一週間刻みの眺め(長め)サイト(笑)

今週、引き出しの中に容れたもの。

第50週※雑学No.172(*PEACE*),2022/9/26(月)~,B.D.+27

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2022/10/2(日)
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きょうは、プライベート・デーにつき、いつもの形式の長文ブログはお休みです(笑)


きょうは、ウッジューが星になって53日目☆彡
そして、リョーリョーの8歳のB.D.から20日目☆彡
きょうは、美原区に金木犀の香りを嗅ぎに行き

With "Ryoryo"

25,834歩(16.7㎞)走り歩きしました🏃🌻
そのあとは、『「戦争を伝える」ということ』の文字起こしをしました↓↓

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開催日:2022年7月30日(アーカイブ配信開始日:2022年09月28日~)、主催:明治大学平和教育登戸研究所資料館、「『戦争を伝える』ということ」、講演:渡辺賢二・専門委員、川口重雄教諭、橋本暁教諭
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(講演と質疑応答から抜粋)
※YouTubeの文字起こし機能を使って、部分起こしをし、誤字・脱字を修正しました
川口重雄・前 田園調布学園中等部・高等部 社会科、地歴科教諭、丸山真男手帖の会代表
🌛1:35:15
これは私あの
1:35:22
すごく感じるのは やっぱりもう(いわゆる現役世代の)大人の 方っていうのは 1970年代 80年代
1:35:28
90年代に 生まれてますから
 
やっぱり
1:35:33
先ほど 渡辺先生がおっしゃったここに並んでいる 3人が 10年刻んだずつの世代ですが もう
1:35:41
これは完全に おじいさん・おばあさん世代 なんですよね 
そうじゃなくて 今の日本の現代の
1:35:46
社会の 30代40代ぐらいの人たちに 改めて
1:35:52
横につながる市民としての 戦後史の勉強会とか
 それから私 ここのところ
1:35:57
いろんなところで言ってるのは  
2001年 21世紀になってもう 20年経ってるん
1:36:03
ですね でこれは やっぱり きちんと歴史とし て 説明していく義務が 大人の世代(1970年代 80年代 90年代生まれ)には ある

1:36:11
考えてます


🌛1:36:31
 実は私が今まで勤めていた田園調布学園も 2013年に
1:36:38
国会で 入試問題が取り上げられた
んですね 当時 比例の九州ブロック選出の
1:36:45
西川京子という議員が 2012年の 覚えていらっしゃいますか 12月に


元衆院議員の西川京子氏、旧統一教会関連集会で講演 九国大学長時代 | 毎日新聞(2022/9/12)
1:36:51
安倍内閣ができました 第2次で安倍さんが もうすっかり「日本を取り戻す」と言って
1:36:58
そして 2013年の4月の10日 もう日付も忘れ
1:37:04
られません その日に 教育問題に関する 集中審議というのを 衆議院でやったんです
1:37:09
ね でその自民党の 質問者として 立ったのが
1:37:14
西川京子さんです そしてそれに受け答え もう秒速を合わせて 受け答えしたのが安倍
1:37:21
晋三
さんです


1:39:22
(テスト用紙の問題が)自虐的な問題である と でその後 週刊誌の取材もあったようですで週刊新潮
1:39:29
にはまさに 安倍 西川と 平仄(ひょうそく)を合わせたような 記事が出て
1:39:35
立教女学院とか 東京女学館とか エトセトラの 中に 田園調布学園も含めて
1:39:43
叩かれました


で これ今 教材で使ってます これ 生きた教材です ですから やはり
私たち(50代から上の世代)も
1:40:01
この21世紀の 2020年代前半の人間 として 自分が興味を持った問題と やはり きちんと社会に向かって
1:40:08
向き合った態度を 取ることは これ 生徒 子どもたちにとって 無言の教育になるんではないかなと

1:40:15
いうふうに考えています


🌛1:25:39
よく 新聞が 今年は この2022
1:25:48
年の場合は 戦後77年という言い方を します
で 非常にこの
1:25:54
21世紀になってから  教員41年やってたとして その約半分なんですけど
1:26:01
非常に感じるようになったのは まさに 第一問目の質問の
1:26:07
社会科の先生が 「政治史中心になってしまう そうならない ためには?」っていうご質問だったんですけど
1:26:14
言葉を 変えていうと 「枠組みで説明する」これもう 正直言って小学校
1:26:20
時代から 生徒たちはすごく慣れてます 枠の中でものを考えるというか

