一週間刻みの眺め(長め)サイト(笑)

今週、引き出しの中に容れたもの。

2022/5/30(月)から今日まで。(第33週ー後半③)




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2022/6/5(日)
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きょうは、プライベート・デーにつき、いつもの形式の長文ブログはお休みです(笑)

黄昏時の花菖蒲園と、古墳をはしごして、16,035歩(10.4㎞)歩きました


(2022/6/4撮影)


With "Ryo ryo"(ウィズ リョーリョー)


With "Would you"(ウィズ ウッジュー)

✨🦐🐙🦑🐟😸👩🏻‍🦰😺🦐🐙🦑🐟✨






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2022/6/4(土)
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朝は、オトン(元ウチの人)からのメール・チェック(備忘録的なものなので、読み飛ばしを)。

「昨日は近所の中華居酒屋。今日は半日、その後はフリーです。」


夜は、菟田野のお義母さん(84)に、ラブレター書き(笑、同上で)。

おかあさん コン🦊ばんは(笑) 夜分恐れ入ります🙇
きょうの夜散歩では、三日月が、山の上の高い高いところに、引っ掛かっていましたよ🌙✨

それでは、きょうは「根っこばなし」より、『月夜の嫁ご👰🎑』話を始めます👰👶👵

昔、岐阜の加納という宿場で、若い村娘がひとり、下働きをしていてそこで下駄や雪駄直しの商いをしていた部落の若い衆に、「どうか私を連れて逃げてください」と、丁重に頭を下げて、お願いをした、という話からの続きでしたね。

なお、『月夜の嫁ご👰🎑』は、タイトルに魅かれて選ばせて貰った作品なので、物語が予期せぬ展開(?)になるかもしれないことを、あらかじめお詫び申し上げます(笑)🙇


「根っこばなし」より『月夜の嫁ご👰🎑』


👵👶👰

「うそこくなっ。部落のもんの 奉公は 知ってのとおり 御法度じゃぞ、
かりに お前が 仲間なら、お前の 出所と 親の名を いえ」
と、叱ったら 目を うるませて 告げたとよ。

あんまり けったいな 話じゃで 部落へ もどって 聞いたらば、
なんと 娘の 部落も 親の名も たしかにあると 分ったで、
こりゃ 捨ておけんと 騒ぎに なったと。

親は 七人子持ちの せごし(※瀬越し、逆境)が 辛くて口すぎ できず、
娘の 身元を かくしたうえで 五年の年期で 口べらしの 奉公に 出したもんの、
飯盛りなどとは 寝耳に水じゃと おどろく 始末でな。

だんだん .皮をめくったらば、親の 無筆えお よいことに
取り持ち役の 百姓が、 親との 約定を ほごにして
娘を 飯盛りに 売ったうえ、
給金まで 猫ばば しとったとよ。

(つづく)


雨季の六月、わたしたちは何昼&何晩、月が拝ませてもらえるしょうか?🤗🌙🌓🌖🌕🎑

では、次回は、明後日6/6(月)になりますけれども、素敵な物語と、ド下手で偉そうな(?)私の文章を、どうぞお楽しみに😉✨💗

お互い、いついつまでも、心の中は、三日月のように、凛としていましょうね🌙✨
おやすみなさい💤😪💗⛪️💗👰🤵💗🚌✨




それが済むと、要事前申込のウェビナーのアーカイブ配信を視聴させていただきました。

テーマは

「~核兵器禁止条約締約国会議に向けて~ ヒバクシャと会ってみよう」 
【語り手】
家島昌志(いえしま まさし)・日本被団協代表理事、東友会代表
徳田悠希・上智大学3年生


※資料82に、質疑応答の部分起こしがあります。




リョウリョウ「兄ちゃんは 〇ゅ~るモーニングが イブニングや お夜食にも 拡がりつつあります ボク的には よかったニャ~?」


ウチ「ウッジュウは パッと ようなったら もっと ええかもしれんなあ?(声にならなかった)」


😸👩🏻‍🦰😺



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資料のイメージ
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※ウェビナー(Webinar)とは、ご存知のようにコロナ禍、私たちの日常に、新たに加わった "ウェブ(Web)" 開催の "セミナー(Seminar)" のことです。
※画像が大きくて申し訳ありません🙇‍♀️

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※資料82

2022年6月3日(金)

オンライン被爆証言会vol.4「~核兵器禁止条約締約国会議に向けて~ ヒバクシャと会ってみよう」 
【語り手】
家島昌志(いえしま まさし)・日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)代表理事、東友会(東京都原爆被害者団体協議会)代表
徳田悠希・上智大学3年生、KNT(KNOW NUKES TOKYO)メンバー
主催: KNOW NUKES TOKYO
詳細:https://www.know-nukes-tokyo.com/shogen-vol-4/


※質疑応答の部分起こし

>おはなし ありがとうございました 本当に ひとりひとりに 異なる 被爆体験があり 多くの人の人生を 狂わせる核兵器は 廃絶しかないと 思います  


徳田悠希・上智大学3年生、KNT(KNOW NUKES TOKYO)メンバー
いま 話を聞いて ウェッブサイトで 意見を表明する して動くっていう それは とっても 大事だなことだあと 思います 
この ウェッブサイトの中でも 何かを お話をしてもらう っていうことが 誰かにとっての 何かの きっかけになる っていうことが あるんじゃないかなあと 思います



>被団協(日本原水爆被害者団体協議会)として やらなくちゃいけないなというか やっていこうという いちばんのきっかけは何ですか?家島さんみたいな人が もっともっと 出てきてほしいと 私なんかは 思うんですね


