一週間刻みの眺め(長め)サイト(笑)

今週、引き出しの中に容れたもの。

2022/2/7(月曜日)から今日まで。(第17週ー後半②)




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2022年2月13日(日)
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きょうは、プライベート・デーにつき、通常の長文ブログはお休みです(笑)





はなスンスン😻


はなスンスン😻


鼻スンスン🤫


😿








くびスリスリ😻


おでこスリスリ😻


あごスリスリ😻


顎スリスリ🤭


😹




☆.。.:*・゚☆.。.:*・゚☆Happy St. Valentine’s Day☆゚・*:.。.☆゚・*:.。.☆








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2022年2月12日(土)
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朝は、オトン(元ウチの人)からのメール・チェック(備忘録的なものなので、読み飛ばしを)。


「木曜日はご苦労様。昨日は昼前に戻ってきて、☐☐とケンタッキー食べて、ワクチン接種へ。夜は☐☐と鍋。今日はガッキー君(※息子氏の幼馴染)が来るので、夕方ワクチン接種の仕事終わってから、遊びに行きます。明日はフリーです。(※☐☐:息子氏の名前)



夜は、菟田野のお義母さん(84)に、ラブレター書き(笑、同上で)。


「おかあさんこんばんは😊今夜は早速、「根っこばなし」より、『おもかるさん』の第10話を始めさせていただきますね。申し遅れましたが、最終回です😉


「根っこばなし」より『おもかるさん』
👧👵

両腕に抱えて、腹にのせると 背をそらせ、はちかりながら、
のそ、のそ、のそと運ぶ姿が そっくりでな。

なかみを覚った(さとった)部落の者は、それでもぐっと こらえたとよ。
なにを笑うと 問われたら、なかみが言える代物(しろもの)かよ。

大口あけて 笑うより、口をつぐんで 笑うのは、
止めようもなく おかしかったと。

(おしまい)

チャンチャン👏やっぱり笑って締めくくれるのが一番ですね😆🤗🤭🤤おやすみなさい💤」


それが済むと、事前申込不要のYouTubeライブ配信1つに参加しました。

テーマは、

「懲役刑とは何か?~刑罰としての労働~」講師:石塚伸一・龍谷大学法学部法律学科教授 

※資料⑦に、講演と質疑応答の全文起こしがあります。




「え、待って、それオモチャちゃう、髪の毛や~😆」「これは遊び紐ニャ~😹」



~☆・*。.:*・゚☆・*。.:*・゚☆~


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資料のイメージ
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※ウェビナー(Webinar)とは、ご存知のようにコロナ禍、私たちの日常に、新たに加わった "ウェブ(Web)" 開催の "セミナー(Seminar)" のことです。
※画像が大きくて申し訳ありません🙇‍♀️


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※⑦

2022年2月12日(土)

【IWJ_YouTube Live】

「懲役刑とは何か?~刑罰としての労働~」

講師:石塚伸一・ 龍谷大学法学部法律学科教授 

場所:渋谷勤労福祉会館

主催:救援連絡センター

視聴URL:

 https://www.youtube.com/watch?v=So3mY4LNR_o&t=42s

https://www.youtube.com/watch?v=So3mY4LNR_o




※講演の全文起こし


わたし 高齢者枠で3回 注射 打ったんですけれども マスク 取って いいですか 一応 これ ブースター 印篭 持ってますんで マーカー 黒板 使ってもいいですか 


「懲役」って 漢字は 懲:こらしめる に 役:やく ですよね 租庸調 っていうのが 歴史に ありましたよね 税金 お米 ちゃんと 納めなさい っていうんで  というのは これ 役務です 防人の歌 なんて あれ 可哀そうですよね 家族と別れて 

-家にあれば 笥(け)に盛る飯(いひ)を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る


それとおんなじで 懲役 役については 刑法第12条に 何か 書いてあって 重罰化の 法案が とおったんで 重くなったわけです 1ねんいじょう 20ねん以下と 期間が さだめられたわけです 監獄に とじこめて 定役 ていえき を 課す :こっちは 役務だと わかりました は 何を指すか 定める っていう字ですよね 法律で 定めるだと いいいんですけれど これは ちがうんです 


