一週間刻みの眺め(長め)サイト(笑)

今週、引き出しの中に容れたもの。

2022/2/7(月曜日)から今日まで。(第17週ー前半②)






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2022年2月8日(火)
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朝は、オトン(元ウチの人)からのメール・チェック(備忘録的なものなので、読み飛ばしを)。


「昨日は☐☐の準備したキムチ鍋。木曜日は午後から仕事で、終わってから飲みに行くので、木曜日は昼13時までは家にいます。日曜日の夕方も大丈夫です。」

(※☐☐:息子氏の名前)



夜は、菟田野のお義母さん(84)に、ラブレター書き(同上で、笑)。


「おかあさん こんばんは😊寝る時にセーター👚+マフラー🧣を着用して身体をガード、グッドアイデアですね!👍😉うちにあるタートルネックのセーターも今度持って帰りますね!🙌だいぶくたびれてるけど、マフラー🧣+セーター👚の洗濯時の代替品くらいには、なるかなあ?😅よいお知恵をありがとうございました🙇それでは今夜も「根っこばなし」より、『おもかるさん』の第8話を始めさせていただきます。心地よい眠りへのいざないとなりますように~😴


「根っこばなし」より『おもかるさん』
👧👵



小者に、こわごわ 催促したらば
「囲いの うちならば 屋敷の物じゃ。お前らごときの 知ったことか」
と、ひと言のめに 突っぱねたと。
このが おもかるさんか、と 改めて念を押さぬが 小者の落度(おちど)。
ばれても 難儀の かからんようと、ひとり残らず 口つぐんだと。

(つづく)

それでは、また明日をお楽しみに(?)おやすみなさい💤😪」


それが済むと、要事前申込のウェビナー2つに参加しました。

一つ目は、

全日本ろうあ連盟 » 「2022・2・8優生保護法裁判の勝利をめざす全国集会」


※資料②に 講演と全国の原告の発言の全文起こしがあります。



二つ目は、

平和と憲法をまもる信州大学人の会 - テーマ: 「今、中国と、どう向き合うか」

※資料③に コメントと質疑応答の全文起こしがあります。


※字数の関係で、明日?次回?のブログに回させて頂きます🙇‍♀️(笑)



「文字数の壁…😢」「ザリザリ…😿」






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資料のイメージ
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※ウェビナー(Webinar)とは、ご存知のようにコロナ禍、私たちの日常に、新たに加わった "ウェブ(Web)" 開催の "セミナー(Seminar)" のことです。
※画像が大きくて申し訳ありません🙇‍♀️




※②


2022年2月8日 

全日本ろうあ連盟 » 「2022・2・8 優生保護法裁判の勝利をめざす全国集会
開会のあいさつ
全国弁護団共同代表:新里弁護士
原告の発言・大阪弁護団・東京弁護団の裁判状況の報告
大阪弁護団より裁判の状況報告 大阪弁護団より
大阪の原告
東京弁護団より裁判の状況報告 東京弁護団:関哉弁護士
東京の原告
北海道の原告
仙台の原告
静岡の原告
兵庫の原告
福岡の原告
熊本の原告
優生保護法裁判が訴えること、私たちがこれから為すべきこと
優生保護法被害者兵庫弁護団長:藤原弁護士
明石市 泉房穂市長 特別報告
「旧優生保護法被害者等の尊厳回復及び支援に関する条例」について
集会アピール案読み上げ・採択:坂東ともかさん
閉会あいさつ
優生手術に対する謝罪を求める会:大橋さん



※東京弁護団の関哉弁護士による裁判状況の報告


北さん 20年以上たっている 平成8年迄 遅くとも 裁判起こせたでしょう との 東京地裁判断に対し 控訴 法改正によっては 差別 なくなっていないので とても 裁判起こせる 状況ではなかったでしょう 再度 一審で 言い足りないので もう一回 北さんの話 きいて 被害認識にいたる経過 除籍期間の壁を 乗り越える 鍵に それがなるのではないかと 結論として もう一回 北さんの話を 聞く 3月11日 午後2時に いよいよ 東京高裁で 判決 聞く予定 傍聴券 配布されます  


