一週間刻みの眺め(長め)サイト(笑)

今週、引き出しの中に容れたもの。

2022/2/28(月曜日)から今日まで。(第20週ー後半②)



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2022年3月6日(日)
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きょうは、プライベート・デーにつき、通常の長文ブログはお休みです(笑)


ウチは先週 スマホで 文字入力して返信するのにいまいち慣れへん 石神井の実母(83)に

添付写真付きとゆー ハードル高いメールを送りつける 暴挙に出た(笑)

これしやんと まいとし 冬がいってくれへん気がして。


(以下、備忘録的なものなので、読み飛ばしを…)


~☆・*。.:*・゚☆・*。.:*・゚☆~


「今年の初梅見、寒紅梅です」


有り難うね。
添付ファイル 映像がありません。どう しましょう?

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(数分後)

済みませんでした。

鮮やかな 梅の花 寒紅梅が映りました!

有り難う御座いました。

スマホ;なかなか使い熟せませんね。 

 アホか!ですね!





「いえいえ、とんでもないです。上達早いですやん。もう一丁(八重寒紅)



有り難う。これで終了ですか?

スマホの性能の賜物か? 色が鮮やかで、驚いています!
又;勉強させて下さい!お休みなさい。


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「はーい、終了です。と、言いつつ、王牡丹



有り難う。

仄かな黄色も鮮やかで、有り難う。

早寝すると、早起きで、あく循環しています!お休み😪


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「おやすみニャさい😺(^^)v」


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2022年3月5日(土)
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朝は、オトン(元ウチの人)からのメール・チェック(備忘録的なものなので、読み飛ばしを)。


「☐☐は今日帰ってきて、ガッキー(友人)と遊ぶそうです。私は午後から、小児のワクチン接種、夕方には終わるので、その後遊びに行きます。明日はフリーです。」(※☐☐:息子氏の名前)



夜は、菟田野のお義母さん(84)に、ラブレター書き(笑、同上で)。


「おかあさん こんばんは😄今日、3月5日で、おじいちゃんが逝かれて9年目に入りますね🌼いま、おかあさんから頂いたおじいちゃんの生歌のカセットテープがかかっています😌う~ん、やっぱり、おじいちゃんのお喉は最高ですね🎤😉


おじいちゃんへ。毎日、尺八を吹いて、祭文(さいもん)音頭を唄われて、楽しく過ごしておられますか?奇しくも、6年前、広島へ旅立った息子氏も、(向こうの大家さんの計らいで、立ち合いを一日早めて頂いて)、今日のこの日に舞い戻って参りました。また、おかあさんとわれわれのそばに、彼は居てくれます🥰ああ、これでコロナで2年間の家賃の掛け捨てが終わる~(笑)じゃなくって、彼の 進路変更後の未来を、どうかそちらから見守っていてくださいね🙇わたしとトウサンも、残りの人生、息子氏が幸せな人生を送れるよう、影ながらサポートを続けていきたいと思います😊


おかあさんへ。きょうのお花の写真は、大盃(おおさかずき、荒山(こうぜん)公園梅園 )です🤗それでは、今夜もお互い、身体も心も温かくして、おやすみなさい😴💤✨」



きょうは、お義母さんからも返信ありました💧

「命日を一人で
おでんのうえにおじいちゃんの好きな食べ物揃えました
けどまめがなくまめの入ったせんべいで我慢してもらって寂しくお参りしました
覚えていてくれたの
嬉しかったです
寂しく1日過ぎました
ありがとうおやすみなさい」




夜は、要事前申込のウェビナー1つに参加しました。


テーマは、


「日韓交流オンラインシンポジウム」
 基調講演:姜尚中(カン・サンジュン)・学校法人鎮西学院 学院長



※資料⑦ に、基調講演とパネルディスカッションの全文起こしがあります。





「大盃(荒山(こうぜん)公園 - 堺市)と おでんの具の ねこ巾着 です🤤」「ニャニャ!巾着内の餅が、溶けかけとるニャ〜🙀」「それはウチの手ぶれのせいや〜😝」





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資料のイメージ
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※ウェビナー(Webinar)とは、ご存知のようにコロナ禍、私たちの日常に、新たに加わった "ウェブ(Web)" 開催の "セミナー(Seminar)" のことです。
※画像が大きくて申し訳ありません🙇‍♀️


