一週間刻みの眺め(長め)サイト(笑)

今週、引き出しの中に容れたもの。

2022/4/25(月曜日)から今日まで。(第28週ー前半③)



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2022年4月27日(水)
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朝は、オトン(元ウチの人)からのメール・チェック(備忘録的なものなので、読み飛ばしを)。


「昨日は、家でレトルトカレー、キュウリ、餃子。

29日(金)の、☐☐と ばあちゃんとの予定は無くなりました。のんびりします」(※☐☐:息子氏の名前)




夜は、菟田野のお義母さん(84)に、ラブレター書き(笑、同上で)。


おかあさん コン🦊ばんは(笑)


きょうは、朝から結構、カラスが2,3羽、鳴き交わしていましたΣ^)/カァ~Σ^)/カァ~Σ^)/カァ~
でも、遠かったので、意識して聴かないと聞こえなかっただろうなあと思いましたΣ^)/カァ~

さて、きょうは「根っこばなし」より『からすが一羽Σ^)/』の第4話をお送りしますね。「大垣のつましい母子」が出てきたところからの続きです!👵👶Σ^)/


なお、『からすが一羽Σ^)/』は、タイトルだけ見て 選ばせて貰った作品なので、物語が予期せぬ展開(?)になるかもしれないことを、あらかじめお詫び申し上げます(笑)🙇


「根っこばなし」より『からすが一羽Σ^)/』
👵👶Σ^)/

倅(せがれ)が 草履を 届けた先で、
わやくな(※無法な)郷士に さからって、
相手の刀を ばい取る(※奪いとる)と
傷を おわせて 走り去ったと。

領内きっての 郷士じゃそうな。
捕えられたら 命は ないぞ。
まず 打ち首は 間違いなしと、
母親はじめ 部落の者が 
息をひそめて 案じとったと。

郷士のいつれ(※一族)も 寄り合ってな。
こともあろうに 部落の者に、おのれの刀で 傷つけられて、
家門の面目 丸つぶれじゃぞ、
表沙汰では 赤恥をかく、
代官所へは 届けんと、
わが手で 捕えて 打ち果たせ、とな。

街道筋へ 手配りし、部落がひと目で 見わたせる
鐘つき堂へ 童を 乗せて、
夜昼なしの 交替で
棟の上から 見張らせたとよ。

(つづく)

カラスΣ^)/の鳴き声は、いつ、聴こえてくるのでしょうΣ^)/カァ~?👂
次回は3日後の、30日(土)になります。
コン🦊夜の同時刻に、またお会いできるのをお互い、お楽しみに(?)😉✨
おやすみなさい✨✨✨✨✨😴💤」



それが済むと、要事前申込のYouTubeライブ配信1つに参加しました。


テーマは、


「STOP!コロナ差別
~不安を差別につなげないために~
新潟青陵大学 碓井真史(うすい まふみ)教授


※資料53に、講演、質疑討論の全文起こしがあります。


講演とは関係ないねけども、ウチも母、姉が高血圧やさかい大変やなっていつも思っていて、他人事とは思えへんかって、お大事にしてください。





「今朝がたも、上の仔がまた、最高級のウン💛インナ・ソーセージを出してくれてん。通りが悪いよって、上からも2回も出してて、丸一日 飲食・身動きゼロの難産やってんけど、終わったら上の仔は、ウチが差しだしたものに、ちょこっと口をつけてくれたので、ウチの目はもうじゃぶじゃぶで…💧」  


「お食事中の方がいはったら、すんまへんニャア😹」







~☆・*。.:*・゚☆・*。.:*・゚☆~


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資料のイメージ
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※ウェビナー(Webinar)とは、ご存知のようにコロナ禍、私たちの日常に、新たに加わった "ウェブ(Web)" 開催の "セミナー(Seminar)" のことです。
※画像が大きくて申し訳ありません🙇‍♀️


~☆・*。.:*・゚☆・*。.:*・゚☆~



※資料53

2022年4月27日(水)


「STOP! コロナ差別~不安を差別につなげないために~」
講師:碓井真史(うすい まふみ)・新潟青陵大学大学院臨床心理学研究科教授
https://www.jinken-library.jp/news/detail/106264/
「芝大門人権講座<4月>」
https://www.youtube.com/watch?v=wipSvYaUtb0

