一週間刻みの眺め(長め)サイト(笑)

今週、引き出しの中に容れたもの。

2022/7/18(月)から今日まで。(第40週ー後半③´)※資料No.99'(ユリシーズ)

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2022/7/24(日)
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きょうは、プライベート・デーにつき、いつもの形式の長文ブログはお休みです(笑)。きょうで、おかげさまで、ウッジューのケアが始まってから17回目の金曜日+2日(121日目)を迎えることができました。いつも支えて頂き、本当にどうもありがとうございます。
With "WouldYou"(ウイズ ウッジュー)

きょうは、夜の西高野街道ランをして、15,606歩(10.0㎞)、走り歩きしました(笑)🏃🐸そのあとは、『ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』への招待・第11挿話』の文字起こしをしました↓
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開催日:2022年7月15日(金)、主催:Project 22 Ulysses
第1部「第11挿話:遠い音楽に耳を澄ませる」司会/講師:平繁佳織・中央大学経済学部助教
第2部「セイレーン或いは3声のリチェルカーレ」講師:高橋渡・県立広島大学人間文化学部教授

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※質疑応答の部分起こし
和菓子 良いですね
リチェルカーレ というタイトルに共感します。ricercare(伊)=探求


講師:平繁佳織・中央大学経済学部助教
ナショナリズムと音楽 という 大きなこの問題を あげてくださって 多くの人が直感的には 多分 理解できると思うんですけども その作用を説明することは 凄く難しいことで ジョイスが それに取り組んでいて ナショナリズムはまさに次の 13挿話のテーマですね


講師:高橋渡・県立広島大学人間文化学部国際文化学科教授
エメットの 最後の言葉が 「終った おなら」 だったこと 愛国的な言葉が 重なっているところに 暴力的なナショナリズムに対する 揶揄が 現れていると思います 


>高橋先生、多重フーガという事でよろしいでしょうか?
平繁佳織
何かに対しての フーガではなくて 絶対音楽の 文脈の中での フーガであると それで ジョイスが 関心を 持ったということだと 思います


大島英樹・立正大学法学部法学科教授
>17層話のアナグラムだ 柳瀬さんの訳っすね


Kazuo Yokouchi ・関西学院大学文学部文学言語学科教授
>FWの引用、正しくはusylesslyですね。


Hironao Kobayashi・東洋学園大学 グローバル・コミュニケーション学部准教授
>useless役に立たない、ってことですね(笑)


Kazuo Yokouchi 
>構築と解体の繰り返し weave, unweave (U 9.376) のモチーフですね。


Hironao Kobayashi 
>『金枝篇』


Kazuo Yokouchi 
>ちくま学芸文庫版が吉川信訳です。初版の訳なのでスッキリしている。
>ブルームの家庭はアイルランドの縮図ということか


Hironao Kobayashi 
>多声性の問題は引き続き重要ですね!


MURAMATSU, Yosuke・早稲田大学大学院会計研究科教授
>平繁先生の「音楽の記憶」とは、『ダブリナーズ』の「死者たち」の音楽による過去の記憶の喚起と関連性があるでしょうか?


Shintaro Shibayama ・三重大学
>「音楽が記憶を喚起する」という効果について、ジョイス自身は何か言及したりしていますか?


平繁
そうですね 音楽は その場で 聞いている全員で 共有するものでありながら 一方で 個人個人で 聞いていて そのなかで 特に 死者たちは 人によって 思い出すもの ことが 違う そこを 痛烈に 利用した 短編だと 思っています みな 同じ曲を 聞いているわけですけれども それぞれに 思っていることが 違う おそらく ブルームは 6月16日(ブルームズ・デー)の一日を 思い出す それも 浮気のことを 記憶 というものは 呼び起こす といったところです 
同じ音楽 同じ記憶を 共有している ということが ナショナリズムを 考える上で 凄く 重要に なっている 同じものを  聞けるか 聞けないかで 過激に 属しているかの 一つの指標に なっている という事実に 一つ 注目する必要がある と思います


