一週間刻みの眺め(長め)サイト(笑)

今週、引き出しの中に容れたもの。

2022/2/28(月曜日)から今日まで。(第20週ー後半①)




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2022年3月4日(金)
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朝は、オトン(元ウチの人)からのメール・チェック(備忘録的なものなので、読み飛ばしを)。


「昨日はご苦労様。夜は弟夫婦と3人で尽誠。次の予約も取りました。☐☐の荷物は不動産屋さんが有料で処分してくれます。見積もりはまだです。☐☐は土曜日に出発して、日曜日に帰ってきます。」


「本日二回目。☐☐は、ガッキー(※友人)の都合で、今日昼に広島へ行きました。早ければ明日戻ってきます」


(※☐☐:息子氏の名前)



夜は、菟田野のお義母さん(84)に、ラブレター書き(笑、同上で)。


「おかあさんこんばんは😊昨日の息子氏は、明日か明後日、広島行きだというのに、今夜の夜食用のチーズバーガーをマックでせしめて帰ったり🍔、のんびり昼寝キメたりしていましたよ😴💤「美味しそう、お母さんが食べてもいい?」と声かけて起こしてやったけどニコニコするだけでまた寝入ってしまいました。ヤレヤレ🤔

さて、きょうは、西心斎橋ゆうのさんのコース料理の「水菓子 」から、ラストの、奇跡的な一枚のご紹介をします(?)😄なぜ奇跡的か?例によって「手前のクリーム色のデザートは、アイス?クリームチーズ?」などと誘導尋問を仕掛けていくのですが、トウサンは「❓」「❓」「❓」の一辺倒で、奇跡的に思い出してくれることがなかったからです(笑)😭でも、ご安心くださいね🤫グーグル先生(ネットの情報)に、教えてもらったら一発で「酒粕プリンとフルーツ🍓🍋🍊」と出て参りました🤭これにて一件落着😉おやすみなさい😴💤✨」


それが済むと、要事前申込のウェビナー1つに参加しました。


テーマは、


「見る雑誌」の誕生──近代日本における雑誌写真の展開と『主婦之友』の写真表現 
前島 志保・東京大学大学院総合文化研究科教授

※資料⑥ に、質疑応答の全文起こしがあります。





今夜は、ゆうのさんの「水菓子 」 の「酒粕プリンとフルーツ」の「写メ」をアテに「猫ちゃんたち」と晩酌しました🥛☕


「カアサンは、だらしがニャイので、頭がプリン🍮です🤣🤣」「とりあえず写真の上の部分をカットしてますニャ😹」「桜🌸が咲いたらサクッと、カットにいくですニャ😿」







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資料のイメージ
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※ウェビナー(Webinar)とは、ご存知のようにコロナ禍、私たちの日常に、新たに加わった "ウェブ(Web)" 開催の "セミナー(Seminar)" のことです。
※画像が大きくて申し訳ありません🙇‍♀️


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※⑥

2022年3月4日(金)


「見る雑誌」の誕生──近代日本における雑誌写真の展開と『主婦之友』の写真表現

報告者:前島 志保・東京大学大学院総合文化研究科教授

主催:東京大学ヒューマニティーズセンター(HMC)


https://hmc.u-tokyo.ac.jp/ja/open-seminar/2022/56-visual-magazine-shufunotomo/





※質疑応答:質問の起こし

>写真に添えられたキャプションと語りての「声」がどこに位置するのか、に関する考察がとてもおもしろく感じます。この点と、レイアウトについて質問したい(鈴木 貴宇・東邦大学理学部准教授)


>①「アメリカ人の豊かな生活」など、海外取材の記事・写真はありましたでしょうか?    ②戦争への協力的な記事、思想の自主規制的な面はどうでしたでしょうか?


