一週間刻みの眺め(長め)サイト(笑)

今週、引き出しの中に容れたもの。

2022/6/27(月)から今日まで。(第37週ー後半①)※資料No.98



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2022/6/30(木)
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※きょうは、ノーペン🖊デーにつき、通常のメール・チェックと、レター書きと、『根っこばなし』は、お休みです🙇(笑)。


今日は、夜ランで、4,349歩(3.1㎞)走りました🏃


明日は、ウッジューのケアが始まって14回目の金曜日(98日)を迎えます😸👩🏻‍🦰😺


ウッジューは、劇的な回復とかは、あまり無いねけども、ほんまに有難い毎日を送らせて貰っていて、けど、13回目の金曜日あたりから、ウチは何回目か覚えられんくなってきていて、このままではアカンと思って、やっぱりもっぺんここにまた書かせて貰おうと思います。


        えっへん<(`^´)>

   With "Ryoryo"(ウイズ リョーリョー)



夜は、『国際社会はなぜ、アフガニスタンの平和構築と国家再建を失敗したのか』の文字起こしをしました📖


~☆・*。.:*・゚☆・*。.:*・゚☆~


※講演の全文起こし
太田由香里 ・元アフガニスタン政権アドバイザー、元国連職員


アメリカの アフガニスタンに対する 軍事政策は 9.11(2001年9月11日)の連続テロ事件から 始まったわけですが 


ブッシュが 10月7日に 軍事攻撃を開始した 元となる「永久的自由作戦(OEF)」には 日本も 参加していました 


ブッシュ政権の アフガン侵攻の理由である 「テロとの戦い」には 「ネオコン」(アメリカ合衆国における新保守主義、ネオコンサバティズムの略称)と呼ばれる人たちの 主張が 加わりました


ネオコンの主張は アフガニスタンを 民主的国家にする 民主化することが テロを防ぐ 手段である という思想に 基づいていました 彼らは トップが介入することが アメリカの 最大の 安全保障政策だと 考えていました 


当時の ブッシュ政権は アフガニスタンへの 深入りは 避けて あくまで ビンラディン≒テロとの戦いであって 決して アフガニスタンの民主化には 興味が あったわけでは ありませんでした 同盟国に 任せたいと 考えていました


タリバン以外の 関係国を招いて 2001年12月5日の タリバン陥落後の ボン合意(アフガニスタンにおける和平と復興推進のための国際会議)で その後は 分業制を とることにしました つまり 当時は 国際社会が 国家再建を進める スタンス でした 


分業制は 具体的には
国軍:アメリカ 警察:ドイツ 麻薬対策:イギリス 司法改革:イタリア 
武装勢力のDDR(武装解除・動員解除・社会復帰を意味する英語の略):日本の担当
でした


アメリカがやっていた 軍事作戦も 徐々に NATOの 国連治安支援部隊(ISAF)主導に なっていきました

ブッシュ政権の時代は 
文民と 軍の 役割りは 割と はっきり分かれていて 私も 当時 現地にいたんですが 国際社会の 枠組みは 比較的 うまく動いていたかと思います 

この時こそが 
アメリカが 軍事行動を 中止する 圧倒的な チャンスだったと思います
でも この時 アメリカ軍の 完全撤廃までは いきませんでした


その後 
徐々に タリバン政権が 復活していきます この理由は 2つあります
1つは 世界のテロリストを 打倒することが 主な目的であったので アフガニスタンの 国内の 治安に あまりにも 無頓着であったからです
もうひとつは イスラム過激派の台頭で イラクの治安が 悪化していったからです



ここからは オバマ政権時代の話に 移ります オバマは 候補者時代は イラクは悪い戦争・選択による戦争 アフガニスタンは良い戦争・必要な戦争 と 位置づけていました
 
オバマが 大統領選で 当選したことで 主戦場が イラクから アフガニスタンに もどってきました 

それまでは 
イラク:10万 アフガニスタン:3万 駐留で 文民と 軍の 連携は あまり うまくいっていない状態でした これが オバマ政権で さらに 悪化していきます

治安部隊は 嘆かわしい状況であると 言われていました  オバマの側近は 
「イラクで見られている 希望に満ちた 徴候のすべてが アフガニスタンには 欠けている」 と 言っていました 

2月の 当選直後に オバマは 早速  戦闘部隊 1まん7せんにんと 訓練要員 4せんにんを 派遣しました しかし 形勢は かなり 劣勢でした


当時 
世界的な イラク戦争の 批判を 受けていた時代にあって 信用をとり戻すために オバマは アフガニスタンを 良い戦争と位置づけて 最大15万人派兵がおこなわれ 開発支援も 増額されて カブールは 最初は 滞在2人でしたけれども 3人に増やして アフガニスタン・パキスタン特使に 国務省のキャリア外交官 ホルブルック氏を任命しました 