趣旨より:
コロナ禍で広がった膨大な情報の中で、本当に必要だったものはどれほどあっただろう。
情報や正しさを求めすぎず、たとえコロナの被害が出ても、人間関係を守り育てよう。



※講演の全文起こし

コロナ騒ぎが 始まって 3年近くたつわけですが 世界中のみんなが 例外なく ストレスをためているかなと いう気がします 東京のキー局からの依頼と 地元 わたしは新潟にすんでおりますけれども 地元からの依頼が 今までは なかみが ちがってたんですね

 このコロナ騒ぎが 始まって わたし ローカルからも 地元からも 中央の東京からも おなじような しつもんとか 取材.依頼を 受けたんですよねえ だから この問題は ニューヨークでも イタリアでも 東京でも 大阪でも それぞれの地方都市でも 同じ問題が起きた そうそう おきることではありませんね 

あるいは 何かが起きた で 東京のコンビニで 電池がなくなりましたみたいな そんな報道が されるような時でも 地元のコンビニ行くと 別に 普通に 売っているという それが よくある パターンだったんですけども 

例えば 今回の マスク不足とかっていうのは 東京でも 新潟でも 世界中でも 起き この2ねん 3ねんのあいだ 世界中のひとが このテーマで かんがえ なやみくるしんだ 問題なんだろうなって 思います

きょうは じんけんが テーマなんですけども じんけんをまもるとか たいせつにするってことに 反対の人は ふつう いませんよね 「感染を ふせぎましょう」ってことも みんな おっしゃるわけですよね しかし この 思いと 思いとが しばしば ぶつかってきた それが この3ねんかんだったかなと きがします

そんなに ちしきがなかったころから さまざまな 感染症が おきました そんな歴史を人類は くりかえしてきたわけですが 流行り病 が ひろがっていくと にんげんは こわい ちぢこまる わけです かおみしりだけで やっていこう そういう気分になる いつもだったら 旅人を 大歓迎する ところが 流行り病が起こると 人はよそ者を きらうんですよね そとから わるいものを もってきたんではないかと わたしたちは うたがうんですね 「よそ者、来るな」と よくしらない人とは かかわりたくないと思う 何の知識もなくても 大昔の人はそうやってきた それって 結果的に 感染予防に なっていたわけですね なんかそれは 人という生き物の 本能的なものかも しれませんねえ そうやって 免疫を 持って行って だんだん おさまる

ただ こういうやりかたは 昔なら 許されてたんですね 「悪魔がとりついた」 とか 言って 「あっちいけ 穢れた者は 谷底でくらしていけ 町に来るな」 なんてことが 起きて行って 結果的には 感染予防になる でも いまは そんなことは ゆるされないわけですよね 

どっかの国で 犯罪が おきた じゃあ 「その国の人は くるな」 これ 国際問題に なりかねないですよね ちかづきたくないは ゆっちゃだめ やっちゃだめ 人権は 守りましょう といいう教育を 私たちは うけてきたし 

感染予防って あれ? 町にでるな って 移動の自由の 人権侵害を やるんですよね 平時であれば 国際問題になることや 人権侵害になることを 感染予防の時は いいんですか いいんですよ 人として自然な行動だ となって 感染予防の専門家たちも さらに 交流を 控えましょう と言う 

人権侵害は 凄い悪者が あるいは 自分のことしか考えない人が おこしているんだとしたら その人たちにとっては やればいい んですよね でも 感染拡大防止にかんしての 人権侵害は 大昔から にんげんがやってきたし こんどは 政府や 医者までも そうやっていきましょうと 言っている 放っておいたら どんどん 人権侵害は 起きてしまうと思います

よそ者 というのは 自分の村以外の人 という意味で よそ者という わたしたちも よそからくる人に うつされるんじゃないかと なんとなく こわいとか かんじたりしませんでしたか? よそのビルに はいったときに そこにはいったら ウイルスをもったひとがいて うつるんじゃないかといった 不安とか もちませんでしたか?