「典獄」(てんごく) これは 刑務所長です なぜ 刑務所長が 力を持つのかと言うと これは 明確ですわ これをつかって お金儲けを できるわけです 三池炭鉱で 労働力を 提供して お金を取ってたんですね やりすぎ 帰ろうと なりましたが これ でも 偉かったんですね 県知事の 次の職に あたります 第二席ですよね 当時の権力者だったわけです それを 象徴する 白い蛇の 抜け殻が 置いてあった


歴史的にみると 刑務所長が 定めた というわけです 監獄を 北海道に 建設する 北海道開拓は 札幌の方から はいって行って 屯田兵まで 行くまでに 湿地帯だから 枕木を  置いて行くんです その上っかわに 土道を 引いて 一年間に 500なんじゅうにん 死んでいるんです これ 一日に 複数の人が 死ぬ作業 ですよね その 防人となるような 労働を 月形 潔(つきがた きよし・初代典獄)が 決めるわけです 



鬼と言う人も いますし すごく 高潔な 人だと 言う人もいます 筑前黒田藩藩士で 福岡の 中間市 そのあたりの 出身でして 九州の 遠賀川 から 北海道に行って そうとう 苦労はしたそうです  月形 潔は  志士 月形洗蔵と 親戚関係にあるそうです 冬は 零下20度、30度に なるようなところです いま 月形町になっていて 東京で なんかやると いま 北海道の 刑務所に つれていかれますから 気をつけないと 厳寒の大地に つれていかれるんですよ 

受刑者は 高齢者のかたが 多いから 高血圧 心臓病のある方など それで 亡くなる方も 多かったです あたりまえですよね  いまは 暖房は ついてます だからまあ 法務省も そういう時代では なくなってるってことでしょうけれども 調査団が じゅけいしゃを なんにんか つれていったことがあって 僕は そのときの 報告書 みて 「気候温暖にして 交通の便よし」 と 書いてあった つまり 網走は 旭川に くらべると 海側ですからね すぐに 港に はいれる 海産物は 豊かだから と こういう 話なんですよ 僕は はあ?っと思って そこで 見に行った訳です 

ほんとに 番外地 ってとこがあります 港に落ちた 魚を拾うことは 永山則夫さんの木橋に 非常に 屈辱的だったと 書いてありますけれども 



今の 日本の 刑務所長は そんなに 偉くないです 命ぜられて 京都で定年退職するのが 誉:ほまれ なんだそうです そのひとが 役を 定めると言っても 施設ごとの ルールに従って 命令することになっていて 1980年代の 民営化の 時代に キャビック 第三セクターを つくって 民営化しておいて うりあげよかったんですけど いま ぜんぜん プラスがでるような かたちに なっていませんけれども 色んな種類の 職業を 提供する それが そのひとが 出所したときに 役にたつんです 

職業訓練と いわれているものは 資格試験です 合格100%です 逆に言うと 国費 予算で 決まっている 人数しかとることができない その枠組みの中で 仕事をやることになります そういう 理屈立てに なっています しかし これはちがいます 

監獄法の 役は 使い捨て労働です 労働力としてつかう そういう考え方が 変わったのは 労働力を 奪うじやなくて 受刑者の 勧善教育に それを 変えていく 世界の流れ が 日本に 入って来たからです 

小河滋次郎(おがわ しげじろう)に 勉強しなさいと いわれたそうです 長野の 浄土真宗の お坊さんですわ


 当時の国の 海外派遣は 10ヶ月ですよね 成果を出して 報告書をだすように なっている 小川は 行きます クローネと ドクターが おります ぺスターという ドイツの 上の方です 行ったら ぜんぜん 白夜になっていて 日曜教会が おわると こっちをしめて 一般の 人たちが 使う ここで 教会師を やっておられて 監獄学の 最初の 教師に なるんです 「遷善」する 魂が 変る ということ よく 覚えて下さい 「教誨(きょうかい)」 難しい漢字ですね 心が 変っていく いう意味です ゆうめいなのは フランスです 同じように 日本の 給与で お呼びした ところがね 1ねんで 亡くなっちゃうんです 日本の水が あわなかったのかもしれません すごく 良く勉強するんですよ 小川派が ドイツ人の クルト・フォン・ゼーバッハの 広義録をおこして 日本の 教科書を つくります かんぜんに ドイツの 教科書の 日本語訳です そのいみでいうと 日本は 明治41年 1908年10月1日施行ですから むかしの 監獄法から言うと かなりすすんでいる 教科書ではありました 

