一週間刻みの眺め(長め)サイト(笑)

今週、引き出しの中に容れたもの。

第47週,2022/9/5(月)~,B.D.+6,※資料No.153(後見)

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2022/9/11(日)
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きょうは、プライベート・デーにつき、いつもの形式の長文ブログはお休みです(笑)
きょうは、野暮用(ルンバを解体して掃除)を手伝ってくれた息子氏と、冷食のライスバーガー(牛)をレンチンして食べました🍔その時、息子氏(※平成生まれ、ゆとり世代)が、ドリンク(麦茶と珈琲)を紙コップ2つに注いでニヤニヤして運んできました。「ロッテリア?モスごっご?もええけども~」と、ウチ(※昭和39年生まれ)はつい小言を言ってしまいました🍵☕

話変わって、きょうは、ウッジューが星になって33日目☆彡
ほんで、明日は、リョーリョーの8回目のB.D.⤴
リョーリョーは、一人で長めのお留守番をガンバったご褒美に、おやつを(食事の途中でなんとなくビビッてきて最後は逃げ出した位)てんこ盛りにされました⤵😿🙇

With "Ryoryo"(ウイズリョーリョー)

きょうは、28,426歩(19.1㎞)走り歩きしました🏃🌞そのあとは、『後見と医療同意~本人の医療における意思決定支援のあるべき姿とは』の文字起こしをしました↓↓


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日時 :2022年9月10日(土)、主催:近畿弁護士会連合会、 同 高齢者・障害者の権利に関する連絡協議会、
2022年度 近畿弁護士会連合会  高齢者・障害者の権利に関する連絡協議会「夏期研修会」
「後見と医療同意~本人の医療における意思決定支援のあるべき姿とは」
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※captiOnlineによる文字通訳を編集
第3部:パネルディスカッション「医療同意のあり方等について」
講 師、パネリスト:
成本 迅 (なるもと じん) ・京都府立医科大学大学院医学研究科精神機能病態学教授
山﨑 政直・奈良市在宅医療・介護連携支援センター長
福山真理・奈良市社会福祉協議会、奈良市権利擁護センター
佐々木育子・奈良弁護士会高齢者・障がい者支援センター運営委員会、弁護士 
司会:板野陽一・奈良弁護士会高齢者・障がい者支援センター運営委員会、弁護士 


司会の 奈良弁護士会高齢者・障がい者支援センター運営委員会、弁護士の 板野陽一です。よろしくお願いいたします。


第1部では、意思決定能力が低下した医療選択についてお話しがありました。
2部では医療同意のアンケート結果の紹介がありました。


そのような中、市民の方が医療同意をめぐり、何を悩み、どう感じているか、お伺いします
まず福山さんから、これまでの経験の中で、医療同意に関するお困り事、体験されたこと、考えたことをお話ください


福山/奈良市権利擁護センターの福山真理です。
私からは医療同意に関係するような事例を紹介し、考え方をお話しします。
その前に奈良市の概要を紹介します。
奈良市は奈良県の北部にある中核市です。
奈良市権利擁護センターは地域連携ネットワークです。
私は奈良市社会福祉協議会の職員です。


その社会福祉協議会が平成30年より受託しています仕事の内容はいろいろありますが、
相談については、権利擁護に関する主に二次相談をしています。
相談件数は昨年は484件でした。
病気や入院をきっかけに相談が始まったケースは96件です。
入院などがきっかけになっていることが多いと感じます。
スライドはセンターで聞く相談の一例です。
最近はコロナの影響か、このような状況で、なおかつ生活困窮状態になっていると感じます。


ここからが本題です。
ピンポイントで医療同意になるものは少なく、生活全体を見た事例を紹介します。
2つほど詳しく説明します。
本人の意思が確認できれば、身寄りがなくても、在宅で可能です。
逆にいうと、環境が揃わないと難しいのかなと思います。


こちらは御本人の意向を辿るのが難しかった事例です。
80代男性で、認知症で少し前のことも覚えていません。
複雑なことの理解は難しい。
簡単な受け答えはできるので、ある程度自分の思いは伝えられます。
デイサービスで日中は過ごしますが、在宅中は昨年亡くなった奥さんを探しにいく傾向があります。
歩けるのが不思議なくらいに、多くの疾患がありますが、本人からは「どうとでもない、昔からや」と言われます。
治療方針や薬の内容について話すと、機嫌がわるいと無視。
本人の医療の意向を確認するために工夫はしましたが、難しかったため、関係者で、まずこれからどこで暮らすかを話し合いました。
施設入所をしても妻を探して出歩く可能性が高いこと。
「妻がいつ帰るかわからないから、家にいる」と言われるので、在宅での生活を続け、その先に看取りの可能性を考えることになりました。


