一週間刻みの眺め(長め)サイト(笑)

今週、引き出しの中に容れたもの。

2022/5/30(月)から今日まで。(第33週ー前半③)



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2022/6/1(水)
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朝は、オトン(元ウチの人)からのメール・チェック(備忘録的なものなので、読み飛ばしを)。

「昨日はレトルトカレー2種盛とキュウリの酢漬け。禁酒日でした。今日は仕事終わって飲みに行きます。そのまま泊まって、明日は尽誠。のんびりします。」


夜は、菟田野のお義母さん(84)に、ラブレター書き(笑、同上で)。

おかあさん コン🦊ばんは(笑)

きょうは夕方、前にお話した、自転車の前かごのワンコさん🐶が、今はおろしてもらって、飼い主さん👴とふたり、大変ゆっくりペースでお散歩しておられるのを見かけましたよ🤗💗

では、きょうは、「根っこばなし」より『月夜の嫁ご👰🎑』の第二話をお送りします👰👶👵

昔、岐阜の加納という宿場町には、接客婦として働く沢山の女の人がいて、下駄直しや鼻緒のすげ替え等を生業としている部落の人の、稼ぎ場となっていた、というお話からの続きです👘

なお、『月夜の嫁ご👰🎑』は、タイトルに魅かれて選ばせて貰った作品なので、物語が予期せぬ展開(?)になるかもしれないことを、あらかじめお詫び申し上げます(笑)🙇

「根っこばなし」より『月夜の嫁ご👰🎑』


👵👶👰

なんせ わらじが 目立つ 街道筋で、
はたごの 飯盛りだけが 革緒の塗下駄(ぬりげた)なんぞ 履いて
裾や 足もとを 気にしとったで、
げそ直しには 上得意じゃったと。

若い げそ(※下駄)直しがな、はたごの 裏庭の隅に むしろを ひいて 仕事をしとると、
朝のおそい 飯盛りたちが 長じゅばんに 腰紐ひとつの しどけない姿で
片手に 古げそ ぶらさげて 寄ってきたとよ。

この はたごに 半年まえから 顔をみせた 下働きの 娘が おってな。

狭い宿場の 噂では ゆくゆくは 飯盛りに なるはずで、
いまは 飯たき、洗いもの、一切がっさい こき使われとったと。

(つづく)

さて、雨季の六月は、月夜は何晩、見られることでしょうか?🌙🌓🌖🌕🎑💗
次回は、明後日、6/3(金)になりますが、素敵な物語と、ド下手な私の文章をどうぞお楽しみに(?)😉✨💗
お互い、いつまでも、心のなかは、可憐な乙女でいましょう(笑)🥰⛪️💗👰🤵💗🚌
おやすみなさい💤😪💗✨」



それが済むと、要事前申込のウェビナー1つに参加しました。

テーマは


「性的マイノリティが自分を大切にできる社会をつくる ~当事者の尼僧として~」
講師:柴谷 宗叔(そうしゅく)・大徳山浄峰寺・通称性善寺(しょうぜんじ)住職 
主催:ヒューライツ大阪(一般財団法人アジア・太平洋人権情報センター)


※資料80に、講演の全文起こしがあります(前編)




さきほど、ウッジュウ(9歳、闘病中)が、カリカリ(ドライフード)を食べました。2月下旬から、3か月ぶりのことでした(ほんの数粒やけども😅)





~☆・*。.:*・゚☆・*。.:*・゚☆~


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資料のイメージ
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※ウェビナー(Webinar)とは、ご存知のようにコロナ禍、私たちの日常に、新たに加わった "ウェブ(Web)" 開催の "セミナー(Seminar)" のことです。
※画像が大きくて申し訳ありません🙇‍♀️


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※資料80

2022年6月1日(水)


第11回 じんけんカタリバ 

「性的マイノリティが自分を大切にできる社会をつくる ~当事者の尼僧として~」

 講師:柴谷宗叔(しばたに そうしゅく)・大徳山浄峰寺・通称性善寺(しょうぜんじ)住職 

主催:ヒューライツ大阪(一般財団法人アジア・太平洋人権情報センター)




