一週間刻みの眺め(長め)サイト(笑)

今週、引き出しの中に容れたもの。

2021/12/27(月曜日)から今日まで(11ー後半)






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2022年1月2日(日)
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きょうは、プライベート・デーだった為、通常の長文ブログはお休みしました(笑)


今年の初失敗です(><)


奈良のお義母さん(83)が、腰痛を押して作って下さった「きなこ雑煮」の写真を、撮り納め損ないました。


義弟のお土産の、とらやの羊羹 「孟春の虎」を切り分けて、皆で頂いた写真は、ちゃんと撮れていたのだけれども…。



それでも、信貴山の、張りの子の虎(おばあちゃん)、虎(息子氏)、虎(従弟)は、お出迎えしてくれました。


それでも、お義母さんの庭の、100個の玉葱の苗は、順調に育ってくれていました。


それでも、お義母さんが、庭のサラダ水菜を引いて、沢山持たせてくれました。



それでも、今日は留守番をキメた息子氏の晩メシに、オトンが、おばあちゃんの水菜のせ回鍋肉を作ってあげていました。



そんな中で、私は、今日は、8,870歩(6.8㎞、1時間8分=68分)歩かせて頂きました。


私は 自分がこんなだからか やらかしてしまう人がみな 愛しいです…💧










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2022年1月1日(土)
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きょうは、ノー勉📖デーだったため、通常のウェビナーと、YouTubeライブ配信視聴はお休みしました(笑)。


夜は、息子氏(23)に、ライン送信(備忘録的なものなので、読み飛ばしを)。


「息子氏ィ~、何で奈良帰るのいらんの~、話聞くだけやったら聞くでぇ~、ことよろ。」


きょうは 割と早めに 返信がありました。


「長時間移動めんどくさい。それに、ばあちゃんとは、一緒に住んだら毎日会える。あけおめ」



きょうの、夕方5時から散歩は、やたら、お腹のすくコースでしたニャ~😹



お小遣い、す~ぐ、なくなってしもたでぇ~😋



歩数は、12,160歩(8.0㎞、1時間38分=98分)でした。



(百舌鳥八幡宮/堺市北区百舌鳥赤畑町)


皆さま 今年も 

よろしくお願いいたします!






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12月31日(金)
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朝は、年に一度の、石神井の実母(83)からの、暮の挨拶メールのチェック(備忘録的なものなので、読み飛ばしを)。


「私の1年は~何となく過ぎてしまいました。でも元気にしていられる事に感謝しています。買い物ついでに、カレンダーを買いました。仔猫ちゃんが可愛いくて、めくっては見ています。いよいよ2021年も無事に送れそうに、感謝です。貴女の2022年も健康で素晴らしい年でありますように、祈っています!有り難うございました。」


夜は、菟田野のお義母さん(83)に、レター書き(同上、笑)。


おかあさん こんばんは😄大晦日に、今季二度目の寒波がやってきました。おかげで少し、寒さ慣れしてきた感じで、これで私は、息子氏を連れての、氷点下の奈良への帰省もド~ンと来いです💪それでは『重い櫛(くし)』最終話をお送りします🌛今夜もあったかくして、お付き合いくださいね😊


「根っこばなし」より『重い櫛(くし)』
👧👵

こうして地べたに落ちとるからは、婆さは人の三倍も 長生きすると判じたろまい、とな。
亭主をはじめ身内の者が、落ちとる櫛をとりかこみ、心のきまりをつけたとよ。
婆さはそれから 長生きしてな。なんどもなんどもひきつけて、
あの世のにきから戻ってきたが、正気に戻ると身内の者に
「嫁ごに おばれて つれ戻された」
と、どてっぽ 言ってな。そのつど 嫁ごの自慢をしたと。

(おしまい)
👩👵

今年も1年、私たちのことを温かく見守って頂きありがとうございました🙇来年は、関西生まれの年女のおかあさん、年男の〇〇くん(※従兄弟)、息子氏の年ですので、よい「虎」年を😉

🐯🐯🐯



それが済むと、一昨年2019年8月30日の講演『笑い祭り~日本の宗教は笑いの伝統世界一~』(講師:森下伸也・関西大学人間健康学部教授)の文字起こしを、大晦日も、年越し蕎麦も作って食べずにやっていました(笑) 

資料※⑤に掲載しています。日本人って「笑い」が大好きだよねと、一緒に原点回帰して笑って頂けたら最高です(笑)




今夜は、「Revo」さんのコース全8品のうちの6品目、「ヘレステーキ」の「写メ」をアテに「猫ちゃんたち」と晩酌しました🥛🍹(笑)


今年も一年、ありがとうございました!