家島昌志(いえしま まさし)・日本「被団協」代表理事、「東友会」代表
父親が がん死した(.60歳)ということが 一番 大きかったと まあ そのときは 思わなかったけども やっぱり これは 被ばくの影響に 違いないと 私自身が 甲状腺がんになったことは つい 最近のことだから 被爆者運動を 始めて ずっと 後半のことですけどね  誰かは 原爆は 親の仇だと ってことはありますけれども やっぱり そういう 因果関係が 生じると 何かせんといかんだろうと 大きく 核兵器廃絶のために 社会のために というのは 一個人の力じゃ どうにもなりませんけれども こういう運動に 加わることが 私の人生後半の 生きがいだと 思う 

勿論 本当は 元気のいい 現職の時に やるべきだったかもしれませんが やっぱり 毎日 終電で 帰るような 生活ではね 残念ながら(笑)


僕らなんか 同級生には 被爆者が いっぱいいる いるけどね やらない やっぱり 何か きっかけがあって やるんだと思う そういう意味で 歳は 関係ないと思うよ


家島

ほんとうは 退職してから 毎日 魚釣りでもしてれば よかったけれども 社会のために 何かをするという ひとつの選択ですよね 



>選択を そこに 持ってきたというのが 重要なんよね


家島

それは あれですよ 藤平典(とうへい のり、日本被団協元事務局長、東友会元会長、2011年胆のうがんのため死去。82歳)さんに 最初は オブザーバーでいいから 「東友会」に出てくれ と言われて 無理やり 引っ張られて 1年間 オブザーバーでしたよ それから 執行委員になり 事務局次長になり 事務局長になり 副会長になり 会長になりと とんとん拍子で 出世させられましたから 抜けられなくなったということで(笑)



>なるほど 僕ら 藤平さんみたいなことを しなくちゃいけなかったんだよね やっぱ「やってよ」とか 「やってくださいよ」とか そういうことを 言う人が 必要では あるのね 遠慮してちゃいけない



家島

そうですね そりゃあね 中野区内で 東大出た人とか 被ばく者で 高学歴の方はね  一種の そこは あるんですよ 「自分たちは エリートコースを 戦後 歩いてきた 親が 爆死したとか いろんな影響は あったけども やっぱり 本当は 僕たちが リードすべきなんだなぁ」 というふうに 東大出た人が 言ってましたよ 「申し訳ない」と


だから 頭の中に そういう かけらは あるんでしょうね 社会をリードした人だから 運動のリードも っていう でもまあ いろんなことがあって なかなかね


 運動に 飛びこんでくれるっていう人は 自分が がんになって とかね そういう 動機が 多いんでしょうね 


なかにはねえ やっぱり 子どもを 亡くしたから というのが 動機であった人も いますよねえ それは 本人が 病気になるより 大きなショックでしょうね 僕らは そういいう意味じゃ そういう動機は 薄い方かもしれませんね 


親が 59歳で 先に 亡くなる(家島昌志代表の母)というのは 確かに 今の人にしてみると 早すぎるけれども やっぱり ひとつの動機ではあるけれども それまでは 普通に 健康に 育ってきたから 動機は 薄い方だったかもしれませんね 今更 言わせれば


飛びこんでしまえばね その 組織の 強制が働いてねえ もう疲れたからやめたと いうわけにはいかない 目的は 達せられたから 達せられないから もうやめるとは 


本人が 健康そうであってもね 「歩けなくなったから もう 勘弁してくれ」って 言う人は います 歩けなきゃねえ 活動できないから そりゃあ 動けるだけの 健康に 生まれた ということも あるだろうと




どんどん 経験した人が 減っていっている ということで わたしたちは これから どういうふうにして 関係性を 作っていったらいいのでしょうか?



家島

昔は 広島原爆死没者追悼平和祈念館では 3歳以下の証言 というのは 要するに 記憶が 曖昧な人は 証言対象から 外すと いうことだったです 


いまは 胎内被爆者 2歳 3歳の 記憶の乏しい 証言者にも 広げていて テープにも 収録しているんですよね


今年は たまたま まだ 漏れている 90代の人たちが 数人いるので そっちの ビデオ撮りを 急いでくれ ということになりましたけれども 来年は 胎内被爆者の人と 1歳 2歳の人の 証言の ビデオ化の 承認を もう取りましたよ 


そういうふうに はっきり 記憶があって 証言できる人は 少なくなりましたけれども 今のうちに 沢山の 証言を 先々のために 撮っておきたいです 


やっぱり 実体験した人から 聞く 記憶っていうのは 迫力が あります 私のように 親から聞いた話しか 分らんと いうことではなくて やっぱり  そういう証言は 非常に 貴重だと 思いますし 行政に そういう証言を 見出してほしいと 思います


まあ 90歳以上の人を急ぐ っちゅうのはね あとがないから ということです 胎内被爆者は 若いから まだ後回し っちゅうことです


そういう人に 多く 名乗り出て ほしいんですけどもね やっぱり 「思い出すと 頭が パニックになる」 という人も まだ いますよね  証言できないと 



徳田悠希

今の質問 私自身も そうだなって思って 聞いていたというか やっぱり こうやって 証言を してくださっている方々 というのは 届いているのかとか これが実際に 核兵器を なくすために 動いたり 何か前進することに つながっているのかとか なかなか 分らない中で 語っていらっしゃる方が 多いんじゃないかなと 


私自身 そういうことを 伝えながら つながりを 作ることができれば 作っていければと思って やっていて 


まだ つながりは できてはいない しかも 数はどんどん 少なくなっていくかもしれない けれど 作ることは まったく できないことではない というふうには 思っていて


勿論 いろんな映像を観て 自分の中で深めていくことでも そういったつながりを 作っていけたらいいな というふうに思って 今 聞いておりました ありがとうございました


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