一週間刻みの眺め(長め)サイト(笑)

今週、引き出しの中に容れたもの。

2022/6/27(月)から今日まで。(第37週ー後半③)※資料No.95´



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2022/7/3(日)
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きょうは、プライベート・デーにつき、いつもの形式のブログはお休みです(笑)



With "Ryoryo"(ウイズ リョーリョー)


本日、ウッジューのケア、100日目を迎えました


本日、ウッジューが食べたもの:パウチ3袋(18歳から)、〇ゅ~るさん2本(おやつ、総合栄養食)、猫ミルク約80ml⤴
本日の普通便1回、早朝の吐き1回・下し1回
本日の体重:2.4㎏⤵

(※ リョーリョーは4.6㎏⤴)



ウッジュー&リョーリョーは
一足早い猛夏の訪れにも関わらず
100日目を記念するかのように
いつもより食欲・睡眠欲旺盛気味で
いつもより甘えたも旺盛気味で
過ごしてくれました


殆どのみなさまが第1日目から
ウッジューのことを看ていてくださり
ご心配下さっていたと思います 
この場をお借りして
本当にどうもありがとうございました
😸👩🏻‍🦰😺



夜は、古墳ランをして、7,897歩(5.8㎞)走り歩きしました🏃🐥


With "Ryoryo"(ウイズ リョーリョー)


そのあと、少しだけ、昨日の文字起こしの続きをしました↓



✨🌙🌓🌖🌕🎑



講演:「沖縄の本土復帰50年に思う」(2022年06月25日、沖縄船員会館)
講師:宮本憲一日本環境会議名誉理事長、大阪市立大学名誉教授(92歳)
37:10~


基地は 返還いたしましたが 基地の地料は 同時に 問題でありまして 本土の 米軍基地は 国有地が大半 でありますけれども 沖縄は 国有地が 23.4%にすぎなくて 民有地が 39.5%で 市町村有地が 29.2% あるわけですねぇ 


ですから 国は どうしても その市町村を含む 地主と 司法上の契約を結んで 米軍に 使わせる という形に しないとならないわけでありまして そこで 米軍 及び 自衛隊には 政府が 軍用地料を 払っているわけです


一時期 非常に強い 地主の 土地闘争が 占領下で あったわけですから 永続的に 使用したいために 賃貸料は 周辺の 地価と 関係なく 政治的に 決めたわけですね 復帰時に 4倍に ひき上げまして 50年間で 7倍に なりました


軍用地料 881億円 というのは 全県の 農林生産額(506億円)の 1.5倍です ですから 返還を 要求しても 農業を するっていう 意欲は 湧かないわけですね 


ですから 1/3は 不動産業のように 売買賃貸する傾向が ありまして 土地闘争が 影を なくしていて 返還後も 地価が 高いと なかなか これは 環境重視の 都市計画に 使うのは 難しい 要因に なるんですねぇ 


そういう意味では 土地闘争を 抑えるためにしている 高額の地料というのは 基地に 依存する 手段になっていると 言っても いいんじゃないかと 思うんですね


基地の 社会問題 については 後で 桜井国俊先生(沖縄大学名誉教授)が お話しくださいますので ごく簡単に しておきたいと 思いますが 言うまでもなく 米軍基地は 非常に 公務上の事故 公務外の事故 それから 公務外の 米軍構成員 犯罪が多いわけでありまして 一年間に 2,000件 社会問題が 起こっているわけで しかも 殆ど 無罪放免 凶悪犯罪でも 不起訴になっている(23%)状態  まぁ 無法状態と 言ってもいいと 思うんですね


特に 問題は 日常生活における 航空機騒音公害 でありまして この問題は 行政的に 片付かないものですから 訴訟が 繰りかえし 起こっているわけですねぇ(嘉手納・普天間飛行場


被害が とにかく 10市町村で 約55万人に 及んでいるわけでありますから 今 大規模な 嘉手納第4次訴訟が 起こっているという 状態でありまして 


この問題については 全く 飛行差し止めが きかない 米軍の 責任が 全く 訴求されない そして 損害賠償だけが 認められていて これも 日本政府が出す という状態に なっているんで こういう状態を 我々は「公害を 米軍・米国が 一般に 輸出している」と 言っているんですが 公害の 輸出の 典型だと 思うんですね


基地の 有害物質の 公害も 大変 問題になっておりまして これも あとで 桜井国俊先生が お話しくださいますけれども 日米安保条約が 廃棄できない(安保条約による 日米地位協定によって 米軍基地が 治外法権に なっているため)にしても 地位協定の 抜本的改定が できなければ 沖縄の自治は ない このことが 問題だと 思うんですが   
   