心が良くなる とは そういうことなんですね 職員さんも ちゃんと ミサに出なさいと そういうことが 求められる それが 19世紀後半の ドイツの 考え方 プロテスタント 北の方が 強い 考え方です 教会師は なぜ 二人か? プロテスタント と カソリックです 仏教は なかったです 仏教のひとは 悪いこと しないんじゃない? ドイツに 仏教のひと いないんだよね その構想を 日本にいれますから 教会を うつものにすると 書いてある 

各監獄に ふたりずつ 教会師を おく 2つのうち どの宗派にするか 喧嘩になる そこで 浄土真宗です 東と西 2つある 本舗浄土真宗 わたしは 龍谷にいるので そういわないと おこられるんですよ 本舗浄土真宗 小河滋次郎が 「敬虔な」 が 相応しい言葉かどうかわかりませんけれども 浄土真宗の 信徒さんだったんですよ それで 決まった なんか 個人的事由ですね これは 公務員ですよ 戦後 公務員が こういうことを してはいけないとなりますから 刑務官とか 法務教官に 戦後 なりました 宗教的な教会は やっちゃいけない


定役に 強制労働は なかったんですよ なんで こんなことを 長々と 話したかといえば 入ったことあるひとは みんなご存知だと おもいますけど 刑務所のなかは みんな 願箋(がんせん)主義 になっているんですよ 読めないから 字も 書けない人 たくさん おられますよね そういう人は 代書ですよね 板書を読めるみなさんは 企画されているんですよ 「なにか しつもんのあるひと」 と言われると 質問しないことが日本的 ルールでしょ しょうがないですよね 明治以来 そういう 効率よく 情報提供する システムを そういう風に つくった訳です 


むかし 全国の 方言の辞書が あったんです 隠語で しゃべられちゃうと 刑務所のなかで 困るから  定役は すべて 所長のものに 考えられている 搾取する構造が つくられていて 所長が いかに 使おうと 所長になると ものすごい 権限が 与えられていたんです そのなかに あったとすれば 宗教と 読み書き あと 本を読む 全部 許可です 違反したら どうなるか 紀律に 違反したことになる 監獄法19条で 懲罰の対象です 減食 御飯を減らしたり そういうものもあった 


日本だけじゃないです 近代的な 労働力を ぜんぶ 国が 奪うんですよ 同時に そのひとの こころも 変える それが 刑罰なんですよ オランダの アムステルダムに 最初に出来たのが ツンフトハウス 家です 何の家か ツンフト とは 人間の為に つかえるようにすること という 意味なんです 調教の家なんです これ 調教してるだけではないんですよ オスとメス連れてきて 交雑させて 飼育という 増やす 意味もある これを 訳すときに 先生は 懲治場(ちょうじじょう) とした 優しい先生ですから 


これを アムステルダムと いっしょになって すばらしい けいむしょが できあがったと 言っていた それは アムステルダムの 市民にとっては 嬉しい事ですよね 人間改造って 書いてある パンフレットを 各都市に 売っていくんです すごい お金をかけて つくる 


なんで こんなものが つくれたのかというと アムステルダムは 固い木を ブラジルから 輸入するんです これを 伐ってきて のこぎりで 引くんです 芯の所に ある 成分があって これを煮て アクをくわえると 赤い染料になる これを 受刑者にやらせた


固くて つらいんだそうです 根性もすわるからと そのあと お祈りをして げつからきん はたらいて にちようは お祈り そのひとたちの ちからは 労働力に なるわけです オリンピックのひとたちは配膳とか 洗い物とか 参拝とか なあんにも してないよね やらしたらいい こんなことでいいんですよ 


アムステルダムの奇跡だと 言われていた 暴れ者を 立派な労働者にする システムです これが 17世紀に ばーんと 売れるんです 8代将軍 松平定信が 江戸にでてきて くいっぱぐれても 生活できるように してやってくれと 佃島に つくらせるわけです わたしの説は その発想は オランダから はいってきたのではないか です