東京原告の北三郎さん(仮名)よりお話


現在78歳です 焼け野原だった 母 21で 産んで8カ月後に なくなり たった一枚 写真 8歳 父が 南方から 戦争が終わって 帰って来ました おじさんと言って 親だと 殴られ 父だと 分かりました 姉と 私は 祖父母に 育てられ 中2 祖父が なくなり 父が 再婚して 弟が 生まれました 父に 進学 頼んだ 中学を 出て 働け わたしは 問題行動で 少年擁護院施設 入れられました 約30分 産婦人科 つれていかれました どこが悪いのか 説明しないまま 洋服脱がされ 背中 注射 打たれ 終わると 寮に帰り 2週間ほど 激痛が 続き 食事は 寮生が運び 職員 話す機会 ありませんでした 産婦人科 抜糸 処置 一ヶ月 何の手術か 分かった 先輩 こどもができなくする手術 パイプカットだと おなかが 大きくなりはじめた 女性の 入所者も 不妊手術された 私は 父を 恨みました 28歳結婚しました 知られたくない 両親は 呼びませんでした その代わり 味わうことのなかった 仕事休みには ふたりで カラオケ 温泉地旅しました 妻の親戚の うちに 行くたびに 孫を 早く 抱かせろと 病院 医師に 元の体に 戻せないのか ちいさいときにかかった 破傷風のせいだと 妻が 白血病 目に見えて 衰弱 伝える 決心 40年間 いえなかった事 実は きいてくれるか 妻 微笑みを 浮かべ 数カ月後 なくなりました なくなって 5年後の ファミレスで 見ました 強制不妊手術のニュース 書かれている事 わたしは 似ていると 思い ホットラインに 電話しました 私の手術も 法によって されたことが分った 父や 施設を 恨んできたことは 誤解だったのです 判決が出ました 認めないと言われ 身体が勝手に震えて 裁判官の顔をみあげて 茫然としておりました 法によって うばわれたわたしのからだを 元に戻してください 国は ほんとのことを みとめて あやまってください





※大阪弁護団 堤弁護士による 裁判状況の報告


3組 5名の方が いま 訴訟されています 大阪 いま 地裁で 審議中 もうひとりのかた 毎回 満席なるほど 傍聴席 来ていただきまして 心強い わたくしども 空ひばりさん 70歳 女性 中三 脳炎 知的障害 不妊手術 30歳 結婚 夫に 話は出来ませんでした 空さんのお姉さんが 電話相談会 報道で しって 原告団に つながった 手術記録 廃棄ずみ いっさい 残っておりませんでした ただ 手術痕 もとに たたかってきました 裁判を 空さん はっきり おぼえています もとのからだにもどしておしい 一番の 望みです はっきりと 言っておられました のむらはなこ たろう さん 御夫妻です はなこさん 生まれた時から 全聾 たろうさん 80代 男性 3歳 熱 聴力 両耳 失われました 20代 結婚三年目 こども 帝王切開 まもなく なくなりました  こどもつくろうと いっこうに できませんでした 友人 母 そうだん 帝王切開 しらないうちに 手術を 受けさせられていた 一切 たろうさんも しらされていなかった 弁護団 つながったのは 野村さん夫妻 受けられた 情報 を得られた方が おられて 判決 概要は まず 優生手術 しょうわ41年ごろ 12条 のむらさん 旧優生保護法の 4条の認定がされたと 手術痕のこっておらなかった 裁判所 手術されたと 認めました 一律に 不要 きわめて 非人道的 差別 意志決定の自由 意志に反して しゅじゅつを うけないじゆうを 侵害する障がい者に対する 差別的取り扱い 憲法13条に反する 国賠権があるしかしながら 除籍期間 の 解釈 判例の 範囲内を超えるものではなく 前例踏襲 そこで 原告団は 高等裁判所で たたかっています 本件事例の 重大性 戦後最大の 人権災害である にどど もとにはもどらない こどもをうんではならないもの 差別偏見に 晒され続けているんだ このような状態で どうして 声が上げららえるか 国がほうりつを つくったことによって これらさべつへんけんは より 強固になった これまでを踏み越える 一歩前に出る判決を求めると 除籍期間とは 主観的な事情を 考慮しないと げんこくが 裁判を起こせなかったのは 主観的なものではなくて 国が作った 違憲な 優生保護法によって とても 国を相手に 闘うような事を 出来なかった おかあさんから 空さん だれにもいっては いけませんと 言われてました のむらさんらは 裁判所にたどりつくまで たかい壁があって 困難であった 聴力障碍者協会の方々によって 裁判に 今回は たどりつきましたけれども 厚労大臣が 国会答弁 優生保護法は 遺憾と 言った時から さいばんを おこせるようになったときからだと  平静16年を 除籍期間の 開始時にするよう 求めています 正義公平に 反するものに関しては 除籍期間の 除外は すくなくありません 本件は 取り返しのつかない人権侵害であり 最後の砦である裁判所が 役目を果たすべきだ 数多くの 御支援 原告の方ほんんとに 一生懸命 たたかっておられます