※講演「性的マイノリティが自分を大切にできる社会をつくる ~当事者の尼僧として~」の 全文起こし

講師:柴谷 宗叔(そうしゅく)・大徳山浄峰寺・通称性善寺(しょうぜんじ)住職



守口にある みんなのてらで やってるいて 「駆け込み寺」と 新聞の見出しに あるんですが 駆けこんで頂いても ちっちゃなお寺なので 相談受けるだけです


当時者でないと 分からない悩み そういうのを しんみにうけとめながら 毎月 最終日曜日に 縁日で やっております 20にんぐらいのかたが お寺に 集まられます 


いわゆる LGBTだけでなくて いっぱんの 信者さんも おられます 半分ぐらいが マイノリティーのかたが こられます


おはなししているなかで 「とくしゅなひとでないんだよ」 ということを わかっていただきたい 「まあ あたりまえに はなしできるやん」 っていうことをね にんしきしていだただく そういう場になっております


1954年 大阪市生まれで このときの 戸籍は 男性でございました しょうがっこうのころ 何かと 人と違うなと 感じ始めて いわゆる 野球 サッカーに きょうみはもてなくて かといって 女の子は わたしのことを 男の子と おもっているので なかまにいれてくれない 


特に 父親は 大正生まれの 戦争に行った世代で ございますので 「おとこは おことらしくしろ」 そういうひとで とても 親には言えない あるとき ははの わんぴーすを きているのを みつかりまして 今でいうDV 殴る蹴るを うけまして ひとりもんもんと しておりました 


まあまあまあ そんななかで ちゅうがっこうに あがりますと 制服があって スカート なんで はいったらあかんの? それから 丸坊主に させられたんですね 修行した時はまた 丸坊主に なりましたけど そうじゃなくて 丸刈りが 校則で きめられていて


体育のじかんは ホントに 苦痛でしかなかったです そんななかで 一人図書館で 本を読んで いわゆる 仮想世界に はいっていって それがね 現実逃避ですね  そんな中で 過ごしまして


こうこうじだいには カルーセル麻紀さんというのが モロッコで 性転換手術をしたと ニュースが 流れまして わたしも しょうらい ぜったいそうするよと 思った 

やっと なんか 光が見えたな という感じがしました


親もと 離れたくて しかたなかったので 合法的家出と もうしますか 東京の大学へ 行きまして だれに 遠慮することもない ということで じょせいのかっこうをして かいものにでたり スカートを 履いたり お化粧品を 買ったり 女性雑誌で 見よう見まねで 化粧の仕方を おぼえたりしていて 


いわゆる 新宿二丁目 ゲイバー ございます そこへ行ったら 仲間がいるんですよね いまは 男性同性愛者のかたが 集まるお店に なっておりますが 当時は 女装した ニューハーフの子がいるお店を ゲイバーと いっておりました 


そこで お化粧とか こうしたらいいわよ と 教えて貰ったりして だんだんと そういうことで お店で アルバイトすることになって いわゆる お客さんと 援助交際みたいなことを やりました 


けれども それが お客さんがもとめてるのは だんせいきを 持った子なんですね 女の子じゃなくて じぶんは おんなと みてほしいのに そうじゃない なんか へんかな  ニューハーフの プロになるのは ちょっと ちがうのかな と思って 普通の 会社、新聞社に つとめました (「ニューハーフ」と 「トランスジェンダー」は ちがうんや というふうに ちょっと 覚えておいてください)


実際 入ってみると マスコミは 理解が 拡がっているのかなと思ったら 非常に 男社会で 女性記者は ほんとに少なくて ホントに おっさんのなかで とういう感じでした 


背広にね ネクタイ という格好で しごとに 行かなければいけなかったこと これが ひじょうに 苦痛で 内勤から 外勤に かわりまして ここからは いわゆる 男か女か わからないような 中性的な 服装で 会社通いを しておりました 