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12月30日(木)
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きょうは、ノーペン🖊デーだった為、通常のメール・チェックとレター書きはお休みしました(笑)。


夜は、以下の事前申込不要のYouTubeライブ配信1つを、文字起こし無しで視聴しました。

外国人技能実習制度を問うーベトナム人女性実習生リンさんの孤立出産がなぜ「犯罪」とされてしまうのか?ー


(熊本県のみかん農家で、外国人技能実習生として働いていたリンさんが、双子の男の子を死産し、相談できない中、保管していたことで、2021年7月に熊本地裁で有罪判決が下った事件です)



その後は、8歳まで無国籍児として育った三木幸美さんの講演(2019年3月30日、和泉立人権文化センタ)の全部起こしをしました。

資料※④に掲載しています。


三木幸美さんは、日本以外に、フィリピンにルーツを持っておられ、大阪の被差別部落で生まれ育った マルチレイシャルっちです(笑)



今夜は、「Revo」さんのコース全8品のうちの5品目、「白子の茶碗蒸し」の「写メ」をアテに「猫ちゃんたち」と晩酌しました🥛🍵(笑)








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資料のイメージ
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※ウェビナー(Webinar)とは、ご存知のようにコロナ禍、私たちの日常に、新たに加わった
 "ウェブ(Web)" 開催の "セミナー(Seminar)" のことです。
※画像が大きくて申し訳ありません🙇‍♀️


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※④


2019年(平成31年)3月30日
テーマ:私たちの多様性を、私から作るために
話し手:三木幸美さん(とよなか国際交流協会職員、
とよなか国際交流協会・大阪市立南小学校でダンス教室開講)

会場:和泉市立人権文化センター(ゆう・ゆうプラザ)



※講演の全文起こし


私は、人権問題としてのハーフ、部落からは入れなかった。それらは全部 大人になってから勉強した。『私たちの多様性を、私から作るために』という ぼやけたタイトルにしたのは、多文化共生という言葉では言い切れない、私という一人の人間の中に 生きている問題なんだとお伝えしたくて。


今日のテーマは《私たちにとってマイノリティーとはいったい誰なのか》です。2019年4月の入管法改正で国内に居住する外国人は増えるだろうと言われていますが、ずっと前から増え続けています。2017年は247万人。今263万人を越えてます。国内の20%が外国人。ただ この数字は 外国籍の方のみです。私は、日本国籍です。


外国人・外国にルーツを持つ人は 日本で生活するうえで 「3つの壁」に突き当たると言われます。


①法・制度の壁(入国管理局による在留制限等)
②言葉の壁(情報が行き届かない)
③心の壁(あまりハーフと胸張って言わない方がいいと自分から思ってしまう。私の場合、先に日本人だと言って自分を守る)


外国人、外国にもルーツをもつ人に纏わる問題を 自分で書いてみました。
将来〇〇になりたい。日本国籍がない場合、生活をする中で もの凄く当たり前のことが、選びたいことが、
選べないことがある。イメージで考えちゃうんですけども日常生活の中にあるんです。


私は 8歳まで「いるのにいない子ども」でした。

小学校入学まで無国籍児でした。小学校入学の年齢に達したことが 私の存在の発覚に。

8歳まで国籍がなかったので、それまで通っていた所では 通学時に事故等にあっても責任が取れないと言われ、毎日 母に迎えに来て貰っていました。


母は 8人兄弟の家庭で育ち、兄弟それぞれ 別の国に出稼ぎへ行っていました。私の母は1980年代に日本に来ました。そしてビザが期限を越えてしまいました。在留資格がありません。だから 子どもは存在しないことになりました。