本人が一番信頼しているケアマネさんを支援者の中心として連携を取ることにしました。
この後どうなったかというと、金銭管理も難しかったので、成年後見制度へ移行。
そして、もし本人が「家で生活するのがしんどい」と言ったら施設入所にすることも考え、その場合どのように本人の意向を確認するのか支援者で考えています。
ケアマネさんの担当期間が長く、本人の性格や過去の経歴も把握して、近所の人も本人をよく知っている。
「彼ならそう思うかな」という確認が取れていて、親族でなくても、チームで本人の代弁者になれる
ですが、ここまでできても、この先緊急手術が必要な場合はどうするか、問題は残ったままです


次は本人の病状に関する見立てに強い思い込みがあり、病状を正確に理解してもらうことが難しかった事例。
少し詳しくお話します。
本人が窓口へ
「お金がない。家を追い出される余命3ヶ月なので最期を過ごせる場を紹介してほしい」
詳しく聞くと、年金は多いが、お酒で使ってしまっている。
最近体調不良で仕事を辞め、給料が入らず、苦しくなった。
病院の受診は検査途中で止まっていて、理由は、「もう少しで死ぬから意味がない」、「余命3ヶ月です」とはっきり言われたと。
本人の了解のもと、主治医に聞いたところ、がんは疑いの段階で余命宣告もありませんでした。
それを本人に伝えても「治らないし、介護はいらないもう死にます」と言われます。
しかし、毎日、担当者へ電話があり、相談をしている。


この先どうなったかは、まず関係者で本人から聞いた内容を出し合って共有しました。
そして希望は医療を受けたい、一番の不安はお金のことではないかと見立てました。
本人に解決を投げかけたところ、徐々に受診を受け入れはじめました。
セルフネグレクトの状態の人でしたが、このような人の医療同意を考えるとき、直球勝負では難しいと感じた事例でした。


この事例も、DVによるPTSDなどからがんが見つかり、生きることをあきらめたところから、スタートしました。
医療行為がすんなり行かない場合、遠回りになりますが、生きる気力につながることを見つけ、そこをケアすることでうまくいくと感じた事例です。
こちらの事例はがん末期と伝えられたところから、本人に寄り添い、最終的にはうまく行きましたが、もしも子どもも激怒したらどうなったのか、「今後について」ということで様々なことを引き出してくれました。
このような相談が入ると、誰のための成年後見制度なのか、制度の周知が必要と感じます


次です。
この事例は、窓口でよくある相談です。
本人からすると受けたい医療を考えるより先に頭を悩ませることがある。
今の仕組みの中では身寄りのない人が安心して医療を受けるには、大小、いろんな意思決定をしています。
いま挙げた人たちも、どのような医療を受けたいかを考えています。

医療同意を特別を身構えてしまいがちですが、意思決定の1つだと思います。
もし医療同意が難しいとなった場合、最終的には誰かが決める
ことになります。
この「誰か」が難しいと思いますが、家族や支援者との人間関係を考えて、話しやすい環境設定に配慮する、本人が理解できるように説明し、意思や感情を引き出す、これらが求められることが多いですが、これを1人でやるのは大変なので支援者がチームとして役割分担する必要があります。


何かを決めるときもチームで考えることが大切だと思います。
できれば、家族がいても、家族が決めるのが当たり前と考えず、チームで決める仕組みがあればと思います。
それが病院によって違いなく、どこの医療機関でも、できればと思います。
家族の意見が本人の意向と離れている場合にも有効だと思います。


意思決定支援では、本人を理解することが重要ですが、チームに入るのは医療や介護の関係者、家族親族だけでなく、インフォーマルな部分の人たちも大切です。
本人の人生のいろんなステージにいた人、友だちや仕事仲間から意見を聞くことができれば、本人を立体的に見ることができ、意思決定の羅針盤になると考えます。
以上、事例紹介と私の思いでした。
ありがとうございました。


板野/ありがとうございます。
御本人の意思の把握が難しく、将来への不安を抱える中で、本人にかかわるチーム、チームには、本人をご存じの人が関わり決めていく形が必要ではないか、との話でした。