けど やっぱり わかるんですね リップクリームを 塗ったりしてたら 会社では そんな感じで 仕事が はねたら いわうる よるのおみせにいって 女装して 二重生活 っていうんですかね そんなことを ずっとしてました 



でまあ ひとつのきっかけは 阪神淡路大震災で わたくし こうべに 住んでおりまして おおさかのおかいしゃに つとめていて 全壊しまして 命だけ たすかりました 


ああもう これで ひろった のこりの いのちは もう むりに じぶんを えんじつづけるんじゃなくて ほんらいの すがたに もどりたいな 


せけんも むかしとちがって やっと 「せいとどういつせいしょうがい」 ということばが ではじめたころです 


やっぱり じぶんに いつわらずに いきていこう 

というふうなことで じぶんを だすように していったんですね


そうしましたところ いわゆる パワハラですわ アイツおかまや というふうなことで いろいろと いやがらせをうけまして ついに まあまあ 結果的には 会社を やめることになるんですけども 


そのまえに 全壊したときに おてらまいり したんですね お遍路 四国88箇所 まわりました 白装束は ほとけさんのまえにいったら おとこおんなは ないんですね 


だんだん だんだん お遍路に はまっていった ということがありまして それは 凄く 安らぎで 縁あって 高野山で 勉強してみないか ということになりまして 


おへんろなかまから ききまして こうやさん社会人コースの大学院に はいると しゅうにいっかい こうべから こうやさんに かたみち3じかん おおふく6じかんかけて 通学が はじまりました それが ひじょうに 面白くて仕方がない 



ハラスメント 受けてた 会社を やめちゃいまして 単なる学生に なってたんですね なんも かくすことはない 大学で カミングアウトしまして 同時に 岡山大学病院で 診断受けまして 


大学で 「女子トイレ つかわせてくれ」 いいまして 大学も びっくりしました お坊さんになる学校なんですね まさか せいどういつせいしょうがいの 子が  50こえたおばさんですけどね  当時 はいってくるとは おもわなかった 


マンモス大学では それにたいして たいおうしている しらべりゃ わかりますよね まず みとめていただいて いわゆる じょしだいせい ということに なったんですけども 


べんきょうして 僧侶の資格 とりまして それは 男性としての 僧侶の資格なんですね そのご おかやまだいがくで 2010ねんに 性別適合手術 やりまして 同時に 戸籍の性別 替えまして 


問題となったのは 僧籍 それの性別変更 というのが 前代未聞でございまして 明治の始めまでは にょにんきんせいだったお山では 僧籍 はく奪 されるかなと 思ったんですけども さいわい えらいさんのなかで 理解してくださる方が おられまして 「よしわかった いっぺん これにかいて だしなさい」


 これが いわゆる とどけでじこうへんこうようし で 本来 住所変更するとこの そこに 「新女 旧男」とかいて 性別変更の みとめられちゃった 前例を つくっちゃったんですね  


それから わたしのあとに つづくかたが でてきました すくなくとも 3人の方が せいべつへんこう しています 高野山信仰のかたで そういうふうなことでございまして いわゆる おもたいとびらを 開けちゃったというのは こうやさんでの そのできごとのこと になります


お寺の住職になりたい ということで はいれる おてらを いろいろさがしたんですけども これもまあ ハードルが 高い お寺の子じゃなくて というのが 狭い門に なっております 地方へいったら げんかいしゅうらくで 無住になった あいている おてらがあるんですけど いま 檀家さんが少なくなって  おてら ふたつけんむんして やっとたべていけるんですね 


かそちの おとしよりしか いない村へ いきますと 村から 「わかい おとこの ぼうさんやったら きてほしいけど としとった尼さんなんか いらんわ」 いわれまして ましてや せいてんかん してるんで そこで アウトです  