立証しようとして オランダに 行ったんですけど あるんです 鎖国の時代に 越前和紙に 葛飾北斎が ものすごく 綺麗なで 描いた それ ブルーメに あるんですよ 綺麗だという事で 出て じつは 民間レベルで 鎖国のときも つきあっていたんじゃないですかね というのが 私の説です  まあ 後代のひとが やるでしょ 


本題に 入りましょう これは 特定の 役務ですね 作業と つながっていたじゃないですか それが 労働が 力に なるということは 受刑者の1日何時間の労働が 所長の どう使おうがの 権限に なる なにを売ったのか 時間なんですよ だから 懲役は 時間なんですよ 刑罰とは 国が われわれの 時間を 奪う事 なんですよ だから それを 何に使おうが いいんですよ 


人間を いいひとに しようなんて おおきなおせわです そのひとが 決める事です それが 近代です これがこないと つぎに いけないんですよ だから 日本は 近代がないから 次に行けないんです 


近代における 刑罰とは 自由を 拘束すること 拘禁すること だけなんです それを 達成するための わたしたちの国は 途上にあるわけです が、スケベ根性を だしたんです 教育してあげようと   


方向 が 逆なんです 自由に する事が だいじなんです だから 演説 講演するんです なんでもかんでも 所長が つくって良かったのを そういう動きがでてきた 外国好きの 正木 亮(まさき あきら) というひとが 努力したので 監獄が 刑務所 に かわった そういう方向で 来てたんです 


そこへ 教育、 勧善教育が はいってきたわけですから じゃあ 勧善教育をして なにをする? だからって 自由を うばっていいということには ならないんです 修正するなら 自由にしてからです


それが 日本では 刑法に 即したものにしようとした そのなかには 経済的恐慌とか いろいろ はいってくる それで 正木 亮は 受刑者に 南方に いかせた たくさん 受刑者 職員が なくなってますよ なんで 日本で 犯罪を おかしたのに 南方にいって 社会的義務はたさなきゃいけないの? おかしいじゃないですか これ ナチスの アウシュビッツとおんなじですよね あれ 国が つくったんじゃないですよ ナチスの 党が つくったんですよ 


ARBEIT (ドイツ語)Arbeit(アルバイト) これ 労働が 人を 自由にする 場所だったんですよ 労働と 刑罰を 結びつけることは 素晴らしいと 書いてるんですよ それを やめようとの 反省に立って 教会も 生活訓練や テクニックも いいけど 人の心まで 勧善しちゃ だめだ 法を守る まではいい 善人になって 善行をおこすまでは しかし 勧善教育は やらないよと 


ところがなんか 雲行きが かわってきたんですよ やりたいと 自由意志で やる事においては 支援しましょうと ノルウェーなんかでは 大学院の資格持って でてきているひと いますよね 学位は 犯罪学修史です さすがに ぼくは なんだこいつは とおもいますけれどもね オスロ大学に 通ってるんです 


国が できることだけは しましょう そういう方向で ずーっとやってきたし できるだけ 支援しぼって やりましょうと 本人の 承諾があるっていうのだけ 最低限 本人がやりたいっていうことを 支援しましょうと それで 僕はずーっと 40年間 大学で 勉強してきたんですけど 監獄法改正問題も そういう流れの中に あったんで とっても おもしろかったんです 


で 50年経った 去年ですね 名前が 変わってるんですよ 刑事司法って 日本政府は  日本は すばらしいと いいだした ぜんぜん 素晴らしくないですよ 職員さん たしかに むかしみたいに 殴る人は いないからね だけど 世界に 胸張れるほど 凄くないですよ 犯罪へってるだろ 減ってますよ ことし 58万くらいですかね 刑務所ガラガラです 少年院 統廃合になってます 


再犯が ぜんたいあわせて 50%弱なんですよ 出て 半年ぐらいが たいたいそのくらい 

なんで?っていう話なんですよ だって でるときに 14、5まんえんくらいしか ないんだから いきるために  なにしようが しょうがないんですから くえないんだもの それを なんとかしようというのが いまのほうこうじゃないですか それは いま いいひとになれ という方向じゃないんですよ 


