじられないひとに つらくかなしいことも かんじられないひとに なってしまいました いきているからこそ かんじられるんだと わかりました さいごまでつよく いきていきたいです」


そのことで 思ったのは じぶんの しんどいことって なかなか かけないじゃないですか それを わたしのもとに かいて とどけてくれたんです


しかしながら 東日本大震災が おこって ここからは 私の懺悔の 話なんですけれども 阪神・淡路大震災を おいといて みんな そっち いかなあかんのとちゃう そんな 流れが あったし 意地になると かってに 壁をたててしまったんですが 自覚はなかったんです  完全な自意識過剰で  東日本日本大震災と むきあうのは 自分の仕事ではないと なんて あほうなことを かんがえていたんだと いまなら おもいますけれども 


ところが 3年前に 目の前に 現れた 岩手県の 高校生が いました 「よねづさん 2018年 阪神・淡路大震災のことを かたってください 」と いらいがきたんです 多感な 年代に 話をする機会は もっていませんでした そんなところへいって 通じるのかなと 不安がありました でも いってはなしをしたんですね すごい 熱い反応が あったんです 


実際に 誰かを なくした 子たちが いた 感想文に 「なんで 阪神・淡路大震災のことを きかなあかんのやと おもっていました でも きいてみて 意味があった」と 芦屋のこどもたちの まなびにたいする 共感 があったことを かいてきた

いろんなばしょで おたがいに むきあうことの できる もんだいなんやなと おしえてくれました


くにゆきのテーマで 本ができました 次男 凛(りん)が なりたいといって 表紙に 映っています



 この本から 歌が生まれて 合唱になって はじめて うたってくれたのが さきほどの 映像の 高校生たちです いわてけんりつこづかたこうこうの 音楽部の 方々です


♪にいちゃんの ランドセル♪ 

作詞作曲:松本俊明・音楽プロデューサー


※抜粋


ぼくはもちろん きみのうまれかわりなんかじゃないよ


生きてゆくかぎり よろこびは めぐってくる


いきていくことは つらいけれど

いきてゆくかぎり いつのひか よろこびにあえる


そのときたしかに きみが 生きていたこと ありがとう



ずっと うたいつないで いってもらっています

16年連続 金賞を とっておられる がっこうだということを ちょっと 補足させてもらいます



これは 紙ロードの メッセージで いろいろ かいて貰っています 

この本は 瀬尾夏美さんの 『あわいゆくころ』

きょうかんできる ことばが あふれていました



それは どちらかの ちからだけでは

けっして なされえない

分からない ということを 価値と 思いあう

それが きっと 次に 繋がる





そのとき たしかに いきていたんですね それが いちねんたったときに 追悼式で 決意として もうしのべたことです いのちを うけつぐに つながるのではないかと じぶんは しんじています



これは 芦屋市で 2021年7月 赤穂市社会福祉協議会講演をして そのあとにきた お手紙です きいたあと 交えておはなしをされた クライアントの方が カウンセリングを やっていきたいと おっしゃっていただいた わたしのことばを おてがみいただいたかたが つないでくれて こういうことを おっしゃっていただけました どうか これからも つなぎつづけてください だれかの いきるちからになっています


私は これからも つとめはをはたしながら いきるちからに なっていきたい

これが わたしなりの まとめです

かこのじぶんをしり いまのじぶんをみつめ みらいにいきるじぶんをえがく



冒頭で 申し上げた ある集団とは 劇団のことなんですね このミュージカルを 私が 見たとき 横にいたのが 米津玄師でした 星の王子様という そのテーマ・ミュージックを 最後に 皆さんと一緒に 聴かせていただきたいと思います


音楽座ミュージカル「リトルプリンス」 2011年公演

きょうは 聴いてばかりだったと おもいますけれども つたないはなしであったと 思います 何か みなさんの さんこうになったら わたしとしては たいへん うれしい じかんだったと おもいます ありがとうございました






※質疑応答の全文起こし


>6年生からの 質問で よねづさんにとって ゴールは というのがあり みんなシーンと なりました 米津さんは どうこたえられたのか?


