一週間刻みの眺め(長め)サイト(笑)

今週、引き出しの中に容れたもの。

44週目。2022/8/15(月)~後半③´※資料No.133 (民間空襲被害者)

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2022/8/21(日)
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きょうは、プライベート・デーにつき、いつもの形式の長文ブログはお休みです(笑)

きょうは、昨夜の義母宛のメールを送信し忘れていて、今朝、慌てて送信したら、
「いつもありがとう気持ち良く1日今日も過ぎますように」
と、返信貰えました。1年半ぶりぐらいかなぁと。そのおかげで、少なくともウチは、今日1日ずーっと気持ち良く過ごせました。

With “Ryoryo”(ウイズ リョーリョー):
ビビりのリョーリョーは、あれから10日たっても、いまだ洗濯機の中を覗いて「兄ちゃん、兄ちゃん」と鳴いているので、鳴く前か後ぐらいのタイミングでスキンシップを取るようにしていたところ、だんだん、抱っこやブラッシングをさせてくれる仔になってきました。今の間だけかもしれんけど(笑)。それだけ、ウッジューはノラの仔リョーリョーに対し、温い母性を発動した、自身もノラの♂猫でした…

きょうは、夜ランへ行って、途中、雨にも降られず、8,522歩(6.3㎞)走り歩きしました🏃🐾
その後は、荻上チキのさんのTBSラジオ『特集:終戦から77年。空襲被害者救済法の制定を訴える河合節子さんの文字起こしをしました↓

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放送日:2022年8月18日(木)配信:荻上チキのTBSラジオ FM90.5 + AM954~何かが始まる音がする~
特集「終戦から77年。戦後補償から考える日本の安全保障」出演:毎日新聞 専門記者の栗原俊雄さん・全国空襲被害者連絡協議会事務局次長の河合節子さん
 ※動画のurlはコチラで、聴取可能期限は本日08月22日 (月)22:01までです
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※部分起こし
(ー0:44:28~
河合節子・全国空襲被害者連絡協議会事務局次長
(1945年3月10日の 東京大空襲を経験したのは)私が 5歳と11カ月の時でした その年の4月には 1年生になる 直前の年齢でした 当時 東京は 1945年は たびたびね 空襲が 起こるようになりました それで 疎開した方がいい ということで その時 家族は 5人だったんですね 父と母と私と 3歳の弟 1歳半の弟の 5人家族ですけれども 

今 江東区ですが 深川区深川 というところに 住んでいました 疎開の 準備を 始めましたけれども 子どもが ウロウロしているので 仕事がはかどらないということで 私は 茨城の 伯父の家に 預けられました だから 東京大空襲の その時点では 私だけが 東京に 居なかった ということです それで 家族が 私を除く4人が 東京大空襲に 遭遇してしまって そのうちの 母と 弟が二人 亡くなってしまいました 

亡くなったかどうか ということは 今もって 確認が できていない という状況です 父親が 大怪我をして 私が 父親に逢ったのは 7月ぐらいだったんですけれども 茨城の 伯父の家に 父親が 尋ねてきたときに ミイラみたいに 頭から 顔から全部 目だけ 出して 包帯を 巻いているという状態で 現れました 3カ月くらいしか 病院には いられなかった ということだそうですが

あとの家族 母親と 弟二人は もう いないのだ というふうに 言われたのではなくて 私は 悟ったんだと 思いますけれども 言葉として 説明されなかったけれども もう わかりました 

父親は そういう 生死を さまようような 大火傷を 負いましたので 遺体を 探しに行くことも できなかったわけです まぁ 行ったとしても 見つかったかどうかは 分りませんけれども 

本当に 自分は 家族を 守れなかったということが 凄く 戦後の 父親を 苦しめたと 思いますし 私も やっぱり 想像しただけですけれども 地獄のような 空襲の 炎の中で 幼い子どもがね 火炙りにされて 殺された って 思うと それだけでも 居ても立っても居られない 気持に なります

父親が 生き残ってくれたので 本当に それは どん底の 貧しい 暮らしでしたけれども そのあと 茨城の 伯父の家から 愛知県の 今では 一宮市に なっていますが 愛知の 田舎 実家に 私を 連れて行って そこに 預けて 父親は 自分の生活を なんとか しなくちゃいけない ということで 家も 何も ないですけど 東京に また 戻っていったという状態で 

私は 1年間ぐらいは あっちの家 こっちの家に 預けられまして 名古屋も 大空襲が あったんで 名古屋にいた 叔母家族が やっぱり 焼け出されて 実家に 戻っていたので そこで 空っぽになっていた 牛小屋に 一緒に 生活する ということもありました 牛も 馬も きっとね 戦争に 駆り出されて あちこちの 牛小屋や 馬小屋が 空いてたという事情があったんです  

その後 父親が どうやら 住むところを 確保して 私を 迎えに来てくれて 全て 焼けてしまったわけですから 全く何にもない お箸一本も 無かったというふうに 父親は 言いましたけれども 着るものも 着替えも 何もない そういうものも 少しずつ みなさまから 頂いて というような 暮らしがありました 

