一週間刻みの眺め(長め)サイト(笑)

今週、引き出しの中に容れたもの。

#選挙権がない石川一雄さん とは(※実学No.379,B.D.+236)

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2023/4/23(日)
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きょうは、プライベート・デーにつき、いつもの形式の長文ブログはお休みです(笑)
今日は、ウッジューが星になって35回目の水曜日+4日(249日)☆彡
リョウリョウの8歳のB.D.から217日☆彡


ウチが、子ども時代に使っていたコップには、「まけじだましいのうた」が、縦書き、手書き、イラスト付きで、淡々と描かれていました。その文面をつい、お行儀悪いんですけど、食事のたびに目で追っていました。こういう風なことは、後に確かに、ウチを「ながら族の活字中毒者」にしました(笑)。そういうわけで、今日は覚えている箇所を、少しお裾分けします…


ぼくにもあるぞ たましいが 
そいつは まけじだましいだ


そのひは いつも いつも
もえているんだ


ちっぽけだけど
ぼくのむねのなかで

(やなせたかし)


With "Ryoryo"(ウイズ リョウリョウ)

きょうは、美原区&野暮用、選挙ランへ行って28,194歩(21.0㎞)走り歩きしました🏃😸🐶🤧そのあとは『選挙権がない石川一雄さん=えん罪、狭山事件で仮釈放、「貴重な権利、無駄にしないで」』の文字起こしをしました

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掲載日:2023/4/21(金)、掲載紙:徳島新聞 、テーマ:「貴重な権利、無駄にしないで」、狭山事件で仮釈放 選挙権ない石川一雄さん、筆者:加治陽
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選挙権がない狭山事件の石川さん「貴重な権利、無駄にしないで」=加治陽(社会部デスク統括部長)
徳島新聞 2023/4/21
※文字起こし
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「貴重な権利、無駄にしないで」 狭山事件で仮釈放 選挙権ない石川さん


埼玉県狭山市で1963(昭和38)年5月1日に発生した狭山事件無期懲役が確定した後も無実を訴えて再審請求をしている石川一雄さん(84)には、選挙権がない。


公職選挙法では「禁錮以上の刑に処せられその執行を終わるまでの者」は選挙権を有しないと定めており、仮釈放の石川さんは骸当するためだ。


徳島市出身の妻、石川早智子さん(76)は「選挙権があるのは当たり前ではないと知ってほしい」と話し、後半戦が行われている統一地方選でも貴重な権利を無駄にしないよう呼ぴ掛けている。


無念さ胸に投票訴え


 今月初め、早智子さんは自ら編集しているウェプサイト「冤罪 狭山事件」に近況を書き込んだ。「4月7目、狭山市役所に期日前投票に行く。一人で…


 早智子さんは普段は一雄さんと行動を共にすることが多いが、選挙の時は1人だ。一雄さんに選挙権がないためで、7日は埼玉県議選の期日前投票に出掛けた。後半戦で現在行われている狭山市職選の投票も1人で行く。


 自分だけの入場券が届くたびに、早智子さんは切なく、苦しい思いに見舞われる。一雄さんがいまだに無期懲役の刑期を終えていない現実を突き付けられたような思いがするからだという。


一雄さんは『見えない手錠』をずっとはめられたままですけど、選挙の時は手錠が見えるんです


 一雄さんが投票に行ったのは生涯で一度きりだ。63年5月23日に別件で逮捕されるより前に行われた狭山市議選


被差別部落で生まれ育った一雄さんは当時、読み書きができなかったので、手のひらに候補者の名前を書いておき、投票所でそれを写した


 拘置所にいた時に字を習得したが、94年に仮釈放されてからも投票用紙には書けない。一雄さんは話す。


選挙には行けないということで(刑務所から)出てきたから、あれこれは言えませんけど、私は無念の思いがあります


 夫妻が歯がゆく感じるのは、どの選挙でも投票率が低下していることだ。一雄さんは社会を良くするため、一人でも多くの人に投票に行ってほしいと願っている。


一人一人が意識を持って、投票権を無駄にせずに投票に行ってほしいと思います。私は、行きたくても行けませんから


 「投票に行けるようになったらどんな人に投票したいか」を問うと、一雄さんは迷うことなく答えた。
 「差別をなくす人、差別をなくす運動をしている人に入れたいですね」。


狭山事件
埼玉県狭山市で1963年5月1目、川越高校入間川分校(当時)1年の女子生徒=当時(16)=が行方不明となり、同月4日に遺体で見つかった。別件で5月23日に逮捕された石川一雄さんは捜査段階で「自白」。一審浦和地裁で死刑判決を受けた。64年9月に東京高裁で始まった控訴審では殺害を否認したが無期懲役となり、後に確定した。2006年に第3次再審請求を行った弁護団は22年8月、専門家の証人尋問などを求める事実取調請求書を東京高裁に提出、再審開始へ動きを強めている。(加治陽)


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※今日の文字起こしのソースはこちらです:


掲載日:2023/4/21(金)
掲載紙:徳島新聞 
テーマ:「貴重な権利、無駄にしないで」、狭山事件で仮釈放 選挙権ない石川一雄さん
筆者:加治陽・社会部デスク統括部長、編集局次長兼報道本部社会部長


※記事のご紹介はこちらです:https://www.topics.or.jp/articles/-/876431
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「イワちゃんに続く」狭山事件60年の誓い=隈元浩彦(熊谷支局)
毎日新聞 2023/4/18(火)

※文字起こし
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「イワちゃん、やったね、よかったな」。2023年3月13日午後、埼玉県狭山市の自宅でテレビに見入っていた石川一雄さん(84)は、待ちかねていた知らせに喜びの声を上げた。