米津

6年生のあるクラスで 最後の質問として 手を挙げたんですね メディアのひとも いたんですけれども ひっくりかえっていました(笑) わたしにとって ごーるはありません と こたえました 最終の ごーるが あって それを めざしている わけではなくて いろんな学びが あって それを つないできた わたし自身も いつかは なくなる でも だれかが つないでくれる それでいいんだ 


ただ そういうことをかんがえさせる 質問を 私自身に なげかけてくれたことが じぶんにとって いいしつもんだったなと わたし自身は 思っておりました メディアの方も よく こんな質問をできるなと いっておりましたけれども 同感してくださった 方も おられると わたしは 知っています



>卒業生の 将来の 生き方に どのような影響を 与えているか そのあたり お伺いできたらと思います


G先生 わたしは せんせいではありまので 一介の米津です(笑) 卒業した後 こうりゅうする ばめんを なかなか もてないんですけれども だいがくせいになっていて 震災の事 あらためて べんききょうしたいと 悩んでいた子が あるひとに 「どういうふうにしていったらいいかわからない」と 投げかけて 「米津さんの 話を じつは聞きました」 と 言ったらしい ある人とは 偶然 わたしの 知り合いだったんですね それで その ある人は 「だったら もういっかい 米津さんの話を スタートにして まなびなおしたら いいんじゃないの」と 言って つないでくださった そういうことが ちょくせつ わたしの みみに はいってくることは ないんですけれども 影響はあるのかなと こたえになっているかどうか からないですけれども




O先生とは 直接 おあいしたことがございません でも 群馬県で 20年 つながりを もっているんですけれども 授業をくみたてられて まいとし ずっと 続けていただいていて 会ったことはない ようやく 来週 お邪魔することに ぜひ 直接 群馬の 高校生と むきあえることを こころから 楽しみにしています



お兄ちゃんのランドセルは 保険室に置いていて 直接 お話を なかなか 聴くことがなかったので いろんな言葉で 凄く感動しました 姫路は 防災被害が 直接あったわけではないので 広げていくことは ちょっとむずかしいところがあるんですけれども あるいみ 石碑のお話とかは 使えるなと 力を いただきました



>ヒントを いただいた ことばで いま うちの 6年生は すごく 荒れてて 命の授業を してほしいとの 依頼があって 後半に ことばのちからで  阪神・淡路大震災のあとで 「死ね」「消えてまえ」 のことばは 当時は 人に 言わなかったんだよ というはなしを すると それを聞いた こどもたちは シーンと なって その言葉の 意味を ぐっと 考えてくれているな という感じが.ありましたので ぜひ 命の授業で つかわせていただきたいなと 思いました



>わたしは 外国から来た子どもたちの 教育を してるんですけれども 震災の 話は ほとんど みんな おぼえてないというんですね おそらくきっと 体験的な がくしゅう してないかなと こういうひに こういうことがあって で 終わってしまう だからこそ わすれてすまうんじゃないかなと おもうんですね じっさい ひとりひとり どういうことを かんがえていたのか それは おとなになっても のこっていくんじゃないかなと それが おおきないみで べんきょうにも なるんじゃないかな と おもいます ぜひ 学生に いかしていきたいなと おもいました


米津

次男 凛(りん)の 大学の 担当の先生です りんは わたしが だいがくにいくと いやがると おもうんで  また せんせいと ちょくせつ はなさせてください



>わたしは 大学2年生で  防災に興味があったので きょうは 参加しました 茨木県で 小3で 震災を 体験して 阪神・淡路大震災の しあわせはこべるように を がっこうでうたう きかいがあって じぶんなりに 考えてみたんですね どういうことがあったのか そういう じかんがあったから たぶん いま このばに いるのかなと おもうので しょうがっこうのうちに こころがうごく たいけんがあったのは じゅうようだなと おもいました せんせいがたと つながるには どういうきっかけが あったのかな 授業の組み立て方は こういうふうにと 要望を出していらっしゃるのかな ということをおききしたいです



次男 凛も 大学2年生で はたちです わたし自身は 震災直後は メディアの取材は まったく ノーでした なんで こんなタイミングで きくんだろう たくさんだって それが みなさんのまえで はなすことになって メディアのひとの なかにも けっこう 同じ志を かんじるひとが いた そのひとには だします かれらは きょうかんしてくれて 映像で流すと ご覧になった方が ああいうかたちで やっておられるかたが いるんだなと わたしのことを おもってくれて きょうみをもたれて アプローチを されたところからはじまって 24ねんちかく つづいている ということです こうべのせんせいのなかでは 「よねづさん 有名人です」と いわれるんです ほんまかどうか しりませんよ こうべのがっこうで 『にいちゃんのランドセル』で じっさいに 取り組みをすすめておられることは ぜんぜん わたしが しらない ことだったんですね ばんぐみをみたり ほんをよんだりして 校長先生から おしらせを いただくこともあります


