一週間刻みの眺め(長め)サイト(笑)

今週、引き出しの中に容れたもの。

2022/6/6(月)から今日まで。(第34週ー前半①)


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2022/6/6(月)
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朝は、オトン(元ウチの人)からのメール・チェック(備忘録的なものなので、読み飛ばしを)。


「土曜日はサロック、昨日は昼カレー、夜はREVO。今週は、木曜日は午後から保健所検診、土曜日は飲み会。日曜日はフリー。」



夜は、菟田野のお義母さん(84)に、ラブレター書き(笑、同上で)。


「おかあさん コン🦊ばんは(笑) 
きょうは、雨上がり、出かけたら、たちが、チュンチュンとかわいらしい声で、「これでが捕獲できるゾッ🐛」と鳴いていました(?)🌞🐛🐤


では、今週も「根っこばなし」より、きょうは『月夜の嫁ご👰🎑』の第話をお送りします👰👶👵


昔、岐阜の加納という宿場で、下働きをしているムラ娘が、そこで雪駄直しを生業としていたムラの青年に、「ムラ仲間だから、一緒に逃げてほしい」と頼み込んで、青年がしかたなくムラ娘の親元に聞き取りに行ったところ、「娘を子守奉公に出したが、仲買人の百姓が はたごの飯盛りに売り飛ばし、その給金も猫ばばしていたらしい😼」ということがわかってきた、という話からの続きでしたね。


なお、『月夜の嫁ご👰🎑』は、タイトルに魅かれて選ばせて貰った作品なので、物語が予期せぬ展開(?)になるかもしれないことを、あらかじめお詫び申し上げます(笑)🙇



「根っこばなし」より『月夜の嫁ご👰🎑』


👵👶👰


部落のもんの 奉公は、 もしも 役人の 耳に 届けば、
猫ばばの 百姓は いわずもがな、
はたごの あるじも 娘も 同罪。


たとえ 救われたとはいえ 娘が 家へ もどれば
口べらしの 役に たたず、
はてさて 八方ふさがりじゃと
部落の 一同が 首 ねじまげて 弱ったと。


部落で いちばん 軍師(※指図のできる賢い人)の婆さまに 事わけ話して 相談したら


「よいか、その猫ばばの 百姓を 仲人に 仕立ててな、
娘を 若い衆に 嫁入りさせい。
娘は 仲人の 親切で 今日まで はたごで 行儀の 見習い。
はたごの あるじは 娘の 親がわり、預り人じゃ。
見習い終った はたごから 娘は 明日にも 嫁入りじゃ。
これなら 役人も 手がでまい。
銭のことなど 放っとけ」


と、その場で 知恵を くれたとよ。


(つづく)



雨季の六月、わたしたちは何昼&何晩、月を拝ませてもらえるしょうか?🌙🌓🌖🌕🎑


明日も、素敵な物語と、私の駄文をお楽しみに😉✨💗


お互い、いつまでも、雀のように、太陽の恵みへの感謝を忘れずに生きましょうね🌞🐛🐤


おやすみなさい💤😪💗⛪️💗👰🤵💗🚌✨


追記) 今日のお花です」




それが済むと、昨日開催の要事前申込のウェビナーのまとめをしました。


テーマは



被爆二世健診…43年目の真実~データが語る遺伝的影響と「ほしょう」を考える~
①厚生省による1979年度原爆被爆者二世の健康に関する調査研究実施の経緯と報告の内容のポイントについて
②京都「被爆二世・三世の会」が取り組んできた「被爆二世・三世健康アンケート調査」の公開
共催:神奈川県原爆被災者の会二世・三世支部、京都「被爆二世・三世の会」