>掲載される写真に婦人雑誌特有の傾向などはあるのでしょうか。また戦間期〜戦時中という時代背景との関連とはいかがでしょうか。少年雑誌のグラビア研究で、戦時中の号ではむしろ戦艦や飛行機のイラストの方が多用されており、その理由は写真よりもイラストの方がファンタジックな想像力を喚起しやすいというものだったと説明されていたので、同様の傾向は婦人雑誌でも見られるのかという点に興味を持って質問いたしました。(八谷 舞・亜細亜大学 法学部 講師)

>同時代的に世界で一番売れていた?レディーズホームジャーナルも、それなりに日本に輸入されていたかと思います。そちらからの影響関係はいかがでしょうか。おそらくネタ元として参照されていて、主婦の友の誌面表現にも反映されているのではないでしょうか。

「ありのままを撮影する・・・」について述べられている書名をご教示ください。

>「ありのままの撮影」に対して、被写体から影響を受けての投影、見る側である読者への意識や読者からの反響による影響を研究者視点からは、どのように捉えておられますか。

>資料が比較的残っているというお話でしたが、関係者の回想、社史といった二次資料の利用が可能であったということかと思います。それ以外にお茶の水図書館に主婦の友社の一次資料がある程度アーカイブされているのではないかと思いますが、調査は進んでいるのでしょうか。

>『松子の知らない世界』で、出演する元グラビアアイドルさんたちの分析力が鋭いなと感じています。プロの目から見ても同様でしょうか?


>1.雑誌の写真レイアウトについて、雑誌編集に携わるもの同士でノウハウや技術の伝播などはあったのでしょうか。もしくは、担当者が既存のレイアウトを見て自らまねながら習得していくものだったのでしょうか。

2.連続写真などは、映画のカットや漫画のコマ割りなどを連想しました。これら他のメディアの表現手法と直接的な関連はあったのでしょうか。(雑誌編集側が「映画を手本にする」など言及しているケースなどはあるのか)


>『主婦之友』におけるフォート・ナラティブと写真小説の関連性についてもう少しご説明いただけないでしょうか。また、写真部の部員は直接写真小説の企画に参加しましたのでしょうか。

>ご発表の冒頭で、男性読者も多く存在し、それが公然と認められていたというお話があり、その点について新鮮に感じました。というのは、以前少女雑誌について少し調べたことがあるのですが、少女雑誌の投書欄では、大人でも男性でもない少女のみの共同体が志向されていたようだからです。そこで、少女雑誌と婦人雑誌の連続している部分と断絶している部分について、お伺いしたいと思いました。本題からそれてしまうと思うのですが、可能でしたらご示唆をいただけたら幸いです。


※質疑応答:回答の全文起こし
前島 志保・東京大学大学院総合文化研究科教授

連続写真形式のレイアウトは 戦前にも とても 似たような表現が あるので その辺を 調べて見られたら ちょっと 面白いかと思います

『婦人画報』など 上の階層向けと おもわれていたものに レイアウトは ずっと 残るんですよね 『主婦之友』などの 大衆的な表現に 抗うように ずっと 昔ながらの やり方で レイアウトをやっていて それが 1934年ぐらいから 変わり その 変わり方も おもしろくて 透明、 直ではなくて どういうふうに よんだらいいのかと かかれていないことを 想像させるような 非対称性に 少し凝っていて モダニズム的な 写真に行くんですね そのへんに 階層的なものを みいだすことは 可能だと思います 


連続的写真のレイアウトには 簡単 単純な ものがおおくて 婦人写真雑誌で 培われているものとの 連関性が みられる ということは 大衆的な 表現は 戦時中のあとに 現れたのかもしれないという 仮説は たてられるかもしれません あとでちょっと 調べてみたいと思います

『主婦之友』の中の ナラティブ(物語)なものの 写真撮影は 実際の人間がやることなので 大きなセット おおがかりなことは あまり できないのですね 探偵ものを おんなのひとが やるのが 人気があって すごく このまれていたのは 子どもと一緒になって 主婦探偵になったり お友達と一緒に お嬢さん探偵になったりして 世界の暗部に はいっていったり そこから 脱出したり するものでした そういうことを あらわすのには イラストの方が よかったということで 『婦人画報』のなかでも イラストだったのではないかとおもいます 気付きをもらいました ありがとうございました