いままで 刑罰はね 自由刑 は 3種類あって 懲役 禁固 拘留 だった あと労役場留置ね 刑事施設に いなければいけない これは 全部一緒なんですよ 設定の作業 施設長が 指定したものを やんなきゃいけない 義務があるんですよ やらないとどうなるかっていうと 懲罰 まあ はっきりしてますよね だって 法律 刑法に 定めらているんだから  書いてあったんだから 


古い意味では 請願 願い出る と 所長が 許可してくれる これが 署長の権限 所長が 否定できるのは 矯正教育のメニューなんで ないんですよ こんなもの 作業だけ やればいいんですよ 


それが 2005年の 法律 改正監獄法で 超変わったんです どう変わったかというと 矯正処遇というのが くっつく というんです こっちは その他の 矯正処遇だと いうんです なにかというと 改善指導と 教化指導 これは 根拠が 法律ではないんです 根拠は 処遇法にあるんです 処遇法と言うのは 執行法です 権利義務をさだめるのは 実体法ですよ そのものに執行するのが 執行法ですよ 実体法にかいてないものを 処遇法で義務付けするのは おかしいです これは できないことです 遵守事項なんです これも 刑法が やれっていってる 遵守事項と 処遇法のなかで やれって言ってるだけの 遵守事項とは 違うじゃないですか 


さあ 話は佳境に はいってまいりました もう時間ですか 拘禁プラス所定の作業 こんどは ここで 書くんですよ その他の矯正処遇 これが 格上げ するんですよ 流れに逆らう 新たに 改善指導と 教化指導が はいるんです 世界のながれに 反してますよ


いままで やってきたことは なんなのと やくぶつ せいはんざい ぼうりょくだんりだつ やってますよ 被害者の視点を 入れたのは ぼくは それはいいと おもいますよ でも 効かないですよ だって刑務所のなかに 薬物(現物)ないから アメリカの 刑務所みたいに 薬物依存症の受刑者の 目の前に 置いてないから だから 外で やらなきゃいけないんですよ でも 所長が 指定できるんですよ なんで? 根拠が あるから 薬物勧善指導に あの人を入れようと 此れが 法的な根拠で 所長の 権限でできるんですよ いままでのことと 逆の流れです


所 一彦(ところ かずひこ)せんせいが 論文かかれている なぜ 禁固 のこさなければいけないか 保守的なんです だけど 確信犯の もんだいがある 確信犯には 政治犯が含まれるんです 政治犯を 勧善教育していいのかと 勧善するなんてこと してはいけませんよという 反省があるじゃないですか 豊多摩刑務所 (旧中野刑務所) と おなじことを やるんですか という指摘が あったんですよ いまの 刑務所は それがない オウム真理教は 宗教なんですよ 破壊活動 だけど かれらは 信じているんですよ 信じているひとのこころを 矯正で 変えてはいけない そのひとたちの 勧善指導 というのもを つくっていいんですか?と これはそういうものです どうも おあとがよろしいようで。




※質疑応答の全文起こし


>受刑者にやりたくない労働をさせてはいけないの根拠について補足頂ければと思います


労働は 苦役だけではなくて という考え方はあって ただ ヨーロッパで なにも さぎょうしなくていいよ となってたところは 暇で 刑務所の職員が プラン考えなきゃいけないのが 大変なんですよ そこで 今の時代に そくおうしたような ことを かんがえると ほんにんが やです といったことは できないわけですよ けいむしょというのは そこに いることだけが 刑罰で 社会とのせっしょくとか 何もかもうばわれる じゃないですか それが 今の刑罰の 基本的な 考え方ですということで いいですか 

自分で したいと 考えたのだったら いいですけど 無理やり この仕事を しろといったら 僕は しないと思います わたしたちだって 共通テストの監督なんて ひとのあらさがしですから やですけど それは 公に 雇用されている身だから でも じゃあ 違反したひとを 殴れというしごとを あたえられたら 僕はしません 矯正教育も たべられなかったら ひとのものを 取るじゃないですか そこにたべものがあるんだから どっちがだいじです じぶんのいのちと そういうことです


>法的発想を 乗り越えるにはどうすればいいでしょうか?