次に弁護士の佐々木先生に、自身が関わった事例や経験を踏まえ、医療同意が問題になった事案があればご紹介ください。


佐々木/よろしくお願いいたします。
先ほど、成本先生の話で高齢化の中で独居の方、老々介護の形で夫婦、姉妹など高齢者の家庭がある、そのような人が生活するにあたり、身内のかわりに最後に頼るのが後見人制度です。

後見人として活動するなかで、医療同意としては、頼りになる親族がそもそもいないケースがあります。


例えば本人が意思決定が十分できない中、普通なら親族に親族同意書を書いてもらう場面で、書いてもらう親族がいない。


では、後見人が書いてと言われる場面があります。


最初に申し上げたいのですが、基本的には身寄りがいなければ、私は後見人としてサインします。

いろんな考え方があります。

普通はお医者さんの話を本人と一緒に聞かせてもらうことが多い。

そこで本人の意向、不安も聞きます。

話し合いをしながら医療を決めることが多いです。


その方が後見状態だとしても医療の希望を述べられることがあります。

決定したことに対し、立ち会いをしますと同意書にサインをすることは多くあります。

しかし、ご本人の判断が難しくなり、まったくしゃべれないケースもあります。

すべてがうまくいくわけではありません。


その場合もどうしたらよいかを考えて、疎遠で関係性が薄い親族に連絡し、「今こういう状況で、このような看取りが必要だが、この処置をしていいか」と投げかけをします。


何かご意見があればお願いします、と一報を入れておきます。

たいがいのケースは、それで返ってくることはありませんが、そのことで後々のトラブルに備えます。

権限はないかもしれませんが、やむを得ないことだと思います。

そうはいっても、私自身も困ってしまったケースを2つ報告します。


まずAさんのケース。

もともと長女、長女は離婚して家に戻り、娘さんと3人で暮らしていました。

しかし長女が、うつを持っていました。

12年くらい前に、自宅の庭で焼身自殺をしました。

近所中大騒ぎになったようです。


それがきっかけでAさんは特養に、お孫さんは児童養護施設に引き取られ、一家離散になったケースです。

施設入所の同意書は民生委員が引き受けましたが、その方が高齢で今後は無理となり、後見人がつくようになりました。

その後徐々に体の状態が悪化し、最近は要介護5でほぼ寝たきり状態です。

認知症も進んでおり、この方も、うつの傾向があり、こだわりが強い、という傾向がありました。

今回の医療同意ですが、入所中に尿路感染で入院になりました。

医師が調べたところ、大腿骨骨折が判明。

先に写真を見ていただきます。

このように足の骨がぱっきり割れてしまっています。

お医者さんとしては、このままではくっつかないので、手術でボルトを入れて固定しないといけない。

手術は絶対に必要と説明を受けました。


医師からも本人に伝え、説得しましたが、本人は固い意思で手術はしない、と言われていて、誰だどう説得しても「絶対にしない」と言われました。


私も2回ほど説得に行きましたが、だめでした。

なぜか聞くと、「手術すると痛いから」。

「あきらめているから、もういいんだ」と繰り返していました。


施設の担当職員からも説得してもらったり、お孫さんとは、電話だけはつながっていたので、連絡して、お願いして、何年かぶりに会ってもらって説得してもらいましたが、それでも絶対に嫌だと言っていて、どうしようとなりました。


1週間が経過し、「あまり時間が経つとまずい」という思いと、本人の意思を無視して手術することもできないので、悩みました。


裁判所に相談して、上申書を出しましたが、医療同意は後見人の権限の範囲外なので先生の指示でやるようにと、投げられました。


悩みましたが、離婚した夫に幼少時に引き取られた長男がいることがわかり、長男に補助人がついていて、その補助人に連絡して、何とか手術に向けて段取りとれないかと、苦労しました。


このように「絶対手術はしない」と頑固に言っていましたが、さらに1週間経ったときに痛みがひどくなり、本人が「痛いから手術する」と言い出して、無事に手術を受けることができました。