物理的に はなれている者が よそ者ですよね さらにいうと もはや ルールを やぶる者が よそ者 なんです そんなことが ふだんは だめだよと いわれてるのに 感染拡大防止だと それは よいとされていく

わたしたちは すべてを 同じ様に こわがるわけではありません 例えば こんにゃくゼリーを のどにつまらせて 亡くなる人がいた けっこう 大騒ぎになって 改善されて いままた おいしくたべるように なっていますが 毎年のように お餅を のどにつまられせて 亡くなる人が いる でも お餅は なくなりませんでしたよね でも こんにゃくゼリーは 大問題になって それは なぜか? それは 新しい食品だからです ひとは あたらしいものをこわがるんです

放っておいたら 新しいものは 事故がおこるぞ そりゃたいへんだ 安全なことをやりましょうは まちがってはおりません でも 自宅のお風呂で 毎年 1まん9せんにん くらいの人が 亡くなっている すごい数ですよね でも だれも お風呂を禁止しようとは  言いません もちろん 注意喚起は ちょこちょこやってるんですけども 

人は 新しくって 目にみえないものを こわがります その 代表のひとつが 放射能ですよね 福島第一原発事故 あのときも 福島県の ひとたちにたいする 人権侵害が たくさん おきましたよね 火力発電所で 事故が起きても そんなに 大ニュースには ならないけれども 原始力発電所だと 大問題になる インターネットも いまさら たいした 話題にならないことでも とても おおきな 犯罪に ネットがからんでいるだけで 当時は 大ニュースになった 

今回は まだ誰も知らない 新型コロナウイルス 専門家から見れば ものすごく 非科学的と みえることでも 集団接種やりますっていったら そこから ウイルスが 我が家に とんでくる と言って 反対する人が いる その人たちは 悪者ではないんですよね こわがる

でも さまざまな 人権侵害が 起きてきました 不安だと 籠る 一方で じっとしておられない 一杯 情報が 欲しくなる でも 情報に ふれればふれるほど さらに 不安になる 

認知的不協和理論 というのがあるんですが 説明しますと 地震が ど-んとおきた 避難所に にげる ここは 安全ですよ でも 心の不安は 消えません 矛盾が あります 人は もやもやするんですね 不協和 これを 下げようとする 自分が 不安がっていてもよいという 情報を 探すんです 恐怖情報を 集めてまわる という 

いままで ものすごい 大きな話題があったと思いますが 新型コロナウイルス これほど 長く 延々と ながし続けた ニュースは なかったとおもいます 人は 恐怖情報を 実は 求めているので そういうデマも わーっとひろがるし 視聴率がとれる 雑誌が売れる  宅配業者が来ても 「おれに近づくな」 レジ係に 「おれにうつすな」 さまざま人権侵害が起き そんななかで マスクの 大量買い 買占め が起こる

なんか じっとしておられない マスクを 箱買いして 安心します ところが 家にいて また テレビを見ていると 山のような 恐怖情報が 流れてくるわけです 人は なんとか 不安を 下げたいわけですよね とても不安だ 次も また マスク100枚 買わないと 安心できない そいうパターンが できあがってしまうんですね 

不安になったときは マスクを 100枚買えば 安心すると 身につけてしまった人は また そうするんですよね それが 日本中で 世界中で 起きたことだと思います さらに 失敗だったのは おおきなダンボール箱を どーんと お店に置いておきます あっという間に 売り切れる動画を だれかが 撮ったわけですね くりかえしくりかえし 報道されました そりゃあ 私も行かなきゃって おもいますよね 必要以上の マスクを 買ってしまう 本当に 必要なところにマスクが いかなくなって 医療現場で 涙ぐましい マスクの節約とかが おきましたよね

さて 新型コロナに かかると なぜ こわいんでしょうねえ 遺体を 埋葬できなくて アイススケート場に そりゃ 怖いですよね 志村けんさん 象徴的でした 都道府県、  町の 第一号には なりたくない 多くの人が そう思ったのではないでしょうか 

第一号になったら どれほど 辛い目に合うんだろう みんなに 白い目でみられて 商売できない 学校閉鎖になって どれほど せめられたり みんなに 申し訳ないとなったり 