1:26:25
ですから 切ったら血が出ると言っちゃ何なんですが 具体的な そこにいる一人の人間がどんな
1:26:33
ことだったかっていうような 捉え方をやはり 小学校時代から していない
1:26:39
なっていうのが していないというか
正直言って 私立の学校ですので だいたい塾
1:26:45
で歴史を 勉強してきてるんですね 
そうすると 本当に「 第二次世界大戦で勝ったのは何ていう国
1:26:53
負けたのは何という国」 そういう 切り口なんですね
で そうじゃないのをどう
1:26:59
したらいいかなって私なりに 感じて 何とかやったのは 「あなたにとって
1:27:07
自分の時代の戦争って何?」って聞くんですね
  そうすると 紋切型の答えだと答えられ
1:27:14
ない
ですね で 例えば 
1:27:21
2001年の9.11の 後の世代とかでは  それからその後の
1:27:26
様々な 世界の戦争のことを考えると  その 「戦後77年」というような 言い方は いや そうじゃない と
1:27:34
はっきり言って ついこの間 生まれたばっかりの 例えば2022年は
1:27:41
今の 中学1年生っていうのは 2010年生まれですから
そうすると
1:27:47
去年の4月に 同じようなことを聞いた時には 自分の時代の戦争って あまり浮かべられ ないんですね  
1:27:54
浮かべられない でそこで私が質問を変えた のは「じゃあ 3.11の時 何歳だった?」と そうすると
1:28:00
3.11も 今度は中学1年生にとったら 生まれて2年目なんですよ だから そういうその
1:28:07
「枠組み」でじゃなくて むしろ 自分に惹きつけて ちょっと考えてみるっていう
1:28:14
自分をやっぱり置いて 自分を客観的に見て そういう中から
1:28:20
歴史を考えてみる っていう事もありじゃないかなと
思います



🌛24:36
ある時から 私は 保護者の方(今の 1970年代 80年代生まれ)にも呼びかけるようになりました 今
24:44
この オンラインのシンポジウムを聞いて いらっしゃる方には「どうして保護者なの?」
24:50
て思われる方もいらっしゃると思うんですが 実はですね私は 大学時代から
24:57
丸山眞男(まるやま まさお)という 政治思想史学者の本を 読んでまして で大学卒業した後
25:04
ちょうど 理事長学園に
25:10
就職したあと 丸山さんに合うようになりまして 丸山さんが生前 生きてる時に14回に
25:16
わたってお話を聞きましたその時に 彼曰く「日本の大学というのは
25:24
卒業現象というのが ある」
と それは一体何ですかと 言うまでもなく皆さん何となくわかると
25:30
思いますがだいたい日本の 特にあの高度経済成長期以降の大学という
25:35
のは一時はあの流行語でマスプロ大学とか あるいはたくさん大学が
25:41
全国に増えたんで 駅弁大学なんていう大宅壮一(おおやそういち)が名付けた 有名な言葉がありますがそうやって大学が
25:48
こう 広がれば広がるほど大学進学率が高まれば 高まるほどそしてそういう
25:56
右肩上がりの経済の中で大学というのは 就職するまでの4年間
26:02
でそれを丸山さんが 「むしろ大学を卒業してから
26:07
本来人間というのは 学ぶことを続けていかなきゃならないん じゃないか」って
ことをお目にかかった
26:14
時に口を酸っぱくして言われたんですね です から私たちが 丸山さんを囲んで
26:20
先ほど申しました通り 全部で14回お話を 聞いた時に


🌛「なんであなたは今その
26:27
職場で 仕事をしながら 丸山眞男(まるやま まさお)を読むんだ?」
と これ 私の興味関心から行くと 「高校を卒業し
26:35
大学を卒業した後 むしろその 一人の市民になった時に
26:42
自分たちの社会の 過去の歴史をどうやって
26:47
イメージできるか」
っていうところに まあ だんだんだんだん
26:53
気持ちがいきまして