大阪原告の空ひばりさん(仮名)


こどもを 産めなくなるように お腹を切って 手術をした事は 大変不安です 不安で 不安で 残念に 思う  お願いします 有難う サンキュー サンキュー




大阪原告の加山まり子さん(仮名)徹さん(仮名)聴覚障害のあるカップル


加山まり子さん

>国や裁判所に伝えたいことはありますか

国や裁判所は わたしのきもちを わかってほしい 私の気持ちだけではなくて けっして 許されない くるしい いたみを 分かってほしいと 思います

>支援者に つたえたいことありますか

全国から 応援して下さって こころから 感謝申し上げます

では 終わらせて貰います


加山徹さん

>おくさんがうけたゆうせいしゅじゅつについて いっておきたいことはありますか


しゅじゅつしたことは まちがいでした すごくさびしいきもちでしたし 怒りで 気持ちの整理が つかなかったです さいばんをしたけいかは わかりません しゅじゅつされたことは ひじょうにショックでしたし 遺憾の気持ちが わきましたし 気持の整理がつかなかったです ほんとうに 残念に おもっています こどもは ふたりか さんにんぐらい ほしかったです たくさんこどものいる 賑やかな家庭に したかったです ふたりめを 産めないような からだにされて しゅじゅつなんて しないでほしかったです




仙台原告の佐藤由美さん(仮名)のお姉さんの佐藤路子さん(仮名)


2018年1月 国賠訴訟 義理の姉です 寄せ書きです おいそがしい中 お礼 企画して頂いた事に  じじつとことなる しんだんめいによって 手術されました 公益上 中絶 していたことは 基本的人権を ふみにじること 旧優生保護法 明白 政府は 20年以上 適切な手続き 踏んでいたと言うのなら その根拠を 明かにして欲しい 妹の 人権の 損害賠償 しょうがいがあっても こどもをうみ そだてられる 社会に 産むか産まない かを 国に決められ 国から 身体に メスを いれられました このくやしさで 20年の 除籍期間のかべを 打ち破りたい 公正な 司法の 判決を 求めたいと 思います


優生手術:57年目の告白 強制不妊 産み育てる尊厳奪われ - YouTube



仙台原告の飯塚淳子さん(仮名)