※資料83に、前編(「被爆二世・三世健康アンケート調査」報告の全文起こし)があります


今回は、文字おこしの前に、ウチのただの雑感を、「※はじめに」というところで、まず書いてしもうて、ウチは、科学被害の二世・三世の方たちを、アンケートという形式で見える化するという取り組みをやりとげはった方々に、このたびオンラインで逢わせてもらうことができて、ほんまに興奮してしまったというか、素晴らしいよい刺激を受けて、「※はじめに」を書かずにはおれへんかったのでした🙇

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資料のイメージ
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※ウェビナー(Webinar)とは、ご存知のようにコロナ禍、私たちの日常に、新たに加わった "ウェブ(Web)" 開催の "セミナー(Seminar)" のことです。
※画像が大きくて申し訳ありません🙇‍♀️
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※資料83(前編)


2022年6月5日 (日)


「被爆二世健診…43年目の真実~データが語る遺伝的影響と「ほしょう」を考える~」
共催:神奈川県原爆被災者の会二世・三世支部、京都「被爆二世・三世の会」
https://www.youtube.com/watch?v=ZuagI8OrNjk

プログラム

・司会:山本緑・神奈川県原爆被災者の会二世・三世支部役員
・挨拶:平信行・京都「被爆二世・三世の会」の代表世話人
・講演:「厚生省による1979年度原爆被爆者二世の健康に関する調査研究実施の経緯と報告の内容のポイントについて」
講師:森川聖詩(せいし)・神奈川県原爆被災者の会二世支部副支部長
・報告:「京都「被爆二世・三世の会」が2019年から取り組んできた「被爆二世・三世健康アンケート調査」の中間的とりまとめ報告」
報告者:守田敏也・京都「被爆二世・三世の会」世話人、フリーライター

・質疑応答(定刻編、放課後編)



※はじめに


きょうの「被爆二世・三世問題の公開講座」の持つ歴史的な意味を 共有するための 記事や発言の ウチからのご紹介の ひとつめとして、高東(たかとう)征二さんの「黒い雨訴訟」に関わっておられた、小山美砂・毎日新聞記者による「被爆二世問題」についての 取材記事があります(2022/6/4)。


厚生省が「遺伝的影響は認められない」と公表しようとした「健診結果集計データ」が、むしろ、遺伝的影響をしっかり示していたというふうなことが、まとめられています。



なお、ウチはブログで、高東征二さんと小山美砂さんがオンラインでご一緒に登壇された時のご講演の全文起こし(※資料73)を、偶然こちらでさせて貰っていました(2022/5/21)



もうひとりが、質疑応答(放課後編)でご発言された、木原省治さん(広島市原爆被害者の会 二世・三世部会)だと思います。


「被爆二世、三世問題」がわたしたちみんなの問題であることを語られていて、ウチはそれをお聞きし、被爆二世、三世の方と自分や自分の子、孫世代との関りを具体的に考えながら、もう一回、動画を見直していました。

それで、以下に、先にその部分を文字起こしさせていただきました。


3:00~

木原省治・広島市原爆被害者の会 二世・三世部会

水俣の被害者の方が 広島に来られた時に 同じ様な 「科学の害によって 被害を受けた者として 被爆者の 人たちとも 共有したい 想いの 共有を したい」ということを お話されたのを すごく 覚えています やはり 科学の 最悪のものによって 被害を受けた 広島として やはり  科学と 今後の わたしたちの 子どもや孫たちの 世界のありかたについて 人間の生き方にとって すばらしい いい科学とは 何かということを 考えていくべきではないかな ということを ひとつ とても 思います 


もうひとつは アメリカの「放射線被ばく補償法」は 二世問題とかいろいろ 前文が やはりしっかりしていて 「被害受けた人に対して 国家は 責任もって 謝罪をするとともに 補償を していく」と 日本の「原爆被爆者援護法」の場合は 「原爆という 特殊な 被害によって」 という まあ 社会保障の枠的な 視点でしか ものを見てない ここを 早く やめたい 2000年問題との 関係でいうと それこそ 福島の問題とか 「黒い雨」とか そこに 波及してくるという 魂胆が まるまる 見えておるわけですから やはり ここで 被爆二世運動 被爆二世の 健康の問題 というのは とても 大事だというふうに 思っています


