一週間刻みの眺め(長め)サイト(笑)

今週、引き出しの中に容れたもの。

44週目。2022/8/15(月)~前半①※資料No.128 (終戦の日、高橋源一郎と読む「戦争の向こう側」)

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2022/8/15(月)
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※きょうは、ノーペン🖊デーにつき、通常のメール・チェックと、レター書きと、『根っこばなし』は、お休みです🙇(笑)。

With "Ryoryo"(ウイズリョーリョー)

きょうは、夜ランをし3,732歩(2.7㎞)走りました🏃✨そのあとは『高橋源一郎と読む「戦争の向こう側」2022』の文字起こしをしました↓


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配信日時:2022年8月15日(月)、提供:某NHKラジオ第1、第5回高橋源一郎と読む「戦争の向こう側」2022、取り上げる作品(小説):太宰治『十二月八日』『散華』『惜別』、(詩集):『大東亜』『辻詩集』『野戦詩集』司会:高橋源一郎(作家)、出演:奥泉光(作家)、伊藤比呂美(詩人)
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▽21時台(2022年8月22日(月)午後10:55配信終了)の要約筆記
高橋源一郎(作家、生年月日:1951年1月1日(71歳))
奥泉さんを 何で お招きしたかというと 戦争、アジア・太平洋戦争について 今も こんなに 書いている人は おそらく いないんじゃないかと でも それを人に言われると 奥泉さんは いつも はぐらかす 「戦争について 読んだから 書いただけだよ」と いつも ごまかしてるんですよね


奥泉光(作家、 生年月日:1956年2月6日(66歳))
別に それを 書くために 作家になった わけではないし なる前から 関心があったし ということです


高橋
戦争小説は 沢山 あるんですよね 既に 沢山の人が 書いているのに 何で 書いたか? やっぱり 書きたいことが あったから 奥泉さんは 小説を書きたいために 悪い言葉でいうと 戦争を 利用して 書いた そして そのようにして書かれた 奥泉さんの 戦争小説の方が 勝っていた


奥泉
僕は 戦争を直接 体験した者が 戦争の文学を 創るものじゃない むしろ それを 創るのは 戦争、アジア・太平洋戦争の 経験がない 我々の世代だと 思っていました


高橋
作家は まず 小説があるんで その方が 戦争に 向かい合いやすいんですよね


奥泉
自分の体験一つに 閉じ込められている それじゃあ駄目だろう 色々 錯綜する中で 世界に 戦争という 題材を 持ち込んだときに どうなったか? ということだと思います


高橋
『石の来歴』(奥泉光)を見てみると 確かに「僕は 体験世代だから 書けない」と 書かれてますよね


奥泉
戦争の暴力にも 色んな位層があって たとえば 排除ということでは 内ゲバの時代に 関心を ずっと持ってきたんですね


高橋
それで 今年のテーマは 「それでも 書き続けたい」に しました 戦時下に 書き続けた作家 そこを 色々 考えていきたい まず 太宰治 僕 大好きでして 太宰って 小説家人生 ほぼ「十五年戦争」(1931年(昭和6年)の満州事変から日中戦争、太平洋戦争が終わる1945年(昭和20年)まで全期間を一括する総称)だったんです そういう時代に 生きた作家は 何を 考えているか 今日は やっていきたいと 思います


▽小説①『十二月八日 太宰治戦時著作集 』太宰治【著】

高橋

太宰は まず 明治生まれで 本名は 津島 修治 青森の 大地主の家に 生まれて 東京帝国大学仏文科中退 満州事変の2年前(1933年)に 作家デビューして 盧溝橋事件 日中戦争の1年前に 心中未遂をした 1948(昭和23)年に 亡くなるということで 小説家人生の 9割方は 「十五年戦争」だったわけです 

奥泉さんは 以前 「太宰は あまり 好きじゃないと」 おっしゃっていましたが


奥泉

いい読者じゃない という意味です あんまり 深くは 読んでいない 読まず嫌い ということです 太宰は 戦時下の 作家だったんだ 


高橋

1941年12月8日 太平洋戦争開戦の日に 20時間弱で 書かれた小説です


奥泉

12月中に 書いていることに まず びっくりしましたね 一番 盛り上がる時代じゃないですか 勝った 勝ったと 国民が 一丸となって 今でいえば 日本が ワールドカップで 優勝するような そんな 一番 盛り上がっている時代に こんな小説を 書いていたのか ということで まず びっくりしました


高橋

冒頭を 朗読します 主婦の モノローグ 太宰の妻の視点で 書いています


奥泉

「100年後に この手記が 発見されて…」(100年後の日本人に送る) と 意味の 分かんないことが 書かれている 多くの人が 晴れがましい時間を 生きている 盛り上がっている時に 小説らしいよね センチメントがない ここが 大したもんだなあと 思います 


高橋

みんなが 盛り上がっている時に 極端に 冷静ですよね 物凄く 気合い 入っているなぁと 僕は 思うの 太宰は 一つ一つ 脱線させる わけですね 「西太平洋って どのへん?」「サンフランシスコだよ」とか 「日本が東で アメリカが西に なんとか できないものか!」とかしか 主人は 言わないんだよね 最初から 最後まで まじめにならない 奥さんも まじめにやろうと 思ったら 笑わされる

 

奥泉

まじめに 書いたら 駄目なんだと そこに 静かな 批判性を 感じます


高橋

誰にも 害が 及ばないように ことほぐ 今 80年後です だから 僕たちに 読んで と 言っている そして 最後を 朗読します ここは 分かりやすく 書いていると 思います 信仰 無いから 作家だから 平気だよと