じっさい 第一号は 大きく 報道されましたよね 凄い報道でしたよね もう 病気自体を 恐れるのではなく 第一号になって 責められたり 責任をとらされたりすることが 怖い 

どこかのアナウンサーが 「まことにもうしわけありません」と やらざるを えなかった いまは そういうことは ないですけど 当初は ぜんぜん いまと ちがいましたよね あんなに たたかれまくった あのひとは どれほど つらかったか

コロナに限らず 病気の人に どんな病気であれ 必要なのは 治療と 慰めです 日本人は とてもまじめなんです マスクするのに 法律なんかいらない まじめだからこそ 感染した人がいると本人に 責任があると かんじちゃうんですよね 感染すると 責められる そんなことが  日本中で ありました

人は 欲求不満がたまると 攻撃したくなるんです お店の人を 怒鳴りつけたくなったり 部下や だれかに あたりたくなる ひとに つらくあたった人も いるんでしょね 

さらに 問題になったのは 自粛警察  田舎から 東京に出てきた学生が 帰ろうかなと思ったら 帰ってくるなと 言われたり  佐渡島から 新潟市にきた学生が 佐渡島は けっこう 長く 感染者が ゼロだったんですね 新潟市は 一番 早く 出た 学生は リモート授業なので 佐渡島に帰ろうと思った でも もどってくるな そんなことをしたら 村の人に 何を言われるかわからない と 言われたり

さらには 新潟で 女子学生が キャリーバックを 引いて 歩いていた すると 学校に 文句の 電話が かかってきた 「お前のとこの学生が・・・そんなことを させていいのか そっから ウイルス貰ってきたら どうするんだ」と 

移動の自由は 人権の一部ですからね 人々が 勝手に 見張りをしながら 文句をつける じっさいに .起きたわけですね 

「自粛警察」は もっと強い 攻撃を 加えていくんですね ある店に 「人殺し 馬鹿野郎」というような 張り紙がされる 取材班は 犯人捜しして .見つけるんです プロはすごいなと おもいましたけど そのひとが よくいくお店にいって 友だちになるんです そのあと 名刺を見せて しゅざいさせてもらえませんかと お願いするわけですけども そのおじさんは 決して 乱暴な人でも 馬鹿な人でも 暴力団でもない むしろ 商店街のことを とても考えていた 人だったそうです ここから 感染者を だしちゃいけない その思い 一心だった でも うっかりしたら その人も つみにとわれることを やっていしまったのですね



ある女性が 感染が分ってるのに 公共交通機関 電車やバスに 乗っちゃった 大バッシングがおきた その バッシングしている人と ネット上で しりあって わたしは 意見の交換を したのですけども ある個人をたたく あきらかに 人権侵害ですよ でも そうやって たたいている人も 悪者ではないんですね. 本当に.恐れているんです 「ウイルス感染.している人が 移動するなんて 毒ガス撒いてる 地下鉄サリン事件と おなじだ」と それはないでしょう でも その人は ホントに.そう思ってるんですね 「その人を 逮捕して 牢屋に入れることが できないのは それは おれも分かってる だから おれが やってやる 今の法律では できないことを」と  

いろんなことが 法律に もとづいて やられるわけですけども 「自粛警察」の人は 「おれが なり替わるのだ」と… そんなことを みんなが.おもいはじめたら めちゃくちゃな.世の中に. なってしまいますよね けっして 悪人が やったわけではない ということが むしろ 新型コロナにかかわる人権侵害の. 根の深さかなと. おもいました 


わたしの 知り合いの 主婦の人が いってましたね いっとき 石鹸まで たりなくなって 決して 女性だけの役割では ないんですけれども .それをちゃんと買えない自分は主婦失格ではないかと. そう感じちゃったと 

客の怒鳴り声 きこえる  みんなが イライラしてる 買い物行くのが怖い だから 買えない 売り上げが落ちる 楽しい学校生活が送れない 思うような仕事ができない 辛い苦しい こういう場合の こういう準備 せっかくやった そうしたものが ぜんぶ 無駄になったりする ええ どうしたらいいの  