じゃあ もう あたらしいお寺作るか ということで 5ねんまえ  みなさん たすけてください 言うて きふを あつめまして クラファン やりました まあまあ すうひゃくまんえん あつまったところで おやの とちが おおさかに ありましたんで そこをお寺にしようか ということで ちっちゃなお堂でいいからと かんがておりましたんですけども 


実際 けんちくしのせんせいに いわれたのは 600万円ぐらいで できるということだったんですけども 大工さんから 「こんなんじゃあ できへん せんすうひゃくまんは かかるよ」と 言われまして じゃあ とちを たんぽに おかね かりて なんとかせなしゃーないね ということで いよいよ おかねかりる だんどりを しはじめたときに


守口のおてらが 無住になって すうねんほどたってて まえの ごじゅうしょくが しゅじゅつ はいったまま 空き寺になっている その話を いただきまして ほぼ いぬきのかたちで ここの おてらに はいりこんだ かたちになります 


おてらをもったからには じぶんが わかいころに くろうして だれにも 相談できなかった そういうい人たちを 助けるばしょを つくろうと  お寺は そうしきするとこじゃないですよ 仏教というのは 哲学ですからね  いきてるひとが いかに よりよくいきるか ということで ここのおてらの 住職になった訳です


それが 聞きまわって 間もなく こうやさんのとき すんでいたいえが 台風で やねが はがれちゃった そのとき すべての物が みずに つかっちゃいました こんどもまた ものは ほとんど なくしました 


けれども じゅうしょくになることが 決まっておりましたので たしょう たいふうで ここの おてらも やられたんで 工事 せなあかん そのこうじ中の お寺に 避難してまいりまして 災害のたんびに ご縁が いただけた 不思議な体験を してまいりました


宗教的な 法話じゃないので 仏縁の 話しは ここではしませんけれども そうやって ここの おてらを はじめたということに なったわけです 



じゃあ どんなことを やっているかともうしますと 真言宗の お寺 は 護摩を 焚きます まずは マイノリティーを うけつける それから 戒名は おとこと おんなで ちがうんですよ 信士・信女(しんじ・しんにょ)というふうな なまえが つくんですね


たいがい ごほんにんが なくなってから いぞくの ごきうぼうで 戸籍の性別に 応じて 戒名を つけさせていただく そうなると


 じぶんが 家族に かみんぐあうとしてないばあい  自分の思ってる 戒名が つかないわけですよね 


「しんでからも また 苦労せなアカンのか ちがう せいべつで アレせなアカンのか そんなの おかしい」 というふうなことで


 「じゃあ 生きてるうちに じぶんの きぼうする 戒名 つけちゃいましょ」 というふうなことを はじめました 


わたしの 宗叔(そうしゅく) という なまえも そうです つけていただく これが 戒名の ほんらいの すがたなんですね  


手術で とっちゃってますので わたしなんかも 子どもを つくることはできません 体外じゅせいで どーたらこーたらは ごくごく 特殊な例でございまして 基本的には 子どもが 出きない とういうふうなことで 自分が 亡くなった後 みてくれる人がいない


ぱーとなーが いるかたは 生きている間は 見てくれるけど あとに残された方は しんじゃったら だれも みてくれない これ お寺で 供養しましょう とういことで 永代供養も やっております 


もちろん ふううの方でも 自分の行先 ふあんがって おられるかたも たくさんおられます 終活 じぶんが いざ うごけなくなったらどないしよう 認知が来る前に アレしておこう いま いろんなとこで いわれてますけども それを させていただく もちろん おてらだけで できることではないです べんごしさん ぜいりしさん おいしゃさん と ていけいしながら 安心して 旅立てるような 終活の サービスを させていただこう というふうなことをはじめました



同性カップルの 結構式は お寺でも できるんですよ っていうことを いまね 仏前結婚式を やるひとは お坊さんしか いないんですけども  それを やりましょう


結構式場とか 同性カップルを いやがるんですね いわゆる 「普通の(異性)カップルが 近くに 同性カップルが いるのを いやがる」と いって うけてくれないという ケースが ままあるんですね 