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※⑦


2022年3月5日(土)

「日韓交流オンラインシンポジウム-朝鮮通信使の精神から、これからの日韓交流を考える-」
한일 교류 온라인 심포지엄 -조선통신사 정신에서 한일 교류의 미래를 생각하다

https://www.pref.nagasaki.lg.jp/press-contents/540658/index.html

開会あいさつ

田上富久・長崎市長

朴亨埈(パク·ヒョンジュン)・釜山広域市(ふざんこういきし)長



基調講演:<演題>「大学と地域が拓(ひら)く日韓共創の未来」

<講師>姜尚中(カン・サンジュン) 学校法人鎮西学院 学院長・鎮西学院大学初代学長/政治学者


「朝鮮通信使を通じた国際交流事例の紹介」:チョ・ジョンユン 財団法人釜山文化財団政策研究センター長

パネルディスカッション
<ファシリテーター>
  土井英司 エリエス・ブック・コンサルティング 代表取締役、長崎県文化観光事業アドバイザー
<パネリスト>
  巴山剛  文化交流コーディネーター
  坂井絢香 長崎大学多文化社会学部
  ムン・ウォンギュ 社団法人釜山韓日文化交流協会チーム長
  パク・チョンウン 慶熙サイバー大学


主催:長崎県
協力:釜山広域市、対馬市、財団法人釜山文化財団、NPO法人朝鮮通信使縁地連絡協議会



※姜尚中(カン・サンジュン)鎮西学院学院長の基調講演

「大学と地域が拓く日韓共創の未来」の全文起こし


国家と国家 中央と中央 との関係は必ずしも 円滑とは いいがたい すべては ある意味において 20世紀から おおきな 歴史の分岐点となった 日露戦争で かつて 経験したことのない 膨大な犠牲を 払った 戦争の時より 運命的に 決まっていた いま 注目を あつめている ロシア帝国と 互角に戦う 日本は 植民地化といった それは  樺太島(からふととう)に すんでいるひとにとっては 非常に 苦痛の時代のはじまりだった しかし8月15日は 樺太島に すんでいるひとにとっては 解放の日 だった しかし 1955年には 朝鮮戦争が おきたことは 非常に 残念な状況でした


 

日本の人口が 1億二千万ある 韓国の人口は 半分にも みちません しかし ふたつ あわせれば 1おく7せんまん ある 非常に 画期的な 意味があると 思っています


ユーラシアの西の方に きょう さきほど みなさんと 祈祷を ささげましたけれども 戦火は いまでも たえません

そのなかで ユーラシアの ひがしにある 日本と韓国は 自由や 民主主義や 市場経済や 共通の価値観などを 共有しあっています そういう国があることを わたしは 貴重な現象だと おもいます 


しかしながら なかなか 理解がとどかない じょうきょうがあります わたしはかつて 東大の 現代韓国研究センター所長を つとめているときに 金大中(キム・デジュン)大統領に おこしいただきました かれのことばが みにしみています 


「かこをふりかえながら しかしおたがいを みとめあい みらいにむけて たびだとう」


いまでも ありありと おぼえています 


「戦後の日本は 戦前の日本ではない 民主主義を アジアの国で 実現できている国として われわれは みとめていかなければいけない  もし 日本の大衆文化を うけいれられないのならば 私は 自分の国に対して 失望する 韓国も 韓国文化も そこまでの 国 文化に過ぎない なぜ この半島で われわれが みずからの アイデンティティーを 維持できたのか われわれは これを 誇りに思おう」


そうして 歩んでいった その結果が 今 韓国の大衆文化が 日本の若者にとって 大きな 憧れとなり さまざまな 人的交流 文化的交流 地域交流が 進んできたと 私は思います 


いま おなじような 生活水準を もち おたがい かかえざるをえない しょうしこうれいか わかものの就職難 かくさのもんだい がっこうのかかえているもんだい じぇんだーばらんすのもんだい しょうがいしゃの もんだい きわめて にかよった きょうつうした テーマを 日韓は かかえています 