高橋
でもさ 全然 ちがうことを 考えているわけで おそらく ブルームと 他の人たちとでとらえ方は 全然ちがったり しているわけじゃないですか やっぱり 危険なものが この挿話は ありそうですよね もしかしたら 愛も そうかもしれない その可能性は あります


平繁
さいご ブルームが 逃げるように ホテルを 出ていく すべてを飲み込む 圧倒的な力 から 或いは 個人的なレベルで 最終的に 処刑されてしまう 弱い立場が 思いださせられて 耐えられなくて 逃げるように出ていったとも 読み取れるかと 思います せっかく 逃れたと思ったら より強力な 敵が 次に 現れるわけですね


バーの女給として二人の女性が登場しますが、この場合の女給とは、日本で言えばキャバレーなどのホステスのような職業なのでしょうか? また、その一人のリディア嬢はその髪の色から「Bronze」/「ブロンズ」(p.187-)と呼ばれていますが、ブロンド(blonde)とは違うのでしょうか? 恐らく、ブロンドが金髪だとすると、ブロンズは濃い焦げ茶色だと思うのですか、そうすると相方のケネディ嬢のゴールドはブロンドではないのか、とも思うのですが、いかがでしょうか? あるいは「話者」はここで、この二人を物質的な何か、金属の名前で呼びたかった何かがあるのでしょうか?


平繁
バーメイドというのは さげすまれる中で 報酬が大きいという 二重性のある職で プラチナゴールドが 何回も 繰り返されますが ヘッドっで 書いてあるので 髪の色かなと 想像されるだけで そのあたりは 一回読んだだけでは わからないところかと


高橋
特定されない あまり 人格と 関係しては 出てこない 廃物利用じゃないけど また 作り変えて 作っているところがあって ここは 面白い感じがしますね


平繁
そういう意味で 今回の 第11挿話は それが 別の形で でてくることを ある種 待っている 感じで 読まれるのが いいかと 思います


大島英樹
ブロンズとゴールドは、金管楽器の色を思わせる気もします。
Kazuo Yokouchi
大島さん、それアリ! たぶんそうじゃないでしょうか。
Eri Tanaka
大島さん、私もそう思いました!
大島英樹
オレ、すごい?
Hironao Kobayashi
すごいです!(笑)
Kazuo Yokouchi
三声=賛成の反対の反対なのだ!
Hironao Kobayashi
バカボンのパパ。。。


>12. 「A haughty* bronze replied:」/「傲慢なブロンズが答えた。」(鼎訳p.193)/「傲慢な青銅(ブロンズ)が応じた。」(柳瀬訳p.438)とありますが、「生意気な態度」を取った靴磨きの少年に対するブロンズの口の利き方が「横柄」ということでしょうか? しかし、「ミセス・ド・マーシーに言いつけるわよ。」ぐらいで「傲慢」というのはいささか語感がズレる気がします。それとも、何かミス・ドゥースの心根の奥に傲慢さが潜んでいるということでしょうか?


大島英樹
>けっこう高い音を出しそうなゴールドとちょっと渋いブロンズみたいな


Kaori Hirashige
>Mullin, Katherine. “‘The Essence of Vulgarity’: The Barmaid Controversy in the ‘Sirens’ Episode of James Joyce’s Ulysses.” Textual Practice, vol. 18, no. 4, 2004, pp. 475-95.


バーメイド!ありがとうございます。


Hironao Kobayashi
>barmaidとmermaid→だじゃれです(笑)


Hironao Kobayashi 
>音楽は共有される(みんなで聴いている)という点では集団的であるが、記憶の点からは個別的なものである→確かにそうですね!