宮城県の 被害者です 16歳の時に せつめいをなにもされないまま 優生手術を 受け すべて ささやかな 夢を 奪われました 中2まで ふつうに通学していたのに 精神薄弱者にされて 入所され 民生委員が ことを はこんでいたのです 職親のところで ばかだ 精薄だと 食事も お代わりさせてもらえず 虐待を うけ 病院に連れて行かれ 何もしらないまま しゅじゅつを うけました はじめて しゅじゅつの ないようをしり なやみがはじまりました しゅじゅつのその後も しごとも 長く続けられず 20年 ひとりで うったえてきましたが 合法だからと 国は  あいてにしてくれませんでした 日弁連 原告団と つながり ようやく ほかのなかまとともに さいばんを あげられました 裁判所が 裁判があるたびに不当な はんけつでおわるので ざんねんでなりません わたしたちの ながいくるしみを 思うと 全くなっとくのいかない 判決です みなさまがたの おちからぞえを おねがいいたします ほんじつは このような集会を していただき ありがとうございました ごしえんを ささえに 頑張っていきたいと思います




仙台訴訟原告の東次郎さん(仮名)


17さいのときに ちちおやが 一方的に決めた 施設に 入所し 1年後くらいに 何も説明もないまま 強制不妊手術を うけさせられました この 許せない手術は いまだ 学園に はいらなければ うけずにすんだのではないかと くやしいおもいが わきあがってきます いっしょに 暮らした家族も いまでは 父と自分だけです ははといもうとは 亡くなりました いぜんは じぶんのことであっても まわりのひとに 救援をもとめられませんでした げんざいも 素直な気持ちを 父に言えないでいます ひととして 不当にあつかわれてきたことに 我慢と諦めしか 私たちが どんな気持ちで いきてきたかを 分かって貰えないのは くやしい 除籍期間を理由に わたしたちの 訴えが 認められないのはおかしい 20年 かちとる価値が ここにあると おもいます がんばります




仙台原告の匿名希望、Sさん

こんにちは よろしくお願いします どうもありがとうございました



令和2年 おなくなりになった 仙台原告、ていさんの 妹さんより メッセージ代読 


訴訟断念 諸事情により 全国の 皆さんに 託します 受けられたみなさまが 一日も早く 尊厳を 取り戻せますように 応援します




静岡原告のお一人 ろう者です 宮川辰子(仮名)さん 初めての事です

小倉代読 


結婚間近 手術 30歳の時でした 親から 支度するように 言われた翌日に 10日間 術後入院し 手話が無いので 分らない 非常に お腹が痛かった 身体に帯をし 親戚だけで 結婚式を あげました  夫は こどもがほしいほしいと 言っておりました 夫は怒っておりました いまは一人暮らしです さびしいです 弁護団 協会のひとのご支援で 国が悪かったのだと 知りました みなさん応援 感謝します





静岡原告、浜松市の武藤千重子さん


私は 全盲です こんなに大勢の人に 応援して 頂いてるとは思いもしなかったので ほんとに 感謝しています 毎日新聞社で出している点字データ 読んでいたら 私とおなじ 一杯あったので 静岡の弁護士さん 電話して 1年後 あっという間に原告になるようになりました こども ふたり 産んで せつめい なく しゅじゅつ 受けました 判子ある?と 主人もおぼえてないよと 全身麻酔で 手術して それからのことは 悲しいと言うよりも 辛い事ばかり わたし ほんとに ひとりでしてね でも みなさんがたのはなしをきいておりますと わたしなんか いま 孫 おとこのこ やっぱり いいなとおもって 虐待にあった子 引き取ってずっと 育てました おやになって ほんとに今は楽しく 21になっても わたしを おかあさん 夫を 爺と言うんです いろんな くらいおもいを みなさんは してきたんだなあと ほんとに 涙が こぼれます よろしくお願いします




 