われわれは いま この 日韓という 東アジアを だいひょうする ふたつの 先進国は しゃかいのさまざまな ほころびを つくろわなければ いけないとき おたがい どのような 努力を はらっているか 相互交流しあうことが きわめて おおきないみを もっているのにちがいない と わたしは 思います 


韓国は すうじつご 選挙で 新しい大統領が えらばれます 定着しない

釜山広域市は ソウルにつぐ 韓国第二の 大きな都市です 物流の拠点 でもあります

 

長崎は 歴史的に 大きな玄関口として さまざまなものを 受けいれていく 窓になりました この 長崎県と 釜山広域市が 交流を深めていくことによって より 私の言葉でいう こうえきてきな リージョナルな(地方的) なものが 深まっていくことを 期待しています 


さきほど 市長に 紹介された 雨森 芳洲(あめのもり ほうしゅう)は 李氏朝鮮(りしちょうせん)と 徳川幕府を 結びつけるために なみだぐましい 努力をされました



 合言葉は 「誠信の交わり」 誠心誠意 あらそわず 相手をだますことのない まごころをもって 相手とむきあう 結局 それが 長い目で見て よいと 

新井白石は 幕閣ではありましたけれども 雨森 芳洲(あめのもり ほうしゅう)と 長年の友情を わかちあいながらも さいごは いけんがあわず たもとを分かってしまいました 

しかし 14世紀室町時代から このような 交流は 始まっておりました わたしは 東アジアは 比較的 安定した時代が あったと 思います しかし ぬぐいがたい さまざまな もんだいが おこってしまいました 

長崎県の 対馬が はたした やくわり  雨森 芳洲(あめのもり ほうしゅう)が はたしたやくわり ばあいによっては わかものたちの バックパッカーとなっての やくわり が さまざまな 交流を ふかめていければ わたしは ますます 地域間交流は 深まっていくのではと 思います 

フランスとドイツは パイオニアに なった いま EUの両輪のような やくわりを はたしています 殺戮を 繰り返していた 隣国は ヨーロッパには ありません いちじきには ドイツによる ヴィシー傀儡政権が でき上がるほど フランスは ドイツにくるしめられました しかし いまは ヨーロッパを とりまく 危機を なんとか 脱却できるような 大きな力が そそがれていると おもいます

もし ウクライナとロシアのもんだいが おこったら 日本と韓国は 手に手を取って フランスとドイツのように ちからをあわせていくべきです その画期的 意味を持ったのが若い人々の 学生の 交流 "ERA-MORE プロジェクト"(2006~) でした  



エラスムス の なまえに あやかり ヨーロッパの大学生が 自由に さまざまな あしをはこぶ そのための アクションプログラムです ひとと ひととが 対面しながら 顔を見 体温を感じながら 自由に 集いあう これが EU統合に 大きな役割を 果たしました その二年後 ベルリンの壁は 崩壊しました


 "ERA-MORE プロジェクト"は いま もっと おおきな かつどうになって 帰属意識を 温めあっていると 思います 中央と中央ではなく 自治体と地域が いかに おおきかったかを ドイツとフランスは しめしていると 思います


 起きてしまったことは しかたがありません しかし それを 踏まえながら 様々な ネットワークを きずきあげながら 未来を担うがくせいたちに その様な場を 自治体が 提供しながら 日本で 実現すれば ほんとに すばらしい 日韓の 人間関係が できてくるんではないか 


東アジアには ざんねんながら 中国という 巨大な国が ひかえている中 海を こえた 日韓だけでも それにむけて 突破口を 開くことが できるのではないか 


西の 英国が EUから 離脱する以上 見合うものになるのは 若者の間から しっかりと 交流を 深めることが 大きな力に なっていくと その意味で 長崎は 世界の窓でした 


あの 朝鮮戦争から 命からがら のがれた方々が 釜山(ふざん)にあつまり 交易市を つくっておられ それは そとにむかって ひらかれた 自治体と いっても いいすぎではないと 思います 