奥泉

だから 言葉の 永遠性 というのかな? 言葉を 信じてる 12月8日に すぐ 書いている 普通 小説って 詩や 戯曲と違って なかなか すぐに 書けるもんじゃない これ 凄く 早いよね 「東亜」っていう言葉を この時代 重みのある 言葉なんですよ 日本が 戦争していく時の 大元となる 言葉 それを 結構 馬鹿にしてるんだよね

 

▽小説②『散華 』太宰治【著】

高橋

続いての作品は 太宰の『散華』(さんげ) という 有名な 短編小説です 1943年11月ごろの 「玉砕」と 「散華」という 言葉を巡る 小説です 二人の人が 二つの言葉を という物語 『十二月八日 』との違いは ここには 本人(太宰治)が 出てくる


奥泉

これは いい小説ですよね やっぱりね 「散華」というのは 本当は これなんだと 当時 使われていた言葉に 言葉の専門家として 向かい合っていると いうのかな そこに 魅かれますね 


高橋

冒頭 朗読しますね まぁ これは凄いですね 玉砕を 散華という 美しい言葉で 飾り立てて 戦争を 隠そうとした できれば 触りたくない 触れば どっかから 文句が出る それを 書いた 作家として 凄いなあと その時代に アンタッチャブルな言葉を 社会 軍隊に 奪われちゃって 使われている時に 作家は どうしたらいいか? 

太宰は 三井君という 作家志望で あんまり 才能がない 最期は 結核で 徴兵で兵士にもならずに 亡くなってしまうところに 散華 怒りみたいなものを 感じちゃったんですよね


奥泉

太宰は 上手いです これが 散華 なんですよ あっちが 使っているものじゃないと 力が 入っているんですよね シリアスな 形で この言葉と 本当に向かい合おうとしていた 本当に すばらしい 文章に なっている


高橋

そして 三田君が 出てきます 戦地から 4通 手紙が来て 最後の手紙が こんな感じです “大いなる文学のために、死んでください。自分も死にます、この戦争のために”

この小説は 三田君の この最後の手紙を みんなに 読んでもらうために 書いたんですよね 


奥泉

玉砕で とらえきれない 個人の 生の 厚み というかね


高橋

言葉の 価値を 下げられて しまったときには もう一度 価値を 挙げてやるしかない


奥泉

散華に こだわって 小説を 作っちゃうところに 驚きましたよ


▽小説③『惜別』  太宰 治【著】 

高橋

3つ目の作品です 『惜別』 太宰 前のふたつと違い これは長編小説です しかも 前2作は 怒りで 書いたのに対し これは 依頼作品 国の コントロール下で 多くの 作家 詩人が 誘拐され 「これ 太宰 ほら 手を挙げて」 と これは 国策作品だと 糾弾する人も います 

魯迅が 仙台医学専門学校に 留学していた時代 同じ学校で 学んだ人が 過去を 振り返る 回想録です スパイ容疑で 中国人が 日本の 軍隊に 殺されるところを 見て 魯迅は ショックを受け 医者になるのを 辞めて 民衆と共に生きる 作家となった それを あえて 太宰は 書きました


奥泉

率直に言って 結構 退屈な 小説ですよね 結局 魯迅の 随筆 エッセイを 読んでほしいための ト書きの 小説 なんですよね 太宰は いろんなものを 犠牲にしても 小説を 書こうとした 最後は 魯迅が 「藤野先生」に出会って 影響を受けて 先生の想い出を 書いた 小説なんですよね


高橋 

加害の国の 作家として どうするか 太宰は 自分の 作家としての 作風を 壊しても  それを 書きたかったんですね

若き日の 魯迅 敵のシンボルを 主人公にして 書くのは なかなか 難しかったと 思いますが 太宰は 完成させた ということです 途中 「なぜ 日本に 留学したのか?」と 問われて 周さんの 説明が 「親に そむいて 故郷を 捨てた そこから 文学を 志した」と これって 太宰 ですよね 


太宰って 元々 コミュニストですよね 彼の 書いたものは 全部 戦争小説じゃないかなと 思うんです 奥泉さんを お招きした理由も もう一人の 違ったタイプの 戦争小説家だから 違いは 太宰が 加害の国 だったこと その辺は どういうふうに 思われますか?


奥泉

必ずしも 加害の国は メジャーではない 目を 醒まさせてあげる 中国を解放するんだが 多くの知識人の考えであり 本音のところでは 植民地化が できない時代 むしろ 中国の ためなんだと 中国を 正しく導くと 信じている 必ずしも 加害の立場に立って ではない それは 洞察力の ある人にしか できない 太宰は それが できていた ということだと 思います 


※次回、22時台に続きます
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※今日の文字起こしのソースはこちらです

配信日時:2022年8月15日(月) 後9:05~10:55、提供:某NHKラジオ第1
第5回高橋源一郎と読む「戦争の向こう側」2022
司会:高橋源一郎(作家)、出演:奥泉光(作家)、伊藤比呂美(詩人)
https://www.nhk.jp/p/sensounomukougawa/rs/GJ8WPJL8WQ/
取り上げる作品(小説):太宰治『十二月八日』『散華』『惜別』
(詩集):「大東亜 軍事保護院献納詩 (日本文学報国会編)1944」(堀口大学、高村光太郎、瀧口修造)
辻詩集(八紘社杉山書店)1943」
野戦詩集 (山雅房): 1941」(小鳥 、雲、悲歌)
趣旨:人びとを戦争に駆り立てることばの正体について考えます。

※動画の視聴はコチラですhttps://www.nhk.or.jp/radio/ondemand/detail.html?p=5017_01(聴き逃し | NHKラジオ らじる★らじる)(2022年8月22日(月)午後10:55配信終了)
22時台に続きます
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