幸い 亡くなる数は 諸外国に くらべれば. 少なく済んだ. でも 日本中の人が いろんなところで であう 動機は.家族愛たったり 郷土愛だったり するんだけれども そんなひとが 家庭で「かんきょうをととのえるのは おまえのやくめだろ」と言って 言われた主婦とか いらいらしている子どものめんどうみつつ どうしていいかわからない と困っている そんなことが 日本中で.おきている

誤解を恐れずに言えば コロナ禍というのは じんけんきょういくの すごくいい教科書だなと 私は 思いました 人権ネタ 心理学的ネタが.満載 山のようにおきて まさに 人間心理 人権を考えるための 教科書の様だと 思います

亡くなっている方が. たくさんいらっしゃるのに 教材みたいな.言い方は 問題だと思うんですが 誤解を恐れずに言えば 人権について 考えることができるし ではどうすればいいかという 次の課題にも つながっているのかなと 思います 

つかれますよね いったんここで 休憩とります 質問 おうけしたいとおもうんですが


>つぎにおこりうる差別として どのようなものが がんがえられるでしょうか?

大元から かんがえたんですけど 人は 分類するのが 好きなんですね 世のなかに おとこと おんながいると 人は 生まれてすぐ 理解するんですね 

人は 世のなかに おとこと おんながいると わかっちゃうと 男のほうが.上 じぶんたちのほうが上 だと 言いたくなっちゃうんですね 上だと 思いたいんですね

これが 人権 差別の 大元なんですね いろんな分類をする わたしはここ すると ほかの人間は 間違ってる だめだと

これから なにがおきるでしょう? なかなか むずかしい問題ですが ワクチン・パスポートって ありますよね ちゃんと やっても 「明日 証明書 もってこい それないと駄目だよ」と言われる .いいかわるいか わたしが答える立場にはないとおもいます 専門家にきいてください いい効果もあるんだそうです ただ 副作用も あるでしょう それが 人権侵害だと 

感染者がふえていくと いろんなことが起きるし 今度は その流行が下がっていることで また さまざまなことが 起こる どの場面でも  偏見 差別は 起きるんだろうなと 思います

花粉症という言葉を みんなが しらなかったった頃 私の弟は 「きったねえなあ」と 言われてた いま これだけ ひろがると 「アレルギーない人って 原始人か?」と 言われることが 起きたり 

どんな場合も そういう風にできている その種(たね)みたいなものが 見えたときに そうならないように やっていくことが重要かなと おもいます


では 後半に行きたいと思います またぜひ ご意見 ご感想 反論 なんでも いただきたいなとおもいます

では さまざまな偏見は どうして起きるんだろう について 考えたいと思います 
距離をとれ (ソーシャル・ディスタンス) 社会的距離って 翻訳しちゃったのが 良くないとおもうんですね 私の専門が ソーシャルサイコロジー なんですよ 

英語の Social (ソーシャル)っ て でかいものだけを さすものではないんですね 人間が ふたりいると それは ソーシャルなんですね ソーシャルダンスの場合は 日本語は それを 社会ダンスと 訳さないで 社交ダンスと 訳しているのですが

ふだんなら ゆるされないことです 「距離を おきましょう 握手はやめましょう ちかづくな くるな」 ということをやる 

そりゃ 仲が 悪くなるでしょうと 本来なら 容易に 想像がつく でも その時は 私たちは .余裕がなかったんでしょうね. なんとか 感染を ふさがなくてはという その思いだけだったんでしょうね  


アメリカは 最初から 「ソーシャル・ディスタンスは 人権侵害になるぞ」と 警鐘を出していたんですね わたしも ヤフージャパンの記事に 書いたりしたんですけど.なかなか ページビューは 上がらない. 取材で そういう話を したんですけど. なかなか. とりあげてくれない マスク買占めとかの記事は とりあげてくれるんですが 