もしかしたら医師が鎮痛剤を抜いたのでは、と思いましたが、何とか無事に手術をしました。

もし最後まで本人が嫌だと言い張っていたらと、悩ましい事例でした。


次の事例です。

本人の手術拒否と最善の医療に悩んだ事例


Bさんは統合失調症で精神障害2級。

ある田舎の地域で非常に有名な名家の資産家の息子です。

統合失調症を発症してからは両親が家で面倒を見ていました。

病識は全くありません。


お父さんが亡くなり、お母さんが認知症になり、施設に入りました。

お母さんには保佐人、本人に後見人がつきました。

お母さんには莫大な財産があったので弁護士が保佐になりましたが、本人には資産がなかったことと、申立をした従兄弟がいました。


御本人の後見人はいとこさんがやりました。

いとこの立場としては、本人が全裸になって走ることもあったのであまり帰ってきてほしくなかったようで、遠方の精神病院に入れっぱなしになりました。


その状態で10年ほど経ちましたが、母がなくなり遺産相続の必要が出たことと、その頃、後見人の従兄弟が亡くなり、弁護士が後見人をやった方が良いのではとなり、私が選任されました。


そのころ、退院促進と言われていた時代で、本人は、一貫して家に戻ることを希望されていたため、一定の準備期間を経て、在宅になりました。


家事はできないため、フル介護の状態でした。

病識が無い人なので、地域活動支援センターに行ってほしかったが、そういうところへは、まったく行かずに自宅で、子どもに英語を教えているという妄想がある人でした。


いろんな人がこの人を説得しており、後見人だけでなく後見支援員やヘルパー事業所の所長や訪問介護の人など皆さんでなんとか治療につなげようとしますが、断固、拒否の状況で、どうしたら良いのか悩んでいる状況。

本人なしで病院に行って、日帰り手術の相談をしようと考えているところ。


こういった形で、本人が断固拒否しているが、実際に受診しないと、最終的に本人の不利益になると思われるとき、では後見人は何をすれば良いのか悩んでいるという報告でした。


板野/本人の意思の内容と実際の適切な医療内容が対立している場面の紹介でしたが、実際の医療の現場は、どうなのかを山﨑先生にお伺いしたいのですが、医師側から、自身の対応としてベストと考える場合と、患者がベストと考えることが異なる。
また患者はどのようにして、違うことを考えているのか、その場合、医師として、どのように対応するのかをお聞かせください。


山﨑/今の話を聞いて思うのは、医療は、何をするにも、メリット・デメリットはあります。

佐々木先生が言われた事例は、明らかにメリットが多くデメリットが少ない。

末期の症例になると、医師としてもどちらを選べばよいのか悩むときがあります。

イーブンの症例があります。


それぞれ考えが違うと思いますが、メリットが大きな場合は、手術へ誘導する形になりますが、実際、臨床に接している場合だと、それすらも否定される方もいます。


例えば、糖尿病の患者で状態が非常に悪い、でも、ジュースがやめられない。

このままだと命を削るから止めたらどうかと言ったら、「ジュースをやめるくらいなら、死んだほうがマシ」と言われる人。


アルコール性肝硬変でもアルコールをやめられない人、タバコをやめられない人も。

説得しきれない場合は、本人、家族を呼んで一緒に話し合って家族へも、メリット、デメリットを説明し、それでも本人の意思を尊重したいのなら、Aではなく、Bの選択をされる場合は、それは本人の意思を尊重する上でしょうがないと思います。


板野/山崎先生の話では、お医者の立場として、なるべく適切な医療がされるようにその間を調整する形だとお話がありました。
例えば、ご家族と話をしたときにどんな状況になるのか、あるいは、証拠的な物を考えることがあるのか、その点について、状況をお聞かせください。


山﨑/僕自身は元々消化外科医で手術の同意書をもらうことが、多くあります。

そのときに上の指導してくれる先生に言われたのは同意も大切だが話した内容を事細かく記録するように言われました。

日々の医療現場でも細かく記録しています。

ひとつひとつの同意書をとるのは難しいが、話をして、家族や本人にそれを望むことでこういうリスクがあると伝えたが家族は決めたなど。

逆に弁護士の先生に聞きたいことは、訴訟になったときに守ってくれるツールになるのか、同意書をもらっておく必要があるのかなど、教えていただけたらと思います。


板野/トラブルを避けるために本人が承諾した内容があれば、明記することになります。
佐々木先生、弁護士の立場から、ものをとることの法的な意味合いなどをお話ください。