あるいみ そういうふうに ひろがっていくことは わたしにとって いいことだと 思います メディアに おねがいしていることは 、メディアのひと すいませんね、 メディアのひとは ついつい 物語を つくりたがるので それは ぷろとして 当たり絵なんですけれども そこに 全部 私を乗せようとするのは やめてくれと いうことなんです 


あるいみ 厳しい視点で メディアのひとも むきあい なかには 侃々諤々 議論 した人も いますけれども そういう 関係を 築けていることは おおきいかなと いうふうに 思います メディアの人も ちょっと あててください(笑)


>井筒慎治・関西テレビ報道センター

かわらず ごしどう たまわっておりまして いつも 感謝しております 役割ですか なにも あるとすれば 事実を ひろく伝えることに 尽きると思います 脚色すると 曲がっていくし とはいえ はいることもあります なるべく 確認しながら つたえさせてもらっている つもりです かたりつぐを つなげてくださっているから こういう報道が できる ということに つきております この時代 ほんとに 価値があると もっともっと いかしていけるような 報道に つなげていきたいなと 思っています 日本の未来はこれに かかっていると 思います



>石巻出身 東京在住で 半分 じぶん 半分 かぞく の体験の 語りを やっております 東京 赴任で 実感された気持ち すごく わかります あらためて 当時の 上からの写真 ありましたよね かなり 衝撃的でしたし そのころ まだ 中高校生 くらいだったので 考える機会に なりました 講演に 連続で 入っておられるのは どのようなかたちで つながれたのでしょうか よく 一回来ていただいて それっきりになったりすることがあります


米津

山手小学校に はじめて お邪魔したときに対象 1年2年 低学年で すごく 不安がありまして だいたい 6年生だったので そのときに 窓口に 立って頂いたのが S先生 で 4年生を うけもたれていたのですけれども 毎年 いくたびに 「うちのがくねんにも よって いったら」と 先生が 言われて 4年生にも お邪魔しておりました 前段で いろいろと 取り組まれていて 翌年 またつぎの 4年生が 5年生にあがっていて 「また 行きましょう」と いうことになっていきました そのとき 私は 「みじかいじかんだけど どうおもった?」 と かならず 宿題をだしていたんですね そのあと 総まとめを しましょうということになったのが 11月の初旬です 素地があったので 1月に それなりの学習の 総まとめが できました わたしにとっても まいとし つみあげていくのは はじめてで この学年の こどもたちの まなびは そうとう 深まったと思います できれば 一回だけではなくて このスタイルを くみたてていく もし 場面が あたえられたら じぶんのなかで できるかなと 思います



>米津たましいが わたしにも こどもたちにも しみついていて 1.17学習だけではないところでも 恩恵を 受けていて なにがちがうのかなと おもったときに まじかに きくことで このこたち なんか かわらないかなと おもってやってきたのですが こどもたちは 「いまのは ゆさぶられた」 とういうふうに 米津さんの言葉をつかって かたれるように なっています 3年間って わたしにとっても おおきなちからになっています ありがとうございます(S先)




司会:永田守氏

それでは さいごになりますが 大森さんにまとめを ふくめて おはなしいただきたいとおもいます


大森

きょうはしんさいときょういくを はるかにこえるような おはなしを いただいたと おもいます 「だれかの ちからに」 こうした まっすぐな ことばは おおくのひとが じつは かたりたいと 思っていて まっすぐ しゃべれる しゃかいに していきたいなということを とても おもいました 


共有したいことを すこしだけ おはなし します 数字のことです 阪神・淡路では 公立学校111校で なくなった じどうせいとは 288名 ようちえん ふくめていません 東北では 146校で 513名 東北で 避難した人は 2018年 1,3065人 しんさいで 家族を なくしたこどもが いまも せいかつしています 多くの大人が おもっている以上に こどもたちは しんさいと むきあうことを ひつようとしていると おもいます 通り過ぎようとしているのか 共有しようとしているのか 忘れないようにしているのか こどもたちは おとなを みていると おもいます 


司会

わたしは しんどいときに 米津さんによって 背中をおしてもらったひとりです みなさんも そういう感覚を もってもらわれたのでは ないかなと 思います 米津さんは ときどき こえを つまらせられたのを 皆さん おわかりになったでしょうか 私たちは こどものちからを もっと信じて むきあっていかなければいけないなと 私自身は 感じました みなさんは どんなふうに 感じられたでしょうか



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