 カンタンにはのりこえられないことが すごい 楽観論だと おもうんです 僕のべんきょうした経歴は 牧野 英一なので そこできになったのが どうしても 牧野 英一の 楽観論で たぶん のりこえることは できなくて でも 種を 撒いて置くことは できなくてはいけないなと 西洋の偉い人の本にも 収穫をあせってはいけない 種を撒き …と 書いてあって さいきん 高齢者になってきて ちょっと 分ってきた 一つ がんばっていくことと… おこたえになっていないかもしれませんが


>拘置所と 刑務所での 役の違いについて教えてください


拘置所とは 起訴された人が 裁判が 終わるまで はいっている 施設です そのあと 刑が確定して はいってくださいと言われた人が はいる施設が 刑務所です ほうりつてきには はっきり分かれている訳ですが そこでの 配膳や 掃除は 判決で 刑が決まった 受刑者の人が べつにすでに いて いままでは してきたんですが  学校の給食 配膳 あれも へんかもしれませんね そういうことを ひとつひとつ ほんとうに 拘禁されているひとが やるべきことなのかということを けいばつ ってなんだろう きょういく ってなんだろうということを 俯瞰的に かんがえなきゃいけない時代に なっているんじゃないかなと 思います 


>なぜ 2005年の改正法に 改善指導と 教化指導を いれられなかったのか


2005年の改正の時に できなかったのは 義務を強化する 方向での提案は むずかしいところだったんです 法務省が 避けたんだと思います 焼け太りだと いわれるのが つまり いやだったんだと だから 勧善法の中で 処遇法を すすめていきたいと 言って来たんです ひとつの善意のこころみだと いうんです でも 義務は きょうかされているんですよ 


財務省から お金が出るので 申請が しやすくなるわけです だから けいむしょの中の プログラムが どんどん ふえていくわけです もうひとつ 今回の コロナで さらに 制限が 厳しくなっていく 傾向はあります 保安処分と きほんてきには 同じです ぜんたいを まもりために リスクのすくないものを かんりする そういう いみでいうと いまのコロナは 運用のレベルで あぶない これ 関係ないんじゃないですか 刑罰の結果 刑法にまで てをつけるようになったわけですよね ながい 焼け太りですよ 


やっぱり ながねんの 念願なんですよ 保安処分を いれたいんですよ ナチスのときに いちばん 最初に できた法律ですよ 労作処分 累犯者 保安処分 何処にも 政治犯とは かいてないけど やっぱり そうなんです 日本も 牧野 英一先生の 勧善教育にふくまれるとして 書いてなかったんです それを 今回の 改正で 隙があれば いれてきますよ  だから 書かしちゃだめなんですよ そういうことを 論点として いままで かくされてきました だから こういうところで そうやって やっていく ずっとねらってたのが こんど チャンスが訪れた 改正監獄法は いまの 18歳くらいまでのひとたち対象に というけれど 政治犯は ぜんぜん 関係ないですよ 


>こんご どういう方向に すすんでいくんでしょうか


まず 保護観察 教化する ほうこうにすすんでいることは まちがいない あれもこれもやろうとしたが けっきょく どれもできなくて 薬物使用で にかいめに 刑務所に入る たとえば 2年 保護観察にして というやり方をする これは こわすのは カンタンです 実体として 違反行為しちゃいな 薬物以外で 満期まで待てば 2年で 終わるからと 満期までいれば もうひとつ 警察での 認知ができるように 監察官認知はそういうこと あまり したくないんですよ あがってきている 公務員が よわっちくなって いるから だいじょうぶです 今 最大の課題は 朝起きて ちゃんと 時間に来れるかなんですよ そんなだから 警察国家は この国は つくれないと思う なかなか そだててこなかったし それは ある種 成功なんで ゴーンさんには GPSつけるって いわなければよかったんですよね つけこんできたじゃないですか さすがですよ 個人名が でちゃった 削っといてください そういうのは ちょっと気を付けなくちゃいけない 


