一週間刻みの眺め(長め)サイト(笑)

今週、引き出しの中に容れたもの。

2022/4/4(月曜日)から今日まで。(第25週ー後半③)




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2022年4月10日(日)
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きょうは、プライベート・デーにつき、通常の長文ブログはお休みです(笑)


いたすけ古墳の、橋桁跡の上のタヌキ一家は、今週も残念ながら、お留守でした🦝🦝🦝



堺のタヌキちゃんは、多分、人見知りなんやろなぁ~🦝(笑





元気でいておくれやしてごめんやしておくれやっしゃぁ~🦝(笑




きょうは、16,419歩(10.8㎞)歩き&ジョギングしました🏃🐾






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2022年4月9日(土)
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朝は、オトン(元ウチの人)からのメール・チェック(備忘録的なものなので、読み飛ばしを)。


「昨日は近くの中華居酒屋、☐☐は家でピザ焼いて食べました。今日は午後から子どものワクチン接種、夕方、T市のTさんと会って、その後遊びに行きます。明日はフリー。上の仔の痛みはわからないけど、苦しそうにしてなかったら様子みるしかないかな。」(※☐☐:息子氏の名前)



夜は、菟田野のお義母さん(84)に、ラブレター書き(笑、同上で)。


「おかあさん コン🦊ばんは(笑)😊ピザ🍕と言えば、おかあさんは、デリバリーの備え付けの人数分のタバスコでは全然足らないくらい、激辛党でしたね🍕😋息子氏とおかあさんは、やっぱり味覚が似ています😉🍕🍔🍜

さて、コン🦊夜も「根っこばなし」より『狐の手引き🦊』⑤を始めます👵🦊👶👧

もう第5話とか?そんなにたくさんお送りしたかな?と、すでに私の記憶は曖昧ですが、全然大丈夫なので、ご心配はいりませんよ😆

なお、『狐の手引き🦊』は、タイトルだけ見て選ばせて貰った作品なので、物語が予期せぬ展開(?)になるかもしれないことを、あらかじめお詫び申し上げます(笑)🙇



「根っこばなし」より『狐の手引き🦊』

👵🦊👶👧


「舞台の上では 体ごと 泣けや、役者が 泣かんに 誰が 泣く」

なんぞと 講釈たれて、脇見たとたんに さぶぼろが でたとよ。


いつのまにやら お鶴の子役が 毛皮包みを 手にもって、

中を みるとて ほどいとったと。


なかみが 知れたら ただでは すまん。

思わず 子役を 突きのけて 毛皮包みを ひったくったと。


わが身を 忘れて うかうかと 拝殿を 踏んだうえ、

百姓なみに 振舞ったが、こりゃ、剣呑な真似(※危険極まる行為)したと、

稽古つけるも 上の空。


戻り支度に かかったらば、村人たちが 口々に

「からなず 明夜も 来てくだされ」

と、頼りにしきって 声をかけたが、

喉のあたりで 返事したと。


(つづく)


コン🦊の鳴き声は、いつ、聞こえてくるのでしょうか?👂😹それでは、次は、来週月曜日のコン🦊夜この時間帯を、お互い、ぜひお楽しみに(?)😉✨おやすみなさい😴💤」



それが済むと、要事前申込のウェビナー1つに参加しました。

テーマは、

中国「第三世界論」の思想的体質:1974年鄧小平の国連総会演説を手がかりとして
 賀 照田(ガ・ショウデン)・中国社会科学院文学研究所研究
鈴木 将久・東京大学人文社会系研究科 教授


※資料㊴に、質疑応答の全文起こしがあります。



「昨日は上の仔が一切の飲食を拒否してしもて、ウチは今度こそ、何も食べれるものも飲めるものも、なくなってしもたんやと、半ベソかいてたんやけども、その晩に彼は(下から出せない)水様ウンを上から4度にわたってへとへとになりながら出して、このための自主断食やったんやとウチはようやく分かって、ほんで、そのあとしばらく彼はじっと体力温存してて、夕方復帰したときには、食べれるものが一品、増えてました🤔」


「その一品とは彼、兄ちゃんが、つい2週間前はプイッと横を向いた某おやつでした。これだからニャン(猫)たちのことはまだまだ、ニャニが起こるかわからニャイのかニャ?😿」




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資料のイメージ
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※ウェビナー(Webinar)とは、ご存知のようにコロナ禍、私たちの日常に、新たに加わった "ウェブ(Web)" 開催の "セミナー(Seminar)" のことです。
※画像が大きくて申し訳ありません🙇‍♀️


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※資料㊴


2022年4月9日(土)


中国「第三世界論」の思想的体質:1974年鄧小平の国連総会演説を手がかりとして

中国“第三世界论”的思想体质——以1974年邓小平联合国大会的讲话为聚焦分析线索

主催:東京大学ヒューマニティーズセンター(HMC)