市民交流、こういうものを ふかめていくならば わたしは まさしく 長崎県が 現在の 雨森 芳洲(あめのもり ほうしゅう)を 築き上げていくと思います 


長崎は 被爆体験を もった 貴重な 県でもあります 忘れてはならない そういう 大きな歴史を 抱えて 大きく 変わっていく可能性を 長崎は 秘めています 今後 客船もふくめて 活性化を 深めようとしています 


その重要な ゲストと 知恵として 長崎は 韓国との 交流を のぞんでおりますし まずは 釜山(ふざん)を 訪れ 相互交流が 深まっていくのではないかと 思います 


それぞれの 地域がもつ その由来や 固有の歴史 文化を しっかりふかめながら 忌憚なく 「誠信」の スローガンのもと 相互交流を深め 大学においては キャンパス・アジアのような それぞれの 行きたい場所で 寝食を ともにしながら こんごんの未来を かたりあっていく このような 交流を ふかめようと 私はしております


釜山(ふざん)は たくさんの 大学があります 西ヨーロッパにある ドイツとフランスのような 関係になる 可能性を秘めています 21世紀において 直面しなければならない  問題を どうしたらいいのか あきらかに 交流をふかめていくことが 相互にとって よいことは 日を見るより 明らかです 


日本製品の不買運動があったとき わたしは 韓国に出向き やめましょうと あえて申し上げました それは お互いの 壁を作ることになる やはり わたしたちは 先進国という名に ふさわしいものに なるためには 雨森 芳洲(あめのもり ほうしゅう)に そって 閉ざすことは  必ず 相互の壁に つながります ぶーめらんの ようになって おたがいに ネガティブな こうかになって 戻ってくるはずです われわれは みたくないものであっても めをとざさず そして おたがいを しんじて 今後の 日韓交流を ふかめていきたい そのとき 中心になるのは 若人です 


以上で わたしに与えられた 40分という時間での つたないはなしを 終えます


 


※パネルディスカッションの全文起こし
<ファシリテーター>
  土井英司 エリエス・ブック・コンサルティング代表取締役、長崎県文化観光事業アドバイザー
<パネリスト>
  巴山剛  文化交流コーディネーター
  坂井絢香 長崎大学多文化社会学部
  ムン・ウォンギュ 社団法人釜山韓日文化交流協会チーム長 
  パク・チョンウン 慶熙サイバー大学




ファシリテーター:土井英司・エリエス・ブック・コンサルティング 代表取締役


簡単に 自己紹介をしますと 現在は 長崎に住んでおりまして 出身は 秋田県です 2000年に アマゾンの日本サイト立ち上げに参画しました。2004年に エリエス・ブック・コンサルティングを設立しました。その他、メルマガ「ビジネスブックマラソン」編集長や YouTube「びびびビジネスチャンネル」を発信しています。長崎県文化観光事業アドバイザーも務めさせていただいています コロナ禍も 今はもう オンラインの時代ですから 普通に 交流されていますけれども 実情は どうなのか そのへんを ざっくばらんに お話しできたらと思います


巴山剛・文化交流コーディネーター

よさこいアリランを 東京で活動しておりました なかなか 関係語るとき 歴史から入ってより ぼくは お互いが 笑顔で始まる がいいかなと思って たのしそうなひとをみると ちかづいていって なぜ えがおなの?と ききたくなるじゃないですか そういったところから はじめていきました


坂井絢香・長崎大学多文化社会学部

日課のイメージは  kポップは 凄く華やかで でも 政治家とのやりとりなど 逆のものもあるし 逆のイメージを 持つ人も 日本にいることに 驚いて 遠い世界を 身近に感じたく 韓国と かかわりを始めました 


ムン・ウォンギュ・社団法人釜山韓日文化交流協会チーム長

直線距離にして 250キロメートルのところより ご挨拶しております 平和の大切さ おぼえております 海の廃棄物 長崎の 清掃活動に 参加したことがあります 協会にはいって さまざまな 交流活動を はじめております それぞれの人々の 感じ方は 実際 違うということ これがほんとの 交流なんだと 感じました 朝鮮通信使を 通じて よりよい 関係が 築ければと おもっています 1998年は 私が 高校生の時で 日本文化への 関心が高くて 昔は 合法的に 入っていけなかったんですね 倉木麻衣さん L'Arc〜en 〜Ciel(ラルク アン シエル) X JAPAN 私が 日本語に接したきっかけは それだったと 思います 