兵庫原告の 高尾辰夫さん(仮名) 令和2年になくなられた 代読

吉山 代読


さいしょに 兵庫で さいばんを おこすと 決断された 聴覚に しょうがいがありました 第一審 直接語り掛けた 意見陳述 代読 妻以外 だれにも 話しませんでした もう一度しゅじゅつを 受けたら子どもが つくれるのかなと 思い乍ら としを とってしまいました ほうりつにより くににうけさせられたものだと 知りました こんなほうりつがなければ こどものいる人生だったかとさびしい気持ちになります どうして じぶんで えらぶことができなかったのでしょうか みみのきこえないひとが こんな理不尽があるんでしょうか わたしはおかねがほしくて さいばんを 始めたのではありません さいばんしょに まちがっている はっきりみとめてほしい 国に 謝罪してほしい くるしいひとたちが わたしも くるしいといえるように 



兵庫原告、故・高尾辰夫さんのおつれあい、高尾奈美恵さん(仮名)のメッセージ

吉倉代読


たつおさんの妻にあたります しゅじゅつから 50年 だれのせいで おこったのか わからずに 生きてきました 仙台で 裁判が おこったあと わたしたちは 優生保護法 日本中で おこっていたことと 知りました 親族から 裁判 縁を切る 言われました 障がい者が くにを うったえる とんでもないと 思われたのでしょう 夫が わたしたちのようなひとが たくさんいるはずだ さいばんをしようと ただしいと思いました それで いっしょにたたかうことにしました ふうふではなしあってきめるべきことを わたしたちのしらないところで かってにきまってしまったことが かなしいです 手話サークルのようなものも むかしは ありませんでした ろうあ者を りかいしようと いうひとは いませんでした 今の若い人たちは むかし これほどまでの差別があったことを 知らないです 知って欲しい 二度とこんなことが おこらない社会にしていってほしいです 当り前の事があたりまえに認められる社会になって欲しです


【優生思想】 2021年8月3日神戸地裁優生保護法国家賠償請求裁判報告 
「原告らの請求をいずれも棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする」と主文だけ述べた後、
判決理由も述べずに裁判長が立ち去るという、あまりにも誠意のない…、



兵庫原告、明石市の小林宝二(たかじ)さん


昨年12月 明石市議会で 優生保護法の 被害者を支援する 条例が 制定されました 手術をうけたひとの 夫や 妻も おなじくるしみを うけた 被害者として 条例は みとめています しかし 国の法律では 手術を うけた人しか 被害者として 認めておりません 手術を 受けた人も 家族も 苦しいと言うおもいは 同じはずです 私たちの苦しみは ずっと 続いています 手術をしたことを 知らされないまま わたしたちには 何の説明もないまま 勝手に 決められてしまいました しかし そんなおかしなことがあったのに 国は法律が悪かったことを 認めようとしません 訴えをしりぞけようとします 裁判所まで そのような 判断をすることはひじょうにおかしなことですし 大きな憤りを感じております ずっと妻と共に 苦しみ続けてきました 障がい者に対する 明らかな差別です 障がい者の苦しみを 理解して貰えるよう 裁判を 続けてきましたが 結果として 除籍期間ということで 認めて貰えることが できませんでした きちんとこの現状を 理解してほしいですが 裁判所は 理解しようとしていません 妻の苦しみはほんとうにつらいものでした 生活の中で 喜びを 感じられないくらい つらいものでした 私たちの思いを理解していただきたいとおもいます


兵庫原告、小林宝二さんのおつれあい、小林喜美子さんのメッセージ 代読


せっかくこどもができたのに 捨てる手術 こどもができなくなる 手術を 60年間 知らないまま すごしてきました それなのに 神戸の裁判所は わたしたちの裁判を 時間がたっているので みとめないと 判断しました 間違っていると思います 私たちろうあ者は 情報がなかなか得られなかった 手話通訳も いなかったことを わかってもらいたいと思います