きょうあつてきなことは しにくくなっていると思いますよ もう一つは弁護士会の ことですよ 関心ないですよね まちがっていることは 分かっていると おもうんですよ 根拠が ひつようですよね が いつのまにか しゅうにいっかい いい処分ができないので もっと濃密に やらせてくださいと 現状がいってくる だけど 法律上 できないんですよ そういう説明なんですよ ところが 弁護士会 そりゃそうだよな そのほうがいいんじゃないの って思うじゃないですか そりゃわかるんですよ 予算もとれるし 検察官 いいひとなんですよ それがピンチ だから 弁護士会 だまされるな 禁固なんて ふえてるじゃないですか ぷらすですよ 引くと かいてないじゃないですか まあ それが  僕が そういうところで 呼ばれずに いま ここで やってる原因です 今 呼んでくれるのは 〇〇弁護士会だけです まあ 削っといてください


>どう まわりのひとに こういうもんだいを しってもらえばいいか

 

物理的に 強制力 行使は 日本には なかったところがあって 公安職の2に どこまで 強制力を つかうか があって 単純逃亡罪は なんで処罰されないの については これまでの 理屈付けが なかったんですね 助けた奴は まずいよね それはやっぱり 弱かったなと 思います 令状があって にげる 職務権限で やって それをこえる反抗をしたばあいは 行使しても良かったのに 有害性 社会的信頼性が ないもので 命令きかないやつは へへーって 言ってほしいと思うんだよね そういうことを やだというひとは よのなかで 減っているじゃないですか NHK なんではらわなきゃ いけないの? かってに あなろぐ とめて 買わなきゃいけなかったじゃないですか かってに くにで きめちゃいかんよね で おわってきたところを すごく 官僚的発想で みんなが きれいに しちゃって ゆうことを聞く  刑務所の話とか みんな 嫌いかなあ もうちょっと けいむしょは きょりがあるんじゃないかあと おもうんで みのまわりのところで せつめいしていかなければ いけないのかなあと ぼくはちょっと そういうことを おもうわけです


>刑務所の刑務官 なんで そんなに 権限もってるんですかね


むかし 元号をかく かかないで 役所で もめたことありませんでした? 西暦で書くと うけつけないと そしたら 元号でないといけない と 法律ができちゃって いまは 指紋押捺も 判子も 要らないと思いますよ おことわりがあったばあいは 報告書を かかなくてすむんです ほんとに ちっちゃなことなんですよ げんばのひとたちって そこに こだわっている はんこ持ってませんと おことわりになったので サインで終わった それで うけつけられるんです 柔軟に ほかのところで だしてくださいと だいがくで いわれたばあいは ありません それで 通るんで 


>入管の刑務官の権限の問題も どうしてあれほど強いのでしょうか?

 

刑務官は 刑務官なりのトレーニング 受けてるんで  テクニック持ってる 入管の人たちは そういうような 技術を もってないんで 入管には ヨーロッパの人は あんまり入ってないんですよ やっぱり アジア 中東のひとたちが 多いですよ 前提に 日本全体のなかにある 差別的な いしきが ベースにある うえが 想定していないかたちで 名古屋入管で ビデオ おみせできるようなものじゃ ないんじゃないですか みせないんじゃなくて 組織防御のために やっぱり 守りたい わかるじゃないですか じっしつ ながくなっているならば きちっとした 人員配備を 出す 要求するのは むずかしいですよね 早く出せって言ってるのに 長くなるなら 人員配備しろを って要求するのは 矛盾してるじゃないですか にほんでは そこらへんが ちょっと むずかしいかもしれないですね


>監獄法改正で 人員を 増やさなければいけなくなることを 法務省は ちゃんと考えているのでしょうか


法務省が かんがえているかどうかは わかんないですけど かえないわけにはいかないですよね ひとりひとりを 細かいところに つれていくとすると つれていくひとを ふやさないと いけないじゃないですか そういうところで 遵守的な 紀律を 重視する 方向に向かっていくかのうせいはありますよね いまは みんかんのひとたちが 処遇プログラムに いっぱい はいっているわけですね いろいろ げんばのところで 変化は しょうじてくると おもいます 懲罰ふえるのかなあ きのうまでは 言ってなかったじゃないか というように 増えていく そういう話です 



>今後 元受刑者から 告発していただくようなことは 可能でしょうか 


風穴は すこしずつ あきはじめていて 元受刑者の 回復とか むかしみたいに ひみつをまもって 外に ださないは いまはもう できないですよね できるだけ 外の おおくのひとに けいむしょに かんしんをもってもらって というのが たいせつなことなのかなと 思います 




ご都合のつく方はどうぞ



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