土井

最近は 書籍の世界で 日本の本 売れてないんです いま 韓国と 逆転しちゃって 日本が世界的地位が 後転したからだと 思うんですけどね


パク・チョンウン・慶熙サイバー大学

現在 ファイブスターのホテルで 働いています 初めて日本に 来たのは 雨の降る 3月の京都で 郷愁に うたれ 留学の道を 選ぶことになりました 留学の時間に 受けた恩 経験に対して もっと 恩返しができる 方法はないかと 大学生として 日本の大学生と つなぐ 文化交流しながら お互い知り合い から はじめていこうとしています 


土井

3月の京都 寒くなかったですか? 僕も 初めて ソウルへ行ったとき 外国に行った感じがしなかった おそらく 日韓は 文化が まじりあっているんですね そういうことも いまの若者 しらないんじゃないかと つたえていくことが 大事ですね 日本から見た 韓国は どうなの? 韓国から見た 日本は どうなの? そのあたりで 何かあれば 


巴山

いま行ってだいじょうぶかな?という 質問が けっこうあったんです 実際には 住んでいるものにしたら そんなふうに かわってなくて ということが 結構 多いんじゃないかなと 


土井

日韓関係が 不安定なのは こんごも つづきますね 3月9日選挙 あちらは 大統領は 絶対 変わるんです だから 政治家を 相手にしてる場合ではないんですね 親日か 反日かで 選ぶことが ずっと 続くんですね 平和だった 雨森 芳洲(あめのもり ほうしゅう)先生が 築き上げてくれた われわれ自身が 政治家が どうこうではなく 認識を 変えるしか ないんじゃないか けんかしている場合か 日韓は 世界に勝てるだけの 経済圏なんですね


じゃあ 何を交流したら 日韓関係は 活性化できるのか 学生さんたちも 議論 たぶん しなくちゃいけないんじゃないかと 思うんですね 


大阪エキスポ(エキスポシティ)って 僕は 大阪に住んでいた時に 堺屋経済塾の 先生を つとめていたんですけど 大阪万博プロデューサーの堺屋太一先生は すごい 喜んでいらっしゃって 

でも 大阪の万博(2025年) デジタル万博なんですよ 

きょうだって オンラインでは 200にん 聞いてきいていらっしゃいますけど 会場には そんなにいません 数人です たぶん そういう万博になるんじゃないかと 


釜山(プサン)万博も 2030年にあると そうとう おもしろいことを はっしんできるのかもしれない こういうことを かんがえていくと ぼくは おもしろいんじゃないかと おもいます


坂井

じっさいに あしをはこんでみると ぜんぜん ちがうし 韓国で 焼肉屋さんに入ると おばちゃんとかが 迎い入れてくれて 人の温かさの感じられますし しらないまま 見ると 離れた存在に なっているのではないかと 思います


土井

ほんとは 近いんですよね やぱり 過去の認識で 日本人は とらえていて 僕 タイで いわれたんですけど 韓流のほうが 人気があって 日本人は やっぱ ごうまんになっちゃたんですね どういうことかというと 今は 韓国の方が ちからあるんですね GDP いま 韓国 そうとう いけてるんですね われわれは これからは まなばせていただく たちばなんじゃないの と 日本は いいものを 創ると いうが  韓国は 現地の マーケティングを しっかりやってるところに リスペクトが あるんですね これが まなんでいくべきところの ひとつではないかと


ムン・ウォンギュ

Kポップのことで 結構 話していたんですね お互い 文化好きだったことについて いっかい 考えてみる 必要があると 思います 楽しくて 交流して 日本文化 日本人に対する 憧れだった 日本に対してではなく いま その逆で 交流が 起きていると思います 報道で言われている反日は じっさいの日常生活の中では ほとんど 感じられなくなります ただ二年間 高校で生活していたら いい人も多く ですから メディアが伝える イメージは あまり心配しなくても いいのではないかと思います