派手な話題ですね 人権侵害 みんな仲良くしましょう は 地味なんですね なかなか.とりあげてもらえませんでしたねえ



相手にとって ちかづくな とかは ふゆかいですし 脅迫のように きこえますよね そこで 会社では ビジネスマナーで クッション言葉 というのが あったりしますけど 「いそがしいとこわるいけど コピーをとって」 「すいませんけど ちょっと窓をあけて」 命令であっても 命令的ではない言葉を 「ポジティブ・ポライトネス」と いいます 礼儀正しさ みたいな意味なんですけど コロナで 専門家や 知事さんは 本来ちゃんとした言葉で 言ってる.ハズなんですよね .でも それがうまく伝わっていないことが あるんですね きちっと 正しいことを伝える というのは 意外と きつくなるんですねうるさいなと 言いたくなってしまうような

新潟市の 成人式が いちどにやろうと とんでもない人数が 集まります いっしょうけんめい わかものたちを うごかそうと その中にちょっと あぶなっかしい わかものがいて おまさわりさんも その中にいるんですが みてるだけ たってるだけ 何にもしませんね おまわりさんが ならんで かりに 何かいうと 反発する若者が いるんでしょうね それを おまわりさんはわかっている 何も言わない そこにいるだけ これも工夫ですよね 

「DJポリス」とかも 話題になりましたよね 「車道に出ないで」と いいたいわけですけど でも それに 反発する 「みなさん にほんゆうしょう おめでとう たのしいね 今日一日を 楽しい一日にしましょうよ」といいながら 上手に 若者たちを動かしていく



「ただしいことを はっきり言う それのどこがわるいんだよ」と そうではありません リスク・コミュニケーションにとって たいせつなことは 正確なことを 言うことよりも むしろ 相手に 伝わるかだと

ちゃんと 伝わるように言いましょう というのが あるべき リスク・コミュニケーションなんですね 

「ちょっと 私に 近づかないください」は とげがあるんですね

そういうときこそ 愛をしめそう 「わたし あなたのことが 大好きで ほんとうなら あくしゅして ハグして いっぱいいろんなことをいっしょにやりたいんですでも はー いまは おたがいのために きょりをとりましょう」って
放っておいたら にくしみになる だから ふだんいじょうに 愛と思いやりを と アメリカ心理学会は おすすめしていました

「あなたのことがだいすきです でもいまは」っていう 「あなたのことが嫌いだから あっちへ行けと 言ってるんじゃ ないんですよ」っていうのを 積極的に伝えましょう 語りましょう さらに ユーモアをつかいましょう たとえば 方言をつかうのもよいでしょうと アメリカ心理学会は おすすめしていました 


うがい てあらい マスク 三密も どれもこれも ぜんぶ たいせつです でも アメリカ心理学会が すすめていることにも ちょっと目をむけて やれれば もっと 違ったかなと思います 

去年の 五月の連休 「後悔させてやる」 と 言いました ある県知事さん 「こっちにきたら 後悔させてやる」  政治家として 問題発言ですよね ちょっと なんて失礼な知事なんだ でも 県民を守らなければの一心からでた声が 「後悔させてやる」だった

 「いつもお世話になっております わたしもそちらの県が大好きです でもいまは」っていうのを 積極的に伝えるべきだった

消毒や 距離をとるは 必要なんです でも バイ菌扱いは まちがいなんです

よく言われましたよね 「正しく怖がることが大事」 わたしもそう思います でも ひとはみんな じぶんが正しいと おもってるんです どんな人も 全部 自分が正しいと思ってたんですよ 

正しく怖がることは大事ですが 正しさを もとめすぎることが 問題だと思います

今から思えば そのなかの どれだけのものが ほんとうに 必要な情報だったでしょうか? さらには  この論文は「査読」前の論文ですが という 「査読」という言葉が ワイドショーに でてきた ほんとうに 必要な記事が どれほど 紹介されたか 

赤十字は ほんとうに 必要な情報を だしていたんです でも それほど 面白い情報ではなかった マスメディアの人が悪い というのではないですよ ひとり ひとりは そんな 悪い人はいないんですけれども 大騒ぎの中で 本当に必要なことは なかなか伝えられず むしろ混乱を招くような情報が 流された 

マスク不足は 世界中で おこりました トイレットペーパーは 成功だったとおもいます 「こういう情報がながれてますが 偽りです  倉庫に 山の様に あります 流通でちょっと 滞っているわだけです」と言う情報を マスメディアは どんどん 流しましたよね  「トイレットペーパー おひとりさま10こいないにしてくださ~い」、「え?10こも かうひといないでしょ?」っていうふうな ユーモア交えた報道を 流したりも しましたよね 今回の マスメディアのひとの そのやり方は 成功だったと思います