オバマは 外交政策は 「スマートパワー」によって かしこく 国益を 追及すべきだと 考えていました スマートパワーは ハーバート大学 ジョセフナイが 提唱した言葉です  実務も経験した人で カーター クリントン 両政権の要職を 務めてた人でありました 


軍事力を 使うのは 威圧や 報復の手段である そうした ハードパワーに対して スマートパワーは コミュニケーションを通して 行う 外交手段のことです オバマは この2つで いこうとしました 当時は ヒラリー・クリントンも 賛同していました
 
さらに オバマは 
3D政策で いこうとしました(防衛:ディフェンス 外交:ディプロマシ― 開発:ディベロプメント) 文民の力によって 外交軍事政策に 役立てようと いうものでした


現実的には ハードパワーと スマートパワーの バランスを 保つのはむずかしく うまく いきませんでした 
当時から 疑問がでていて おおきな ディスカッションにも なっていました

 
自由主義国家時代の 再建プロジェクトを アフガニスタンで 実行しても うまく いかないんじゃないか?

現地の価値観を 取り入れる 混合的な 国家再建論を 取り入れたらいいんじゃないか? という議論が 起きました


こうした流れから 国家再建プロジェクトにあたっては ローカル論が 最も重要視 されるようになりました 


それに のっとって 「アフガニスタンの政府主導」ということを 掲げていました どの文章にも いれるほど 重要視していました
 
主体を持たせて 主導をするということで 国際社会主導から アフガニスタンにオーナーシップを持たせて という アフガニスタンの出口≒戦争終結を オバマは めざしていました

一方 アメリカ軍は 別な考えを 持っていました 
アメリカ軍は 
COIN(反政府活動鎮圧作戦)を やりたいと かんがえていました 
COINは 死傷者を 最低限にして 治安を維持する  敵の壊滅が 目的ではなく 治安維持が 一番大切な目的 というもので より 緻密な 戦略を 必要とします 


一般市民の 支持を得て タリバンを 孤立させること 一般市民のこころを 獲得して 反政府勢力が 影響力を 盛り返さないようにすることが 目的なので 民衆の協力が 必要です 
 
民間人死傷者を 最低限に 抑える 必要もありました そうした訓練を受けていない 要員は 現地で 看護師などの 役割りを 担うことになりました 
ぺテレイアスという インテリな 軍人が 考えました アメリカ軍には ないがしろに されていた 作戦でしたが これにより ぺテレイアスは 一気に 軍の ヒーローになり 政治力も つけました 


ぺテレイアスは COINの マニュアルを 作成します 従来とは かなり 異なった 作戦であることが 理解して頂けたかと 思います 


オバマ陣営は COINは やる気では ありませんでした 足並みがそろわなくて 足のひっぱりあいが 多く おこなわれるようになり 機密文書のリークなども 多く おこるようになりました
 
COINを 推し進めるにあたっては 経費が 及ぶと とりあえず 4万人の 増兵を オバマに 要請しました 
COINが 10年以上の 長期的な 国家再建であるためです これは 「終りのない 戦争は しない」という オバマの 考えと 真逆でした 

このように アメリカの 高官たちの 意見が あわないことで 
アフガニスタン政府は ふりまわされて 大変なことに なっていました
 
注目すべきは 当時 国務長官だった ヒラリー・クリントの 言動でした 「COINをやらないんだったら 無駄です」で 
さらに オバマは 反対することが 難しくなりました ヒラリーは 外交手腕で首謀する 立ち場ではありました 


ヒラリーは オバマの スマートパワーには 理論上は 賛同・協力していましたが 外交では 信頼関係を 築けていませんでした 一説には 次の 大統領選を 睨んでいて 軍との COIN関係を 築きたかったためや 「女性だから 弱い指導者だ」と言われることを 恐れていたため とも 言われています

軍の言うことは 無視しない方がいいと オバマに アドバイスした人も いました 
マクリスタル司令官は オバマが 首をたてにふらないことに かなり 痺れをきらした 状態でした そして ついに オバマの 承認を 得ずに COINを 発表してしまいました 「役立たず」と(オバマのことを)言ったことが 記事に書かれて のちに 彼は 降板させられます

こうしたことが オバマに 非常に 圧力を かけました マクリスタル司令官の 
この発言を 見逃すと 軍に負けて 弱い政府と 思われてしまう オバマは 後任に イラクのヒーローでもある ぺテレイアス将軍を 選びました 


しかし この人選も ぺテレイアスが とても 政治力のある人だったので COINを 大々的に すすめることになり 結果 カルザイ政権と 決裂してしまいました このあたり ブラビの 映画が 説明しているので割愛します(『プライベート・オペレーター』)