佐々木/医療同意についてですが、後見人に医療同意権がないことに簡単に触れて、そのご説明します。
任意後見、法定後見とも、医療同意権がないというのが通説です。
理由としては、後見人の職務の範囲があります。
判断能力が不十分な方が対象です。
ほとんどの医療・介護に関わることは法律行為ではなく、事実行為に入っています。
必ず後見人がすることに入っていないから、です。
例えば、医療として病院に入院する契約は、後見職務の範囲に入ります。
その人がどんな医療を受けるのか、受けないのか、どんな薬をのむか、のまないか、それは事実行為なので、私たちの範囲を超えます。
職務の範囲を広げればいいのでは、という意見もあります。
広げることで医療についても同意できるようにする、というものです。
では、私たちは何を基盤にして判断するかが、はっきりしません。


特に法定後見では、「はじめまして」で入ることが多いので、その方が元気だったときに、望んでいた医療行為、望んでいなかった医療行為。
それによるメリットデメリットを本人以外が決めていいのか、範囲を広げると、責任が後見人にかかってくるのが難しいところです。
医療同意の法的性質です。
本人には医的侵襲行為なので、社会通念上、相当な行為である必要がある。
患者の同意をもって相当性を裏付けることなど2つがあります。
患者に同意能力がない場合、一定の患者に親しい人なら、患者が意思表示できないとき「本人の意思を推定」できる一定の親族に「親族同意書」を書いてもらうことで、患者の意思を推定できるようにし、社会的相当性を確保している。しかし、ここが問題点です。
関係者が複数いるが、意見対立していると、どっちが本人の意思か、わかりません。
本人と親族の意見が対立したケースもあります。
証拠としてどうするかについては、誰かが同意書を書いたらOK、ではありません。
あくまで本人の意思や、本人に一番良いのがどういうものなのか、記録をしておき、紛争があったときには、本人に最善だと言えるようにしておくことが必要だと思います。


板野/ありがとうございます。
アンケートでも、医療同意の範囲について、いろいろなご意見があるなか、難しい問題だと思います。
最終的には本人の意思を尊重し、適切な医療を施す観点から考える内容です。
その中で、現行法でどのような仕組みが考えられるか、佐々木先生、続けてご説明いただけますか。


佐々木/外国の仕組みを見ていきます。
イギリスMCAの基本的な考え方を紹介します。
これはイギリスの新しい成年後見法です。
2005年4月に成立。
2007年10月から施行。
意思決定能力を基本にしています。
日本は、判断能力が低下すると成年後見制度が利用できます。
ただ、全般的に低下していると考えます。
特定のことができて、特定のことができないとは考えない。
保佐ということでは、誰かが法定代理人になる。
法定後見人がつくと、本人は無能力者とされ、本人ではなく保佐人が決める制度です。
保佐人、補助人をしていても本人が医療について意見を持っているケースがとても多いです。
本人が無能力者扱いでいいのか。
本人の意思に沿った自己決定という意味で意思決定支援が必要だと、今言われています。


イギリスのMCAでは、自己決定能力という考えがあります。
特定のことを理解し、判断し、表現できる力です。
ある特定のこと、財産管理について意思決定できなくても、医療に関しては意思決定能力があることがあります。
助言や支援が必要な人がいても、必ずしも意思決定できないわけではないので、まずは意思決定を支援するところから入る、ということです。
意思決定ができない、とはっきりした証拠がなければ、その人の意思決定は尊重されるべき。
単に賢明でないだけで、意思決定できないと見なされてはいけない。
意思決定能力を最大限生かすこと。
写真や音声を使ったり、本人がより緊張しない環境、人・場所・時間帯を工夫して本人に意思決定してもらう。
そのように工夫しなければならない。
その工夫をしても、意思決定ができないときは、次の発想として、最善の利益を考えます。
能力がない場合でも、誰かが決定するとして、本人の最大の利益を考える。
何が本人の最大の利益かを誰かが決めるのではなく、判定できる仕組みを作る。
そういったことが定められています。


意思決定支援+インクルーシブアプローチの重要性。
何が本人の最大の利益か。まずは本人の意思決定支援をする。
意思決定支援をつくしてもできないとき、誰か、特定の後見人が決める権利がるのではなく、さまざまな立場の人と本人が一緒になって最大の利益を考える。


例えば、日本の発想は医療同意権を後見人に与えるかという議論になるが、身寄りがないからといって、すべての判断能力が不十分な人に後見人を介してでないと、医療同意ができないことは非現実的。
本人を中心にして、支援者が連携して意思決定を支える。
成年後見人等も支援者の一人として位置づける
成年後見人も輪の中に入る。
後見人が居ない人にもインクルーシブアプローチができるので、合理的だと考えます