いまは それをやってくれる 結婚式場は でてきは しましたけれども まあ かずは すくないです それじゃあ てらでやりましょう というふうなことで 宣伝してますけども 模擬結婚式は やったんですけど まだ 本物は 一度もないです 教会で 結婚式を やりとたいという同性カップルには 知り合いの プロテスタント教会を 紹介しています


それから お寺で みなさんどうしの おはなしも していただく お遍路さんも ノーマル なんですけども 沢山 集まってくれます とらんす どうせいあい おへんろさんでそれぞれ ちっちゃな グループを つくって はなししてたんですけども だんだんと よこの つながりが でてきだして マイノリティーのひとが おへんろいってみたいわ と言って さんかするかたも でてくるし ノーマルのひとが はなしをきいてるなかで めずらしいものをみるめで さいしょみてはったのが いしきがかわってきた 現実に 当たり前に おるよという それが わかっていただけるように なってきた そういうのが ひとつのかたちです 



LGBTは もっと いろいろ あるんですね 

LGB と T は べつなんですね (同性愛者と 性同一性障害)

それいがいにも いっぱいある 

Qは くえすちょにんぐ  というふうに

 

LGBTQIATの


L レズビアン。女性同性愛者。
G ゲイ。男性同性愛者
B バイセクシュアル。両性愛者。
T トランスセクシュアル。性同一性障害。身体的性と心の性が一致しない人。
Q クエスチョニング。Xジェンダー。性的アイデンティティが未確定の人。
クイア。性的に普通でない人。
I インターセックス(半陰陽)生まれながらに男でも女でもない性別の人。
A アセクシュアル。無性愛。/アライ。支援者。
T(2S) ツゥースピリット。2つの性別を行き来する人。



TS TG TV MtF FtMの


TS トランスセクシュアル。性別に違和感を持ち性別適合手術を望む人。
TG トランスジェンダー。性別に違和感を持つ人の総称。手術の有無を問わない。
TV トランスヴェスタイト。異性装者。外見や服装、性表現を身体とは別の性で望む人。
MTF 男性から女性になった人。またはなろうとする人。
FTM 女性から男性になった人。またはなろうとする人。



言葉の定義


ドラッグクイーン 異性装。主として女装趣味の男性。

ニューハーフ 身体的には男性で、女性性を体現し、接客業や芸能業に従事する人。
おかま 男性同性愛者の俗称。関係性で侮蔑語になる。
おなべ 女性同性愛者の俗称。関係性で侮蔑語になる。



人には いろんな 段階があるので いわゆる グラデーションは はっきり 色分けできない 本物の 虹は🌈 はっきりと いろわかれていない だんかいてきに いろが かわっていくわけですよね まさにそれが 性的マイノリティを あらわしている


どれくらい いるかというと 7~8% 実際は かくしているひともいるので もっと多いかもしれない 左利きの人と おんなじ比率なんですよね これ むしろ サウスポーの 方が 活躍できる きょうぎもあります 左利きを 差別する人は 今は ほとんど いないと思います 


今まで いろいろいわれてきた 少数者の 差別ですが 戦後の日本では 女性は 半分なので 少数者じゃないけど 差別は 残っています 


つぎに 出身地による差別 部落差別 これも 長い運動の中で 表むきは だいぶ 良くなってきました でも かんぜんには なくなっておりません 


そして 国籍 人種による 差別 これも まだまだ 残っています ただ むかしは 皮膚が黒いだけで くろんぼくろんぼと いわれたけど いま そうじゃないですよね だから だんだん いろんな ひとたちが いるんだ ということが 当たり前の社会に 