昔はお腹にいる時にしか認知できませんでした。今は 出生後も可能です。私の父と母は 後から 婚姻関係を結びました。


母は被差別部落識字学級で日本語等を勉強しました。私が親の学力を抜くようになると、母は私に1つの事を聞くのに7回ぐらい「ごめんね」を言いました。中3くらいに それが大きな壁となりました。お風呂は 借り湯してた所から 銭湯が4つもあった地域へと移り住みましたが、高校生くらいになるとそういう生活に 周りとのギャップを感じました。


#わたしはナニジン
被差別部落に生まれ育ったフィリピンと日本の「ハーフ」である私は、
どこか不完全な「ハーフ」であり「部落民」だった。家の中の私の役割は どこか 日本人っぽかった。読み書きできない母を支える日本人の私という位置だった。


それが動き始めたのは 5年に1度世界中に散らばったファミリーが全員、フィリピンに集まった時だ。ファミリー全員と唯一凄く一緒だったのは、料理(食べ物)だった。それにより 私は、ベースになるファミリーがここにもあるんじゃないか、人権問題を勉強しないと「ハーフ」って言えないと思っていたのが 自分は既にそういうものを持っているんではないか、と そういう風に思えるようになった。


でも 日本に帰った時に また そう思えなくなった。そうじゃない社会に戻った時に もの凄く辛くなる。「わー、外人だ!」「お前ハーフだろ?」や、友達から「〇〇(母国語とか)できるんやろ?できへんの?なーんや」、というまなざしを受ける度に あんまり胸張って言わん方がいいのかなと 先に 日本人だと言っちゃう。自分の事を守る。それが凄く長く続く。


#ホンモノを求めて
タガログ語は話せないが フィリピンの国家は歌えるようになった私を みんなは褒めてくれた。でも 韓国・朝鮮の仲の良い子は 小学校高学年になると 民族学級があり 学校に発表の場があるが 国が違う私には無い。拍手を送りながらも 自分のルーツは そんなに大事じゃないんだと 羨ましく思っていた。


#差別のカタチと矢印の向き
私の母校の人権教育には 必ず人の話を聞く授業があった。教壇に立っている人が みな知っている人だから もの凄くリアル。納得できる。一生懸命生きてきた人なんだと、正しいかどうかは置いといて、知る。
そういう人たちがいるという前提で一緒に考えるというスタイル、地域だった。


自分は差別を受けた事がなく、差別は体感するものではなく 学ぶものだった。それが中2の時 クラスがぐっと荒れて、休み時間、目が合った運動場の同級生から 上へ上がってくるなり「おいお前!ここ日本やぞ!おられへんようにしたろか」「フィリピンやのに 何でこんなとこにおんねん」と言われた。


私は、「お前もやん、え?何で?」と…(彼も外国にもルーツを持つ子だった)。でも 開き直るほどの 自信もない。言い返すことができない。何で 8年目の今、攻撃してくるんだ?と思った(彼とは小学校からずっと一緒だった)。

差別されるというのは 線が引かれる という事なんですね。

え?ずっとそう思ってたん? 自分の地盤が、立っている場所が、抜けていくような感じだった。


逃げました。寂しかった。帰り道 親に話すかどうか 凄く悩んだ。バシッと言う強い母だ。毅然としてた。大ごとにされても困る。帰ったら 母は学校から連絡があって もう知っていた。

「ママの娘でごめんね」母は泣きながら謝った。

私はてっきり「負けたらアカン、頑張らなアカン」と言われるとばかり思っていた。うろたえてしまって 初めて泣いた。


「死ね」という言葉が 教室内で飛び交い、最終的に 中3の時の大事件に繋がった。ダウン症の障害を持つ子がトイレで殴る、蹴るの暴行を受け 動画にして回された。暴力を振った同じクラスの男の子たち4人(先輩から「お金を持って来い」のいじめを受けていた)にも先輩にも 背景があった。許される訳ではないが現実逃避でやっていた。


そんな時、ゲストティーチャーとして 暴行を受けた子のお母さんが来て 私たちの前で話してくれた。「いつも遊んでくれて有難う。この子は 帰ってきたら いつも みんなのことを 楽しそうに話してる。だけどね、自分で生きていく事が 凄く大変なんだ。将来 不安になる。だから 私より先に死んでほしいと思ってる…」