今 私どもが 沖縄について 関心が強かったのは 公共事業ですね 沖縄の 復帰の 事業料 約13兆円というのは ほとんど 公共事業に 使われたんですが 本土の 規格に 合わせて やるもんですから 赤土を 大変 流したり いろんな形で 海の汚染が 拡がったり 生態系が 破壊されたりと そういう 公共事業と 基地が 環境問題の 中心になっている ということなんですね 


そういった 振興政策というものが 基本的に はたして 沖縄の 経済を 振興させたかどうか というのは 問題があるんですが ここで 沖縄県振興関連計画というものの 全体像を 簡単に 申し上げておきますと 沖縄は 復帰後 50年を超えても まだ 「沖縄振興特別措置法」という 振興法が 必要であるっていうのは 他府県には なく 異常なんですね


もうすでに 50年も 経っているということで 国の 振興法に 依存しなくても 沖縄県で できなければ 嘘なわけですね まぁ これはやっぱり 沖縄県と 沖縄県の企業が 考えなければならない 重大な点だと 思うんですね 


「建議書」にありますように 沖縄の自治というものを 確立しようと 思うならば こういう形で いつまでも 国の開発計画に依存するという構造が 続いている っていうことが 沖縄の 自治を 歪めてしまう 或いは 確立しない 大きな 原因であると 思うんですね 


これまでの 中心が 道路 空港 港湾でありまして 福祉関係が 遅れている訳ですが 初期の 政府の立案では 石油コンビナート 中心だったわけですけれども これは 年々 進まなかった 石油化学や アルミも 進出しない そのあと 当然ですが 自動車 電器産業などに 移るんですけれども これも 進出、振興しませんでした 


理由は 水がない 或いは エネルギーが不足して 流通費がかかる ということが あったんですが 私は 基本は 基地が悪かった 基地があるために 自動車産業や 電器産業の工場が ここには 来なかったんです という風に 考えています 


今 振興計画について 新しい建議が出まして その建議の中で 一定の 評価がされていますけれども 全体としては 所得が (全国平均の)70%に とどまっているという そういうことが 問題になっているんですけれども 


私は やっぱりこれは 沖縄が 自ら 内発的な 発展をしないから どうしても 所得水準が 停滞するだけでない 所得水準で 測れない 沖縄の良さ というものが 評価をされないことに なっているんじゃないか?っていう風に 思うんですね ええと 時間になっちゃったんですが (~46:34


(つづく)




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2022/7/2(土)
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朝は、オトン(元ウチの人)からのメール・チェック(備忘録的なものなので、読み飛ばしを)。

「昨日は中華居酒屋。今日は鮨、明日はY市のマンションのオプション会です。

夜は、菟田野のお義母さん(84)に、ラブレター書き(笑、同上で)。

おかあさん コン🦊ばんは
大阪も、昨日は、灼熱地獄で、鳥頭の私は、いよいよ、焼き鳥になる日が近いかもしれません🥵🐓🐔コケコッコー(笑)

でも、こういう時こそ、美味しく、『焼き鳥特集』を始めましょうか😋🐓🐔コケコッコー(笑)

ちなみに、トウサンが送ってくれた2022年6月23日付けの、焼鳥藤三(とーさん)の写メからです🥶🐓🐔コケコッコー(←ちょっと寒い笑い)

砂ずり レバー
こころ ネギま
つくね 〆の鶏雑炊

やっぱり、夏は焼き鳥が最高ですね😉✨🍻🐓🐔コケコッコー

それでは、私たちは、お互い、焼き鳥🐓🐔になる前に、水分を取りましょう🍹🥛☕🍵🥶(←ちょっと寒い笑い)
おやすみなさい💤😪✨🐓🐔🥶」


それが済むと、沖縄の本土復帰50年に思うの文字起こしをしました

きょうは、夜の古墳ランをして14,874歩(10.5㎞)走り歩きしました🏃🐥

With  WouldYou's half of the face"(ウイズ ウッジューズ ハーフ オブ ザ フェイス)

✨🌙🌓🌖🌕🎑


~☆・*。.:*・゚☆・*。.:*・゚☆~


「沖縄の本土復帰50年に思う」①

宮本憲一・日本環境会議名誉理事長、大阪市立大学名誉教授(92歳)


みなさん こんにちは 昨日 私は 家内が 病気したりしまして 5年ぶりに 帰りまして 辺野古の基地を 見学したので ございますけれども 非常に 工事が進んでいることに 衝撃を受けまして もしこれを 屋良さん(※最初の公選琉球政府主席 屋良朝苗(やら ちょうびょう)が 見たら どういう感情を持つだろうと 思いながら 辺野古の 周りを 見て歩いたわけではありますけれども 今日は 少し お話をさせていただきたいと 思います