報告者:賀 照田(He Zhao-tian、ガ・ショウデン)・中国社会科学院文学研究所 研究員
コメンテーター:村田 雄二郎・同志社大学グローバル・スタディーズ研究科 教授
司会:鈴木 将久・東京大学人文社会系研究科 教授



※概要
 中国の「第三世界論」の代表的な文献である1974年鄧小平の国連総会演説を分析
 中国の自己感覚と世界感覚は、伝統の延長線上にあり、いまだ十分な反省がなされていない。

それは、かつて中国で圧倒的な地位を占めたインターナショナリズム、第三世界論などの観念が、中国で根づかないことの根本的な原因であり、また中華人民共和国において、建国以来70年を経ても、あるときは過度に外界に依拠して外界を基準とし、あるときは過度に自己を肯定して外界を無視するような、人を困惑させる歴史現象がくり返し現れる原因でもある。

現代の世界において、いかなる自己感覚と世界感覚の意識を持ち、そのための努力をすることが、中国で自己と世界に対して有益な自己感覚と世界感覚を構築することに有益か
 報告者の賀照田氏は、長いあいだ考えてきたこの問題を、はじめて正面から論じる。





※質疑応答の全文起こし


賀 照田(He Zhao-tian、ガ・ショウデン)・中国社会科学院文学研究所 研究員

(通訳:鈴木将久教授)


村田先生のコメントに 一つだけ しぼって お答えします

鄧小平は 中国は 豊かになっても まだ 第三世界である 発展しなかったと 言いました 非常に大きな国 ゆたかになったときには たとえばナショナリズムは いままでは 弱かった ナショナリズムは 正面から 認める 世界の不平等 不正義に 抗議する意味では 高く 評価できる しかし 中国は それだけは 不十分である そういう意味で  中国は 中の問題としても 第三世界であるということを 語り切れてない いまだに 根付いてないと いわざるをえないし 明確に 現れてきていると まさに 感じております


アルバニアの例が 出てきました 重要な問題で しっかりと 議論する 価値がある ここで お答えしたいのは ふたつです 鄧小平の 毛沢東に対する評価を 議論する 空間が 当時は 存在しなかった こんにち われわれは  そういった空間を  もっている ある はずなんで ここでこそ 下から 上にかけての 議論が できるはずではないか それを しなければいけないのではないか という 重要な提起を 村田先生に していただいたと思います




不変と特殊について コメント いただきました ここ20年 中国の議論 の多くは  西欧 欧米諸国への批判ですが それで 顕わになった アメリカ問題点が 中国では逆に 自分自身の 問題点に なってしまう そういうときに 他者の位置の 重要性への もんだい提起が ありました 他者の位置を かんがえなければいけない これは 思想の議論のレベルに見えますが 中国が どうすすんでいくかの 基本的で 普遍的な 視点でもあります そういう意味で 中国の人々は 注目してほしいと 思います


列国時代の中国史観では 「日本でよくきく 中華意識は 否定的である」 というような 単純な ものではなかったと 2000年代も それなりに ダメとまでは いえないと 暗示されているように かんじました ただ 中華意識においても いったい 他者に どのような位置が  あたえられるか それが 重要だという視点を  村田先生から あたえられたと 思います わたしのりかいが ただしいとするならば 私も 先生の意見と 近いです 中華意識は 二つの面 がある 十分な反省をしないまま つかわれるならば ひじょうに おおくのもんだいが おきてくる  積極的な 意味をもつこともありうる いかにして うけつぎ 良い方向に 転化せるか その際に 重要なことが 果たして 主体的な他者に 道を あたえることができるか ということだと 思います


孫文の 講演の 問題点について 深い コメントを 頂きました 孫文の 言い方には かなり 中華意識の 痕跡というか はっきりとした 問題点が あらわれていると 思います 孫文の どこの部分をつかうかを 私は きをつけている つもりです 孫文は 中華意識が 強い しかし 中華意識は いかに 責任感を 持つかにおいては 積極的な意味があり その部分を とりあげ つかっていくことが 大事だと思います



毛沢東の矛盾論 についての 村田先生の お話は とても 説得力があります じっさいの歴史 ぐたいてきな ばめんでは ぐたいてき 注視しなければならず 彼は しばしば ひとつものを みっつにわける 矛盾論を 思考の基盤としており そのとおりではありますが やはり ぐたいてきな ばめんで みていくことも 必要かなと思っております



毛沢東の「中間地帯論」(※帝国主義の弱い環に打撃を与えるというマルクス=レーニン主義の考え方と,農村によって都市を包囲するという中国革命の特徴とが結びついたもの)は そのつど ひとつひとつが 議論の価値がある  50年代 すでに ソ連と中国 欧州との 問題は 論じられていた 中間に 中国があると の 予想がありました 


「一つを三つに」 これは 50年代に 出てきたが 議論としては ちがうものがある  今回 そこまで 手が回りませんでした いずれ機会があれば そこまで しっかり かんがえたいとおもいます