番組は、1966年に静岡県内の一家4人が殺害された事件で、死刑が確定した袴田巌(はかまだいわお)さん(87)の再審開始決定の速報を伝えていた。


 石川さんは、63年5月に埼玉県内で女子高校生が殺害された「狭山事件」で無期懲役囚として服役した。獄中から「事件は部落差別が生んだ冤罪(えんざい)事件」と訴え、94年の仮出所から29年がたった現在も再審を求めている。いわば 同じ境遇の身である。


それ以上に、東京拘置所の死刑囚監房で6年間をともにし、お互いに「イワちゃん」「カズちゃん」と励まし合う“獄友”だった。


 東京拘置所の死刑囚監房に、石川さんが入ったのは1審で死刑判決が下った64年のこと。その4年後、静岡地裁で死刑判決を受けた袴田さんが同じ監房に収監された。


確定囚も、未決囚も同じフロアで、昼間は収監者同士、独居房を行き来できた。名前の漢字1文字で呼び合うのがならわしだった。


 ある日、独居房のドアをノックし「カズちゃん」と親しげに声を上げる者がいた。袴田さんだった。


石川さんが冤罪を訴えていることを知っている様子だった。だが、事件について話さないというのが暗黙のルールである。ただ「お互いに頑張ろう」と言葉を掛け合った


   
 袴田さんが元プロボクサーであったことはほどなくして分かった。シャドーボクシングに興じていたかと思うと、時にコンクリートの壁に向かって何度となくこぶしを打ちつけた。


「こぶしがタコだらけになっていて、血なんか出ない。すごいと思ったけど、『社会に出たら、またボクシングをやるつもりなんだ』という言葉に、やるせない気持ちになりました」。


石川さんはそう思い起こす。袴田さんは壁に何を見ていたのだろうかと。


 石川さんは74年10月31日に東京高裁で無期懲役の判決が下ると別の房に移った。その後再会したのは、袴田さんが静岡地裁の再審開始決定で「死刑囚」のまま釈放された2014年。実に40年ぶりのことだった。


長期拘禁の影響で意思疎通は楽ではなかったが、「石川一雄だよ、分かる?」と問いかけると「分かる。冤罪だよ」と応じる場面もあったという。


 何回目かに会った時、袴田さんは石川さんの顔を見るなり、「石川さんのお父さんだね」と言い出した。はたと気づいた。


「私の独居房には両親の写真を置いていました。年をとり頭髪が薄くなり、おやじに似てきた


袴田さんはその写真を見ていたから、私を石川一雄の父だと思った。そうか、40年間、時間が止まったままだったのかと、分かったんです」



 「東京拘置所での日々は、いま思い出しても苦しい」と言った。「46人を見送りました」とも。


 「午後は騒がしいのですが、午前中は水を打ったように静かになる。執行があるかもしれないから。普段はズック靴の看守は、その日は革靴。カツンという靴音が響くだけで房内はピンと張り詰める。


お呼びがかかった死刑囚は、同房の一人一人と握手して別れを告げるんです。『先に行って待ってる』、そして私には『石川さん、頑張って』と。私が冤罪を訴えていることは、みんな知っていましたから」という声はかすれ声になっていた。手が何度か動く。感触が残っているようだった。


 石川さんの独居房を訪れた袴田さんは、ガタンというちょっとした物音で体を震わせることがあったという。未決囚であろうと、死刑執行の恐怖は背中合わせにあった。そんな世界で長期間過ごせば……とも思う。80年に死刑が確定した袴田さんは34年間、(死刑)確定囚として処遇された。
  
 石川さんは、裁判のやり直しを求めている。06年に申し立てられた第3次となる再審請求は、23年で17年を迎える。


弁護団は18年、有罪の証拠とされた石川さん宅で見つかった万年筆について、<被害者のものとは言えない>(※警察による証拠捏造)とする、インクなどの科学的な分析に基づいた鑑定書を裁判所に提出し、22年には鑑定人の証人尋問とインク資料の裁判所による鑑定の実施を求める事実取り調べ請求書を提出した。


弁護団は袴田さんの「再審開始」をたぐり寄せた、袴田弁護団による衣類5点(※捜査官による証拠捏造)の実験と同等の価値を持つ「新証拠」に位置づける。「今度こそ」という期待は高まる。


 96年に結ばれた妻早智子さん(76)によると、袴田さんの再審開始決定の報道番組を見る夫の姿に鬼気迫るものを感じた。


押し黙ったままずっと考え込んでいました。『今年こそ』と期待しては裏切られ続けてきたんですから。袴田さんの朗報に励まされる一方で、今度こそ自分の番だという切実な思いが幾重にも折り重なっているようでした。せつなくなりました」


 焦燥感は――というぶしつけな問いに、石川さんは言った。


「私が仮出獄してから、無期懲役だった人たちの何人かが再審無罪を勝ち取っています。自分は……と思うと、つらく感じることもあります。けれどもシュンとするわけにはいかない。弁護団も尽力してくださっていますし、一生懸命支援してくれる人がいますから」。


一拍置いて続けた。「正直に言うと、心の中でいつも泣いています」。口元が苦しげにゆがんだ。


 葛藤を振り払うように、石川さんは1週間で2~3回の3万歩のウオーキングを自らに課している。厚い再審の“壁”を打ち破り、生きて再審無罪を勝ち取るために、である。



5月で狭山事件から、そして石川さん逮捕から60年を迎える。【熊谷支局・隈元浩彦】


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