では、関係者の意見がわかれた場合はどうするのか、生命、身体のリスクが高く、どちらの判断をすれば良いのか関係者が迷う場合はどうするのか。
そういうときはMCAの制度では裁判所に申し立てをして、そこで何が最善かを決めてくれる。
最終的には裁判所が控えていてそこで決定されるということは、誰かが個人的に責任を負う必要がなり。
誰かが個人的に本人の意思決定の責任を問うことを、発想の転換として止めていかなければいけないと思います。


私たちが後見人の議論に違和感があるのは、体の状態もよくわからないのに、なぜ後見人が責任を負うのかという部分に違和感があります。
お世話はしますが、その人の体のことまで責任を負うことは、重すぎる。
周りのみんなで考えることは、本人にとっても良いことだと思います。


1つ付け足しがあります。
インクルーシブアプローチで決めたことに対してMCAの中では一定の方式で決めた結果、本人にとって悪い結果になっても免責されると定められています。
意思決定支援を尽くして、決めたことについては、誰かに責任を問うことはしない。
治療を拒否する事前の意思決定(MCA26条)
特定の医療行為について特定の医療行為に自分で決められるうちに、同意する能力があるときに、将来能力を喪失したときに備えてその治療を拒否することを事前に表明できる
それが現在も適用可能ならば、適用する。
こういった医療に関する事前の意思決定もMCAでは利用されているので、日本でも参考にしていかなければと考えます。


板野/佐々木先生ありがとうございます。本人の意思決定を尊重して、その上で意思決定を支援する体制をつくる。
また、本人が決定できないとき、最善の利益が尽くされた決定については裁判所に免責されるとのこと、イギリスの法制度は参考になると思います。
日本では、第1部で話になったACPの活用があると思います。このあたりについて、山﨑先生からお話をいただけますか。


山﨑/
昨今のコロナ禍で自宅での看取りが増えてきます。
病院では感染対策で面会ができない。
そうすると最期の瞬間に家族が立ち会えない。
この2~3年自宅で亡くなる方は増えていますし、僕自身も、例年にないほどの看取りをしています。
そういうことを進める上でACP(アドバンス・ケア・プランニング)―人生会議―を考えなければと思っています。

なぜ、ACPが必要なのか。
命の危険が迫った状態になると、約70%の方が、医療やケアを自分で決めたり望みを人に伝えたりすることが、できなくなると言われています。
最近のアンケート結果で、家族を看取った人の約40%の方が、こんなに早く亡くなるとは思っていなかったと答えられています。
なので、自らが希望する医療やケアを受けるために大切にしていることや望んでいること、どこでどのような医療やケアを望むかを自分自身で前もって考え、周囲の信頼する人たちと話し合い、共有することが重要です。


平均寿命と健康寿命
令和3年度の男性は81歳、女性は87歳ですが、健康寿命は男性で72歳女性で75歳です。
将来、自分がどんな医療を受けたいのかを遅くとも70歳くらいには考えておかなければいけないと一般的に考えられます。
後に福山さんから話があると思いますが、奈良市版のエンディングノートを発行しました。
「わたしの未来ノート」です。
できるだけ書いてもらって、何かあったときにどういう意思があったのかの参考にしたいと思いますし、それ以上にこのノートは書けるとこだけでも書いてもらい、書くことで、自分の最期について話し合うきっかけになればと考えました。
病気になる前の健常期、病悩期、終末期と、人間は3つの期を過ごします。
特に健常期に残された時間をどのように生きたいか?


健常期のACP、
病気になってからどのような治療を受けたいか?
延命治療は?
同じACPでも、色合いが違うと思います。
どんな病気にかかるかわからないので、治療の選択は病気になってからでないと、わかりません。
この違いについては、健常期のACPは50代、60代で始めます。
教育者や行政や福祉が行います。
奈良市の社会福祉協議会主催で、先日、最後を考えるような市民講座開催が検討されました。
病気になってからのACPは、予後をどう過ごすのか。
医師を中心とした医療者が疾患において考える個別対応を話しあう。


ここから病気になってからのACPについて述べます。
積極的な治療、延命治療と、できるだけ自然な形で、という生活医療があります。
この間には人工呼吸器をつけるのか、など、いろんなことを考えていきます。