そしてそういう中で 今度は 昨年
26:59
3月にお亡くなりになった 「第五福竜丸」の元乗組員の大石又七(おおいし・またしち)さん
27:05
いう方と 巡りあえました 大石さんが 『死の灰を背負って―私の人生を変えた第五福竜丸』 という本を書かれたのが1991
27:13
年です でたまたま私が勤めていた学校の
27:18
女性の日本史の 私よりも年配の 東京裁判を傍聴に行ったことがある
27:24
マッカーサーの車がアメリカ大使館から第 一生命に行く時には
27:29
信号が赤かろうが すべてノンストップだったというそういう エピソードを語ってくれた
27:36
女性教員が 実は大石さんが クリーニング屋さんをやっていたんですね でそのクリーニング屋さんのお客さんだっ
27:43
んです でそれで今度はあの大石さんと 巡り合って で
27:50
彼のお話をまあ ぜひ 生徒たちに聞いてもらいたいということで
27:57
大石さんに 第五福竜丸展示館に お見えいただいて
28:03
そして 生徒も そしてもちろんこれは 保護者にも来ていただいて
28:09
聞くようになります
 そうすると 保護者から 「何歳の時に
28:18
第五福竜丸の被爆を 体験したか? 被爆のことを知ったか?」

28:23
実は私先ほど56年生まれと申しましたが
28:28
福竜丸が 1950年3月1日の
28:33
ブラボーの実験が行われたのは 私が 生まれる2年前です で大石さんにお
28:40
願いして 東京都立第五福竜丸展示館まで 来ていただいてお話を 聞くようになったのが 93年の3月のこと
28:47
でして その頃の親の世代というのは私より 上だったんですね そうすると
28:53
福竜丸のその ビキニの被爆が何歳だったってことを 大石さんに
28:59
語りかけちゃうというか 質問の時間に 言う親がいるんですね そしてそれを聞いて
29:04
いる 生徒たちは 「えっ」とびっくりしてその 保護者の方を見つめる
というような
29:12
瞬間がありました
 でそういうことの 積み重ねの中で もちろんその
29:20
GHQの本部の置かれた 第一生命を見に行く言えば 戦後史ですね それから同じように
29:26
第三の被曝ということで ただし やがて 分かってきたのは 福竜丸以外に 今の時点で
29:33
2022年の時点で 991隻
29:39
福竜丸を入れると 992隻の 船が日本の漁船が
29:45
ビキニで被爆したことが わ かって
 ところがまだ当時はそんなに たくさんその
29:52
福竜丸と同じように 被爆した船はいるとは考えられなかったん ですけれども 



🌛ところがそういうこの見学会
29:59
を続けるうちに 戦後史だけではなくて もっと 東京という
30:05
地面の下に眠っている あるいはもしかする と 気づきさえすれば
30:11
わかる 歴史の 痕跡 あとが 都内に残っているんじゃないか と
いうこと
30:18
鳩山一郎が立てた 鳩山会館
30:24
五大将軍綱吉のゆかりの 護国寺の見学それから
30:30
日吉の大本営の海軍部の地下壕 日吉台地下壕(ひよしだいちかごう) それから
30:36
靖国神社 東京裁判の行われた
30:42
旧陸軍士官学校の講堂 現在では 「市ヶ谷記念館」と申しますが それ
30:48
のある 防衛省 及び 新宿区内の 戦争遺跡の見学会そして
30:54
2011年からは ちょうど 先ほど渡辺先生が述べられた
31:02
登戸研究所資料館の開館からちょうど1 年後だったんですが  待ちに待ったということで
31:09
生徒を案内する私とすると ようやく3 月見学会ができるとで 



🌛実は
31:17
つらつらありました
見学会のうち5つは  毎年3月にやってる
んですね これはまさに
31:26
卒業していく 卒業式の 前後に
31:31
卒業していく 生徒とそれから 保護者については 中1から高3までの保護
31:37
者に呼びかけて やってきました
 で 2011年の3月の
31:44
登戸研究所見学会の時には 渡辺先生にご案内をいただいてそしてさあ
31:53
1回目が終わったということで
帰ろうかなと したところ3月11日
32:01
午後2時46分 東日本大震災の日だった
んですねで その 東日本大震災の日のその
32:09
帰る時の 登戸駅に4時間数十分待たされて
32:14
帰った思い出
とか色々あるんですがそう いうその見学会を 重ねていく中で 私が考えるようになったの
32:22
は とにかく 自分たちの社会の
32:27
自分たちが立っている地面の 下にいくつもの歴史の 地層が眠って
32:33
いる
と でそれに気づくのはもちろん 生徒たち あるいは次の世代だと思うんです
32:39
がそれを少しでも 道案内なりこう 水路をつけることの手伝いができるのが
32:47
我々ではないかなと
思うようになりました 