だから わたしたちはもっと 確信をもって この 「被爆者援護法」の 精神を変える アメリカに 倣うようなかたちで 前に進めていく必要が あるんじゃないかなというふうに 思います きょうは とってもいい 「勉強」を させていただきました(笑)


なお、ウチが、きょうの「被爆二世・三世問題の公開講座」で 「勉強」になったことは 何かなって思って 最初に 頭に浮かんだことは 正直、守田敏也・京都「被爆二世・三世の会」世話人ご紹介の 故肥田舜太郎・被爆医師の 以下のご発言でした。


2:10~

最後に 僕の今までの経験で 肥田先生に 言われたことを ちょっと贈りたいと思います

 

肥田先生は 被爆者を 集めて「被爆者は ガンで死ぬな」と 「ガンで 死ぬのは 原爆に 負けることだ」と 「原爆を 落としたやつを 驚かせるほど 長生きしよう」っていうことで 長生き運動を 奨励されたんですよね 被爆者の お年寄りに 聞いて その 最大の 秘訣は なんと 食べ過ぎないこと だそうです 


あと 「被ばくしたらね あとは 悪いことが起こると 覚悟きめなさい」と で「開き直りなさい」と 「開き直ってね 体にいいことを 何か一つ決めて 徹底して やんなさい」と いうふうに おっしゃられていました 


さらに 「そのために 生きがいを もちなさい」と 「生きがいっていうのは いきなり 歳をとってから 碁をやったり 生け花をやったりしては 駄目なんだ」と 「生きがいというのは これを 終らなければ 死ねない ということを 見つけること」だと 


そして 「それが 見つからない人は 被爆者だったら 被爆体験を 語りなさい」と 「それが 世界が 求めている」んだと 「それを 生きがいにして あなたは 原爆に 負けずにね 生きなさい」 というふうなことをね おっしゃっていて とても 感銘したことがあります



それでは、これより、『京都「被爆二世・三世の会」が2019年から取り組んできた「被爆二世・三世健康アンケート調査」の中間的とりまとめ報告』の部分起こしを させていただきたいと思います。報告者は、守田敏也・京都「被爆二世・三世の会」世話人です。




1:56~

お聞きになっている みなさんも とてもつらい思いを 感じておられる方が おられるんじゃないかと 思います 実際に 症状のある人には これはね つらい話なんですけども 


僕は 今回 この101人の方の アンケートを読んで よくぞ この中を 生き延びてきてくださったと よく がんばって そういうことを越えて いま 私たちと 対話して そこに いてくださると 凄く 感謝したい 思いがあります 


だから ぜひ そういうものとして こういう いろんなつらさは あったけれども それを 越えてきた方の声として それを 私たちに 託してくださったものとして 聞いてください 


1)両親が被ばく 長崎

これは女性の方です 書いてあるものをずっとメモとして読みます (中略)この「音に敏感 非常に驚く」というのが 結構 ありました (中略)不調なのが 普通であると 


2)母が被ばく 長崎

(中略)ご自分の次男がよく発熱 その 息子さんが だから 4世さんですね 腸閉塞で 1歳で 手術を 受けた(中略) 妹が チアノーゼで 小学生の時に 突然 真っ赤になって 息をしてない状態になってしまうことが あったそうです にもかかわらずですね 根気が続かない 外から病と見えない と書かれてこられました これは 外から 病と 見て貰えなくてね 苦労されたんだと 思います