最終的には オバマは 中途半端な決断と のちに かなり 批判されます マクリスタル司令官の 言っていた 4万人ではなく 3万人増兵を おこなって 長期的には アフガニスタンへの COINは やらない 1年半のみ という 決断を 下したからです 軍は 恒久的を 意味していました 軍の優位性は 結果的には 続いていました 


これからは その政策によって 現場は どのような 影響を受けたかという ミクロレベルの 話を していきたいと思います 


ドナー国にも 大きな 政策変換が 行われました 安全保障化とは どういうことかと 言うと 「安全保障目的の援助に」ということでした ドナーが 言っていたのは  最初 支援のプライオリティー(優先順位)が 安全な地域より 戦闘地域を 優先されたというので 現場では 「不公平だ」という声が 上がりました 


問題だなと 私が 思ったのは 治安が安定していても 貧困が進んでいるところが 安全政策から 外れるということが あったことでした アフガン政府に 主体を持たせる 体勢があったと 思いますが 当時は 金銭管理面は アフガン政府に 管理する 能力が あると 思っていた ドナー国は ほとんど ありませんでした カルザイ政権の 汚職が 問題視されていたこともあったので けっきょく 同意した ドナー国は ありませんでした 理論上は 協賛していても 実際には こんなふうに できないことが沢山ありました 


パトロールで 回る形を取ったので 心理的にも 一般市民の 支持を得る ということとは 遠かったです また COINに乗ずる兵士は 高い コミュニケーション能力 カウンセリング能力などが 求められます 敵を 倒すことを 職業としている 軍の兵士には とても 難しいことでした 

また 
ぺテレイアス将軍が マニュアルに 書いていたように 「お金は 戦争に なくてはならない武器・弾薬」で お金は 汚職の原因になってしまったり 紛争や暴力につながってしまったりするものであり 米軍から どのように 搾取するかが タリバンには 研究しつくされていたようです
 
また 住民の 心を つかもうとしていることを 彼らは 分っていたので かなり妨害をしてきました 地元の腐敗や 汚職とも かかわって 彼らどうしも 紛争をしたり 
国際社会が 支援したお金が タリバン・反政府勢力の 資金源に つながっている ということも 起きました 道路開発支援が 増えれば 増えるほど 反政府勢力の 実入りも 増えてしまいます
 
2011年5月 ビンラディンが 殺害されました
2014年5月 オバマの 有名なスピーチ 「リスポンシブル エンド」(アフガニスタンでの米国最長の戦争を責任ある終結に導く) 
オバマは 完全に 部隊を 撤退して 戦争を 終わらせることは できませんでしたが 結果的に 次の トランプ バイデン政策に 続きました それが カブール転落へと 繋がったのだと 思います 






※質疑応答の全文起こし


>国際社会はなぜ、アフガニスタンの平和構築と国家再建を失敗したのでしょうか?


太田由香里
戦略が 成功したか 戦争が 勝利したか わからない 戦争になってしまった それが 最後に オバマが言った グッド・イナフ(good enough) に つながったのだと思いますが 戦争を やめることができず 20年間 ついには 不名誉な結果に 終ってしまったのだと 思います 


戦争にはかならず 敵がいます ブッシュ政権では テロとの戦い タリバンとアルカイダだった そのため アフガニスタンの治安が おろそかになってしまったことは 要因として否めません


それに対して COINは 地元の 暴力的勢力 アフガニスタンの 治安を 脅かすもの 全てが 敵になり 結果的に 戦闘が 拡がってしまったことが 要因としてあります


アフガニスタンの腐敗とも 軍が闘うことになり さらに 混沌としていきました



>日本の過去の役割 今後の役割について 教えて頂けますか

太田由香里
日本は 20年間 いろいろな形で 関与をしてきました 
援けたことも あったと思いますが 壊してしまったことも ありました 結果的には 汚職 暴力から 抜け出せないようにしてしまった そういった意味での 国際社会の一員としての 責任はあると思います 日本の 立場ですけれども 国際社会から かなり 期待されているかと アフガニスタンは 親日でして 日本のリーダーシップを 期待するところが かなり あるかと思います 評価が 高いと 思います 方向性は まだ はっきり出ていませんが 日本の役割は かなり あるかと思います



>アフガニスタンの国家再建プロジェクトは 成功したのでしょうか

太田由香里
補足すると ブッシュ政権のときは 
ネオコン(※アメリカ合衆国における新保守主義、ネオコンサバティズムの略称)が 欧米社会の制度を もちこんで 行いました 欧米の支持を得た勢力が 力をもつことになって ふたたび 不平等になって それで 安定した社会を つくることができなかった との 反省に立って オバマ政権では 現地の 主体性を 尊重する 戦略を 取りました 