パク・チョンウン

韓国から見た日本 利己的だ 建前本音 というはなしは けっこうきくんですね でも 私が交流する 若い学生で そういうことを言う子は ひとりもいなかったんですね 現地の日本人は ほかの人の 邪魔をせずに 自分たちの役割を はたす ありがとう すみませんを かならずいう れいぎただしいひと 浪費することがない だと おもいます 一回でも 日本に行ったことのある人の話はみな 共通です  


土井

利己的だ 建前本音 反日 そういうことは 日本の人が 書いていると 結構 聞きます 


巴山

ひさしぶりにいくと しらないおんがくが はやっているので よく いくようにしています SNSは 主に FBです


坂井

話被るようで もうしわけないんですけども 韓国でも 日本と 同じ食べ物 食べてるなとおもったら 食べに行ったりと サイトに載っていたり ともだちが はっしんしてくれたりしたものを とりいれて 自分でも行って 情報を とりいれたりしています 主に インスタです


土井 

県主体で インスタ講習とか ばんばん やれば すごい 経済 活性化するんじゃないかと おもうんですね 僕 東京板橋に 行ったときに ハッシュタグ#桜で 外国人が ばんばん 発信していたんですね あんなの 投稿したら すごい人が来ると おもうんですね それをやらないと がいこくじんが どういう情報を さがしているかという 目線 がないと おもうんですね 日本の情報 どういうふうに とっておられますか?


ムン・ウォンギュ

直接 お会いした人の話を 通じて 情報あっぷでーとが おこなわれておりました 学生 けっこう 多かったんですけれども 学生から聞いております 協会は FB で運営していますので 長崎のチキン屋さん 食べてみよう そういう話が 私どもも ありました


土井

あれ 手 抜かれてたとか まちがってるやつもね ありますから 渋谷 すごいまずい 唐揚げ屋さんとか あったりするんですよ ちゃんと 情報チェックしないとね


パク・チョンウン

コロナの前は 友達に会いに行って 交流して  最近の映画 本について 共有したりしてました

 

土井

今コロナですけど いままで つながってたひとと どうやって かんけいを つないでいるのか については どうですか?


パク・チョンウン

直接目で かくにんできない カカオトークつうじて 一回くらいは 連絡してみようとか コロナが終わったら 一回会おうねとか そういうふうに 挨拶して 元気か おたがい 確認しています


ムン・ウォンギュ

年始に メールとかで 挨拶してましたが 今回 パネルディスカッションに 参加するということで 顔を見れるんじゃないかと 多分 きょう 参加してくれてると思います 個人的縁を 続けていくのと 協会を通じて 交流を続けていく予定です


土井

過去のストックがあるところ 信用のあるところは コロナで 困っていないと 思うんです コロナで なおさら 勝利者に なったんですね コロナは コミュニティー力を もっている ところが 立つ 長崎は 47都道府県の中で 何番目に コミュニティー力 もっているんだろう? そういうことが みえたら おもしろいとおもいます


巴山

海の前の一軒家を借りて コミュニティースペースを いまつくっているんですけれども コロナになることによって 真実って何なんだろうと すごく問われるようになったと 思うんですね おいしいものを たべているときに あらそいって ひとは おこさないし そっちをベースに 活動づくりを やっています


坂井

10代 20代が おもっていることを ふたつ 

ひとつめ 知識量に 違いあるな 学校教育での差が 各個人 いろんな いけんを もつまえに 知識量の差が あると しらないまま かんけいを つくっていくことに こわさを かんじていて ふあんがある そういうのが 10代20代だと おもうんで 韓国 行くことで 建設的な議論を 創っていけると 思っています 日韓は 市民社会が できあがている せかいなので そういったことが 見れるといいなと


もうひとつは 継続的に まなびあえる プラットフォームが できればいいなと わたしは 2日とか 1週間くらいのステイで ちょうど 深まったときに 別れが来てしまって 深い交流関係に なるよう 知識量を 埋めることと 継続性をもつことが 10代 20代が 欲しがっているものではないかなと 思います