米軍による 占領下に あった時は なかなか ビザが おりませんでした 私は 地方自治を 研究しているんですけれども 1963年の3月に 屋良朝苗(やら ちょうびょう)さんの 保証で ビザがおりまして 最初の 沖縄調査を やりました


衝撃を 受けましたねぇ 沖縄に 基地があるんじゃなくて 基地の中に 沖縄がある 状態でした エネルギー・水・土地 人間にとって 生きるのに どうしても必要な 資源が 米軍に 独占されて おこぼれを 使っている というような 状況でしたし 道路とか 港湾とか そういう 社会的施設は 軍事が優先する という状態で ございました

当時の 沖縄の 民生福祉の 状態も 表から いかに 戦場下で 占領されていたかが 分ると思います


日本復帰を 求める 運動は 非常に 早いんですけども 1953年1月に 始まった訳でありまして 1960年に 沖縄県の 祖国復帰協議会が 結成された訳ですね 


当時 佐藤栄作首相が 初めて 沖縄を 訪問したんでありますけれども(1965年8月) ちょうど 日米安保条約の 改定の問題が 政治の舞台で 論じられている 状況に なってきましたので これと併せて 沖縄返還協議を やらなければいけないというところに 追い込まれまして 1968年の11月に 祖国復帰協議会 会長の 屋良さん(屋良朝苗(やら ちょうびょう)が 当選することになりました 



ところが この 祖国復帰協議会の 中心的スローガンである 「米軍の基地を撤去する」という そういう 基本的な 問題については この 日米協定の 中では 論議されない つまり 日米安保条約を 改定するが 前提の 会議ですから それに備えていますから むしろ 「米軍の基地を 再編成する」が アメリカの ねらいでありました 


それで 祖国復帰協議会が 基本的に 「本土復帰は 米軍基地の 撤去である」というふうに 考えているのと 全く違う進め方を していたんですね


ここで 私が 特に 言っておきたいことは 復帰の 中心は 米軍基地の 撤去で あったわけですけれども 同時に 福祉の遅れている 沖縄を 復帰の過程で 日本の水準まで 引き上げたい つまり 沖縄の 開発計画 っていうものが 同時に この 祖国復帰協議会の中では 中心課題に なっていたわけでありますけれども  


当事は この 経済の開発を 巡っては 2つの意見が 沖縄にありまして 一つは「基地を撤去したら また前に戻ってしまう」という 考え方ですね もう一つは「経済成長する日本に復帰すれば 沖縄の経済は発展する」という楽観論と 2つあったわけですが 


私たちは 「両方とも 間違っている もしもそういう 考えで 復帰を するとなると 大変なことに なってしまう」というふうに 考えておった訳でありまして そのために 我々の調査も 基地と経済 これは 一体的に考えて そして その 経済の発展というものは 決して. 日本の国土政策に 従ってはならないんじゃないか と そういうことで この 復帰政策に 意見を述べるということを していったわけです


当時 私がお世話になりました 同じ経済学者の 久場正彦・琉球大学教授と 二人で 『世界』で 3回ぐらい 沖縄の復帰後の開発のあり方を 提案した訳でありますけれども

 

沖縄の 今後の 復帰開発について 「環境破壊や 公害が 起こらないということだけじゃなくって 基地そのものを 撤去しなければ 沖縄の経済は 発展しないんじゃないか? 」っていうことを はっきりさせなきゃ ならない ということで 1971年のシンポジウムでは  都留重人さんと 華山譲さんと 私とが 参加をして 基地脱却の提言 等を したわけであります



私は 台湾の 台北市の 海軍第一師範学校の付属小学校の 出身なんですが その小学校に いたときに 先生に 会いまして 長らく 親密な 付き合いがあったんですけれども その後 沖縄県として はっきりと 先生の お考えとは ちがった 政府に対する復帰後の政策を明記した「建議書」を 作ることに なったんですね 


これは 僕は 少し遅れたなあ という感じが しますねぇ 1971年の10月には 沖縄国会では 復帰関連7法案の 審議が 始まっていたんですけれども 琉球政府の 「復帰措置に関する建議書」が出たのは 1971年11月でありまして この「建議書」は 今から お読みになっても 私は 歴史に残る 重要な文書だと 思っているんですが 


①地方自治権の確立

②反戦平和の理念を貫く

③基本的人権の確立

④「県民本位の経済開発を骨組みとする新生沖縄の像を描いております」


これは 屋良さん(屋良朝苗(やら ちょうびょう))が 書いた文章で 「私は」と いう文言も 入っていて 沖縄県民の「建議書」とは 思えない 文書なんですけども 屋良さんの気持ちがよく 現れているものです 新聞にも よく書かれ 報道も よくされました