つぎに 障がい者差別 たとえば 車いすの人が いま あたりまえに 街を 歩いています むかしに くらべたら ずいぶん 多くなりました 


こういうのは いろんな 運動の結果 努力してきた結果 いま それが 表むきは やっちゃいけないことに なってきているんですね かんぜんには なくなってませんよ 


そのなかで 性的マイノリティは 10年の 歴史しか ないんです それを なくさないと 日本で オリンピック させないよと 国際オリンピック委員会(IOC)が いったから やっと 政府が いろいろ やりだした まだまだ はじまったばっかしです 


いままで もうしましたような いろんな マイノリティーへの差別に とりくむなかで さいごに のこされた いまのところさいごの 差別ですけどね なんとか なくしていこうじゃないかと わたくしどもも やっておるわけです


さっき もうしましたけども LGB と Tは ちがいます いっしょに うんどうは やってますけども  


こせきじょう いまは 性別変更は できるようになった それまでは カルーセル麻紀さんは 手術してきても なんど しんせいしても 裁判所で はねられていたんですね 


いまは できると 言っても 私も 役所では できなかったんですよ  いったん かていさいばんしょに 申し立ててやらなあかんのですけども  昔にくらべたら かんたんになった


子無し条項 せいじんしてない こどもがいると せいべつへんこうは できない じっさい それで 困っておられるかたが おられます 


同性婚を みとめてよ 今の日本の法律では 24条 両性の合意に 云々とある 憲法改正しなきゃ できないんだと おっしゃってるんですよね なかなか 変えることが出きない 9条のことが でてくるんで 日本では認められてない これ 法律学者さんに 言わせると 「読み方の 解釈の違いで 憲法違反にならない」と これ また 札幌地裁の 判決に 出ています まあ 法律の解釈の違い ということで 集団的自衛権を合法だと いっちゃっている これも 解釈しだいでは 違憲には ならないんじゃないかと思います 


よく いわれるわけですけれども いま いろんなところで その ほうりつてきなもんだいも なにもかも まったく こう 壁っていうふうな ぶぶんを なんとか のりこえていく方法を もさくしている 段階でございます 


それとは別に じゃあ じっさい みなさん どんな悩みを このおてらに  ぶつけてきはるんかなということで わたし自身が お話を聞いてる中で ねんぱいの方の 終活のふあんは だいぶ 対応できるようになってきました 


若い人たちの 就活 これが やっぱり 大きな問題なんです  まず 戸籍のせいべつを 履歴書に 書いて 面接に行ったら 見かけとまったくちがうので そのだんかいで はねなられる はなしも きいてくれない とういうことが おおうございます 


なかには 理解の ある企業も ありますが はいったら はいったで 職場での いじめがあります 上司は 理解していても 同僚が いろいろ いじめるわけですね 


たとえば 女性から男性になった方が 就職しました 社長さん 人事課長さんは みんなみとめてくれて タクシードライバーをやってて 別に お客さんに へんに おもわれることもない けれども かいしゃにかえって 休憩室で くつろごうとしたら 「あいつ もと おんなやってんで」 言うて いじめが 始まるわけです 休憩室で 休憩できなくなって しかたなしに. くるまのなかで 一人で 休憩している 


「もう かいしゃ 辞めようとおもうんよ」と その方は いうたんですけども 「いやいや なかなか 働かしてくれる会社は ないよ」と その時は そう あどばいす したんですけれども


あるいは こういう れいが ございます その方は 男から女になった方なんですが 若いころに じぶんの いにそわぬ 結婚を おやにさせられた その つまだったひとが 浮気して 子どもを作った で その時は 婚姻上にあったので じぶんの子として 戸籍に のっているんです のちに 離婚して せいべつてきごう手術を うけて いざ 戸籍の性別変更を しんせいしようといしたら れいの 子無し条項に ひっかかって いま DNA鑑定をそえて 裁判係争ちゅうですけども じぶんの子じゃない ということが なかなか みとめられなくて まだ さいばん継続中でございますが ほんとに いろいろ あるんですね