それでも 尊重しすぎると 社会的構造の 歪みが 是正されることもなく 更に 助長させてしまったのではないかと おもいます 


次世代の平和構築政策は こうした課題を 大きく考えていかなければいけないと思います



>アメリカにとって ここに 近代的国家を つくることに 意味があるんですかね?
NATOと アメリカと 日本と どこも無責任に アフガニスタン再建に かかわるわけじゃないですか アメリカは 朝鮮戦争 おきて 日本を 不沈空母に したかったんでしょ アフガニスタンでは そういう意味での 戦略的な 利益は いま ないですよね
(石塚伸一・法学部教授、一般社団法人刑事司法未来 代表)


太田由香里
そこが  とても 問題だったと 思いますオバマ政権になっても やるべきなのか やらないべきかの 議論も 曖昧にしながら 多額のお金を つぎこんでしまいました 



>それぞれの 国側から見ても 腐敗 お金が ばらまかれると それが ずっと 進んでしまう ということは お互い ありましたよね(石塚)



>COINで 市民の心を掴む策 具体的に 知りたいです

太田由香里
何が欲しいか 彼らが提案したものを アメリカ軍が プロジェクトで行う 主に 建設プロジェクトが 多かったです アメリカの兵士で 現地に行っていた人も もちろんいたんですが 
アメリカの高校を卒業して そのまま派遣された 若い兵士も おりまして 文化的に とても違う国に行かされて 心を掴むというのは 非常に 難しいことだと思います


>若い兵士は 現地で つきあったりする人も いたんじゃないかと?(石塚)


太田由香里
(笑) 女性兵士は 男性市民と 個別に 話すことはあっても 男性兵士が アフガニスタンの 女性市民と 直接 話すことはないので 恋愛は 生まれないかと


私は 女性でしたが 日本人であるという メリットで 心を開いてくれる 高官が 割と アフガニスタンに 多かったのです もうすこし そうしたメリットを 生かして 対アフガン政策を やっていけたらいいなと 私は思います


国際社会の 会議には 私は 出ますけれども サイドで行われる 会議には 私も含めて 女性は ほとんど 出ることは ないですね


石塚
きょうは 学長も 参加していまして なんか 太田さんと お会いしたことがあるとか


太田
一時 地雷支援を していたことがあって それにかかわっていた時に 龍谷大学の 学長さんと お会いしたかと 思います 


龍谷大学学長
トイレに行こうと おもったら そこに 地雷があるから 気をつけろと 言われました あと ガスも電気もないところで ウイスキーを頂いて 寒さを 凌ぐとか やってました 


石塚
アフガニスタンは 冬は とても 寒いところで マイナス10℃くらいでしたかな
きょうは これで さいごに一言 何かメッセージなどありましたら お願いします


太田由香里
さきほど 舟越 美夏さん(ジャーナリスト・犯罪学研究センター嘱託研究員)も 冒頭で おっしゃられていたことですが 日本もふくめて 国際社会が20年間 かかわってきたので 今後も ある意味 いろいろ反省を生かして 日本を含め 国際社会も なにか支援を していけたらいいのではないかと思います とても 期待されていると思います


石塚
日本も やれることがあるっていうことですね




※今日の文字起こしのソースはこちらです


2022年6月30日(木)



URL: https://senso-to-hanzai4.peatix.com/
公開研究会・シリーズ「戦争と犯罪」第4回
 〜国際社会はなぜ、アフガニスタンの平和構築と国家再建を失敗したのか〜
- 主催:一般社団法人刑事司法未来(CJF)- 共催:龍谷大学 犯罪学研究センター(CrimRC)
- 講師:太田由香里 氏(元アフガニスタン政権アドバイザー、元国連職員)
- ナビゲーター:舟越 美夏 氏(ジャーナリスト・犯罪学研究センター嘱託研究員)
- 司会進行:石塚伸一(法学部教授・一般社団法人刑事司法未来 代表)

- 内容:①趣旨説明(5分)②講演(60分)③質疑応答(25分)

【趣旨】
2001年9月11日に発生した米国での同時多発テロにより、米国は「テロとの戦い」の名目で同盟国と共にアフガニスタンに軍事介入し、イスラム主義組織タリバン政権を崩壊させました。

米国を中心とした西側諸国は民主主義国家建設に乗り出したが、昨年8月、タリバンはアフガニスタンで再び権力を掌握しました。
直後に米国はアフガニスタンでの軍事駐留を正式に終了し、20年もの軍事的関与、国家再建に幕を下ろしました。
20年にわたる国際社会の介入は、何が間違いだったのでしょうか。

なぜ、タリバンは、勢力を盛り返すことができたのでしょうか。
セミナーでは、米軍の軍事戦略と開発援助の関係性の視点から、アフガニスタンの再建、平和構築の失敗について論述します。
~☆・*。.:*・゚☆・*。.:*・゚☆~

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