もう少し具体的な症例では、末期がんで積極的な医療は行わない、胃に直接栄養を入れるなど、メリットとデメリットを含みます。
積極的な医療をしない場合は、余命は短くなります。
本人は苦痛が少なくても、栄養を入れれば何もしないより永らえるが延命効果にはならない。
胃に直接栄養を入れることで、延命効果があります。
胃ろうをするには、入院して胃に管を入れるので苦痛があります。
経鼻胃管、鼻に管を入れると、24時間ずっと鼻から管を通しているので、不穏な状態な人は、管を抜かないように手をしばります。


直腸がん。
肛門のあたりのがんです。
これが進むと肛門をふさぎ糞詰まりの状態になります。
積極的な医療を行わないと、本人はしんどくないかと思いますが、詰まってしまった胃液、腸液などが最悪は口から出るという、悲惨な状態になります。
抗がん剤を使って効く場合、効かない場合もあり、副作用も個人差があります。
がんはとらずに、人工肛門を付けるか。
簡単な手術もメリットとデメリットがあり、手術をしないと、腫瘍も大きくなります。
進行する大腸がんは、完全にはとれません。


このようにすべての治療にはメリット、デメリットがあります。メリットが非常に大きいなら、そちらに誘導したい医師の気持ちはあるが、ある程度イーブンだったり、デメリットがあるので、ベストな治療とは言えません。
医師が考えるベターと患者の考えるベターは、必ずしも一致しない。
僕らの思っているのとは違う治療を望まれたとき、それによるメリット、デメリットは十分説明する必要があります。


成本先生の話にもありましたが、医療的ACPでも同じで、信頼関係ができていないと、患者さんと話もできないし、本音は聞き出せません。
事前指示を知りたいということだけに先走ってはいけません。

医療者の価値観を押しつけたり、患者さんの気持ちが揺れることを許容しないことは、間違った考え方ではないかと言われています。


身寄りのない人や認知症の人の意思確認は、今日のテーマでもあり、福山さんの事例にもありましたが、健常期のACPと病気になってからのACPがつながる点だと思います。

認知症が出る前に何らかの形で本人の意思を知るツールがないか。
その1つが、「わたしの未来ノート」だと思います。友人から聞き取りをして、本人の意思を知ることも大事です。


板野/ありがとうございます。山﨑先生の話で健常期のACPと病床期のACPですが、その中で病症期のACPを考えることについて、わかりやすくお話いただきました。
山﨑先生の話にあったように、福山さんの社協でも、エンディングノートの取り組みをされています。
患者さんの意思の明確化の取組みの中で、社協の活動を踏まえたうえで、活動の内容、問題に感じることがあれば、お聞かせください。


福山/先ほど山﨑先生も説明されましたが、「わたしの未来ノート」ですが、奈良市では令和2年に作成チームを立ち上げ、山﨑先生ともチームメンバーとして一緒に、権利擁護センターとでノートが完成しました。

全民生委員に配布したり市役所や出張所に置いたり、市のホームページからダウンロードできるように、かなり周知しました。

作成にあたって大切にしたのは、すべて書かなくてもいい。
今後の医療や介護について考えるきっかけになればと作りました。
その目的のもとで、ふだんでも紹介を心がけています。

実際、提供して説明して返ってくる反応は、みんな元気なときには、受けたい医療は具体的なイメージがわかない。

投げかけるとよくあるのが、「みんな、ええようにしてもらいます」と、お任せモードになります。

書いてみてね、と言うと、「しんどくなったから、やめました」「書いたら死にそうなので、やめておきます」という声も聞きます。


事例でも伝えましたが、おひとりさまの医療を考えたとき、先に出るのが、受けたい医療を考えるよりも、手続き関係、死んだ後のことが安心できてから、そのあと考えるということがあります。


もう1つは、ACPの枠組みや
本人の意向確認の場で、友人、知人などインフォーマルな場が大事と思うが、医療は個人情報の壁があります。

どこまで医療情報を友人などと共有して、関わってもらえるのか。

結果伝えないでおいて、病状が進行すると自然と本人を取り囲む人が、公的サービスの人だけになりがちなことに、どう取り組めば良いのかが課題だと考えます。


板野/奈良市のようなエンディングノートの取り組みは各府県や市町村で、取り組まれていると思います。
おそらく、同じような問題はどこでも生じていると思います。
福山さんから提案していただいた内容として、1つめとして、本人が書きにくい。
エンディングノートを書くときに、言霊のような感じで将来について今書いてしまうと、というのがある。
もう1つは、個人情報の壁があり、近所の人などが、排除されがちだという話でした。
ここで佐々木先生にお伺いしたいのですが、なかなかエンディングノートを書けないという点、個人情報の点について、本来公的機関としてどう考えれば良いのかお話ください。