この 「建議書」を 屋良さんが 持って行った日に つまり 1971年11月16日に この 歴史的文書を 受け取らないまま 政治は 動いてしまったわけですね 衆議院委員会の 沖縄復帰協定と 復帰関連法案の 野党の反対を押し切って 強行採決した訳です 


僕はこれを TVで観ておりましたけれども 公聴会も 開かない 参考も 呼ばない 予定されていた 瀬永亀次郎その他 沖縄県議員の質問も 許さない まったく 実質審議を しないまま 与党は 押し切った訳ですね 「建議書」は 佐藤首相や それから それ以下の 閣僚や 有力な政治家に 送ったと 言うんですけれども 一度も 国会で 取り上げなかった訳です


私が 調査をする過程で 久場正彦さん(琉球大学経済学部教授)と 討議をし 沖縄の実態を 見ていて 分ったことは 

沖縄の復帰 というのは 沖縄が これまでの 恒常的な 差別を 歴史的に受けた これを 跳ね返したいという 「沖縄の心」 というものが この 復帰の 基本的な考え方だったんですね 


大田さん(大田 昌秀(おおた まさひで、元沖縄県知事)に言わせれば 反戦・平和、それから 基本的人権の確立地方自治 という この3つの礎「沖縄の心」であって 日本に 復帰するというのは この「沖縄の心」を 実現すると いうために 復帰するんだと

このことが この「建議書」にも 盛られていた訳ですね そういう点では この「建議書」は 一つの 沖縄の政治の公共性を 示したものである と 言えるんじゃないかと 思うんですねぇ


まぁ 私も この 50年間に3回 大きな沖縄の現状調査についての 本を出していまして それを 見て頂ければ この50年間の 沖縄の開発と自治の歩みが よく分るのではないかと 思っておりますけれども 


簡単に言いますと この50年間で 非常に大きな変化が 起こったのが 1995年の 海兵隊の 暴行事件を 契機にして 県民の運動と 大田さんの 基地返還の 進行政策 というものが 進められたということでありまして 


ちょうど この期は 冷戦が終わりということがありましたから 冷戦が終われば こちらは 基地が 撤去されるだろう 米軍は 基地縮小に向かうだろうと 思われますから そこで SACO(沖縄に関する特別委員会)が開かれて 嘉手納基地以南5,002haを返還するということと 今 最大の 問題になっております 辺野古基地建設に 関連して 北部演習場が 返還されました(2017年)


こういうことが 一つの 返還の状況だったと 思いますが 米軍基地に 変化が起こった訳でありまして 敷地面積が 一万ha 減っているわけで ありますけれども しかし これだけ 減りましても 米軍基地は 沖縄で 70% 引き受けているわけでありますし

 

しかも ほとんどは 沖縄の 中央部の 最も 開発をしなければならない 重要な地点にある という点では この返還が 行われても 沖縄の持っている苦悩 というものは 去らなかったわけであります(~37:10


(つづく)


~☆・*。.:*・゚☆・*。.:*・゚☆~

※今日の文字起こしのソースはこちらです


2022年06月25日(土)

http://www.einap.org/jec/article/events/48/113
沖縄環境問題特別シンポジウム 
琉球弧における防衛施設整備と環境問題~復帰 50 年の沖縄を問う~
主催: 日本環境会議・沖縄環境ネットワーク 

会場 沖縄船員会館(とまりんから徒歩5分)


開会挨拶(JEC/沖縄環境ネットワーク)
【第一部】 基調講演「沖縄の本土復帰50年に思う」
 宮本憲一(日本環境会議名誉理事長、大阪市立大学名誉教授)
【第二部】 報告

「沖縄から訴える」桜井国俊(沖縄大学名誉教授・日本環境会議顧問)
  「南西諸島の軍事要塞化の背後にある財政・地方経済の軍事化」川瀬光義(京都府立大学名誉教授)
【第三部】「ノーモア沖縄戦 命どぅ宝の会」からの問題提起
 発言者:山城博治(平和運動家、「ノーモア沖縄戦 命どぅ宝の会」共同代表、沖縄平和運動センター元議長)
     宮城晴美(沖縄女性史家、「ノーモア沖縄戦 命どぅ宝の会」共同代表)

 進 行 宮本憲一・桜井国俊
 閉会挨拶


~☆・*。.:*・゚☆・*。.:*・゚☆~

※動画はこちらでご覧になれます: https://www.youtube.com/watch?v=trlKSMOeJ5c
※前編はこちらです: https://wtti2.muragon.com/entry/172.html


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