兵庫原告の鈴木由美さん


母に 突然 不妊するか 言われて 意味もわからんまま 手術  そして 30何年間 体壊して 寝たきりの状態になりました ニュース見て あれ 私もおなじようなこと されたんじゃないかなと思って 私も かもしれないということで メディアの方に 来ていただいて 私たち 障がい者でいることも 差別ばっかりで こどもの時から 學校 いけない状態で 結婚 子どもが うめない 出来ないまま 黙っていてあかんと思って  でも あたしは 天国の 原告の方に 自分の今の想いを つたえたい 弁護団の方と いっしょに まけずに ちからを あわせて たたかったら なにか かわっていくと 思います あたしは あたりまえの せいかつを していきたいだけです そして こんなことはにどとしてはいけないと おもうし しょうがいのある人もふつうにくらせるような しゃかいになってほしい ただ それだけです





福岡原告の 朝倉典子さん

皆さまこれまで 私たち夫婦に 沢山のご支援 心から 感謝 申しあげます 私は 結婚する迄 断種手術を うけていることは まったく知りませんでした 結婚後 こどもが なかなかできなくて おかしいなと 思ったところ 主人が ずっと きにしているので きいてみたら 受けていたと分り 非常に しょっくをうけました 私は こどもがほしかった しかたなく あきらめて 50年 いない夫婦でずっと生活していました 30年前 優生保護法 関係があると知り 2019年12月24日提訴して 2年すぎました 主人 去年5月17日 なくなりまして さみしくてたまりません でも 主人の分まで がんばっていきたいと思います 全国7か所で たたかっている みなさん 弁護団のみなさん わたしたちの事を 応援してくださっているみなさんと一緒に 国に対して かてるよう がんばっていきましょう そしておおさかの野村さんご夫婦 そらさん とうきょうのきたさん わたしは ふくおかで こころから おうえんしています 頑張ってください 以上です


朝倉彰さんの残されたメッセージ代読


芳野と申します 家が近く幼い頃から付き合いもあって可愛がってもらいました 犠牲者であることが判明し 凄いショックを受けました 代読させて頂きます


知らないまま 職場の上司に誘われて ついていった 着いたのは 病院 一週間後 結婚するから 健康診断かなと その後 手術台に 暴れないよう ベルトで締められました 術後 すごく 痛かった 終わった後 悔しい 殴ってやりたい 同時に 結婚相手の 典子さんに いえない こどもをつくりたくても できない 本当に 申し訳なかった 優生保護法と 関係していたんだ あのとき抵抗できなかった 私のきもちを わかってほしい 謝ってほしいと思い 提訴するに至った がんばりたい




熊本原告の渡辺数美さん 芳野弁護士代読


変形性関節症 11歳の頃 寮睾丸摘出  中学生 母から 知らされました 人生のあらゆる面で 私を 苦しめ 母にぶつけることしか 母は ひとりで わたしたちを育ててくれた 申し訳ないと思っています 救済されない 憲法 法律 一体 なんのためにあるんでしょうか 改正された現在も この苦しみは 続いています ホルモンバランスを くずし 転倒しやすく 優生手術うけたあとの 私の人生は 一日一日が 闘いです 今さら文句を言うな 手術手術は 何十年も 前の事だから このような国 誇りを わたしは もてません 控訴審判決裁判所に 願いが とどくことを ねがっています 私自身も わたしの母の苦しみとともに 引き続き訴えていきます





熊本原告の 川中ミキさん(仮名) 福永弁護士 代読


75歳です 第一子に しょうがいがあったことから 夫は 第一子を 抱くことは ありませんでした 夫の 別の女性のこどもも 一緒に 私は 育てていました 離婚後 障害のある子は 恥ずかしいと言われ 実家にもどることも できませんでした 私はしょうがいのある子がうまれてくるのを 私の責任とおもっていましたし 医師の薦めを 患者の身分で 断ることはできませんでした 第一子は しょうがいがあっても いとおしいわが子でした 其の後 第一子は亡くなりました 今でも優生政策によってつくられた 偏見 差別の 高い壁があり 堕胎する人が たくさんいます 東京・大阪の控訴審判決 期待しています