3)父が被ばく 広島

(中略)ところがこの方は 20歳以降で すごい元気に なられたそうです 元気になって ハードな仕事も 結構こなされてきたと  


4)父が被ばく 広島 67歳 白血病で死去

この方は 男性の方ですが 森川さん(森川聖詩・神奈川県原爆被災者の会二世支部副支部)と 多くが一致していると まるで自分の事を 書いてくれたようだ というふうに 書き始められました (中略)「父が仕事が出きず 母が金切声」 これは おとうさんが 原爆によって 能力減退症になって なかなか 仕事が できなかったんでしょうね で おかあさんの方に 経済的負担が 凄くかかって おかあさんは それを おとうさんを 責めると それが引き金になって 下痢が始まったと いうことです(中略)その他たくさんの 病名があって 書ききれなかったと


5)両親被ばく 広島

この方は 両親が被ばくしていた 女性の方で そのときに お兄さんが 被ばくして 8月の13日に 亡くなられているんですけども 結婚後に 中学校の時は 水泳で 入賞したり 高校は 少林寺拳法で 黒帯を取ったりと 非常に 元気な時も あったんですけども 最初の子どもは 死産されて 凄い 悲しい思いをされたと この方が お孫さんのことを 書かれているんですね お孫さんが 中学生で 学業が つらくなった (中略)


リアリティーをつかんでいただくために 具体的に 示していかないと  病名だと 私たち素人ですから 実態を 把握できない ということもあって たくさん 羅列しています


最後に2つ


6)母が被ばく 広島 入市

 (中略) ようい ができて ドン が できない 身体が 固まってしまって ドンが できない 僕は こういうふうな とつぜん スイッチを 切ってしまったような 症状が あるんだっていうことを 肥田舜太郎先生(被ばく医師)から リアルに 教わっていたので こういう聞き取りを 聞いたときに そういう症状っていうのは あるよって いうふうなことを まあ 指摘することが できました 

 

7)三世 祖父が17歳で被ばく 長崎

この方も 突然 とまってしまう 症状があって まあ それが 典型的な ひとつの 症状だよっていうふうなことを 聞き取りをしながら お話したんですけれども 


じゃあ 一歩前に 進めたいこととしてね そういうふうな からだのふちょうにたいして どうやって いきてきたのか ということで ひとつの典型の例がありましたので 読みたいと思います


8)看護師であり教員だったお母さんの関わりの元、被ばく影響を克服してきた例


小学校に あがるまで 三度 死んだと いわれていたが その要因 原因 症状は わからない 

母に 確認したかったが する前に 他界した ただ 僕の 60歳まで 大変 心配していたのは 遺伝的影響を 懸念していたと 思われる


なお そのためか 小学校に上がると 子ども自転車を 買ってもらい 毎週日曜日は 母と 一日がかりの 遠距離の 遠出をしていた 多分片道15キロぐらいか


また 母は 当時 小学校の 養護教員だったので 放課後に 上級生の 野球チームに 入れられ トレーニングを 積み重ねた


そのような 体力作りを していたが 胃が弱く 下痢が多く また 貧血で 全校集会等では よく倒れた 


食事 投薬の対処は 母の管理の下 行われた この状況は 中学2年生まで 続いた


大学入学で 上京したが 健康管理の 重要事項をいわれ 当時から 年1回の 健康診断を 義務化 35歳からは 人間ドッグ その結果を 母に送るのが 常であった 


このような 経過で きたので 本人としては 体の変化 異常に ついては 敏感で 変化があると 何かしら あると思い 日常生活に 支障を 来さない範囲で よく寝込んだり 変化が 通り過ぎるのを 待つ習慣が 身についていた


結果 大学から今日まで 近々71歳 大病を患ったことがないのは 母の管理の結果か



こうやって リスクを ちゃんと 押さえたうえで それに対する 徹底した対応や できるトレーニングをすることを つづけてね こえられてきた というふうなことで 読んで 非常に 感銘しました ほかにもね 多くの方が こういう事態に 対して 対応している もっと こういうふうなことをね アンケートで とりあげて どうやって 生き延びたらいいのかの 知恵を みんなで共有したい というふうな ご意見もあって まったく その通りだと 思っています


(中編につづく)


😸👩🏻‍🦰😺

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