最後の 従属論と第三世界論 わたしは まったく考えたことがないでです ここでお答えすると 博士論文を前にしての 大学生の 発言になってしまいますので のちほど しっかり勉強して 答えたいと思います(笑)




村田 雄二郎・同志社大学グローバル・スタディーズ研究科 教授

なぜ 従属論を だしたか 70年代に 私も 大学で ならいました やはり 世界革命は 暴力と 関係がある いま こんにち 暴力は 充満しつつある グローバルな問題として 中国だけじゃない 他者は 身近にいる 中国国内にも アフリカ人が たくさんいる 日常経験の中 どういう 自己と 他者の関係 アイデンティティ構築を していくかは 大変 面白い問題で ぜひ 議論してきたいと 思います



賀 照田

わたしが 読んでいる範囲では 鄧小平は ソ連の崩壊は 全く考えていなかったでしょう 中国の 経済発展は あるいていどの 期待と 自信は あったと 思います ただ どの程度の経済発展かの 予想があったのかどうか 現在ほどになるとの予想があったのかどうかは わかりません 



司会:鈴木 将久・東京大学人文社会系研究科 教授

>日本の60年代 高度経済成長が 中国に与えた もんだいは あるのでしょうか?


賀 照田

ひとつは 史料が 十分ではない もうひとつは いったん 鄧小平が 復活したときに  江青・張春橋・姚文元・王洪文の 文革四人組が 反発して 毛沢東のみの力で やりとげたと 言い方をしていた 日本のちからが 大きかったのは 確かで 72年 ニクソン訪中 の直後 田中角栄は  国交 回復しました もともと アメリカも 国交を ひらいてほしい どうして アメリカは 中国に対して 日本と おなじに できないのか とは みんなが 言っていたことでした それを 演説外でも 言っていた可能性は ありますが 推測であり 現状では 史料は ありません もちろん 両者の間には 大きな関係があると思います だからこそ 第三世界論を われわれが いかに しっかり かんがえていくかが 重要ですし 期待している方向に いってほしいと 思っています 



陳光興(チェン・グァンシン)・台湾の交通大学名誉教授 (通訳:鈴木)

日本の「第三世界論」は 日本は アメリカの属国である だから 第三世界に ぞくしているのだと というような 日本の思想の状況 そこにまで 広げることはできるでしょう 中国の 「第三世界論」は どこまで 広げることができるのか 中央アフリカまでか びみょうな 関係がある というのは 国際関係は 集団で形成されたか 個人で 形成されたかが 非常に わかりづらいからです 孫文は 当時 われわれは しょくみんちだったと 従属論とも  かかわってくるでしょう グローバル・サウスで もんだいになっているのは 第三世界にだいして 現在 中国では どのような 問題があるのか 私は 中国以外 それ以外 への 思考の在り方が 欠けているように かんじます 思考の在り方が だいじなのではないかと思います



村田

中国で 国外調査に行く 研究者 学者が なんでこんなに 少ないのか? 日本の学者 は よく アフリカへ 行くんです それが 他者感覚と かかわるのかなと .ずっと 考えていました 東京大学は 官学ですから こりかたまって あんまり 期待しない方が いいかなと 思います ごめんなさい 鈴木さん わるくち言って



>東京大学の汪と申します。非常に示唆的な講演と講評をいただきまして、誠にありがとうございました!賀先生の心配と祈念に関して、非常に同感しております。中国の「第三世界論」と今日の中国の国際感覚につきまして、2つの質問させていただきたいと思います。今日において、国際開発・援助の分野は、中国の国際感覚を反映しながらそれを再構築する一つの前線のように思います。1. 1980年代において、中国の対外経済協力の予算も組織規模も大幅に削られ、「量力爾行」の方針を取りました。それは、「1970年代の国際主義的な援助が、中国国内の発展に大きな負担になった」ことに対する反省だと言われています。賀先生が理想とする「第三世界観」においてどのような自他関係と国益感覚の方が望ましいでしょうか 2 .その領域では、「第三世界論」はほとんど言及されなくなりますが、「南南協力」やGlobal Northのような概念が頻繁に使われております。こうした「南南協力」の精神もまた、最初の革命的情熱・義理から離れ、どんどん実用主義の方向へと移り変わっているとも指摘されています。「南南」と「第三世界」という2つの概念の異同に関して、賀先生はどう捉えているのでしょうか。ご意見を伺えると幸いです。


祝世潔
汪さん!お久しぶりです!您可以把中文也贴一下吗?好让贺老师看懂。



鈴木

多くの質問いただき 大変 ありがたいことでしたが ただ 老眼で どれかひとつをえらべなかったので べつのかたちで 回答をかんがえたいとおもいます


祝世潔・HMC特任研究員

きょう ご参加のみなさま どうもありがとうございました




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