昔のスペイン風邪 ペストみたいな 犠牲者数は 出ていなくて コロナは 何であれ いずれは終わります でも そのときにね すっかり 仲が悪くなりました では ほんとうのいみで 私たちはコロナに 勝ったとは いえないとおもいます 

「もんくいうひまがあったらきょうりょくしろ」が リスク・コミュニケーションなんです
 
なにかやれば かならず もんくをいうひとがいる でも それがほんとうに じんけんようごに つながるのか 今はむしろ したがおう で ひとだんらく ついてから このほうほうでよかったのか では次は どうしたらよいのだろうか. ということを かんがえていくべきなんだろうなって おもいます 

テレビを 批判することは ひじょうに にがてなんですね でも やっていかなければ また次が ありますから  コロナで 協力体制を とれるように なったよね 亡くなった方には 心より ご冥福を 申し上げます でも コロナによって わたしたちは 一歩前進できたよね そういえることが 私たちの一市民としての 勝利なんじゃないかなと お互いのかんがえや こだわりを尊重しながら そんないい.終わり方を していきたいなと おもっています 今日は お聴きいただきましてありがとうございました



※質疑応答の文字起こし

碓井真史(うすい まふみ)・新潟青陵大学大学院臨床心理学研究科教授
ひとつ ほそくいいですか いっとき 県境をこえた交流はやめようと いわれましたよね それ ただしいんです 感染予防から じゃあ 東京から来た人を 地方のひとが バイ菌扱いするのは?ただしくないですよね どう考えたらいいのか?というはなしになるんですが 医学と 科学は 基本的には 統計の話をしているんです 特に感染爆発が起きている場所では 感染する確率が たかまり いまは 交流やめましょうは 正しいんです でも東京からきている人が 感染している確率は そんなに たかくないんですね 

統計的に おとこは おんなの4倍 犯罪を おかしてるんです それは統計上は ただしい でも ここにやってきた 一人の男性を 犯罪者扱いすること .これは 人権侵害ですよね これを 理解しないと.感染予防と.人権を理解することは.むずかしいんでしょうね


>コロナへの恐怖にこりかたまって 人権侵害してしまう人の心をときほぐすには どうしたらよいでしょうか?

まずは共感なんかなと あたまごなしにやっても 解決しないと思うんですね 最初のころは マニュアルがないんですから いっしょうけんめい 考えた結果 あとから 人権侵害だろと 言われちゃったり 良い人間関係の中で 相談していくことが大事だと思います 


>正義感による差別にどう対処したらよいかと その参考文献のご紹介を

さきほどとおなじで 頭ごなしに 悪者扱いするな 正義だと思ってやっていることを 否定されると ものすごく腹が立つので 泥棒が 否定されるのは 「あーすいません」で済むんですけども 決して 頭ごなしに否定しないが まず一つ

そのうえで じゃあ正義って何?なんですけど 正義の味方って本当は 哀しみをもっている人のことなんですよね 先生方に おとうさん おかあさん方に 哀しみがあるんです これが 昭和のころから あるんですね 相手に対する哀しみを 感じることができるか でも そうではなしに 「俺は絶対正しい 俺が相手を叩きのめして何が悪い」って おもってしまったときには もはや 本当の意味での正義の味方ではなくなってしまっているかもしれない そういうことを 自問自答できるか わーっとなってるときに それは できないですよね 

おすすめの本は 「ワクチンは毒だよ」とか言ってる人には これ「人間この信じやすき者」とかね

人間この信じやすきもの / ギロビッチ,トーマス【著】/守 一雄/守 秀子【訳】

「自粛警察」になって 人権侵害しちゃったりしている コロナに関しては 加害者はいない 実はみんなが 非常識なことを言っている人もふくめてみんなが 実は一致できるはずだよね っていう そこからスタートしたいなと 色んな 細かい意見があるんですけれども 最もその根本的なところでは 一致できるよね という それを.もう一回 取り戻したいなと わたしはおもいます



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