自分の子に死んでほしいというお母さんの言葉と クラスで飛び交っている「早よ死ねや」という言葉とでは 意味合い、気持ちが 全然違う。それが転機となって それぞれが 自分の中で考えるようになった気がする。相手の弱い所を選んで やっているんだと気づいた。クラスから 「死ね」の言葉が 本当に 減っていった。


私のお母さんも みんなの前で 話してくれた。それ以後、同級生が お母さんに 道とかで会って 挨拶してくれるようになった。私のお母さんは 友達を沢山呼んで 娘の誕生会をするのが好きだ。娘もドン引きするような 写真入り招待状を作る。みんなのお母さんとは ちょっと違うけど それは〇☓つけるものじゃないんだ。


#困難は自分でのりこえるもの?
中1のHR合宿の晩に 自分の事を話した。「別に気にせえへんよ」と言われた。肩透かしをくらったよう。私にとって 凄く大事やねん。あんまりひつこく言うと 怒ってどっか行っちゃう。
その時点で 弱さを持つことを許されないのがマイノリティーなんだと思った。


それでも 誰かに解ってほしくて 中3の時に 全校生徒の前で スピーチに立った。部落だけじゃなくて マイノリティーは 沢山いるんだ。スタートラインは 同じ所にいるんだ。応援するんじゃなくて  自分の場所から考えないと どうするのか。どう梯子をかけるのかなんだ。自分が 何を がんばるのかが これから凄く大事になってくるんだ、と訴えた。


#私を日本人にしてくれた母
親子の生活は この地域だからこそ 維持できた。自分よりずっと誰かを優先してきた母は、50歳になって、これからは自分の事をやっていいんだと 思うようになった。
私は中3の時、1つの事を聞くのに7回ぐらい「ごめんね」を言う母が 嫌になってきて、ある時 こんな事を母に言った。

「日本語 何言うてるか わからへんねん。ちゃんと しゃべれるようになってから もの言うて!」
言った自分が 一番びっくりした。それまで 思った事もなかった。自分にしんどさを抱えた時に 引き合いに出してしまった。だからこそ、もの凄く丁寧に やり取りしたり、アップデートし続ける事が大事なんだと思った。


#個人と社会をつなぎとめる語り直し
私は 差別するやつ=無茶苦茶悪いやつだ という認識を変えた。元々 持っているものじゃない。「障害を持つ仲間と歩む会」 「部落研」 「中国人子ども会」 「朝鮮子ども会」 の4者の代表と生徒会で構成される反差別共闘委員会に入ったのも中3。自分と社会との接点に 気づいた。


#私たちは外国人をどう見る?
2014年の浦和レッズの横断幕事件「JAPANESE ONLY」を受けて 関連番組を 2018年6月に制作したNHKが 続いて11月のおはよう日本で 「多様性は日本社会をよくするか?」という特集を組んだ。番組は「日本人の57%が『悪くする』と答えていますがどーしますか?どーしますか?」と外国人に意見を言わせる進行。私は 出演依頼を断って 良かった。これは 外国人が取らなければいけない責任じゃない。出すべき情報があるとしたら 

日本在住の外国人犯罪は何%かだろう
2%
全体の検挙数100件のうち2件。それが3件になった。確かに 増えてると言えてしまう。

しかし 全体の検挙数も 500件に増えた
減っている。


いい事をすると それ以外を“カット“して褒められる。悪い事をすると その“インパクト”を拡大して理由に出来る。引っ張り出されては押し込められる「外国人」。本当は 見せられたものしか見ていないのだ。「外国人」に限らず、言葉を“カット“されたり“インパクト”を拡大されたりする事が 年々 増えてきていると思います。


情報をどういう風に仕入れていくのか?その情報は どういう意味を持つのか?本当にあっているのかなと ちょっと疑いながら 仕入れていく事が大事だろうと思う。今の私が 正しい情報を仕入れて 自分の「当事者性」に捕われずにディスカッション出来るのは 日本人だと先にアピールして回避していた時代がしんどかったからです。