個々に 事情っていうのは いろいろです そんなふうに うちの寺によく来る おとこから おんなになったひとなんですけども このひとなんかの ばあいは 若いころ 結婚してて こどもつくっちゃった いまやっと 子どもが成人して 戸籍が かえれた というケースもあります 

このひとは 私に感化されて こうやさんで しゅぎょうしてますけどもね かわったひとです ひとのことは いえません わたしが いちばん かわってますけども


そういう すべてを 理解したうえで 最終的に 言いたいのは それぞれの いろんな生き方がある その多様性を みとめあわなきゃ いけないよ っていうことです



あんまり れいを いうてたら じかんが あれですかね 性的マイノリティって いろんな あれが あるんですね わたしのばあいは トランスジェンダーですけども こんな相談がありました 


若い学生さんなんですけども 自分は 戸籍上 おんなで 男になりたい と 来られたんですよ いろいろ 話聞いてるうちに 本物っていうたら おかしな話なんですけども いわゆる 女子校に 行ってたんですね 女のこは こうしなければいけないと 女性の枠に はめられるのがいや だから 男になりたいと お言いですが さあ 実際 それで 男性として 生活始めました けれども それが いやおうなく マッチしないんです わくに はめられるのがいやだっただけ そんな ばあいも あるんですね それが ほんとうに せいどういつしょうがいなのか 今ある状況から ぬけだしたいだけなのか というぶぶんも やっぱりあると思います


も一つ 別の話で いまだに おぼうさんは 男性上位の 社会で 女性が 出世できない ところがあるんですね これ 宗規 宗派の規定の どこにも かいてない 相撲の土俵に上がれないのと いっしょなんですけども 伝統の名のもとに 出世 できないというのが あるんです 


これを うちやぶるために 女性から男性になる人が でてきたら どうしようっていう そういう危惧も おぼえています これは 根本に 女性差別があることの うらがえしなので それを なくしていかなければ いけないと思います 



さきほど 差別が じょじょに っていう話で 黒人の話をしました いま それにたいする ていこうが 少なくなってきたように やはり いろんな マイノリティーにおける差別を なくすっていうことは いろんなひとがいるよねっていうことが あたりまえのしゃかいにしていかなければいけない そういうことなんですよね 


左利き差別する人は いまは まず いない あるいは しょうがいのありかたでも あしのしょうがいのある方は パッとすぐ わかりますけども それが あたりまえのしゃかい


たとえば めがねを かけている方は めが ふじゆう なんですねよね けれども めがねをかけている人を 差別しますか? しないですよね これはもう あたりまえに たくさん いてるからです


 というふうなことで 結局は いろんなひとがいてるっていうのが あたりまえやね っていう 左利きや めがねと 同じような感覚で マイノリティーを 国籍にしてもそう 性的マイノリティにしてもそう あたりまえよね っていう社会を 作っていく 


うちのおてらでは もう そういう感じに なっているわけです いろんな ひとが あたりまえに いてるよね うちのおてら 性的マイノリティだけじゃないですよ 在日の方も来られますし そういう方が 一緒にいる中で 一つ うちのばあいは お寺っていうことで  仏教を 私は おはなしさせていただいているので 何か 共通の話題があれば いろんな人たちが それで 一体になれるのかなあって そういう風に 思っております 



仏教では 性的マイノリティのことを どう表現しているのと よく いわれます 

変成男子(へんじょうだんし)といいます これを 性転換しても 成仏できると 私は 新しい 解釈をしました なので これを 広めていく つまり 仏教は 性転換を みとめていますよ ということを 広めていきたい



それから 同性愛への 戒律は 仏教には ありません 仏教にあるのは 御坊さんは せっくすをしてはいけない 御坊さんには 禁じていますけれども 一般の信者さんには 認めています 同性愛を 禁止するとは どこにも 書かれてないので これは OKですよと わたしは 言っております


まあまあまあ そんなことでございまして ソロソロ時間も来たようでございますし

しつぎ応答に うつらせていただきましょうかね


(後編につづく)



※後編は 質疑応答の全文起こし になります


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