北海道原告の小島喜久夫さん


除籍期間 20年すぎていて 敗訴しても 手術をされたことが 消える事はありません たしかに やんちゃをしておりましたが ほんとに くやしいです 妻にも いえませんでした 57年間 人生を変えられたと おもっていましたが 国がしたことだと 知りました 悪かったと認めしっかり賠償をしてほしい





大阪原告の野村 花子さん(仮名)・太郎さん(仮名)カップル

私は 仕事が 忙しく こどもが なかなか できなかったんですけども こどもをさずかり 出産 まちどおしかったです 妻が出産して みとどけたあと 一旦 家に帰りました 保育器に入った 赤ちゃん 手足をばたばた 動かしていました よくあさ 6時ごろ 赤ちゃんが なくなった と なんで?どうしてなくなったの? しごとをやすんで あわてて びょういんに かけつけました ここではない あっちにいってくれ 妻には言わないように 言われて 赤ちゃんがいるへやへ しろいぬのに ぜんしんを くるまれていました しょっくでした なっとくいかない気持ちでした 妻にも 言わないように言われていましたので いえませんでした 妻の親にも きいたが なにもおしえてくれませんでした 聞こえないので はなしをすることもできません 実家のお寺に 赤ちゃんのお墓を 妻のびょういんに 戻りました 私の母 妻の母 医師 3人で なんのはなしをしていたのか わかりません むかしむかしの 障がい者は もっともっと つよい差別を 受けていました 川に流したりとか いまでも そういうしうちをするのか これほどの差別をなぜ 障がい者は うけなければいけないのか わたしは さいばんしょに うったえました このことを みなさんにも お伝えしたいと思います 赤ちゃんがなくなったとしったのは 少し先だったんです 妻は帝王切開の時 しらないあいだに 手術を 母をといつめて 知りました なんども 喧嘩をして こどもを育まれているご家庭を見ると 羨ましい気持ちになり… 本当に訴える場所も なかったんです




司会

被害者は8万4千人と言われています 原告のみなさまの言葉を胸に刻み これからも闘いを続けていきましょう 2つの高裁の勝利をめざしとりくみを



藤原慎吾・優生保護法被害者兵庫弁護団長

国はこれまですべて 原告の訴えを退け 何ができるか ぜんこくのみなさんといっしょに考えたいと 思っております 共通の思いをもって 参加しています 優生保護法 被害者に対する 国の責任認めさせ 被害者 人生 回復 ふたつめ しょうがいしゃ差別 肯定の現実 みつめて 社会すべてのひと 個人として 尊重され 普通に暮らせるよう 社会全体が とりくむ 目的 もっております このふたつ達成するために どのようなことをしなければいけないのか なにが 敗訴判決を出させたのか 知っておく必要があります 勝って当然の事件だと 思います 判決 幾ら厳しくっても 許すわけにいは行かないと考えています いずれにせよ 最高裁に 移ります 裁判官の目は うえ ヒラメの目と 同じように 最高裁の方を むいています 最高裁の判断が 全国の裁判の方向を きめているからです 堀木訴訟 上告してから 5年間 なんのうごきも 見えませんでした 手探りで 裁判は すすんだ そのあいだも やすまず 各地で 集会を開き 段ボールで 持ち込み 大行進 2度 大学 地域で 学習会 むすうに開きました このような運動が無ければ 裁判所が 口頭弁論を ひらくことは なかったと思います 社会保障の根本にかかわることを 運動の広がりが 示したからです 被害者の権利が 20年という期間で 消滅するなどと 国民は とうてい 納得していないと 裁判官に 分からせる いま せいふは 中国の人権 問題と言っている あしもとの 人権問題もあると 分からせることです 堀木訴訟では 優生保護法よる 被害うけたひとに 国が 保障するように 20年前に 勧告されております 権利条約にきめられたことを おこなっていない 国際的な 批判を うけることは 間違いないと 思います 政治的な判断で 動く所が 最高裁判所には あります 市民の声が おおきくたかまって 無視できない 状況作られるならば さいばんかんの かんがえかたも かわってくると おもいます まずは げんこくのうったえ ほんとうと 心底わからせることが大事 こえをだいにして つたえたいとおもいます ハンセン病の被告人を 隔離 公判せずに刑を執行したことについて 明言したことを もう一度思い出させましょう 明石市が 全国初 制定した 条例 これを お手本として 各自治体で 作ってほしい そういう活動も しましょう さいごに 賠償金だけ目的としたものではありません 国会を 動かす 政府 自治体 動かす きっかけを 勝訴判決がつくるものと おもっております ともにあゆんでいきましょう