佐々木/福山さんからエンディングノートの話が出ましたが、エンディングノートの難点は、結局、そこで書いたことが医療機関にどのように伝わるかを確認しないと書きっぱなしになってしまうリスクがあります。
本人もしんどい思いをして書くのですが、書いたものをどのように、現場に伝えて、いざ使ってもらえるのか。

この観点で成年後見の業務の中では任意後見を活用しなければと考えているので、その点を問題提起します。
任意後見制度は元気なうちに決めておけます。
その中で、より本人の希望に沿った考えることをできます。
まだ認知症や精神障害になる前ですから、将来、こんな医療を受けたいとか、受けたくないを入れることができます。
任意後見誓約書の中に入れるのか、事前指示書にまとめるのかは別にして、一定、記録化しておくことが有効です。
いざ、本人の意思表示が確認できなくなって、作成した事前指示を医師に見せて、本人がこういう意思であったと説明することを任意後見人に頼んでおくことができます。

個人情報の話ですが、先程説明したように医療同意は、もともと本人しかできません。

ただ、推定的な意思は、生活を共にした人であればできるだろうと家族にお願いしますが、例えば、近所の人と何十年も一緒にいて、その人の価値観がわかっているなら、遠い疎遠な親族よりも、より親しいと考えられます。


後は、そういった方に自分がしゃべれなくなったときに、「この人の意見を聞いてください」というのをどう頼んでおくのか。

それを医療に関する事前指示に入れ込むことが可能だと思います。


簡単に紹介しますが、私自身も任意後見の誓約書を作る時に医療に関する事前指示書を入れることをすすめています。

その時に、私は絶対に医療を受けたくないとハッキリ言われる人がいました。

その人が認知症になり、脳梗塞で倒れて、病院に運ばれて私には相談なく経鼻栄養をされた人がいます。


退院後、経鼻栄養で、療養型の病院にいたのですが、元気だった頃、いっさい、管につながれたくないと言われていたと伝えたが、医者としては今抜くと生命に関わるので無理だからと拒否されました。
そこであきらめずに、任意後見に書かれていて、「絶対に管につながれたくない」と強い希望だったと伝えたが、医者の方も聞いたうえで、「一度外してみましょう」となりました。
外したところゼリーを食べられるようになり、その後半年間はゼリーで栄養をとって、最期は自然な形で亡くなられました。

管に繋がれたまま亡くなるのと、管からはずしてもらって、自然に亡くなること、どちらが本人の意思に沿っていたかというと後者なので、それを伝えていくことも、任意後見人の仕事だと考えます。


板野/任意後見にも言及して、詳しく話していただきました。特に将来のことについて考えるのは難しい。
エンディングノートの取り組みが広がる中、それを将来的に考えようという意識が変わってくればよいと考えます。ここまで様々な話が出ましたが、成本先生から、これまでの話の感想をお聞かせください。


成本/
印象に残った点をいくつかあげます。
後見人の医療同意への関わり方の意識にばらつきもあるし、医療従事者側から後見人にお願いしたい意識も結構ばらつきがあります。
それがうまくフィットすれば、すごく良い医療支援ができますが、すれ違うと、本人のためにならないことになる。
そういうことがあると、今日の話を聞いて思いました。
私が思う後見人の先生方の関わりは、医療従事者にも周知されてきたこともあり、「サインしてくれないならいらない」という人は減ってきたと思います。
入ってきてもらい、本人が元気なときに言われていたことがあれば、情報提供していただく。
先程、本人の記録をしましょうという話がありましたが、そこを補充してもらうように関わってもらえたらと思います。
医師にとってのベターが本人にとってのベターにならないという思いは医療者側にもあります。
我々に間違いがないかを見ていただけたらと思います。


板野/成本先生、良いまとめをありがとうございました。第3部のパネルディスカッションを終了します。
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※今日の文字起こしのソースはこちらです
https://www.osakaben.or.jp/event/2022/2022_0910.php
※動画はありません
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