傘がないので 雨が降ると 学校に行けない とか 色々あったんですけど でもそれは別に 貧しい人たちは そのへんにいっぱい いましたから 特別 自分は みじめな思いをしたっていうふうには 思ってないというか 楽観的な性格だったんだと 思うんですけれども だんだん 立て直していったというか 殆ど 自給自足みたいな 生活をしてました

「空襲被害者救済法」は 救済 と言いましても この 法律が できたからと言って 本当に 救済されたことには なりませんけれども それにしても 国が 全く 戦争の責任を とっていない ということに とても 憤りを 感じます 国も いろいろ 理由を つけているんですけれども 「財政負担が 大きすぎるので それは やれない」 みたいなことが ありました 財政負担 というような それを 理由にされるのは たまりませんので だったら 「今も 障がいの 続いている人に対して 一時金で 50万円 で 他の人たちには 何の 金銭的な 給付は 無し それでも ちゃんと どんな空襲が どこにあって どういうふうな状態で 犠牲があったか というような 調査をね 国として やってほしい」と 

今まで 地方自治対とか 郷土史の 研究者の方とか そういう方たちが 色々調べたりしていらっしゃいますけれども 国として きちんと 一括網羅的に 調べた ということは 無いわけです ですので そういうことを きちんと 歴史の中に 書きこんで貰いたい ということがあります 

忘れ去られるということは 大変 私たちにとっても そうですし 後の人たちにとっても いけない 絶対 これは 消しては いけないと 思っているので 障がい者に 対する 給付金と 全国的な 調査を まとめてほしいと せめて その範囲でも いいから ちゃんと 国に 責任があったのだ ということを 認めてほしいという 本当に いじらしいほど 小さな要求だと 思いますけれども それでも まだまだ なかなか 立法活動を始めて 10年 経ちますけども それすらも 認めようとしていない という 残念な状況にあります

国会の中に 今 空襲議連(民間被害者の救済法成立をめざす超党派の国会議員連盟、2020年設立)を作ってくれていますので その方々は 既に ご存知のことだと 思うんですけども 国会として 半数以上の 賛成がなければ 成立しないわけですし 空襲議連の 半数ぐらいは 自民党議員の方なんで 自民党の中にもね この考えが もっと 広まってくださったら  成立していくんだろうと 思うんですね 

私たちとしても 力を貰った 発言だったんですけれども 「この 法律を 作ることが 日本が 平和な 国家であるということを 国際的にも アピールすることになる そういうものだと 思うので やるべきだ」と おっしゃる自民党議員さんも いらっしゃいます

でも それは 今 中枢にいる人たちにまで 届いていない というか その方たちを 動かすまでには 至っていない 戦争ができる国に どんどん歩みを 進めておられますよね 

戦後処理、先送りしないで 被害者救済求める4団体|2022/8/8|北國新聞

荻上 (おぎうえ)チキ・TBSラジオパーソナリティ、評論家、編集者
そうした 声も こういったメディアの 報道を通じて 多くの議員の方 有権者の方に 知って貰うところから 出発なのかなと 思います 今日は お時間となりました 栗原さん 河合さん ありがとうございました 


~ー0:40:07)
栗原俊雄・毎日新聞専門記者
(東京大空襲で)10万人亡くなったと されていますけれども 当時 東京都の 遺体処理 1日 500体しか 焼却できなかったんですね で 10万人 死んでますから どうしたかっていうと 軍人も 子どもも 囚人も 動員して 学校とか 空地とか 寺とか そこらへん 埋めたんですよ で 戦後3年かけて 掘り起こすんですけど 掘り起こせたのが 8万体強 つまり 2万体 行方不明なんです その8割も ほとんど 身元が わかりません 引き取り手も わかんないですよね 骨ですから DNA鑑定が あるわけでもないし そういう話ですよ だから ほとんどが 両国の東京都慰霊堂に 無縁仏のまま 納まっているんです で 多分 2万体は 海に 流れちゃったか どっかに 埋まっていると 思いますよ 今も… 

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※今日の文字起こしのソースはこちらです

放送日:2022年8月18日(木)、配信:荻上チキのTBSラジオ FM90.5 + AM954~何かが始まる音がする~

特集「終戦から77年。戦後補償から考える日本の安全保障」、
出演:栗原俊雄・毎日新聞専門記者
電話出演:河合節子・全国空襲被害者連絡協議会事務局次長
MC:荻上チキ、南部広美
https://www.tbsradio.jp/articles/58270/

※趣旨:戦後77年。日本政府はこれまで、元軍人や軍属らに累計60兆円に及ぶ手厚い補償や援護を行っているのとは対照的に、民間人への戦後補償はなされぬままです。ロシアによるウクライナ侵攻によって、日本国内でも安全保障への関心が高まるなか、戦後補償を取材する記者、当事者の方に伺います。

※動画のurlはコチラですhttps://radiko.jp/#!/ts/TBS/20220818163842
(聴取可能期限は本日2022年08月22日 (月)22:01までです)
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