🌛それからまた この見学会を行うのと並行
32:53
する形で 田園調布学園では 96年度1996年度から5泊6日の
33:02
九州 西九州の 学習体験旅行
というのも 実施するようになりました こちらの方は
33:09
鹿児島に行って今から400年ほど前 豊臣秀吉の朝鮮侵略の
33:15
慶長の役(※日本では文禄・慶長の役、朝鮮では壬辰・丁酉の倭乱という)で日本に連行された 薩摩焼の窯元 沈壽官窯(ちんじゅかん・がま)
33:21
焼き物師さんのお宅へ それから 水俣そして 天草諸島の下島(しもしま)までそれから
33:30
下島から 海を渡って 島原半島の 「原城跡」そして
33:36
長崎の 街は 長崎原爆資料館を 全員で見た後はそれぞれの興味のある
33:42
ところへ 散らばって見学してそして最終日の第
33:48
6日目は 肥前名護屋城(ひぜんなごやじょう)ですね
33:53
豊臣秀吉の 朝鮮侵略の起点となった 名護屋城の跡には
33:59
佐賀県立名護屋城博物館ってのがあってそれを見た 上で
34:06
大阪城よりも実は縄張りが広いんじゃない かと言われている名護屋城を見学します
34:12
ところが 名護屋城を見学して 名護屋城のガイドの方が「あちらの方が
34:18
壱岐島(いきのしま) 対馬(つしま) そしてその向こうに 朝鮮半島があります」というお話をされるん
34:26
ですが そこからちょっと角度を変えると 九州電力の
34:31
玄海原発 玄海原子力発電所
が 見えるんですね 


つまり私たちが
34:38史
気づかないうちに 近世史と 現代史が 折り重なるように そこにある
と それを
34:45
見つけることができるのは 先ほど申しました 水先案内を務める教員
であり
 そしてそれ
34:53
その中から  生徒の中に 無関心だったり あるいはさっき
34:59
最後に申しました 学習体験旅行が5泊6日あるのをもう きつくてしょうがないと で
35:05
見学の合間には さきほどの 沈壽官窯(ちんじゅかん・がま)の
33:21
焼き物師さん
のお話を聞いたり お亡くなりになった
35:11
石牟礼 道子さん  石牟礼さんが 公演ができなくなってからは
35:17
原田正純医師先生に そして今は その次の世代の方 それから
35:23
水俣病の患者さん 創始者の方の話 それから 長崎に行ってからは
35:29
被爆者の方の話とか 今では 被爆2世の方や 高校生平和大使の話も聞い
35:36
ています でそういう中から やっぱり 生徒の中には「とてもとても もう
35:43
消化しきれない」という生徒もいるんですが そこで 大事なのは
35:48
事後学習っていうのがなかなかできないん
35:54
ですけど 「はい、おしまい」ではないと
36:01
先ほど冒頭でも申しましたが 生徒の世代 保護者の世代 そしてそれを伝え
36:07
ていって 次の世代にバトンタッチしていくという 意味でも そのバトンタッチしていくこと
36:12
そのものが 広い意味で 
事後学習ではないかな と思い ます
 ということで私
36:20
すべて お話できたわけではないんですがここで 述べられなかったことについてはこの後の
36:27
お話 おしゃべりの中でまた改めて触れることができたらと思います 
36:32
ありがとうございました
(つづく)
※次回は、橋本暁・和光中学・高等学校校長,社会科教諭のご講演の文字起こしをさせてもらおうと思います。🙇
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※今日の文字起こしのソースはこちらです

開催日:2022年7月30日(アーカイブ配信開始日:2022年09月28日~)
主催:明治大学平和教育登戸研究所資料館
◆テーマ◆

『戦争を伝える』ということ―歴史・平和教育の大ベテランから 次世代の教育者たちへ託すメッセージ―
◆内容◆
・講演 
渡辺賢二氏(明治大学平和教育登戸研究所資料館展示専門委員)
川口重雄氏(前 田園調布学園中等部・高等部 社会科,地歴科教諭)
橋本 暁氏(和光中学・高等学校校長,社会科教諭)
・登壇者3名によるパネルディスカッション
・質疑応答

※動画の視聴はコチラです(2022年09月28日~):https://www.youtube.com/watch?v=KR1-r6HqV54
※開催時間内に答えられなかった質問への全回答はこちらでご覧になれます:
https://www.meiji.ac.jp/noborito/event/mkmht0000001o5gw-att/QandA_PDF.pdf
※明治大学平和教育登戸研究所資料館のウェブサイトはこちらです:https://www.meiji.ac.jp/noborito/
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