土井

一緒に達成したい なにかを つくるといいんですよね 何かいっしょに 長期の プロジェクトを やったらいいんですよね 


巴山

対馬の 海洋ごみを 一緒に拾うのが すごく盛んで 日韓要素が そのときに ちょっと 薄まる そしたら すごく楽しい 交流が生まれたりしています 


土井

海なんて 分けられないですからね ほんとの意味でいうと ほんとに すばらしいところなんで あしをはこんでいただいて 雨森 芳洲(あめのもり ほうしゅう)の 墓もありますんで ぜひ 行っていただきたいと 思います


ムン・ウォンギュ

期間的問題 もあると思いますが もっと プログラム的問題 それも 難しいんですね 一万人ほどの 参加交流が すでにあるんですが どこまで 深まったのか 振り返る 必要があると思います 日韓交流を支援できる うけざらができれば よりよいと思います 朝鮮通信使は ユネスコの 「世界の記憶(世界記憶遺産)」に 5年前に 登録されましたよね このように 記憶に残る 交流があればいいとおもいます ものたりなさ 後ろ髪惹かれる思い 残しながら 交流続けていけば 輪は 広がっていくと思います すぐに お互いの理解 難しいと思います まずは 理解しようとする 姿をみていくこと 実のある交流を 続けられるよう わたしもどりょくします


パク・チョンウン

朝鮮通信使は 長く続けられた いまの 通信使は わたしたちだと思います 市民にとって 必要なものが なぜ 途絶えてしまうのか 私は理解できないんですね 解決できないことがあるのは わたしも 認めます でも 市民が 仲良くするのは 別個の問題 


上がかわらなければ 下からかわっていく なぜ 上のものたちは 下のものまで かえていこうとするのか わたしは りかいできないです マスコミ報道を 全て 信じるのではなく フィルタリングして お互いを 憎まないように していきたいとおもいます 


「よのなかが かわっていくというのは じぶんの かんがえかたが かわるなかで まわりも かわるのだ」 という韓国の詩があります


土井

僕、うちの高校の パネラーとしてこられた 明石さん(明石 康(あかし やすし)・ 元国連事務次)のおはなし きいたんです グローバル人材への 第一の条件は 異文化へのリスペクトですと  ほんとに そうだと思ったんですね 上原さんから レクチャーを うけまして 朝鮮通信使の 津軽藩と 南部藩にいって 名まえが 津島さんなんですね もともと 対馬のひと 太宰も 津島 ですよね 


にほんじんのたからは ほんとは そっちに いってたり おそらく ちょうせんから つたわった 文化なんじゃないかなと 思います 南部鉄器 分けられない そんざいなんですよね ぼくらは もう ただしく にんしきするための れきしであると おもうし じぶんも これからも きょうあつまったひとたちとも かいわを つづけていければと おもいます

会場からも 質問 いかがでしょうか?



>朝鮮通信使の精神とはなんぞやと SNS オンラインの時代 日韓交流 どんどん 変わっていくのが 面白いなと 韓国に 一番近い国は 対馬 ですけれども これから きょりや じかんが あまり 関係なくなっていったときに 長崎の強みを どういうふうに うちだしていけるのかなと(山口さん・九州大)


邑山

なぜ ひとびとは ねっきょうしたか 文化の最先端がきたから 新しいものを見たい これってすごいよねで 集まったと 解釈するときに パレードだけに ゴールすると 思考ストップしてしまう BTSが歩いている こういうことで うまれてくることも みのがしてはいけないなと 来年とか フェスしましょうと なったときに 日韓のチキンの食べ比べをする そのなかのひとつに 朝鮮通信使の パネルだったり 当時の 行列ありきで はなしを作っていくのではなく 新しいお祭りとかで やると ひじょうに 地理的にも意味があると 思います


土井

 最先端の情報が 得られるという メリッとが あるから 交流ってあるんですよね っぱり 表現が 新しいから 人気が あるんですよね 

けんりょくもってるにんげんが どうせ 顔がいいからだろ とか ミーハーだろ とか言って 最先端の文化を 理解しない 教養のなさが もんだいなんですよね 韓国の アーティスト きてくれたら せかいじゅうのひとも もっと注目してくれると わからない


坂井

自分を信じる力かなと思っていて 朝鮮通信使は 日本人は 知っていますし それを信じて なくてはならない関係と 唱えてきたことが 誠信交隣 のいみじゃないかなと おもっているので それをうたがわずに ずっと交流をつづけて 波及力をもたせて はっしんしていけば 再現できると思っています