Kazuo Yokouchi 
>同床異夢ならぬ同曲異夢


Hironao Kobayashi 
『リフィー河畔のユリシーズ』というタイトルで国文社から出ています!
リチャード・エルマン『リフィー河畔のユリシーズ』和田旦・加藤弘和訳、1985年です


Kaori Matsuda
>BronzeとGoldはホメロースの叙事詩の舞台となった時代では重要な金属であり、ホメロース自身の時代ではが重要な金属であったというのがGiffordのUlysses Annotatedに載っていました。


Hironao Kobayashi から全員に 09:57 PM
>それぞれの登場人物を対立させたり、重ねたりすることで見えて来るもの、確かにジョイス独自のポリフォニーがありますね


司会/講師:平繁佳織
では いちど ここで しめて 質疑応答 続けていきたいと思います


Yoshimi Minamitani ・京都大学 大学院文学研究科 准教授
>これは時間があればですが、発起人の皆様へ。途中平繁さんの発表ででた、「アレンジャー」の概念については、11挿話との関連であらためて説明があったほうがよいかもしれませんね。


MURAMATSU, Yosuke
>アレンジャーとは、『ユリシーズ』においてだけでなく、文学上の一つの技法として認められているのでしょうか?

>arrangerか、なるほど!
(p.194)、「しかしブルームは?」(p.196)などですが、小説世界を全て熟知している「作者」の視点とは異なり、登場人物たちと同じ地平にいるかと思えば、自由自在にこの世界を移動する視点です。或る意味では無責任に合いの手をいれてくる存在ですが、言うなれば「幽霊」のような存在がこの世界とは無関係に呟く「浮遊する視点」と言ってもいいかも知れません。このような視点が意味するものとは一体何でしょうか?これがarrangerですか?


Kazuo Yokouchi
>まさにそういう現象を説明するものとして、使われだした言葉です。
『ユリシーズ』後半では、語り手が後ろから操作されている? という発想から、narratorとは別次元のarrangerという概念が使われるようになった。てなとこかな?


Hironao Kobayashi
>語りが(ある種の)「自然さ」を目指すのに対し、アレンジャーには操作性や恣意性があからさま、という特徴はありますね 『物・語りの『ユリシーズ』』ですね!


>arrangerの初出はどなたなのでしょうか?


Hironao Kobayashi
道木一弘先生の第1章で丁寧に解説があります! arranger→David Haymanという研究者です

物・語りの『ユリシ-ズ』 / 道木 一弘【著】 南雲堂(2009/06発売)


Kazuo Yokouchi
>つまり語り手の意図と、明らかに食い違う力が働いている。David Haymann, Ulysses: Mechanics of meaningです。


Hironao Kobayashi
>Ulysses: The Mechanics of Meaningという本に出て来るのですが、邦訳はありません。。。


道木一弘・愛知教育大学教育学部教授
>拙著言及頂き、有難うございます。高橋さん、サービス精神でてきちゃだめですよ!


講師:高橋渡
アレンジャーについて ですが 普通のナレーターとちがって 変なことをしている わざと 操作 派手にアレンジ 全体的に 語り手の分際で 何で そんなことをするんだ みたいな そういうのを ナレーターという言葉より アレンジャーの ほうが いいんじゃないか ということで ちょっと ナレーターより 派手なことをやってしまう人 ということで

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※今日の文字起こしのソースはこちらです
2022年7月15日(金)20:00〜22:00(途中入退室自由)
出版100周年特別企画:2022年×全22回のオンラインイベント - 日本ジェイムズ・ジョイス協会
「22Ulyssesージェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』への招待」
「第11挿話」
第1部 「第11挿話:遠い音楽に耳を澄ませる」
司会/講師:平繁佳織・中央大学経済学部助教、東京大学人文社会系研究科英語英米文学専門分野研究者.
第2部 「「セイレーン」或いは3声のリチェルカーレ」

講師:高橋渡・県立広島大学人間文化学部国際文化学科教授
主催:Project 22 Ulysses
※毎月、第1・第3金曜20:00~22:00に開催 事前登録制(参加費無料)
新規参加お申し込みはこちらから ※最新情報はTwitterから→ https://twitter.com/22Ulysses2022 
※今週末の7月31日に、2019年からスタートして3年をかけた『ユリシーズ』の読書会の「最終回」となる第18回読書会を行います。今回も定員無制限・参加費無料で受け付けております。途中入退出自由ですので、ぜひお気軽にご参加下さい→2022年の『ユリシーズ 』第18回(最終回?)参加申込フォーム
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※第10挿話へのリンクはこちらです:
https://wtti2.muragon.com/entry/180.html

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