#とよなか国際交流センターとの出会い
その後 大学生ボランティアとして関わった今の職場、とよなか国流の事務局長は 私が小学校入学前 無国籍だった時に 相談にのってくれた方だった。母と私は ここで 今どんな風に暮らしているかのインタビューを受けた。今も 仕事で知り合う人から「あの時の子か」と 覚えていて 言って貰える。


ここは 周縁化される人にどのようにアプローチしていくかをもの凄く大事にしている所。自分の家族(父・夫)に否定される事もある女性・子どもが主体。エンパワメントが目的。フィリピンパブで働いてきた人達の老後は どうしたらよくて どのようにして 自分らしく生きていくか、という問題で、自分が 教える側に立って 活動した。


#可哀想ではない子どもたち
「ナニジン?」と問われれば「日本人」。でも一言で言えば「外国人」♪
そんな風な 答え方をする子が いる。
どちらも正解。


でも どっちなんだ? と聞いちゃう空気が 日本の中にはある その子を 指導するべきなのか。
次、同じ状況が来た時に 一旦考える事が出来る 子どもや大人になれたらいいな。


マジョリティーは 考えることをやめることができる人 マイノリティーは 考えることをやめることができない人 それをどのくらい 平らなものにしていけるかな 自分の 当事者性にとらわれないように どう生きていくかな ここは そういうことをやっている 私は ここで ダンス教室や居場所作りに 関わるようになった


#ここで暮らす場所を自分でつくる
ダンスの活動の中では「必ず自分で決めて下さいね」を目標に置く。プロセスには 誰も干渉しない。選択には〇☓つけない。なぜなら 場所を提供するのが 大人の限界であり、選択肢を沢山増やしていくのが 大人の仕事だから。まず 意思表示して 一旦停止して そこから検証する。


#捨てずに重ねる自分づくり
みんなから外れてやらなくなる子が出てくる。
「あなたはかけがえのない人ですよ」とか言いません
出来ないからそうしているのだから。どのタイミングでそれを選んでもいいんだという所で 大人は選択肢を提案し続ける 自分で エンパワメントされて 選ぶようになるまで 私たちは待つ。


出来ない事は もの凄く大事な事 その1歩が 出来るようになった これからずっと その階段を上っていく。


#自分が持つ正しさを当てにしない
それが透けて見えると 子どもは何も言えない
ちゃんとここに居て聞くよ、という 聞く側の大人の姿勢が これからは あらゆる場面で大切
こちらに 訓練が 必要な事だけれども。


#多文化共生という言葉を 今日は使わずに来た
優しさ、思いやりでは もう賄えない時代に なってるんじゃないかな 萎縮でもない 複合的に起きていることなので 学びを続けながら 自分が 聞ける人になっていきたい これからの時代 何が大切になってくるかに使っていただく為に今日の自分の話をみんなに話して頂きたいです。


#受け入れるより 大切なのは
引き受けるよという意思表示・社会だと思っています。
生き抜く術を身に付けるのではなく生き抜かなくてもいい社会へ“私を開き私たちの社会へ”


ありがとうございました。




~☆・*。.:*・゚☆・*。.:*・゚☆~


※⑤


2019年8月30日
講演:日本人はどう笑ってきたのか~宗教との関りで考える~より

「日本の宗教は笑いの伝統世界一である」ことについて

①天の岩戸開き神話(日本最初の笑い)②笑う聖像③宗教からお笑いへ④笑う禅僧 ⑤笑い祭り
講師:森下伸也・関西大学人間健康学部教授、日本笑い学会会長 



※日本の宗教は笑いの伝統世界一⑤笑い祭り より全文起こし


日本には 笑い祭りが 何万とある


1)純系:笑いを神様に奉納するタイプ
2)芸能系:笑わせる芸で神様に笑ってもらう
3)性神事系:日本の宗教は世界一スケベ―、物凄い数ある
4)派生系:祭りを通じて 笑いが何らかのきっかけで起き、その笑いを求めて 祭りをやる