「被写体からの影響について」は 安河内治一郎 『アルス最新写真大講座 第7巻 人物写真の写し方』 ハナ書房1935年 に書いてあります

私は 写真研究科ではないのですが 私がどう思うかというよりも どちらかというと 携わった人たちが 現実 対象と 写真表現と 読者との関係を どうかんがえて 製作活動に あたっているのかに すごく 興味があって そんな人は 誰もいないかもしれないんですけれども

読者だって どこまで 読み込むか ということによって だいぶ 読み方が 変わってきますよね ひとによっては おもしろくなったり おもしろくなくなったり 解釈の仕方が かわったり いろいろ あるわけですけれども 

見るひとによって かわるよね という関連話では 孤立化が 深まっていく 日本社会の中で 報道的な 写真が ひろまっていくんですけれども なかでも 国境写真を扱ったものが ふえていくんですよね そんななかで よく聞くことなんですけれども 植民地が 観察されるだけで 現地の人の 声が でてこないとか そういうことは 確かに あるんですね ただ 映り込むことは あるんです このひとは なんなんだろう 日本のひとが あまり着ない 服をきていると このひとは なんなんだろうと もし 読むひとが きがついたら よみかたは 変わりますよね  ただ きづくひとは すくないひとであったり そこで おわっちゃったり ということは ありますよね 


一元的な意味に 解釈がおこなわれるような まとめ方を しましたけれども ただ そのなかにも 割れ目といいますか 隙間が おもいがけず 仕掛けられているところが あり ちゃんと よめば いろんな 解釈がある 

そういうところに きをつけながら いま こんな 状況が あるなかで 映像をとおして わたしたちは 日々 情報を 得ていますけれども すごく 一元的メッセージに とりこまれそうになるんですけれども そうじゃないふうに 接していきたいなあと 思います 
研究者としての こたえになってないですが これで ご勘弁おねがいします


お茶の水図書館(女性雑誌の専門図書館)は よく行って そこに貯蔵されている資料をみるのは 面白かったですが もう少し突っ込んだ 資料をみせてもらうことは そこは 大変 慎重になっていて そういうわけで 申し訳ございません

さきに すすんじゃったんですけれども じつは 写真小説は 『少女画報』で はじまっちゃって すごく にんきが あったんですけども 

それをみた 『婦女界』という雑誌の 都河龍(つがわ しげみ)代表が 写真より 絵にした方が いろんな事故がおこるとかも 表現できるんじゃないか というふうにおもって 絵画小説を はじめて それがすごく 人気が出て うりあげを ふやすんですね 




そこを 主婦の友社が ひきぬいて とかいろいろ あるわけですが フォート・ナラティブと写真小説 の関係性は こまかいところを のこしてないんですね わたしもちょっとしりたいんですけれども 専門の人が ものがたりは ちゃんと 書いていて おそらく 写真は 映画を撮るときに あるていど 脚本家から 指示をうけて 撮影したんではないかなと 思うんです なぜかというと 自分たちで手掛けたと おもわれるような 写真企画には みられない 表現だったからです コラボレーションしながら つくっていったのではと おもいますが 推測の域を 出ません ごぞんじのかたがおられれば お教え願いたいと思います






司会
最後に、東京大学ヒューマニティーズセンター(HMC)の今後のイベント情報のご紹介をします
https://hmc.u-tokyo.ac.jp/ja/open-seminar

▶関東大震災と東大医学部第二外科
3月11日(金)17:30-19:30
  ・鈴木 晃仁(東京大学大学院人文社会系研究科死生学・教授)
「関東大震災の外科カルテ:患者と医師とドイツ語カルテ」
・鈴木 淳(東京大学大学院人文社会系研究科日本史学・教授)
「震災負傷者救護の展開と東京帝国大学附属医院の役割」
▶ 忘れられた美術思想家・岩村透への光──比較文学比較文化研究の視座から語る
3月18日(金)17:30-19:30
 ・今橋 映子(東京大学大学院総合文化研究科・教授)
▶ 場所を共に耕す(Cultivating a Place Together)─ホーム/ミンダナオを知るための旅
3月25日(金)17:30-19:30
 ・青山 和佳:東京大学東洋文化研究所・教授(東南アジア地域研究)
 ・岸 健太:秋田公立美術大学大学院複合芸術研究科・教授、建築家


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