土井

じぶんを信じることですか プロジェクトもすすんでいきませんし ワクワクしますよね おおやけの たちばのひとが やるのは それはそれで いいんですけれども われわれがなにをやるのかにも おもしろさがある とおもいます


ムン

雨森 芳洲(あめのもり ほうしゅう)の 「誠信交隣」 とても大事だと思います もっと 文化を 学ぼうという 欲求を 満たされていったと 思うんですね 現代において きっかけを つくっていくことが わたしたちの役割で そこから学ぶものも多いと思います 


ハク

けっこう 守られてきたと思うんですね 日本の 旅館のような 高級ホテルができたり  メディアによって お互いの感情が 悪くなったというのは あったとおもいます こんどの時代は 朝鮮通信使の一員だとおもって となりのくにとしての 調和をめざせればと 思います


土井

僕は 2019年に こちらに家買って 長崎に すんでいるんですけど オンラインのかんけいって リアルで しりあうから つながるんですよね インタラクティブ性の確保 だと思って ズームだと それができないんですよ 


リアルで会うことの価値は なくならないんだけども 貴重性は みなさん かわるんじゃないかなと思います めんどくさくなったりしていくと おもうんですね 


コロナ前に やずやさんで アマゾンの話を してたことがあるんですけど 通販は コロナで もっと もうかっているんですね 九州で あらそっているわけじゃなくて マーケットが 東京なんです 日韓も マーケットが アメリカ 中国 インドなんですね なので お互いが けんかしあってる 場合ではない 


ぼく 成田空港は 80ぷんバスにのらないと 中心地に いけないので せかいで 最悪劣悪空港だと おもってるんですね 長崎の大村市は すごいとこなんですよ 長崎県は きづいた方がいいと 県庁 空港を 大村にした方が ぜったい 経済的に 上がると 思います 僕は 外部の人間なので てきとうに いいますけど 


未来へのパワーが うしなわれるんですね 誰かの思惑によって この国 全体の問題ですね ちっこい国で 価値とか とりあって 日本だけ とりのこされてる 韓国は ちゃんと しているんです 日本は まなべば いいわけですよね そういうことを オンラインで 日韓りょうほうで やっていくことが ぼくは たいへんじゅうようだと おもって 日本は コロナでいい意味で だんだん 謙虚になっていってるんじゃないかなと 


長崎が すごく好きなのは オープンにならざるを得ない 環境にあるから 戦略が どうしても 外交的になる 平らな土地が あまりない だから 外に行く 


ふたたび とりもどす チャンスは 東アジアにしかなく いちばん ちかくにあるのが 韓国なんです 


-これからの日韓交流- のテーマを与えられて ぼくが しゃべることなるのかと おもったんですけど あたりまえすぎ 日韓 ほんとに すばらしい パートナーだと おもうんです 若い坂井さんだから 継続的が かんがえられる 80代とかだと あと何年あるんだろうと やっぱり かんがえちゃうんですよね  長崎は 若い知事になった(大石 賢吾、1982年 - ) 活躍することで 未来が作れると 思うんですね 


これ 出身の秋田でやると たいへんなんですよ 会場から総すかん くらったこと たくさんあるので 長崎だから 言えるんです すばらしいきかいを ありがとうございます 釜山も そのうち いきますので よろしくお願いします


 日本人は 25%しか ぱすぽーと もってないんです 日本人の可能性を せばめていると そこを改善することでも だいぶ ちがうと おもうんです 改善して まずは 韓国を いろいろ 夢が ひろがるんですけれども ぜひ みなさんの 共有力をいただければと 


ばかな夢を うちあげると 意外とかなうんです ばかなことを やりましょうよ そうすると 元気になると思うし 若者も 食いつくかなと 思うんです 秋田県の古賀市の リーダー候補を 交流 させる事業も 結果的に 素晴らしい結果が はぐくまれて 今日のような こういう 建付けでやられたイベントも 意外と 馬鹿にできないですよね 

みなさん ありがとうございました


長崎県大村市 - 土井英司のびびびビジネスチャンネル


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