泉房穂・明石市長


条例取り組みの経緯 思いを綴った小冊子です 「旧優生保護法被害者等の尊厳回復及び支援に関する条例」 「町ぐるみで このもんだいを かんがえよう やさしいまちは わたしたちのきぼう 一部の方のテーマではなく すべてのひとに かかわる権利」 すぐに 市議会の理解を得られたわけではありません 3度目で可決となりましたが 大きかったのは 皆の声でした まさにみんなのこえで作った条例だと 優生思想をゆるさないまちづくりなんだと 明石市の 障がい者10団体 オール障がい者団体が すべてが 市議会に 働きかけたことが 大きかった 条例は 「除籍期間20年たっても 明石市は 対応する 国の間違いを 糺すべく 当然の事として」 「夫婦ともに 被害者 配偶者にも 寄り添う」条例です 300まんえん もうしわけありません 明石市の 規模から あらためて 市民のこえを とりなおす パブリックコメントをし ほとんど 賛成をうけた 経緯があります この条例を まちづくりの中心にすえて とりくんでおります はしっこのテーマではありません SDGsのだれひとりとりのこさない インクルーシブ条例も まもなく 制定されます 明石市では 条例が出来ました それには みんなの声が あった 国をうごかすことを 強く願っております 裁判所においても しっかりと 寄り添うような判決を 求めていきます よろしくおねがいします 





閉会挨拶:大橋由香子


いろんなせだいこえて はじめてみんなと あうことができました 北海道から 九州まで とても だいじなことだったと 心からの感謝を胸に かつどうしてきました 1996年 母体保護法に なりましたが 改正されたことも げんこくのみなさんは しりませんでした わるいほうりつとの 広報活動もしなかった ふたをするような 国の態度でした 厚生省に ようぼうしょをだしたのが かつどうの はじまりです とうじ国は なにもしませんでした 1997年 宮城の 飯塚さんに出会い 試行錯誤 かさね それでも 国は とうじは 合法だったと言っていた これだけのねんげつがへて やっと ひろまってきました 天からふってきたのではなく 支援が広がったのは 逆に言えば げんこくのみなさんが さべつへんけん どれだけひどかったか きょう あきらかになったと おもいます レッテル貼りの おろかさも あきらかになったのでは ないでしょうか うえからの人口政策の 過ちも かんがえなければいけません どんなじんせいをすごすか ひとりひとり 決める権利を 持っております プライベートとな事柄に ひとが ふみこむことは ゆるされておりません 世の中の 役に立たないとか かってに きめつけないでほしいのです 何年が経過しても 人権違反です 裁判所が かんがえなおさなければ いけないのではないでしょうか 全国の裁判を みなさんといっしょに闘っていきましょう きょうはほんとうに 貴重な機会を ありがとうございました



司会

国会議員の 阿部知子様(立憲民主党)、舩後靖彦様(れいわ新選組)に ご参加いただきました オンライン340名 会場あわせて 400名以上のご参加がありました 本当にありがとうございました 大阪・東京判決に注目しましょう




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