具体的に、観てみましょう


#笑い祭り
2)芸能系:漫才狂言のような形で、笑わせる芸能をやって、神様に笑ってもらうパターンには


京都市中京区の壬生寺の「壬生狂言」

岐阜県美濃市の「美濃流しにわか」

愛知県知多市の「尾張万歳」

高知県室戸市吉良川の「御田祭」


等がある



#笑い祭り

3)性神事系:笑いに、性的な要素が強いものには


奈良県高市郡明日香村の飛鳥坐神社の「おんだ祭」 毎年2月第1日曜日開催

愛知県小牧市の田縣神社の「豊年祭」 毎年3月15日

三重県津市美杉町下之川の仲山神社の「ごんぼ祭り」 毎年2月11日


等がある



※10年前の 愛知県小牧市、田縣神社の「豊年祭」は、私、森下は、

「令和」を考えた あの先生(?)に お見せしたんですよ。失礼なw


▼その、10年前(2010年03月15日)の豊年祭の動画です(笑)




#笑い祭り
4)派生系には


山形県上山市の「加勢鳥」毎年2月11日開催 
(「 かせどりカッカッカー」と鳴きながら歩いて、寒いのに 水をかけられる時間が一番面白い)

奈良県磯城郡川西町の六県(むつがた)神社の「子出来おんだ」毎年2月11日

奈良県河合町の広瀬神社の「砂かけ祭り」毎年2月11日


等がある



#笑い祭り
1)純系には


三重県志摩市の恵比寿神社の「鼻かけ恵比寿初笑い神事」毎年1月20日開催

三重県尾鷲市矢浜地区の「山の神神事山の神神事(オコゼ祭り)」毎年2月7日開催

山口県防府市の小俣八幡宮の「笑い講」現在12月第一日曜日開催

大阪府東大阪市の枚岡神社の「注連縄掛神事」毎年12月23日開催



愛知県名古屋市の熱田神宮の「酔笑人(えようど)神事(オホホ祭)」毎年5月4日開催

和歌山県日高郡の丹生神社の「笑い祭(丹生祭)」毎年10月第2日曜日に開催


等がある



一つ一つ、観てみましょう。


山口県防府市の小俣八幡宮の「笑い講」

800年以上前から続く神事で、現在は12月第一日曜日に、
地元の神社の住職が 21名の氏子を引き連れて、20軒ぐらい順番に、

「ワーハッハッハッ」と、3回笑って 回る。





大阪府東大阪市の枚岡神社のお笑い神事、「注連縄掛神事」

今も毎回、2,000~3,000人の人が来る。
全員で20分 笑い転げる。
はっきり言って しんどい(笑)
だが、年末だから 意味がある。
毎年12月23日、天皇誕生日に行われる。
浅知恵だったんだね(笑)
次からどうなるのだ?(笑)





三重県志摩市の恵比寿神社の「鼻かけえびす初笑い神事」

参加者が 海に向かって 「ワッハッハ―」と3回 大笑いする。

大漁のお守りとして 恵比寿像の鼻を取っていく風習があって、鼻が欠けているところから、

恵比寿像は「鼻かけえびす」とも呼ばれている。





三重県尾鷲市矢浜地区の「山の神神事(オコゼ祭り)」
山の神=女性の神さんなので 〆がオコゼ。「ぶさいく」なのを見て 笑って下さいと。

オコゼは 解凍して 持っていくんです。

準備は 物凄いかかるんですけど オコゼを ちらっと見せて ワハハハハで 終り

これだけ。もう一遍観ますか? いいですか?






和歌山県日高郡の丹生神社の「笑い祭(丹生祭)」
白い顔に 赤い色で「笑」と描いた「鈴振り」さんが 「笑え、笑え」と言って、

12人の升を持った男たちが大笑いして、約2時間、この状態で練り歩く


今年は中止>< 近場だから行けそう。コロナがどっか行ったら またやって下さいね!(whimeda)






愛知県名古屋市の熱田神宮の「酔笑人(えようど)神事(オホホ祭)」
真っ暗。何のこっちゃさっぱりわからん。神主が下手な笛を吹いて 全員一斉に オホホと笑う

草薙神剣が 神宮に還ってきたことが 嬉しい。天智~天武時代から 1400年続いていると 神社の人。

古いのは古い。室町、600年前位には。



日本の宗教は 物凄い「笑い」が好きだねと わかって頂ければ 本望であります。



~☆・*。.:*・゚☆・*。.:*・゚☆~




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